社長!会議のお時間です!
浜崎さんの車で、川上さんと二人でどこかにお出かけをしていた。それって、もうただのデートじゃん。
自宅に帰ってからも、モヤモヤが晴れないこの気持ち。二人が秘密裏で会っていたなんて、まったく知らなかった。でも、よく考えれば美男美女で社長秘書(これは私もだけど)なんて、お付き合いする条件が揃っている気がする。あとは性格が合えば完璧なのではないだろうか。
浜崎さんと、川上さん。この前の飲み会ではそれほど二人で話している様子はなかったけど……。実はその時点ですでに付き合っていたからこそ、口裏を合わせて離さないようにしていたのかもしれない。
考え始めれば、途端にキリがない無限ループに悩まされる。これでは、話をする以前に振られているようなものだ。これまでの発言から、てっきり気があるのかと勘違いしまったではないか。こんな自分が、情けなくて恥ずかしくなる。
駅を出るまでは意気揚々としていたのに、今の一瞬で急激に奈落の底まで突き落とされた気分だ。これでは明日、話をするどころではない。川上さんとお付き合いしているのか、まずはそれを確かめないとだけど……。でも、お付き合いしていない女性とドライブに行くのかな? さっきの牧村さんと話していた感じだと、浜崎さん、一途そうな感じだったし……。やっぱり、川上さん一筋なんじゃ。
せっかく長年のトラウマから解放されたのは良かったけれど、解放された途端に失恋が決定したようなもの。これは本当につらかった。
「明日からどうしよう……」
どうして恋は、こんなにも人を悩ませるんだろう? そして私は、それを知っていてどうして恋をしてしまったんだろう?
翌日――
困った。もう会社にも行きたくないくらいのテンションなのに、どうして朝は来てしまうんだろう。時間は時に悩みを解決させてくれる薬にもなるが、来てほしくない未来が来てしまうあたり残酷ともいえる。
とはいえ、「浜崎さんと川上さんのツーショットを見てショックを受けたので、会社を休みます」とは言えない。……し、私の直属の上司は浜崎さんだ。本当の体調不良でもないのに、浜崎さんに嘘の報告をして会社を休む気にはとてもなれなかった。結局、遅刻ギリギリの時間まで布団で粘り、渋々会社へと向かった。普段は仕事一筋で頑張っているけれど、社会人ってこういうときしんどいな。
「おはようございます」
出社後、いつも通り社長室にある私のデスクへと向かう。案の定、浜崎さんはすでに座席に着いて業務を開始していた。
「おはよう。……どうした?」
「え?いや、なんでもありません」
さっそく勝手に気まずくなっていることがバレたのかと、話しかけられただけでもドキドキしてしまう。
「そうか。ならいいのだが」
そもそも、私が勝手に見てしまっただけで、本来付き合っていることすら公表していないのかもしれない。なんてったって、あの牧村さんが知らないくらいなんだし。
しょっぱなから怪しく思われてしまったかもしれないが、朝の挨拶は何とか終了した。あとは業務終了までなんとかこの状態を保てれば……。
「そういえば昨日、○○駅にいなかったか?」
「(ギクーーーッ!)
すっかり安心しきっていた私は、突然の質問をうまくかわすだけの術を持っていなかった。っていうか昨日、浜崎さんに気付かれてたかもしれないの私……!?
でも、嘘をつく意味も理由もない。よし、ここは……
「あ、はい、いました! 社長が川上さんと一緒に車でどこかに行くところを拝見したのですが、何かご用事だったんですか?」
変に嘘をつくよりも、正直なことを話すのが一番! ってあれ、私、いきなり核心に触れてない?
「やはりそうか。言っておくが、勘違いするなよ」
「へっ?」
「俺と川上さんは、京谷社長のお見舞いに行ったんだ。休日に突然体調を崩したそうでな。念のため、検査入院という形になったんだ。結果的に、体に異常はなく、今日まで病院に
「そ、そうだったんですね……。京谷社長が無事なら何よりです。……でも、それならどうして二人で向かったんですか?」
懇意にしている取引先だし、お見舞いに行くのはわかる。でも、わざわざ二人で行く必要ってあるのかな……?
「それは……、川上には内緒にしてくれと頼まれていたんだが、仕方あるまい。涼香(すずか)……川上さんは、牧村と同じ俺の幼なじみなんだ」
「えっ、そうなんですか!?」
「ああ。あいつには『仕事とプライベートはきっちり分けたいから、俺たちの関係について話すな』と言われているし、俺もその考えに賛成だからそうしていたんだが……。すまない、そのせいで要らぬ誤解を招いてしまった」
「あ、いえ……」
「本当に、すまない」
「あ、ええと、そんな。私も事情をよく知らずに勘違いしてしまって、すみませんでした!」
立ち上がり、私の方を見てまっすぐ謝る浜崎さんを見たら、昨日不安だった気持ちとか、何だか吹っ飛んだ。こんな風に、素直に謝る浜崎さんを見るのは初めてで、とっても新鮮だし、社長という立場にある人を心から謝らせてしまったことに多少の罪悪感もある。
「勘違い?」
「お二人が車でどこかに行くのを見て、思わず付き合っているのかと勘違いしてしまって。あ、でも今のお話を聞いて本当のことがわかったので大丈夫です!」
「そうか」
「はい!」
「今の話を聞いて、どう思った?」
「えっと、どうって……。うーん、不安が解けたというか、誤解だったことに気付けてよかったです!もし、社長と川上さんがお付き合いしてたらどうしようって……あれ?」
私、何言ってるの!? そりゃあ、お二人が付き合ってなくてよかったけど、浜崎さんの前で正直に全部言っちゃう!?
「……」
こういうとき、いつもみたいに蔑んで(?)ほしいのに、浜崎さんはなぜか無言のままだ。
「あの……、浜崎さん……?」
無言の状態で、両手で顔を覆う浜崎さんに声をかける。浜崎さんのこんな姿、初めて見るからどうしていいのかわからない。
「ちょっと待て」
「え?」
「何でこんなにかわいすぎる……クソッ」
何だかいろいろとブツブツ聞こえてくる。かわ……?くそ……?
「あの、浜崎さん……?」
「……嫉妬か?」
「え?」
「それは、あれだ。あの……俺と川上の関係に嫉妬したということか……?」
両手で顔を覆ったまま、質問を投げかけられる。嫉妬? 嫉妬っていうか、浜崎さんと川上さんならお似合いだなーって思って、その後ずっと不安な気持ちで仕方なくて、それなら自分の気持ち伝えなくてもいいかーって思って……。って、これって浜崎さんの言う通り、嫉妬ってやつ……?
「あ、ええと……はい……。そう、みたいです……」
そうか、何でモヤモヤするかと思ったら、これは嫉妬なんだ。不安の中にある、ちょっとのイライラと焦り。私、浜崎さんのことが好きで、気になるから自然に嫉妬しちゃってたんだ。
「クッ……致命傷だ……」
「んん?」
今の言葉に何かを感じたのか、さらに膝を折り曲げて「致命傷」と言う浜崎さん。ますますどういうわけかわからない! こんなとき、牧村さんがいてくれたら……。
「社長、おはようございます。この資料なのですが……って、あれ、二人とも何やってるの?」
そう願っていたら、タイミング良く牧村さんが現れた。あなたは昨日も今日も私も助けてくれた神様です。
「わ、私もどうしたらいいのかわからなくて……」
これまでの経緯をかいつまんで説明する。
「あ、俊ってば川上さんのこと伝えてなかったんだ? 神崎さんに嫉妬してもらえてよかったじゃない」
いつものニコニコ笑顔でそう言う。
「うるさい。黙れ」
ようやく顔を上げられるようになったのか、真っすぐ牧村さんの目を見てそう告げる。その姿はいつもの社長の顔つきだった。
「まあ、気にかけてくれるようになってよかったね。二人が仲良さそうで僕はうれしいよ」
それだけ言うと、牧村さんは社長室から出て行ってしまった。え、この微妙な雰囲気を残したままで……!?
「……」
「……」
顔を上げられるようになった浜崎さんに対して、私は何だか気恥ずかしくなって俯いてしまう。
「神崎、さっきはすまなかった。よければ顔を上げてくれないか」
「は、はい……」
顔を上げてほしいと言われ、おずおずと浜崎さんの方を見る。妙に意識しちゃって、真正面から顔を見るのがものすごく照れる。
「嫉妬してくれたってことは、少しは可能性を信じてもいいってことだろうか?」
「え……っと、」
「……」
「……」
「……すまない。こんな言い方は卑怯だな」
「いえ、そんな……」
「俺が社長に就任したとき、社内だけでなく取引先の界隈からも良くない噂を流された。『どうせコネ』だの『忖度指名』だの……。そんなデタラメな噂を信じて俺を避ける奴もいれば、社長という地位や金目当てで近づく女も多くて、正直、一部の人間以外は信じられなくなってきた」
浜崎さんの、今まで知ることのなかった思いや葛藤。社長業は外から見ると華やかに見えるけれど、本当に色々な苦労があったのだと改めて実感する。
「そんな中、父さんから挨拶周りを命じられたのがハセコーだ。父さんからは、旧知の知り合いが社長をやっていると聞いたが、正直最初は小さい会社だし、また変な噂を流されているんだろうと渋っていた」
「……」
「それでも、実際に行ってみたら社長は優しくて……。対応にあたってくれた女性も、俺のことを変な目で見るわけでもなく、普通に接してくれた」
「……、」
対応にあたってくれた女性……、それってもしかして……。
「そのとき、すごくうれしかったんだ。社内にも社外にも、味方と呼べる人がほとんどいない状態で、でも社長として社員をしっかり引っ張っていかないといけない。だが、反発する社員もいる中でろくにリーダーシップもとれていないし、正直自信をなくしていた。だからあのとき、俺を普通に迎え入れてくれたのがとてもうれしかったんだ」
確か浜崎さんと初めてお会いしたときは、少し怖い印象があった。あれはもしかすると、クールな性格ゆえもあるだろうが、色々と葛藤していたときで、周りの人を警戒していたのかもしれない。
「それから、次の訪問が待ち遠しくなった。ハセコーに行くと、いつもの自分でいられる。社長だからしっかりしないと、と気張らなくてもありのままでいいと思ったんだ。……神崎、お前のおかげでな」
真っすぐ目を見てお礼を言われる。窓から入る日光と相まって、浜崎さんの顔が輝いて見えた。
「俺は、お前といると自分を飾らないでいられる。ファッションロジック社の社長としてではなく、浜崎 俊としていられるんだ」
とても眩しい、人。こんなに素敵な人から思いを告げられているなんて、何だか夢のような気分だった。
最初は、正直言って苦手なタイプだった。仕事はとてもできるけれど、厳しそうな印象があったから。それでも自分なりに誠意ある対応をしていたら、少しずつ態度が軟化していくのを感じた。そのときは素直にうれしかった。もしかしたら、少しずつ認められるようになったのかもしれない。そう感じたから。
でも、ある日から急に私にだけ対応が変わって、また少し苦手になってしまった。どうして私にだけ、あけすけな態度をとるんだろう? 私が何か粗相をしてしまったのかな? それならそうと言ってもらえればいいのに。
そんなモヤモヤした時期がしばらく続いた。そして、会社譲渡の話である。大好きな会社がなくなってしまうと知ったあのときは、自分でもうまく感情をコントロールすることができなかった。そして、浜崎さんに……。
自分でも「やってしまった」と思ったし、絶対浜崎さんに幻滅される。そう思っていたのに。浜崎さんは優しく受け入れてくれた。あのときから、自分の中で苦手だった浜崎さんのイメージが変わった、というか……。実はすごく優しくて、器の大きい人なんだと感じた。ああ、これが社長なんだ、と。でも、それだけじゃない。人としての強さや優しさも感じられて……。あのときは本当にうれしかったんだ。
会社譲渡はやっぱりショックだけど、この人の会社の社員さんはきっと、みんな幸せに働いているんだろうな。だから、出社初日は寂しい気持ちや不安がたくさんあったけれど、ほんの少しワクワクした気持ちもあった。……前の会社のみんなには言えないけれど。
それから新しい業務が始まって、浜崎さんの社長としての一面を、まだ一週間くらいだけどたくさん知って……。あっという間に、今日まで過ぎていった。
「私……、自分の過去と向き合いました。それで、気付いたんです」
私が伝えたいことは、たった一つ。怖いけど、気持ちを伝えてくれた浜崎さんに、私も自分の精一杯で応えたい。私なんかでいいの? そんな気持ちはあるけれど、でも、こんな私でも。
「浜崎さんのことが好きだから……。これからもそばでサポートし続けたいです」
私にできることがあるのなら……。そんな願うような気持ちだった。
「私に何ができるかわからないけれど……。私が支えてもらったように、浜崎さんが悩んだときは一緒に解決策を考えたいし、つらいときはそばで支えたいんです」
「神崎……」
デスク越しの浜崎さんの瞳が揺れる。
「ありがとう……」
そう言うと、肩をぐっと引き寄せられた。
「っ……」
デスクがあるから、抱きしめ合うことはできない。けれども、肩先から伝わる温かなぬくもりは、間違いなく幸福そのものだった。
「あの、浜崎さん……」
「ありがとう……。俺は今、世界で一番、幸せ者だ」
「そ、そんな……」
「父さんに会社を任されたときよりも、何倍もうれしい」
「そこまでですかっ!?」
「ああ。どこまででもうれしい」
「そんな、こと……」
直球の言葉に思わず恥ずかしくなる。一見クールそうに見えるけれど、実はかなり素直な人なのかもしれない。
「これからも、俺のそばでずっと支えていてほしい。仕事だけじゃなくて、もちろん恋人として……」
「……はいっ!」
私でよければ。まだそんな言葉が頭をチラついてしまうけれど、今はまだそれでもいい。少しずつでいいんだ。ゆっくりと、これから絆を深めていこう。何せ私はまだ、浜崎さんのことを知っているようでよく知らないのだから。それはたぶん、浜崎さんも同じだと思う。そこまで考えたところで、ふと我に返って、浜崎さんの肩ごしに社長室の時計を見る。
「……えっ」
時刻は時刻は8時55分。朝一番の打ち合わせまで、残り時間は約5分。もうすぐで会議が始まってしまう。
「社長!会議のお時間です!」
そして、私たちの恋も。はじまったら、もう誰にも止められないのだ。