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「どうする?」
「総務部長に言ってみようか」
「そうだね。総務部長ならいいって言ってくれるし」
「あの、先に植物を置いてもらうってことでもいいですか?」
「申し訳ございません。北川さんと予算に応じた鉢の種類と大きさを相談させて頂いてますので」
「えー……」
不機嫌になる二人の様子から夏帆に話を通したくない雰囲気を感じた。
エレベーターが総務部のフロアに着きドアが開くと、目の前にファイルを持った夏帆が立っていた。
俺の顔を見た瞬間目を真ん丸に見開き、その状況が以前と同じだと思い出し笑いそうになる。
「お疲れ様です」
俺は前とは何も変わらない声で夏帆に挨拶した。
「お、お疲れ様です……」
夏帆はエレベーターの中にいる俺や他の二人を見て動揺している。
「それでは、よろしくお願い致します」
俺は二人に軽く頭を下げるとエレベーターを降りた。夏帆もエレベーターには乗らずにドアが閉まった。廊下には俺と夏帆だけが残された。
夏帆と目が合い、すぐに逸らされた。
「………」
「………ふっ」
俺の顔を見ようとしないで下を向く夏帆につい笑ってしまった。
分かりやすい。俺と会いたくないと思っていることは言われなくても分かってしまう。
「サインお願いします」
俺の言葉に顔を上げた夏帆に納品書を渡した。
「はい……」
夏帆は持っているファイルを脇に挟むと納品書を受け取り『北川』と名前を書いた。
「そういえば俺が早峰に来るようになってからうちの会社と契約が増えてるんだよね」
「そうですか……」
「七原に新しくできる店にも植物を置いてもらうことになったよ」
「そうですか……よかったですね」
ぶっきらぼうな口のきき方だ。
その店だろ? 横山とかいう男が関わるのは。こんなに早く新店と契約すると思わなかった。
「まっ、それは俺の担当エリアじゃないからどうでもいいけど。さっきの子たちに営業推進部のフロアにも鉢を置いてほしいって言ってもらったし」
「また勝手に……余計なことに経費を使って……」
夏帆の顔が曇った。
この間は「植物が癒される」と言ってくれた口で『余計なこと』と言われて少しだけ悲しくなる。
「いいですね、売り上げが伸びて。女の子は椎名さんが毎月メンテナンスに来てくれたら喜びますからね」
「夏帆ちゃん、焼きもち?」
「はい?」
「俺が女の子と話してたら妬いちゃう?」
「妬きませんよ。私に妬かれても椎名さんは迷惑でしょ?」
「別に迷惑じゃないよ。むしろ嬉しいかな」
夏帆は困った顔をする。
だから、その顔が傷つくんだって。俺のことが好きじゃないとその顔が言っているんだ。
「あのさ、夏帆ちゃんが思ってるよりも俺は軽くないからね」
自分でも驚くほど夏帆の存在を大事に思ってる。性欲処理程度に付き合ってた女とは完全に関係を切った。だからって夏帆の体目当てなわけではない。
「この間はごめん。ちょっとどうかしてたわ。夏帆ちゃんが俺の気持ちを信じてくれなかったから頭にきちゃって」
「………」
「ちゃんと向き合いたいの。君と」
増々困った顔になる。けれどそこで引くつもりもない。
「好きだよ」
だからさ、俺のそばに……。
「今横山さんと付き合ってます」
は? こいつ今何て言った?
「椎名さん……私、横山さんと付き合い始めたんです」
俺の目を見ない夏帆の顔は真っ赤だ。
「夏帆ちゃんが?」
「はい……」
嘘だろ? この間まで男とろくに話すこともできなかったのに。
「だからもう私をからかうのはやめてください……」
からかっているわけじゃない。俺は本気なんだって。
「料理を褒められて浮かれちゃったわけ?」
「………」
「ホテルにでも誘われたの?」
「違います」
「断れなくてもうヤっちゃったとか?」
「違います!」
夏帆の目が潤んできた。また俺は嫌われるようなことを言っている。
「そんな人じゃありません!」
泣きたいのは俺の方だ。本気になった時にはもう遅い。とっくに他の男のものになっている。俺はどうしてこんなに馬鹿なのだろう。
「横山さんは私の嫌がることなんてしませんから!」
遠回しに強引に迫った俺を責めている。俺の気持ちを拒否して受け入れてくれない。
もうだめだ。夏帆は離れて捕まらない。
こんな俺では純粋な夏帆には相手にしてもらえないのだ。
「夏帆ちゃんとあの人じゃ似合わないね」
「そんなこと分かってます……」
分かってるけど好きってことか。
「慎重になりなよ。君みたいな子は損をしやすいんだから」
「はい」
「………」
責めている言い方が自分でもどうしようもない。俺のものにならない夏帆に怒りをぶつけてしまう。
夏帆はまたしても俯いてしまった。
俺はエレベーターのボタンを押した。
これ以上嫌われたくない。これ以上怖がらせたくない。だから、見守ろうと思った。
エレベーターに乗ると「それでは失礼します」と言って『閉』ボタンを押した。
夏帆は最後まで俺を見なかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
エレベーターのドアが閉まってからやっと顔を上げた。
椎名さんと会うと疲れてしまう。次に何を言われるんだろう、どんな傷つく言葉をかけられるんだろうと身構える。
それ以上に、椎名さんと一緒にエレベーターに乗っていた二人の方が怖かった。
営業推進部の宇佐見さんが私をすごい目で睨みつけていた。
気のせいなんかじゃない。宇佐見さんは私に敵意を持っている。
横山さんと付き合っていることが気に入らないのかな? もう別れたのにどうして? いい別れ方じゃなかったって丹羽さんが言ってたけど、何があったのかな?
営業推進部のフロアにも鉢を置きたいって、あの部署には観葉鉢は必要ないと思う。部長にも言って、話が上がってきても却下してもらおう。
でもそうしたら宇佐見さんの反感を買うかな?
何で私、うまくいかないのかな……。
横山さんと会社帰りに私の家の近くのレストランで食事をした。有名なお店らしいけど今まで全然知らなかった。横山さんは美味しいお店をたくさん知っている。
今日は私の方が退社するのが遅く、会社の近くのカフェで待ち合わせた。会社の人たちに二人でいるところを見られたら何て言われるだろう。
社内で私たちがどう見られているのか横山さんは気にしてる? 同じ部署には宇佐見さんもいるのに……。
そんな話題は一度もしたことがない。聞くことが怖かった。
横山さんとの間に気まずい空気を作ってしまったら、私はどう対処したらいいのか分からない。それに元カノのことを聞いて重たいとか面倒な女だと思われたくない。
「北川さん」
「はい」
「明日の夜は北川さんの手料理が食べたいな」
「手料理ですか?」
「うん。僕の家で作って」
「え?」
横山さんの家で?
「何でもいいんだ。簡単なやつで。北川さんの作ったご飯が食べたい」
「……分かりました。作ります」
夜に横山さんの家に行く。
別に深い意味はない。ご飯を作りに行くだけなんだから。
「あの、ここで大丈夫です」
横山さんに家の近くまで送ってもらった。
「じゃあ明日楽しみにしてる」
「はい」
見つめ合って、横山さんの顔が近づいてきたから私はゆっくり目を閉じた。
唇が触れ合う時間が長くなった。顔の角度を変えるキスに変化した。ドキドキするのは変わらない。
私の頭の中は横山さんで溢れている。