01
「すみません、お先に失礼します」
仕事を終えた彼が立ち上がるのとほぼ同時、待ってましたと言わんばかりに、受付の女子社員たちがそばに寄った。
「
「この前の飲み会も来なかったでしょ?
彼のひとつ上の男性社員の名前を出したが、それはあまり効果はないと思う。葉山くん単体なら喜んで行くだろうけれど、彼女たちにとってはあくまでも彼が本命で、葉山くんはただの餌だ。
それを分かっているのか、分かっていないのか、彼は形のいい眉をハの字にさせて微笑んだ。
「お誘い、ありがとうございます。けれど、今日は用事があるので」
申し訳なさそうな表情は本物で、あの顔が彼女たちに言わせると母性本能をくすぐられるんだとか。でも、今はそれどころではないらしい。問題はお断りされた理由だ。
「え、なにデート!?」
「山田くん、彼女いるの?」
「だといいんですけれど、今日は夕飯にハンバーグを作ろうと思うので」
そこでまた、ハンバーグ!?と彼女たちの声があがり、一段と話が盛り上がり始めた。黄色い声が耳に響き、無意識のうちに募るイライラはペンを持つ手にぶつけられる。
「
そばを通った同期の
合わないようにした視線がばっちりと交わる。彼はこちらの微妙な表情なんてまったく意に介さず、いつものとびっきりの笑顔を向けてきた。
「
「お疲れさま」
本田と共に軽く返事をして、書きかけだった書類に視線を戻す。受付の彼女たちは、誘いを断れたものの、「ハンバーグなんて可愛い!」「山田くんらしいよね。焦げてても許せちゃう」なんて話で盛り上がっていた。
そんな彼女たちを尻目に本田が再び声をかけてくる。
「市子って山田くんのこと嫌いなの?」
「なんで?」
「直接指導にあたっている後輩だってのに、なんか冷たいし」
「普通でしょ。みんなが騒ぎすぎじゃない?」
間髪を入れずに返す私に本田が少しだけ言葉を詰まらせた。
「そりゃ、あんなアイドルみたいな顔して、性格も真面目でクライアントからの信頼も厚く、営業成績もトップクラス。おまけに彼女もおそらくいない?となれば、女子としては気になっちゃうでしょ。さらにはハンバーグを手作りするような料理好きとは」
感心したように話す本田に対し、私はため息をついて立ち上がった。目を丸くする本田に書類を差し出す。
「待たせてごめん。これからお客さまのとこに寄って直帰するね」
私はホワイトボードにお客さまの名前と直帰のプレートを張りつける。そしてわざと誰もいないフロアに足を進めて、展示用の車に目を走らせた。
うん、やっぱりクリアブルーを推してよかった。
ひとり満足して踵を返し、社員専用の出入口から外に出る。五センチのヒールももう慣れた。会社に入って何足履きつぶしてきたことか。
自動扉が開いた瞬間、獣の吐息のような生ぬるい風が全身を包む。少々寒くても、やはりエアコンが効いている社内の方がよっぽどいい。
日は落ちている分、湿度が高くて不快だ。眉をひそめつつ車に急ぐと、後ろでひとまとめにしている髪が揺れる。
まだ暑さが残る九月、今月は決算期だ。いつもよりノルマも厳しいので、確実に決めていかなくては。お客さまの自宅への道を頭に描き、私はエンジンをかけた。
御手洗市子、二十六歳。新卒で大手自動車メーカーに就職し、自ら営業部を希望して入社して一通りの部署での研修を終えてからは、営業一筋でここまできている。
営業部は基本的に男性が多く、女性は少ない。大体は受付業務や、本田みたいに総務部などに女性の割合は多くとられてしまう。けれども私は、直接お客さまとやり取りする営業が好きだった。
営業の仕事は売るまでじゃない。車を購入してもらってからも、その付き合いは続く。車は安い買い物ではないから、どんな形であれ信頼関係を築くのはすごく大切なことだ。それが次に繋がる。
お客さまのところへ点検の案内をもっていき、軽く立ち話をしたところで私はようやく自分のマンションに戻った。
中心部からはずれている分、築三年という新しさで、それなりの広さがあるのに対し、家賃相場から言えば、お手頃な値段だったのでここに決めた。
どうせ車通勤だし。私みたいに単身の社会人が多いのか、隣近所との付き合いはほとんどない。四階の突き当たり奥からひとつ手前の部屋が私の部屋だ。
今日も疲れたし、お腹もすいた。黒のトートバッグの中からいつも定位置にしまってある鍵を取り出す。そういえば彼は、今日の夕食はハンバーグだと言っていた。
先ほど話題だった彼の名は山田
さらに彼はその外見でもかなり注目を集めている。ぱっちりとした二重瞼の大きな瞳、厚っぽい唇、肌トラブルとは無縁そうなきめ細かい白い肌。
まさにベビーフェイスという言葉がぴったりで、少年のようなあどけなさを残し、笑うとできるえくぼは可愛いとさえ思ってしまう。
やや癖のある髪は茶色く染めているが嫌味さはひとつもなく自然と彼に馴染んでいた。どこかのアイドルグループに所属していると言われてもまったく違和感がない。
性格も真面目で人懐っこく、どこか犬のような彼は後輩としてなんの申し分もない。けれど、私はどこか彼が苦手だった。苦手、というと語弊がある。なんとなく合わない気がしたのだ。
波長と言うか、性質と言うか。もちろん嫌いなんかじゃない。ただ、どうも私と彼は正反対の人間のような気がして。
それなのに……。