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「横山さん何が食べたいですか?」
「北川さんが作ったものなら何でも」
そう言われるのが一番困ってしまう。スーパーに来たものの、何を作ったらいいのか迷って横山さんの顔色ばかり気にしている。
「ハンバーグですか?」
「いいね」
「肉じゃがですか?」
「うん」
「カレーライス?」
「あ、食べたい」
なかなかメニューが決められない。
「横山さんの家には今何がありますか? 野菜とかお肉とか」
「うーん……料理がまともにできるほどのものはないかな。米だけならあるけど」
「そうなんですか?」
「ほとんど家にいないから自炊しないんだ」
確かに横山さんは忙しい。いつも外食が多い生活なんだろうな。
「あ、オムライス食べたい!」
「オムライスでいいんですか?」
「うん。結構好きなんだよね」
「あの、私きれいに卵で包めないんですけど……」
包むとき薄焼き卵を破いてしまう。洋食屋で出てくるような形のいいオムライスは作るのが苦手だった。
「あ、大丈夫。ふわふわの卵を上に載せるだけで。そっちの方が好き」
「分かりました。じゃあオムライスにしますね」
一通り買い物をして手を繋いで横山さんの家に向かった。
新しい外観のマンションはエレベーターや廊下も綺麗だ。
横山さんの部屋は物が置いていなかった。というよりも、段ボールで溢れていた。
「ごめんね、狭くて。引っ越ししたの時のまま片付けられなくて」
「いえ……」
リビングに小さいテーブルと家電製品。隣の部屋にはベッドと本棚しか置かれていない。
必要なものだけ段ボールから出して何も手をつけていないようだ。
「じゃあ早速作りますね」
「何か手伝う?」
「大丈夫です。テレビでも見ててください」
「はーい」
子供みたいな返事に笑ってしまう。
さて、頑張って作るか。
家族に作るときよりも丁寧に。見た目も味も失敗できないから。
「っ……すっ……」
玉ねぎを切ったら目が痛くて涙が出た。包丁の切れ味が悪いのかな。
「大丈夫?」
横山さんが私の様子を見に来た。
「大丈夫です。玉ねぎが目にしみて」
「そっか」
そう言って横山さんは私の後ろに立ったかと思うと、そっと私を抱き締めた。
「よ、横山さん?」
「何?」
「あの……作りにくいです……」
横山さんの手が私の腰に回って動きづらい。
「ごめんね」
謝っても私から離れようとしない。背中に横山さんの温もりを感じる。
「もう……」
怒っているわけじゃない。照れ隠しでむくれて見せる。抱き締められながら料理を作るなんてシチュエーション、ドラマやマンガみたいだから。
「いただきます!」
横山さんはオムライスを口に入れた。卵はとろとろのふわふわにできたし、チキンライスも味は大丈夫なはず……。
「やっぱ美味しいね」
「ありがとうございます」
満面の笑みに安心する。横山さんに作る料理はプレッシャーだから。
「北川さんって料理上手だよね。作るの好きなんだ?」
「母が仕事で忙しくて、代わりに作ってたら自然とできるようになりました」
「そっか。だから家庭的なもの全部美味しいんだね」
「ありがとうございます」
当たり前にやってきたことを褒めてもらえると嬉しい。
食後にインスタントのコーヒーとデザートにスーパーで買ったプリンを食べた。とりとめもない話をして、食器を洗って帰ろうかと思った。
「じゃあ私はこれで」
「え? もう帰るの?」
立ち上がった私を横山さんは引き留める。
「あの……」
横山さんのプライベートな場所に長居するのは悪いかなって思ったから帰ろうとしたけれど。
「まだいてよ」
私の手を引くと隣に座らせた。
「はい……」
手を握ったまま彼は横に座る私に笑いかける。
「緊張してる?」
「……はい」
緊張しないわけがない。横山さんの家でご飯を作るという予定は済んだ。この先は予定にはないことで、予想もできないほど子供ではないから。
「北川さん見てるとさ、元気もらうんだよね。僕も頑張らなきゃって」
横山さんのまっすぐな瞳が私を捕らえて離さない。
「いつも一生懸命で、すごいと思う。ほんと尊敬してる」
「ありがとうございます……」
そんな風に言ってもらえるだけで十分だ。家族以外で私を褒めてくれたのは丹羽さんだけだったから。好きな人が私を認めてくれて、それだけで幸せなことだ。
「横山さんだってすごいですよ」
真摯に仕事と向き合っている。周りからの信頼が厚い。私だって横山さんを尊敬している。
「修一でいいよ」
「え?」
「修一って呼んで」
「修一……さん」
「何? 夏帆」
夏帆と呼んだ声に心がこもっているのを感じた。
「おいで」
修一さんに体を少し傾けると、そのまま腕に包まれた。
「夏帆、今日は帰したくない」
耳元で囁かれた言葉に一気に緊張する。
「いい?」
『何が』とは言われなくても分かる。
この人になら、私の全てをあげてもいい。
受け入れたい。受け入れてもらいたい。
「はい」
返事をした瞬間唇を塞がれた。強引なわけじゃないけれど、いつもより激しく口の中に舌が侵入する。修一さんとのキスは慣れていても今夜はいつも以上にドキドキする。
唇が離れ修一さんは立ち上がると、私の体に腕を回して抱き上げた。お姫様抱っこをされたまま隣の部屋に運ばれてベッドの上にゆっくり下ろされた。
リビングから漏れる光だけの薄暗いベッドルームで、修一さんが私の上に覆い被さる。
一瞬、椎名さんに「料理を褒められて浮かれちゃったわけ?」と言われたことを思い出した。
私は利用されてなんかいない。修一さんに下心なんてない。
慎重に考えた。彼になら抱かれてもいい。
服の中に入ってきた手に意識を持っていかれ、脳裏に浮かんだ椎名さんの顔は掻き消された。
唇が私の首筋をなぞり、体を這う修一さんの手の感触に息を呑む。
「あっ……」
初めて男の人に体を撫でられて、今まで出したことのない声が漏れ体が震えた。
「嫌だ?」
修一さんが不安そうに私の顔を見た。
「いえ……あの……私、初めてで……」
「え? そうなの?」
引くよね。この年で処女だもん。
「すみません……」
「何で謝るの?」
「だって……」
めんどくさいでしょ? 重たいでしょ?
修一さんは私の服の中から手を抜いた。
「ごめんね。今日はやめようか」
「え?」
やっぱり経験のない女とするのは重たいよね。
「夏帆の準備ができるまで待つから」
その優しい言葉に胸がいっぱいになる。修一さんは私を見下ろして頭を撫でた。
私の上から退こうとしたとき、思わず彼の腕をつかんだ。
「待って!」
「夏帆?」
「抱いて……ください……」
自分の口からそんな言葉が出るとは思っていなかった。
「僕でいいの?」
「はい……」
「優しくできないかも……正直もう余裕がない……」
「はい」
修一さんの腕をつかんだ手に力を込めると、キスが私の体中に降り注いだ。
頬に伝う涙を修一さんの指が拭った。
「ごめんね、痛かったよね?」
「違うんです……」
確かに痛かった。想像以上に痛かったけれど……。
「嬉しくて……」
優しくできないと言った修一さんは、私に負担をかけないように何もかもが優しかった。
ベッドの上に丸まる私の横で修一さんが私を抱き締めた。
「僕も」
修一さんは私の頭にキスをする。裸で抱き合っているから修一さんの熱を直に感じた。
「夏帆、ちょっと待ってて」
修一さんはベッドから下りるとリビングに行ってしまった。
何だろうと少しの間待っていると、修一さんは戻ってきてベッドに腰掛けた。
「これ」
修一さんの手には小さく光るものが載っていた。
「これって……」
「いつでも来ていいから」
私の手を取って鍵を握らせた。
「俺忙しいから会社でもあんまり会えないし、疲れて帰ってきたら夏帆が居てくれると嬉しい」
「ありがとうございます!」