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三十五話 堂々たる奇襲

 大地が悲鳴をあげていた。
 北条の別働隊を壊滅させた時よりも数を増した野生馬の群れが、太助を乗せた萩を先頭に、小田原城下の周辺を駆け回る。風魔が見つけるまでもなく、地鳴りを聞きつけた付近に住む農民が、この異常な光景に胆を冷やし、小田原に報せをと駆けていく。
 報せを受けた北条兵が様子を見るために赴いたが、狂ったように移動し続ける野生馬の群れを、その目で捕捉することも、ましてや止めることなど叶わず、踏み荒らされた田畑を、悲嘆にくれる農民の隣で、呆然と眺めるだけであった。
 小田原を中心に円状に走り回っていた野生馬の群れだったが、日が一番高いところまで上った頃、その動きをいったんとめ、次に動き出した時には、小田原城下へと向かって走り始める。
 萩の上で太助は考えていた。生野から受けた指示は、萩が集めた野生馬の群れを率いての陽動。おそらく、生野の予定では、この役目は安兵衛に任せるつもりだったのだろうが、彼が不足の事態で討ち取られてしまった為、嬉しい誤算で機動力を得た太助にお鉢を回したのだろう。
 当初は言われた通りに群れを走らせていた太助だったが、ただ走り回るだけで本当に北条の目を自分に向けられるのか不安になった。
 仲間の八犬士は目立つ容貌をしている。お礼以外は顔も割れている恐れがある。並の陽動では陽動にならないのではと考えたのだ。
 そこで太助は、並ではない陽動をすることにする。
 小田原城下の守備兵に向けて、小便連射砲を打ちこむ。本当なら夕暮れ時に、命を捨てる覚悟で全発撃ちつくすつもりだったが、それを数弾だけ撃ちこみ、敵の目を自分に向けさせる。死人をだしては、北条も太助を放っておくことはできなくなるだろう。小田原の守備兵を釣ることができれば、他のみんながかなり行動をしやすくなる。
 考え事をしていた太助に、萩が短く鳴き注意を促す。敵がこの先にいると萩は訴えている。だが、見た限りでは、前方には誰もいない。街道の脇。森か茂みか。あるいはその両方か。隠れている者がいる。


「……風魔か」


 朝に単独で潜入したお礼の話によれば、小田原の風魔屋敷に、下総(しもうさ)に攻め寄せている軍から戻った者や、一昨日のこちらの襲撃時に軽傷程度ですんだ風魔衆が集まっていたそうだ。
 安兵衛も狂節も、太助が自分の目で確かめたわけではないが、風魔に殺されている。
 生野が小田原攻めの前に風魔の里を襲撃することに決めた時は、余計な姿をさらさずに一気に小田原を攻めた方が攻めやすいのではと思っていたが、二人が倒されたとあっては、生野が風魔を危険視していたのもわかるというものだ。
 太助は萩に群れの脚を止めさせる。風魔が待ち構えていたとしても、この数なら突っ切れないこともないだろうが、すでに死が確定している自分はさておき、萩に万が一のことが起きるのは避けたい。
 幸いにも城下町はすぐそこだ。わざわざ待ち構えている所に飛び込まなくとも……。
 来た。城下町から守備兵と思わしき一団がこちらに駆けてくる。
 太助は大きく息を吸い込む。


「……我、義を貫く為、我が命をもって()となさん!」


 太助の半珠が輝きが増していくのと同時に、茂みから三人の男が飛び出し、太助に駆け寄って来る北条兵の前に立ち塞がった。


「お待ちくだされ!」

「彼奴は里見の手の者!」

「不用意に近づくのは危険でござる!」


 主家に当たる北条家の家来衆を無駄死にさせる訳にもいかず、奇襲の機会を捨て飛び出した風魔衆であったが、その決意は報われることなく踏みにじられる。


「や! 何者だ貴様ら! 怪しい奴」


 足軽の一人が槍の穂先を風魔衆に向ける。


「お、お待ちくだされ! 我らは風魔! 敵ではござらん!」

「風魔? ……あ! あの悪名高き野盗どもか! この難攻不落の小田原を荒らそうというのか! 片腹痛いわ!」

「ち、違う! 我らは北条の領内で暴れたことなど一度も……!」


 正規兵でないことの悲しさか、末端の兵士までは風魔の北条家における立場など伝えられてはいない。噂のみが独り歩きしている。
 太助はその様子を見て笑った。こちらで足止めする必要さえなかった。もうそこは射程圏内。動かぬ的が増えただけ。


「喰らうがいい! 小便連射砲! おおおおおおおお!」


 太助の雄叫びに呼応するように、銃口のある先端部が激しく回転し、水の弾丸を次から次へと射出する。
 一滴でも岩をも穿つ水の弾丸の束は、風魔衆の一人の背中に風穴を開け、さらにその風魔衆の正面にいた北条兵の二人の胸に、致命的な穴を穿つ。
 突然血しぶきをあげて倒れる三人の姿に、残された北条兵は腰を抜かし、風魔の二人は隠れることもできずに立ちつくす。
 そんな彼らの姿に、もはや興味もないと言わんばかりに、太助を乗せた萩がくるりと向きを変え、そのたくましき後ろ脚を見せつける。
 萩を通すために馬群が二つに割れ、その道を萩は、王者の貫録で悠然と歩くのだった。

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