4 陽光の海
ロウギ・セトとタルギン・シゼルの二人は、宵の刻、ストーレが上がると同時にラダムナの港を離れた。ラダムナ市の港に近いテムルル家所有の倉庫群内で、爆破騒ぎがあった頃だった。
爆破されたのは、ロウギ・セトが乗ってきたと言われる銀色の球体。取り調べの為にトルキルの所領から運ばれる途中で何者かに盗まれたと思われていたものだった。それが、テムルル家所有のそんな場所にあるとは憲兵隊も知らず、幸いな事に負傷者はなく、倉庫が1つ炎上した以外は被害らしい被害は無かったようだった。
前
しかし、港が封鎖されたオーレ・マトゥル(零時三十分。ストーレが上がるのは大体何時も零時頃)には、タルギン・シゼルの船は
タルギンとロウギの二人は、甲板に立っていた。遠くに煙が立ち上っているのが見える。
「でも、どうやって爆発させたんだ? あんた、あの場所に立ち寄っていないだろ?」
タルギン・シゼルは、双眼鏡から目を離すと、ロウギに双眼鏡を差し出した。ロウギは笑って断る。
「立ち寄る必要はない。不用意に調べられると、周囲に人気のない時間に起爆装置が働くんだよ」
「あんたも笑うんだな。でも、あんた、あれに乗って宇宙からやってきたんだろ? あれを爆破してしまって、どうやって帰るんだい?」
タルギン・シゼルが冗談めかして訊く。
「この際仕方ない。あまり色々と調べられても困るのでね」
「困るような物があったのか?」
ロウギ・セトは涼しい顔で、さあね、と受け流した。
「でも、まあ、あんたが本当は異世界からの来訪者なんかじゃなく、ただの
タルギンは、冗談のようにこう付け加えるのを忘れなかった。
「全くその通りだよ。証拠があっては、かえって厄介だ」
ロウギは気を悪くした様子もなく、笑顔で返した。
船は、水原と海を区切る堤防の水門の直前まで進んでいた。クリュス島へ向かった際に通った水門とは別の水門だ。
「あの水門はどうするんだ?」
ロウギが訊くと、タルギンは得意そうに笑った。
「まあ見てな。この船にしか出来ない芸当さ。甲板じゃあ濡れるから、あんたもこっちへ」
タルギンとロウギは船の操縦室に戻り、操縦席に座ったタルギンは、自動操縦を解除して様々に並んだ装置を動かした。
滝のように水を下しながら水門が上がり、まだ水が滴る中を、タルギン・シゼルの船は通り抜ける。そして、水門は再び閉じた。
「凄いな」
感嘆の声を上げるロウギに、タルギン・シゼルは誇らしげに鼻をこすった。
「だろ?」
タルギン・シゼルの船は、遮るものの無い海を悠々と進みはじめた。
ロウギ・セトは考えていた。クリュス島火山爆発による地割れから何とか逃れ、巨漢のバルカンを連れてトルキル市への瞬間移動を試みるも及ばず、海中を漂っていたところに通りかかった中型の船。その船に乗っていた老齢灰髪の男。自分は科学者でドナレオ・ダビルだと名乗り、火山の事、炎人のこと、海人のこと、天体の事、様々な研究をしていると言っていた。
ドナレオ・ダビルの目には狂気にも近いほどの好奇心が溢れ、眼光の鋭さは、並みではない高い知力を物語っていた。もしかしたら、ドナレオ・ダビルは、ロウギ・セトの宇宙船=着陸船をも調べようとしていたのではないか。訳も分からぬままあちこち触ったくらいでは自爆などしないはずだったからだ。
「ドナレオ・ダビルという老人を知っているか?」
ロウギ・セトはタルギン・シゼルに訊いた。
「ああ、結構有名だな。確か、思想犯で投獄されていたはずだが、狂科学者だな。頭が切れすぎて、並の人間の常識は通用しないらしい。なんで奴の名前を知っているんだ?」
「ああ、ちょっとね」
ロウギ・セトは涼し気な微笑で誤魔化す。
「なんか、あんたには、いいように誤魔化されてばかりな気がするなあ」
タルギン・シゼルは頭を掻きながら言った。
「炎人と海人が、大昔の失われた秘術によって作り出された、っていうのは本当なのか?」
「さあね。それこそドナレオ・ダビルなら答えられるかもしれんが、俺に聞かれても困る」
それからタルギンは、思い出したように懐から折り畳んだ黄色い紙を出し、ロウギに差し出した。
「あんたの旅券と身分証だ」
ロウギがその紙を開いて見ると、あまり写りのよくないロウギの写真の下に、“エトラス・タウル”と名前が入っていた。
「この名前は?」
「あんたの名前に決まっている」
タルギン・シゼルはくすくすと笑った。
「いかにも偽名っぽい名だが、覚えやすくていい」
ロウギは真顔で言った。
エトラスは星を意味し、タウルは、エウル、ジオルなどと並んでエラーラでは最も大衆的な男性の名前のひとつだった。
「ところで、なにも君まで一緒に行くことはないと思うのだが。私は、情報だけ得られれば、それで良いと言った」
ロウギ・セトの問いに、タルギンは意味ありげに笑った。
「憲兵達もそう馬鹿ばかりじゃない。本当にあんたを捕まえる気でいるなら、必ずあんたの足取りを見つけるだろう。その時、俺があんたに手を貸して逃がしたと知られちゃあ困るんだ。だからしばらくは身を隠したほうが安全なのさ。そろそろ新しいネタを仕入れに旅に出るつもりでもあったしね」
「なるほど。しかし、タルギン・シゼル、君はこんな船をどうやって手に入れたんだ?」
タルギンの隠し持っていた船は、見掛けは古びて冴えなかったが、それは偽装であり、最先端の技術を以て建造された俊敏な船であることは確かだった。
「なに、大きな声じゃあ言えないが、憲兵隊の高速水上艇をちょろまかして手に入れて改造したのさ。まずどんな船よりも速いし、ストーレの最中だって平気だ。普段はそんな目立つことはしないがね。いざという時には役立つ」
タルギン・シゼルは豪快に笑った。
「捕まったが最後、君も簡単には済みそうにないわけか」
ロウギは大して驚いた様子も見せずに言った。
「最小限の投資で最大限の利益を得るのが商人の信条でね。別に盗んだわけじゃないさ。その証拠に、盗難届けは出されていない」
タルギンは、自信たっぷりに笑った。
「アスタリアまでは、どれくらいかかる?」
「飛行船なら雨雲の上を飛ぶし、上手く風を捕まえれば十日とかからないところだが、目立ちすぎるのが難点でね。水上船で普通に航行すれば、水原では水深が浅いんで大したスピードは出せないし、サスの港を過ぎて、ラダイ、ムラ、ホラスデの各港を過ぎて、南周りにアスタリアへと向かって、まず一支節は堅いな」
タルギンはわざと意地悪そうな笑いを浮かべて言った。
「君の自慢の船では、まさかそんなには掛かるまいね」
「まあ、そうだがね」とタルギンは答えた。
「海に出たら一気にスピードを出せるから、多分、半支節もかからずにアスタリアの領内に入れるよ。商業都市イオラスの港に船を付けよう。あそこが一番余所者が多い。紛れ込んでも目立たない」
タルギンはそう言うと、自動操縦に切り替えて操縦席を立った。
「何事も無ければ、まあ無いと思うが、後は気ままな船旅だ。甲板に戻るかい?」
「そうだな、海風が気持ちよさそうだ」
ロウギは応じ、二人は再び甲板に出た。
ロウギ・セトは甲板の手すりに背を凭れ掛け、風に吹かれて遠い月の海を眺めた。月明かりに照らされた細波は銀色に光り、島影も船影も無い静寂の世界が広がっている。
「アスタリアも、言葉や習慣はウルクストリアと殆ど変わらなかったな」
ロウギ・セトは、彼方の夜空に目を向けて訊いた。その遠い視線は、遥かな宇宙に向けられているようにも見え、郷愁さえも感じさせる。ロウギ・セトが自身の言葉通りに星の世界からやってきたのだとすれば、見知らぬエラーラという惑星上にあって、故郷を想ったのかもしれなかった。ロウギ・セトの故郷が何処なのか、それは本人も知らないと言うが。
「ああ、そうだな。他の三国と同様、開拓地として広げていった土地だからな」
タルギン・シゼルは、ロウギ・セトを見やりながら応じ、そして続けた。
「しかし、あんたは面白味のない硬い奴かと思っていたが、やっぱり人並みに血の通った人間だったんだな。シェリンの歌を聞いてアスタリアに行く気になったとはね」
「寄り道するだけだ。ソルディナには、その後で行く」とロウギは答えた。
「そうかい。俺はちょっと嬉しいよ」
タルギンは破顔一笑して言った。
ロウギが予定を変えてアスタリアに行くことにしたのは、居酒屋でシェリンの歌を聞いたからだった。蓄音箱から流れてきたアルトの声が、ロウギの気を変えたのだ。
「あれは、かなり以前に録音された歌でね、最近まではシェリンも無名に近かったが、今じゃあ結構売れてるようだよ。曲の感じも変わったようだが、俺は昔から彼女の歌が好きでね」
タルギンは屈託のない笑顔で言った。
「公演があると言っていたな」と、ロウギが聞いた。
「ああ、そうらしい。イオラスに着けば、色々詳しい情報も手に入るだろう。アスタリアの首都アスターラでの公演が成功したら、そのうちには、ウルクストリアのラダムナでの公演もあるかもな」
タルギン・シゼルは、自分の事のように自慢げに笑った。
「イオラス港に着いたら、ひとまず別れることにしよう。二人一緒だと目立ちそうだからな。あんたなら一人でも大丈夫だと思うが、念のため、これを渡しておこう」
タルギンが差し出したのは、アスタリアの地図と、それから、掌に納まるほどの大きさの、鈍色に光る一丁の短銃だった。
「神経銃に比べると野蛮だが、小さくて目立たないし、もしもの時の護身用くらいには使える。人は撃つなよ。足元を撃って、相手がひるんだ隙に逃げるんだ。銃身が短いから、人を狙って撃ってもまず当たらゃあしないけどな」
そして、タルギンはロウギに短銃の使い方を教えた。
「今これを渡してしまっていいのか? もしかしたら、私は君を殺してこの船を奪うかも知れない」
ロウギがそう言うと、タルギンは腹をゆすって
「あんたを信用するさ。あんたも俺を信用してくれたしね」
「君は、私が丞相テムルル・テイグを殺害したとは思っていないのか? あるいは、トルキル大公の命令で世間を騒がそうとしているとか」
ロウギ・セトが真顔で訊く。
タルギン・シゼルは、しばし考えてから口を開いた。
「ここだけの話、もしかしたら、トルキル大公にはテムルル・テイグを殺したい理由があったかもしれない」
「ほう」とロウギ・セトは低い声で応じた。
「俺の店に、桃色の髪のぽっちゃり女がいたのを覚えているか?」
タルギンの問いに、ロウギは頷く。
「彼女は、ちょっとばかし若く見えるかも知れんが、俺よりもずっと年上でね、実は、俺と同業者だ。昔、俺がまだ子供の頃に世話になったことがあって、その時に、彼女が漏らしたことがある。どこまでが本当かは知らんが、アスタリアの歌姫アリダの世話係をしていたことがあるんだと」
アリダという名前に、ロウギ・セトは覚えがあった。憲兵隊の水上船に曳航されてクリュス島に向かう船の上で、エルディナを照らす月を眺めながら、トルキルの無意識の心が叫んだ名前だった。
タルギン・シゼルは続けた。
「ずっとずっと昔の事だが、トルキルと歌姫アリダは、トルキルの遊学先で出会って身分違いの恋をしたらしい。だが、歌姫アリダの評判はウルクストリアにも届いていて、前宗主が彼女を手に入れようと画策した。歌姫アリダはソルディナに逃れたが、やがて、テムルル・テイグの配下によって発見され、ウルクストリアに連れていかれた。ただ、その時には、移り気な前宗主の関心は別に移っていて、用無しになった彼女を、テムルル・テイグが自分のものにしようとしたらしい。さっきも言ったように、どこまでが本当かは知らん。だが、歌姫アリダは、
タルギン・シゼルは、なぜか虚ろな目で語った。
「なるほど」
タルギン・シゼルが話を終えたらしいと確認し、ロウギ・セトはゆっくりと頷いた。
「その話が事実なら、確かにトルキル大公には、テムルル・テイグを殺害するほどの動機はあったかもしれない。そして、それが罠として悪用された可能性もあるかもしれない」
ロウギ・セトの言葉に、タルギン・シゼルは顔を上げた。
「ああ、そうだな。確かに罠という線も考えられるな。だが、本当に事実がどうか分からん話だ。つまらん話を聞かせちまった。悪いが、今の話は忘れてくれ」
それきり、タルギン・シゼルは押し黙った。
二夜後も、タルギンの船は、ほかに船影の見当たらない広い海を、速度を上げて航行し続けた。
沿岸と違い、遠洋では昼にストーレが降ることもなく、ロウギ・セトは、久し振りに昼の太陽を仰いだ。
気持ちの良い黄色い太陽だったが、タルギン・シゼルは、ストーレの降らない明るい昼の間は、決して甲板に出てこようとはしなかった。
「太陽光線に免疫の無いエルディナの人間は、そんな所に出たりしたら、たちまち日膨れになっちまうよ。それに、少しでも肌を焼いたら、まともなエルディナの人間とは見られなくなる。あんたも気を付けるこった」
タルギン・シゼルは、薄暗い船室からそう言うのだった。
ロウギ・セトは、その昼、夢を見た。高い山脈に囲まれた、陽炎立つ砂漠。焼け付くような太陽。その太陽を背にして、人影が立っていた。足元まで届く長い銀の髪、赤銅色の肌、その唇は微かに笑いを含み、燃える朱金の瞳が、超然と見返している。
〈エラーラより疾く去れ、ロウギ・セトよ〉
冷たく重苦しい思念の声が、どこまでもロウギを追ってくる。振り払おうとしても、炎のような朱金の瞳が、執拗にロウギに付きまとう……
ふと目を開けると、ロウギの寝ている船室の戸口に、タルギン・シゼルが立っていた。
「どうかしたか?」とロウギが訊くと、タルギンは船室の小窓を指差した。
「物音がしたんで見に来たのさ。やっぱり窓が開いたままだ」
開いた小窓からは眩しい陽光が溢れ、青く輝く空と海とが覗いていた。鎧戸が風にカタカタと鳴り、時折強い風に押されて大きな音をたてるようだった。
「窓は必ずきちんと閉めて寝るんだな。それでなくても、ストーレの無い陽の照る昼の海には、魔物が出ると言われているんだ。悪夢にうなされても知らんぞ」
タルギンはそう言いながら、開いている窓へと歩み寄った。
ロウギは、寝台の上に身を起こし、今見た夢を思い返した。あれは予知夢なのだろうか。ポイントを見つけたと思ったが、目的を果たせぬまま、もう一度あの唄歌いに会うことになるのだろうか。
「確かに変な夢を見たよ」とロウギは答えた。
「エラーラ随一の情報屋と見込んで訊くが、こんな唄を聞いたことはないか」
ロウギ・セトは、月読祭で聞いた語りのような唄を、呟くように唄って聞かせた。
星の輪よ、巡れ
時の輪よ、巡れ
輪廻の輪巡りて、夢は繰り返す……
タルギンは振り返りもしなかった。しかし、ロウギは、開いた窓に伸ばしかけたタルギンの手が、一瞬硬直したように止まったのを見逃さなかった。タルギンは、明らかに動揺したのだ。
「知っているな、タルギン・シゼル。銀の髪、赤銅色の肌、朱金の瞳の唄歌いだ」
タルギンは、ロウギに背を向けたまま立ちつくしていたが、握りしめたその指は、血の気が失せて白くなっていた。
「知っているな、タルギン・シゼル」
ロウギは繰り返した。タルギンはゆっくりと振り返り、ロウギを見る。
「あんたもナーサティアに会ったのか」
「ナーサティアというのか。あれが何者なのか、君は知っているのか」
ロウギの問いに、タルギンは首を振った。
「知らんよ。会ったこともない。情報として知っているだけだ。どこにも居ないが、どこにだって居る。いつも見ている。用があれば向こうから来る。あれは多分、天空の神ヴィドゥヤーの化身だろうさ。何者かなんて俺も知らん。知りたいとも思わん。おやすみ。俺はまだ眠いんだ。窓はちゃんと閉めて寝ろよ」
そう言って、タルギンは、開いていた入口の扉から出ていった。
タルギンは否定していたが、おそらく彼は、ナーサティアと呼ばれる謎の唄歌いに会ったことがあるのに違いなかった。
タルギンが閉めようとしていた小窓は開いたまま、エルディナでは決して見ることのない眩しい陽光が射し込んでいた。