(6) 部長のおつかい2
そうか——。
次長の言葉に得心が言った。
わたしの退職後に佐藤知佳を正式採用するつもりなのでだろう。そのときのために彼女の顔を売っておこうということなのだ。だから自分ではなく、彼女を取引先に行かせようとしたのだと。
「はい……。退職願は次長にお出しすればいいですか」
「そうか……。いや、まあ、そんな形式的なことは急がなくていいよ。決断も急がなくていい」
「いえ。そんなわけには」
次長は最後まで聞こうとせずに出て行ってしまった。
部下が中途半端な時期に退職してしまうのは、立場的にもいろいろ面倒なのかもしれない。はじめてそのことに思い至り、あらためて申し訳ない気持ちになった。
次長には本当によくしてもらったのに——。
せめて立つ鳥は後を濁さないように、仕事のことはきちんとしてから辞めよう。
そのためにも目の前のことをとっとと済ませてしまおうと、作業のペースを上げようとしたところへ千佳がやって来た。
「立花さん。今、部長から電話があって、さっきの書類届ける件、キャンセルだそうです」
「え。どうして?」
「さあ。どうしてなのかは聞いてないから分かりませんけど。書類はシュレッダーしておいてくれって」
「そうなんだ。分かった。ありがとう」
「じゃ、わたしがシュレッダーしておきますね」
机の上に置いてあった封筒を、彼女が手に取った。
「あ、だめ」
「どうしてですか?」
「あ、いや。あの、部長、適当なところがあるから、本当にシュレッダーしても大丈夫なものか、わたしが中身を確認してからやっておくから」
「そうですか。じゃあ、お願いしまーす」
彼女は明るく言い残して会議室を出て行った。
それほどの年齢差はないはずなのに、若いと思ってしまう。
スーツ姿も様になっているし、明るく愛想がよくて、そして聡明だ。おまけに美人ときている。勤務初日の朝礼で自己紹介をしただけで、たちまち男性社員の心を鷲掴みにしたのも頷ける。そのとき、彼女を皆に紹介した流れで隣に立っていた次長だけが、何故か曖昧な表情を見せていたけれど。
とりあえず部長のおつかいがキャンセルになったことで力が抜けた。気も抜けた。
これで会議の準備もゆっくりできる。
そう思って作業を続けていると、またしばらくして扉が開いたと思ったら、また千佳が入ってきた。
「どうしたの? 今度は何?」
「今度は次長からの伝言です。会議は中止になったから、準備しなくてよくなったって」
「え。あ、そうなの。分かった。ありがとう」
「ひどいですよね、部長も次長も。やれって言って、どちらもすぐにキャンセルなんて。後片付け、手伝いましょうか」
「ううん。大丈夫。それより、今度から何かあったらわざわざ来てくれなくても、内線電話で大丈夫だよ。会議室にも電話があるんだから」
「あ。そうでしたね。うっかりしてました。次からそうします」
ゆっくりと時間をかけて会議室を元通りにして、でもすぐには自分の席に戻る気にはなれなかった。