02
どうやって仕事を終わらせて帰って来たのかはっきりと覚えていない。自宅に帰った私は、なんとか気持ちを逸らしたくて、テレビのチャンネルを一通り巡らせてみる。
ゴールデンタイムには、ドラマスペシャル、バラエティ、クイズに音楽と多種多様な番組が放送されていた。しかしどれも心に引っかからず、逆に楽しそうな笑い声やBGMに虚しさが増幅していく。
最後には、テレビを消してリモコンを放り投げた。そして、何度目か分からないため息をついて、ソファの背もたれに強引に体を預ける。
モヤモヤとする気持ちを静めようと瞼を閉じれば、会議室に足を運んで永野部長から告げられた言葉が自然と再生される。声のトーン、喋り方までばっちりだ。
『例の自動車学校の担当を御手洗から坂下に替える』
それを聞かされたとき、自分はどんな顔をしていたんだろう。
どうしてですか?と理由を尋ねる前に、『先に言っておくけれど、御手洗はなにも悪くはない』なんて部長が言うから告げられた事実を受け入れるのに精一杯だった。
何度も足を運んで、数か月前から徐々に詰めてきた教習車をうちの会社で一新する話。ほぼ決まりかけたこの段階で、担当替えとはどういうことなんだろう。ましてや私が悪くないのなら、どうしてなのか。
その答えは簡単だった。どうやら、うちと契約をするのには異存はないが、そこの代表者か経理責任者か、とにかく上の人間が、この件を担当するのが若い女性ということに難色を示したらしい。
他社から同じような営業をかけられながらも、窓口になっていた人たちからは、うちの会社を含め私を信頼しているから、ということで話を進めてもらえていたのに。
それを若い女性というだけで納得してもらえないなんて……。馬鹿らしい、時代錯誤もいいところだよ。
けれどいくら私が訴えても、そんなふうに思う人が少なからずにいるのを、今までだって感じることはあった。
『でも、担当になってもらっても、結婚してさっさと辞めちゃうんでしょ?』
『そんなことありませんよー』
先輩からお客さまを紹介してもらったときにかけられた言葉。さっと笑顔で返したけれど、内心は複雑だった。
なんで? 同じ仕事内容で、同じくノルマを与えられているのに、どうして男女でこんなにも先入観の違いがあるのの? 実際に転職して辞めていった男性社員だって、たくさんいるのに。なんで……。
なにも言えないままでいる私に、永野部長は、何度も頭を下げてくれた。この話は私にではなく、直接部長のところにきたらしい。それがまた、胸をざわつかせた。
『……契約自体が白紙になったわけではないなら、よかったです』
乾いた唇からなんとか紡げたのは、そんな言葉だった。そう、よかったんだ、担当替えくらいで済んで。これで、この話を他社にもっていかれてたら洒落にならない。
私のことはともかく、うちの車の魅力は十分に伝わった。だから、それでよかったんだ。自分に必死に言い聞かせる。
自分の中で折り合いをつけようとあれこれ考えるも、気分は沈みっぱなしだった。しっかりしなくちゃ。気持ちを切り替えないと。顔をしかめながらソファに顔を埋めて改めて瞳を閉じた。
そのとき、インターホンが不意打ちで部屋に鳴り響き、私は飛び上がりそうになる。こんな時間に誰だろうかと思いながらも出る気になれず、再びソファに身を沈めた。
すると、それをたしなめるかのごとく、再びインターホンが鳴った。
ああ、もう!
なかばやけになって玄関まで足を進める。そして、一応ドアスコープ越しに確かめると、意外な人物がそこにいて私はドアを勢いよく開けた。
「どうしたの?」
「こんばんは」
どこか落ち着かない様子の山田くんが、礼儀正しく挨拶をしてくる。格好はスーツで、どう見ても仕事帰りだ。
「同期とのご飯はなくなったの?」
「いえ。どうしても鍋が食べたくなったんです」
どこまで冗談か本気か分からない言い分に私は唖然とする。唐突に上がってもいいですか?と尋ねられ、こちらが返事する間もなく、彼は靴を脱いで慣れた様子で奥に足を進めようとした。
訳が分からないまま私も彼に続きリビングに足を踏み入れたところで、私は彼がここにきた理由を悟った。
「坂下から、なにか聞いた?」
彼の背中にぽつりと投げかけると、山田くんは勢いよくこちらを振り向いた。なんというか、あまりにも隠し事ができない彼に、苦笑してしまう。
「なら、ごめんね。気にして来てくれたのかもしれないけれど、無駄骨にして。ご覧のとおり私は大丈夫だよ。だから、今からでもいいから同期と飲みに行ってきたら?」
わざとらしく肩をすくめて告げると、おもむろに彼から視線を逸らした。強がったわけでもない。でも気持ちに余裕がないのも事実で、正直、下手なことを言われるくらいならひとりにして欲しいのが本音だ。
そこらへんは空気を読んで欲しいんだけれど。
「大丈夫なわけないでしょ。市子さん、自動車学校の件、ずっと通い詰めて頑張ってたじゃないですか」
なのに、こちらの気持ちはお構いなしに彼は遠慮なく踏み込んできた。
「頑張るって、それが仕事だよ。契約自体は進みそうだし、担当替えされたのも、私になにか問題があったわけじゃないなら気に病む必要もないし」
だから、もういいじゃない。会社としての方針も決まった。あとは自分で折り合いをつけるだけ。それなのに、どうして彼はあえて私の心を揺さぶってくるの。
「随分と、物分かりがいいんですね」
目を背けているので彼の表情は読めない。届いた声には、いささか軽蔑の色が込められている気がした。でも、いちいち言い返しもしない。私はぐっと唇を噛みしめる。
「そうだよ。山田くんには分からないかもしれないけど、理不尽なことなんて山ほどあるんだから、いちいち傷ついていられないよ」
女だから余計に、というのは口にはしなかった。だってそうじゃない。周りに男が多い分、下手に頼れば媚びている、なんて思われたり。
男性客と親しくなって、こちらは言い寄られて困っているのに、女は得だよな、なんて言われたり。冗談じゃない。それでも必死でやってきた。だから今回だって……。