8話
「どう、おいしい?」
「はい、おいしいです、とっても!」
今私がいるのは東京のイタリアン・レストラン。
とても大人な雰囲気な店で、ディナーのフルコース。
彼が言うにはこの店はミシュランの三つ星を獲得したらしい。
私はこの日に備えて、いつもより気合いを入れてメイクした。
服も選んだ。
こんなに高級そうな店に来たことは、大学卒業祝いに両親と行ったフランス料理のお店以来かな。
本当に出て来る料理の全てが美味しいのだ。
彼はこのお店に何度か来たことがあるらしく、ウェイター、シェフと顔なじみのようだった。
パスタを食べ終えると、メインディッシュはラム肉のお料理。
トイレに言った時に、ヤスシから電話がかかって来た。
「やり直そう」と彼は言った。
「今好きな人がいる」と私は打ち明けた。
本気だった。
「もう二度とかけてこないで」
電話を切って、彼の元に戻る。
デザートはティラミスだった。甘さが口の中でとろけた。
「そんなに美味しそうに食べてくれて、僕も嬉しい」
赤ワインを飲みながら、そう彼は言ってくれた。
食べている時の顔を終始観察されているようで、なんだか恥ずかしかった。
二人きり、ということもあり、普段聞けないこと、聞けなかったことも聞いてみた。
「楓さんの本名って聞いてもいいですか?」
少しの沈黙のあと、彼はこう答えた。
「あとでね」
あとっていつ?
きっと、源氏名と同じく、素敵な名前なんだろうな。
お会計は彼が全て払ってくれた。なんだか申し訳なかった。せめて半分でもと言ったけれど、払いたいの一点張り。
「まだ時間ある?」
「はい。大丈夫です」
時間は夜の8時半。
「僕の好きなところがあるんだけど、いい?」
「ええ、もちろん」
どこに行くのか、見当付かなかったけれど、どこにでも行ける気分だった。
お酒が入って、少しほろ酔い気分だったのもあるけれど、彼だったから。
「じゃあ付いて来て。見せたいものがある」
彼は私に手を差し出してくれた。
私はその手をそっと握った。
少し勇気が言ったけれど、もうコロナ前の自分ではないと心に言い聞かせた。
細くて、力を入れたら折れてしまいそうな手だった。
そして暖かかった。
初めて、彼を触った瞬間。何か電気のようなものが私の体に流れた。
彼と道を歩いている間、手を握り続けた。
彼は私と手を握りあっていることにどう思っているのだろうか?
まるで、恋人同士のようだった。
道ゆく人はみんな、彼をチラ見した。銀髪の美男子。見ない筈はない。
こんな私が彼と一緒に手を繋いでいていいのだろうか、と思った。
これも彼のお客との商売テクニックなのだろうか?
私の疑問は深まるばかりだったけれど、今日は二人っきり。疑問は今夜解けるのだろうかと思った。解けて欲しかった。
彼の見せたいものとは、東京の夜景だった。
東京タワーの展望台で、二人並んで、宝石を散りばめたかのような大都市の輝きを眺める。
「ちょー綺麗だね」
「うん」
彼はその景色に心奪われていた。
私もだった。
手はあのレストランから、繋いだままだった。
彼の手の温もりが私を包んだ。
周りにはたくさんの人がいたけど、もう気にしなくなっていた。
今しかないと思った。
「なんで、今日会ってくれたんですか?」
「カナに会いたかったから。二人きりで」
「私も会いたかったです。・・・でも・・・・どんなお客さんにもしてるんじゃないんですか?」
「ううん、してないよ」
「本当に?」
「本当」
「本当に本当?」
「カナのことが好きだから」
時が一瞬止まった。
そんな言葉が聴けるとは思わなかった。
「それで、君を誘ったんだ。カナも同じ気持ちだと嬉しい」
「私・・・私も。私も同じ気持ちです」
「じゃあ僕のこと、好きなの?」
彼は私に顔を近づけて来た。
オッドアイの目に吸い込まれそうになる。
そして私は言った。
ずっと言いたかったこと。
最初にパソコンの画面越しに彼と出会った時から。
「あなたのことが、好きです」
2人ともマスクをつけていたから目でしかわからなかったけど、嬉しそうだった。
「聞きたかった。その言葉」
彼の顔がもっと見たかった。
マスクを外して見たい。
彼の唇にキスをしたいと思った。
コロナが憎かった。
「私と付き合ってくれますか?」
気づいたらそう言っていた。
すごく体が暑かった。
「ありがとう。僕も付き合いたいと思ってた」
私の心臓は張り裂けそうになっていた。
こんなに嬉しいと思ったことってなかった。