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三十話 小太郎思う

 小太郎は風魔衆の乱波を九つの組に分ける。
 八犬士の探索、小田原周辺の巡回、小田原城下町の守備に四組、小田原城の警備、氏康の警護、各組同士や小太郎との連絡役を担う組の九つ。
 連絡組の頭は小太郎と長年苦楽を共にしてきている逆鉾(さかほこ)という乱波に任せ、それ以外の組頭は、静馬を含めた小太郎期待の若者八人に申しつけた。戻ってきた十九名と居残り組合わせて総勢四十三名。巨大な小田原を手広く守るには心もとない人数ではあるが、なにも小田原の警護をしているのは風魔だけではない。北条の武士もいる。最終的に八犬士を討ち取れれば良いのだ。風魔の眼の代わりとして活用すればいい。


「わかっておるとは思うが、大殿の命を受けお役目についている方々もおる。揉めるようなまねはするでないぞ。我らが乱波であることを忘れるな」


 余計な問題を起こさぬようにだけ釘をさすと、小太郎は乱波達を散らせる。乙霧も各組に伝えたいことがあるのか、嫌そうな顔をしている時雨を伴って広間を出て行った。
 小太郎は一人ぽつんと残され、途方にくれた様子の煎十郎をじっと見つめる。
 風魔の里では、裏方にあたる仕事に従事する者を軽んじる傾向がある。乱波としての役目をこなしてこその風魔。小太郎も若いころはそう思っていた。乱波のお役目につけない里の者など、落ちこぼれにすぎないと。だが、多くの役目をこなすうちに、いかに多くの裏方の者たちに支えられているかを知る。その者たちと上手く付き合えば、役目をこなすことがより容易になることも悟った。
 小太郎は風魔衆を乱波ではなく、伊賀や甲賀と同じく、忍びと呼ばれる一団に仕立てあげたいと考えている。風魔の北条における立場は決して高くない。ともすれば、ただの野盗とさえ見られる。どんなに手柄をあげたとしても、風魔衆が重臣に取りたてられることはないだろう。
 その現実に耐え忍び生き続ける。それを誇りとしたい。自分よりも下の者を作って自己満足に浸る者が増えるようでは、風魔に未来はない。 
 小太郎が頭領になってから、風魔の里で産まれた子供や、他の里より口減らしの為に風魔の里へと出された子供は、乱波として必要な戦闘技術以外にも、様々な技術を叩きこまれるようになった。文字や芸事、医療もその一つ。自分が怪我をしたときに、自分で手当てをできないようでは話にならない。なにがお役目に役立つかわからない。状況に応じて使い分けるのが忍びだと小太郎が感じているからこそだ。
 忍びの役目である、諜報、防諜、謀略、局地戦などは、その場その場での対応が求められる。技術は幅広く、対応は柔軟にというのが理想だろう。これまでの荒事に偏った修行では、風魔衆がその理想にたどり着くことはない。
 それでは北条家が今よりも繁栄したとしても、風魔衆の今の立場を他の集団に奪われかねない。例えばそう、一夜衆のような連中にだ。荒事だけに重きを置いていては、そのうち盗賊のように身を落して終わってしまう。ようするに、忍び働きの最前線に立つ者は、一つの技能だけ突出していても通用しないと小太郎は考えているのだ。
 だからこそ、逆に忍び働きを助ける裏方には、一つの技能を極めた人間がいると非常に助けになる。
 農作物を作る者が武芸に秀でている必要はない。忍具を作る者がそれを使いこなせる必要はない。医術を身につけたものが、常人より早く走る必要もない。
 風魔衆が北条家での立場がそれほど高くないにも関わらず、それなりにまともな生活を送ってこられたのは、乱波の仕事により行った、他国での略奪行為により得た物資があればこそ。その事実は決して変わらない。
 だが、いつまでも同じではいけないのだ。いつまでも戦があるとは限らないのだから……。
 小太郎を継いで二十年近くが経過したが、未だ小太郎の望むような意識改革は進んでいない。むしろ全国で戦が激化するのに比例して、力への依存がひどくなる一方だ。差別意識の強い者から、風魔衆の次期頭領を選びなどすれば、目の前で小さくなって座っている、この気の弱い若者は、きっと冷遇される。
 いつまで自分が頭領をやっていけるかはわからない。五代目には、自分と同じ志を持つ者を指名したいところだが、氏政の軍に残った般若や帰還した静馬を除く七人の実力者にはその点で不安が残る。経験を積み考えを改めてくれれば良いが、期待は薄い。
 静馬に継がせることができれば一番良いのだが、いかんせん本人にやる気がない。それどころか風魔そのものを嫌っている節もある。今の風魔の体質はおろか、小太郎の目指す理想すらに対してもだ。だからこそ、昨夜乙霧相手に婿にと薦めたのだ。結果は訳のわからぬ理由で乙霧から断られた訳だが……。
 煎十郎は、里から送り出した小太郎が期待する以上の、知識と技術を身につけて帰ってきた。そこまでにかかった時間や労力は、決して乱波の技を身につけた者たちに劣るものではない。
 忍びは報われることを願わず。身分があがることなどなく、毛嫌いされることも珍しくはなく、仕える相手によっては、使い捨てのように扱われることもある。それでも忍びは耐え忍ぶ。己の身につけた技術、生き方を誇りとし、どのような辛苦をも耐え忍んで生きる。つまりは、乱波仕事をこなす者たちに見下されようと、己の仕事を黙々とこなしてくれる裏方の者たちは、小太郎の目指す風魔衆の手本と言えるのだ。
 その意味で、煎十郎は立派な忍びになってくれるに違いない。冷遇されようと、嘲笑われようと、腐らず里の者たちの病や怪我と向き合っていってくれるだろう。里の将来のためにもこのような若者を手放したくはない。
 そう考えて、小太郎は少しばかりおかしくなった。小太郎が考えたのが忍びの理想だとしたら、いま自分たちと敵対している八犬士は武士ではない。忍びの鑑だ。主君からどんな仕打ちを受けようともひたすら耐え忍んできた。ただし、これまではである。
 小太郎は決意を新たにする。これは兵と兵を、力と力をぶつけ合う戦ではない。命と命。生き方と生き方をぶつけ合う忍びの戦いだ。
 負けるわけにはいかぬ。相手は陰なる忍びの道を捨て、陽への道へと逃げようとしている。そのような者たちに、忍びの道を進まんとする小太郎率いる風魔衆が負けるわけにはいかぬ。たとえ今後の成長を期待する若者を、手放す悔しさに耐え忍ぶことになろうともだ。

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