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16話








「ウソでしょ・・・・・・」


わたしの目の前についさっきまで男性と思っていた人が立っている。


その人は胸に晒を巻いている女性。


体の線は細く、陶器のように白くて、くびれがある。


分厚いスーツを着ていたから気づかなかったのか。


女性は名を朝比奈アヤカと名乗った。


有名な女優の名だが、最近は映画にも出ていなくて、表舞台から姿を消したと思われていた。

あの映画『愛は無情』にヒロインとして出ていた女優の名。


だから見覚えがあったのか。


銀髪だから女と気づかなかったのか? あの女優は短い黒髪の時が多かったから。

オッドアイの目だから気づかなかったのか? あの女優の目は黒だった。


何度も好きであの映画を見ていたのに、好きになったホストが彼女だと気づけなかった。


もういったい何が何だかわからなくなった。


自分は何とバカだったのか。

もっと早くに気づくべきだった。

恋は人を盲目にするというけれど、男性を女性と見間違うということがあるだろうか?


私が何も話さないので、彼女は晒をほどきながら、こちらに歩み寄ってくる。


「カナ? 大丈夫?」

私は後ずさりした。


晒をとると、形のよい小さな胸が見えた。


「これが私なの。ウソ偽りのない」


「あなたが朝比奈アヤカ・・・・・・?」


「あなたが好きだっていう映画に出ていたこともある。もう昔のことだけど。あなたがあの映画を好きだって言った時、嬉しかった。私が出てるって言おうかすごく迷ったの。でも言えなかった・・・・・・」


「私、同性と・・・・・・!」


自分の唇に手を当てて、気づく。


女性と。同性の女性とキスをしてしまったのだ。

何度となく。

なぜか、自分を恥じた。

「カナにもっと早くいうべきだった。今では本当にそう思ってる」


彼女は目の前に迫っている。


私はドアに背をつけた。どこにも、逃げ道はない。


「ねえ、こんな私でも愛してくれる?」


「そんな・・・・・・」


かっこいいイケメンの男だと思ったから。

優しい人だと。

そう思ったから、付き合うことにしたのに。

キスをしたのに。

セックスをしようと思ったのに。



「私、カナのこと愛してる。愛しあいたい」


「そんなことって・・・・・・信じられないよ」




私は楓さんに裏切られたと思った。

胸の奥から、じわじわと怒りが湧いてきた。


楓さんは女であり、レズビアンであったのだ。


「女でも、愛してくれる・・・・・・?」


彼女は、泣いているように見えた。両手をいっぱいに開いて、私を抱きしめた。


彼女のやわらかい胸が私の胸に当たる。


首筋にキスされる。


その感触は気持ちよくもあり、私をゾッとさせた。


高校時代、ふざけて女友達の胸を触ったりしたことはあったけれど、それはただからかい合っていただけのこと。



これはそれとは全然別物。



「あなたを愛してるの・・・・・・」


彼女は私にキスしようとした。



「私・・・・・・同性同士で、そんなこと、無理よ!」



もうすでに何度か彼女としていたことは忘れてそう言った。



私は彼女を突き飛ばした。


朝比奈さんはギクッとしたような表情をして止まった。



驚き、悲しそうな顔。



「カナ・・・・・・?」



「私・・・・・・私・・・・・・もう・・・・・・!」



そのまま、ドアを開けて、飛び出た。


朝比奈さんを一人そこに残して。



ホテルを出ると、無我夢中で走った。


足が痛くても、走った。


小石につまずいて、こけてしまった。足を擦りむいてしまう。


タクシーを見つけて、乗り込む。




アパートに帰り着いた頃には深夜になっていた。


ドアを開けると、ミーくんが頭を足に擦りつけてきた。


「ごめんね。遅くなって」


「ミャーミャー」と悲しそうに鳴いた。


すぐにオヤツと餌をやって、ミスを替えてあげた。


ジャケットも脱がずに、キッチンまで行って水を出してコップに入れて飲んだ。

それから自分の顔に何回かかける。


タオルで顔を拭くと、そのままベッドに倒れ込んだ。


そして、叫んだ。


もう一度叫ぼうとした時に近所迷惑になることに気づき、枕を口元にあてて叫んだ。


少し冷静になれた。


冷静になると、彼女がつい数時間前までここで寝ていたことに気づく。


よくベッドの表面を見ると、長い銀髪が一本落ちている。

拾って、ゴミ箱に捨てる。


彼女がシャワーを使っていたことも思い出す。


彼女が頑なに濡れた服を着替えようとしなかったことも。


ベッドで一緒に寝たのに、私に手を出さずに寝たこと。


私はベッドから起き上がると、洗面所に行って彼女の使った歯ブラシをゴミ箱に捨てた。


タオルも洗濯機に入れて、洗濯ボタンを押した。


なんか、涙が出てきて、泣いた。


泣き終わると、シャワーを浴びた。


少し生き返った気がした。


そして、ベッドに寝転ぶと、また泣いた。



スマホが鳴った。ヤスシからだった。無視した。


気づくと、疲れて眠りに落ちていた。



朝になり、目がさめる。


昨夜のことを多い出してしまう自分を振り切って、歯を磨いて、朝食の支度をする。


テーブルにできた朝食を並べる。 でも食べる気がおきない。

ふと、テーブルにある楓さんの名刺があるのに気づいた。


手にとって眺めてから、それもゴミ箱に落とした。


今日は仕事の日。準備を始めなくては。


でもその前に・・・・・・・

本棚に行って、あるDVDを手にもつ。『愛は無情』のDVD。

その裏面に書かれている情報を読む。

制作年は3年前。


主演の男の名前と、もう一人の主演女優の名前が大きく書かれている。


その名前は「朝比奈アヤカ」。


彼女の写真も小さく載っている。髪型、髪色、目の色は違うが、楓さんにそっくりだった。


間違いはなかった。楓さんは朝比奈アヤカ。


改めて、気づかなかった自分にガックリきた。

まさか、男性と思って付き合ってた人が女性だったなんて、こんなこと誰にも言えない。


ミカコに言ったらバカにされるに決まっている。ましてや親になんて、言えるわけない。




パソコンを開いて、やってはいけないと知りつつも、彼女の名前をタイプして検索してみた。

やはり『愛は無情』の後の出演作品はなく、引退したようだという記事が多かった。

彼女の年齢は29歳。私より5つも年上。

ある記者はあれだけ人気があった女優がなぜ映画界から消えてしまったのか不思議だと書いていた。さらに画像検索してみても、銀髪でオッドアイの彼女の写真は出てこなかった。


一体何があったのか知らないが、銀髪にして名前と性別を偽ってホストをしていたのだから何か本人しかわからない重大なことがあったのだろう。


ふと、この情報をマスコミに教えたら、いくらで売れるかという考えが頭に浮かんだ。かなりの金額になることは間違いない。

しかし・・・・・・


そんな下劣なことはできない。

心の片隅に「楓さん」のことが心に浮かぶ。


また目に涙が溜まってきた。

これではいけない!


しっかりするの、私!


彼女のことは忘れようと心に決めた。



「微笑みイケメン」のホスト、楓さんは存在しないのだ。


あの告白した時のことも。

雨の日のことも。

東京タワーでのデートのことも。

一緒にラーメンを食べたことも。

あのキスも。



全てを忘れるのだ。


仕事の準備にとりかかった。





いつものコロナ禍でのリモートワークの日々が始まろうとしていた・・・・・・

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