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四章の二 文花、卒業アルバムで過去を振り返る。

 一華と焼肉に行った次の日の日曜日。文花は自宅の自室で、高校の卒業アルバムを引っ張り出していた。
 ここ数週間は、ずっと日課になっていた転写紙デザインを、作成できなかった。
 とにかく身が入らなかった。理由は、分かりきっている。尾藤公季に他ならない。あんな唄が発表されるものだから、気にしないほうが難しい。
『新生幻想即興曲F』なる唄が、今月三十日にリリースされるらしい。文花は、地元ラジオ放送から流れてきた『新生幻想即興曲F』を、いち早く耳にした。
 最初は、まず前奏だけで耳を塞いだ。次に、ふいにサビの部分も聞く羽目になり、「愛しいヒトシ、ヒトシいー」のスキャットに耳を疑った。
 問題は、『幻想即興曲』が使用された。文花が振られた際に、バックに掛かっていた曲で、聞くだけで当時の嫌な思い出が蘇る。
 なによりも『幻想即興曲』を下地にして、あんまりにも現実にマッチしすぎた歌詞が許せない。
 奇妙に思って調べたユーチューブに、一部のプローモーション・ビデオが公開されていた。
 歌詞の内容は、元恋人に、偶然を装って会いに行ったヒロインが、結局は、振られる。振られた後、嘆き悲しみ、恨み節を垂れ流し、「愛しい、ヒトシ、」のスキャットを連呼する。
 まるっきり、文花を唄っていた。少なくとも聞いた文花は、自分を題材にしていると感じた。
 もっと言うと、馬鹿にされていると感じた。公共の媒体で、公開恥辱をされているようにしか思えない。
 尾藤公季に興味を持ったというよりは、調べざるを得なくなっていた。
 もしかしたら、本当に自分を唄っているのかもしれない。とにかく手っ取り早い、過去へのアプローチに臨んでいた。
 思えば卒業アルバムなんて、高校卒業から後、ほとんど目にしなかった。文花にとって高校時代は、あまり好きな時期ではない。
 さっさと記憶を辿るために、まず卒業アルバムのクラス別のページに飛んだ。クラス全員の集合写真の周りを、各個人の写真が囲っている。
 文花は、少々恥ずかしかった。写真は嫌いじゃないが、さすがに青っぽく感じる。
 自分の写真はさておき、さあっと尾藤公季を探す。確かに、尾藤公季がいた。
 写真を見ただけでは、思い出せない。クラスに一人か二人はいる、いてもいなくても全然分からない典型的な奴なのだろう。
 あまり見たくなかったが、クラスのページ全体を隅から隅まで確認をした。一人ひとりの顔を眺め、名前を暗誦(あんしょう)する。やっぱり、いい思い出はない。
 高校三年のときのクラスは、色恋の欲求が蔓延していた。進学校で、そんな色ボケをしている暇がないはずなのに、あんまりにも盛ん過ぎた。
 文花も巻き込まれた。高校三年になってから間もない四月に、クラスの男子数人から、言い寄られた。最初は、丁重にお断りをしていたが、中には遊び半分の奴もいて、次第に軽くあしらっていった。
 アルバムの中の、福中(ふくなか)満月(みつき)の顔も確認し、名前も暗誦した。満月は、クラスで一番、仲が良かった。
 四月の一件で文花は、クラスの同じ女子から「色目使い」的な、言われのない中傷もされたし、陰口も叩かれた。そんなクラスの中で、孤立しそうな文花を庇ってくれたのが、満月だった。
 その満月も、高校卒業間近になって「何々君」が好きだと言い出した。どうやら何々君は、四月に文花へ言い寄った数人の内の一人であったようだ。
 何々君は、文花に振られてから、満月に相談していたらしい。
 相談は恋に発展し、付き合う流れになったそうで、最終的に、文花に許可を求めてきた。文花は「勝手にしてよ」と吐き捨ててやりたかった。
 やっぱり、いい思い出が浮かばない。しかしながら、せっかくアルバムを開いたのだからと、辛抱強く眺めた。
 こいつも、こいつも、言い寄って来たなあ。正確にカウントしたら、クラスの男子半分に及んだ。何々君を筆頭に、言い寄ってきた奴らを改めて吟味する。
 こいつは、ないな。こいつは、タイプじゃないな。正直、ほとんどが、話したり接したりしていないから、写真の見てくれだけで評価していた。
 数人は、振られてから以降も話しかけてきた。照れがあったからだろう。半笑いで接してきた。ただ、どいつもこいつも、深くは切れ込んでこなかった。
 あんまりにも頻繁に言い寄られたりすると、人間は、洞察力が開発されるものだ。五人、六人と告白されたぐらいから、こいつは色恋の匂いを持っているな、と感じられるようになった。
 転じて、文花への接し方で、だいたいどんな人間であるのかを判断できるようにもなる。
 男限定ではあるが、まず文花と接した際に、普通に接するか、もじもじするかで別れた。普通に接する奴なんて、ほとんどいないから、大概がもじもじする奴に分類される。
 大概の、もじもじする奴の大半が「もじもじなんてしていません」と嘘ぶく。この
「もじもじなんてしていません」と(うそぶ)く奴らが、言い寄ってくる奴らだ。
 もじもじして、ろくにお喋りもできない奴は、文花の中で「緊張君」と分類された。つい最近でいえば、会社の同僚で、一華の子分の次朗が、典型だ。
「緊張君」は決して近寄ってこない。文花が近寄っても、後ずさりするほどだ。よほどの人間関係の発展がない限り、接する状況など生み出されない。
 文花は、卒業アルバムを閉じようとした。眺めていても、嫌な記憶しか思い出せそうになかったし、何の目的でアルバムを開いたのかも、分からなくなってきた。
 そもそも、会社の同僚で、まったく関係のない次朗を思い出すあたり、有意義な時間ではなかった。次朗個人の記憶を掘り起こそうとしたって、セットで一華が浮かんでくるほどだ。
「緊張君」なんて、そんな程度のものだ、と、うっすら笑みが(こぼ)れる。
 はて、尾藤公季はどうだったのだろうか? と、なぜか次朗からの流れで、もう一度だけアルバムを見直した。
 よく見れば、顔立ちは整っている。が、派手さは全然ない。尾藤公季の顔は、やはり、覚えがなかった。尾藤を分類すると、どこに当て(はま)るのだろうか。
 文花は目を瞑って、過去を巡らせた。たぶん、「緊張君」の分類だろう、という結論に達する。なんだか、次朗と尾藤の印象が、ずいぶんと重なっていた。

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