第89話 10年前―― ジャファルの回想2
社会勉強という名目でいろいろな国へ渡ってみたが、兄の苦労に比べたら遊びみたいなものだ。
ジャファルは、嫌味な連中が跋扈するパーティから抜け出し、くさくさとした気持ちで王城の庭園を散歩していた。
すると、庭園の奥まった場所にある人工池の前に、小さな女の子が立っていた。
くっきりとした縦ロールの金髪に、素材のいい光沢あるブルーのドレス。
ミストリア王国の上位貴族が連れてきた子女だろうと推測した。
「ふぇ……えん……」
すぐに立ち去ろうとしたら、泣き声がしてジャファルは足を止める。
どうしたのかと窺い見ると、人工池にブルーのリボンが浮いていた。
「落としたのか?」
ジャファルが問うと、大きな青い目にいっぱいの涙を浮かべた少女が、ジャファルの足にすがりついてきたのである。
「わっ、なんだ?」
「うえぇぇん! 買ってもらったばかりのおリボン、落としちゃったの」
「また買えばいいんじゃないか?」
ミストリア王国の貴族連中に、散々貧乏とののしられたせいか、ジャファルの心は少しばかり荒んでいた。
そう冷たく返し、少女の頭を押しのけたのである。
しかし少女は、ジャファルの足から根性で離れなかった。
「あの、おリボン。お母さまが選んでくれたの! なくしたくないの!」
「はあ……」
仕方なしに、ジャファルは濡れる覚悟で人工池に入り、浮いているリボンを取り上げた。
絞って水分を落としてから、女の子に渡す。
すると女の子はパアッと明るい顔に変わり、ニコニコと笑い出す。
さっきまで号泣していたのに、突然の変わり身に呆れてしまう。
「わたくしは、ミストリア王国屈指の名門、ミットフォート公爵家のひとり娘ローゼマリアですわ。先日誕生日を迎えたばかりの八歳です。おリボンを拾ってくださって、誠にありがとうございました」
ドレスの裾を摘まむと、小さいながらに淑女の挨拶をする。
とても可愛いと思えたが、ミットフォート公爵家と聞き、関わりたくないと踵を返す。
「お名前を教えてきただけますか? わたくしの恩人として、お父さまにご紹介させてくださいませ」
「いらん。必要ない」
簡潔にそう返すと、少女……ローゼマリアは首を傾げた。
「まあ……みなさん、お父さまへの取次ぎを喜ぶというのに……変わったかたですのね」
なりは小さくとも公爵令嬢というところだろうか。自分の持つ権力をわかっている。
「では、少しおしゃべりしませんか?」
「私が……あなたとか?」
「はい! わたくし、もうパーティには戻りたくありませんの。退屈すぎて寝てしまいそうでしたわ」
ローゼマリアの子どもらしいあけすけさに、ジャファルはなぜか惹かれていった。