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直之くんのマンションの最寄りだという新宿から私鉄で十分ほどの駅に、私は初めて降り立った。
出会って二週間。
LINEで二人で飲みに行こうという話になったまでは良かったけれど、彼の「当直続きでさぁ」という嘆きにも似た言葉に引きずられるままに、中間地点ではなくここまで来てしまった。
そもそも新宿まで十分なのだから、新宿に出てきてくれても良かったんじゃないか。
――確かに研修医って大変なお仕事だと思うけど、私だって仕事の後で疲れてるのに。
なんとなく、もやもやを抱えながらの待ち合わせ。
それでもロータリーの向こうから歩いてきた、背の高い直之くんを見つけると「まぁいいか」なんて思ってしまった。
このそこそこ良い見た目で、将来は大金を稼いできてくれる人だ。
初デートなのに最寄り駅まで呼び出されたくらいで、ぶつくさ言うのはやめよう。
私を見つけて小走りで近寄ってきて爽やかに笑う彼は、顔の前でぱちんと両掌を合わせた。
「ごめん!遠かったでしょ?こっちまで来させちゃってごめんね」
「ううん。いいよ。直之くんに会いたかったし」
私のストレートな言葉に直之くんも顔をぱーっと輝かせる。
「俺も。まためぐちゃんと会えて良かった」
照れる素振りを見せるでもなく、直之くんはあっけらかんとそう言った。
それから彼に案内されたのは意外なことにビールが一杯、税込み二百九十円のチェーンの中華料理店だった。
餃子に至っては税込み二百三十円。
白地に『激安!中華食堂 月高屋』と力強い字で店名が躍る看板を掲げたこぢんまりとした店舗は、色んな街で見かけたことはあったけれど。
――どんだけ安いの。
初めて足を踏み入れた店内はお世辞にもオシャレとかデート向きといったかんじはしない。
たまたまかもしれないけれど、私たちくらいの年代の男女なんて、やっぱり一組もいなかった。
育ってきた環境的には、安い店は全然あり。
しかも注文してからあっという間に運ばれてきた餃子だってちゃんと美味しいし、こんなお値段で料理を提供する企業努力は素晴らしいと思う。
でもこれが良いと言えるのは、恋人としてのお付き合いが始まって、しばらく時間が経っている場合ならだ。
今日はあくまでも、初デート。
私は直之くんが分からなくなった。
彼は激安の餃子を咀嚼しながら、これまた激安のレモンサワーをぐいぐい飲んでいる。
ジョッキを持つ右手首には高級ブランドの腕時計が見えるし、その後ろにはラルフローレンのビッグポニー。
あまりのアンバランスさに、眩暈がした。
「こういうお店、よく来るの?」
苦笑まじりに私が問いかけると、直之くんは「たまにかなぁ」と即答した。
「じゃぁ、普段はどんな店で飲んでるの?」
「あー、六本木のジャズバーとか、恵比寿のアイリッシュパブ、都庁の上にあるバーもたまに使うし……このあたりだと、駅むこうのイタリアンバルもけっこう良いんだよな」
すらすらと彼のお気に入りの店が羅列されるのを聞きながら、気が遠くなった。
じゃあ、なんで私は今、この店に連れてこられたのだろう?
私の表情から何かを感じ取ったのか、直之くんは急に早口になった。
「めぐちゃんは初めて会った時から、変に気を遣わないでいられるっていうか……居心地が良くてさ。こういう店で肩ひじ張らずに飲んでみたかったんだ」
「……それは、ちょっと苦しくないかな?」
「え?」
思わず、ぼそっと口に出してしまった心の声に、直之くんが固まった。
いけない。私の目的は彼と恋愛することじゃないのに。
近い将来、結婚して安定した生活を手に入れる。
その為には、ロマンチックな初デートなんていらない……よね?
私はめいっぱいの作り笑いで、首を横に振った。
「なんでもない。私も直之くんといるの、居心地良いよ」
ビールと一緒にこびりついた疑念を飲み下す。
ちょっと、苦かった。
ほとんど自棄をおこして飲み続けた酒は、自分にしっかり返ってきた。
判断力だって鈍って、いとも容易く直之くんの家にお持ち帰りされ、これまたなんのロマンチックさもなく、あっさりと食べられた。
最初から最後まで、愛情とか思いやりとか、そういった温もりのまったく感じられない、テキトーで自分本位な行為だった。
正直、私は少なからず直之くんに失望したし、こんな悪手をうった自分にもがっかりした。
自分でも恋愛においては肉食系だと自覚はしているけれど、本気になってもらわなければならない相手との初デートで体を許すなど、あってはならないことだ。
軽い女だと思われて、終わり。だけど、乗りの悪い女だと思われて倦厭されるのも嫌だった。
断ったら、直之くんとそういう関係になる可能性が減ってしまうような気がして。
朝、先に目覚めて頭痛を堪えながら身支度をしていると、直之くんが起きてきてスマホをいじりながらヘラヘラと笑った。
「気が向いたらまた遊んでよ。めぐちゃんなら大歓迎」
今日見るえくぼは、全然可愛らしくなんかなかった。
この状況を喜べるほど、脳内がお花畑にはなっていない。
好きとか付き合おうとか、大人になったら告白の言葉なんて抜きで恋人関係が始まることだってある。
でも今回は、そんな希望的観測も持てないほど、直之くんが遠く感じた。
直之くんの最低すぎる初デートは私を興ざめさせるには十分だったけれど、こんなスペックの相手と出会える確率を考えると、このまま終わらせてしまいたくもない。
どうにか恋人になって、ゆくゆくは結婚相手に選ばれたい。
そうなれる可能性だって、ゼロじゃないはずだし、そうなるためには、なりふり構わない。
だって、子供の頃、そう決めたんだから。