【導き出した謎の正体】
【導き出した謎の正体】
疲労が出たのか、馬車の揺れでファリドが眠ってしまっている間、リーシャは窓の景色を眺めた。
雪の中を駆け抜けていく馬車に揺れながら、この9日間もの間の記憶を思い出す。
決してリーシャが望んで得た日々ではなかったが、ルカや、ガリーナとエミールを初めとした使用人達と過ごした時間は、ラザレフ邸で過ごした日々とはまた種類が違うように思う。
(帝都。9日ぶりですね)
雪が積もる帝都に、やっと帰ってきたのだ。
民家や商店が建ち並ぶ中、中心には細かな細工が施された皇宮がそびえたっている。天高くそびえる皇宮の中には、リーシャが先日会ったニコライ皇帝がいるのだろう。
(あの方を押しのけて、私などが皇位を継ぐ?想像がつきません)
銀髪で怜悧な男を押しのけて、皇位を継ぎたいなどの野心は、リーシャにはなかった。
このオーブルチェフ帝国は国土も大きく、国力の大きさからか、隣国からも恐れられている。南に国土を広げようと、歴史の中で幾度となく南下に侵攻しているからだろう。
(私は、これからどうすれば良いのでしょうか)
帝都の景色を見ながらも、リーシャは自分の運命に、混迷していた。
シュレポフの屋敷は、帝都の中心地に建っていた。幼い頃から婚約関係であっても、リーシャが彼の屋敷を見ることすら初めてである。
金色の柱や扉には細かな装飾が施され、白亜の壁や天井は神々しさすら覚える。
玄関には大きなシャンデリアがあり、その輝きに照らされ、リーシャは感嘆してしまう。シャンデリアのガラスが1つ1つ煌めき、美しいと思った。
「おかえりなさいませ」
玄関には数多くの使用人がおり、恭しくリーシャとファリドを出迎えた。メイドや使用人達の数も、ラザレフ邸より多い。
「リーシャ、部屋に行って休んでいると良い。行方不明の君が見つかったとか、警察への連絡はしておくよ」
「ご配慮頂き、ありがとうございます。ファリドも疲れていますのに、すみません」
目覚めたファリドは、未だ眠そうにあくびを噛み殺しつつ、言った。恭しくかしずくメイドたちは、ファリドから上着を奪ったり、ファリドが言う通りに外に出ていく者もいた。きっと警察へ使いに寄越しているのだろう。
「あと、準備もしておかなきゃなぁ」
「準備?何のですか?」
リーシャが首を傾げると、彼は微笑を浮かべた。
「形式上、君はまだ、俺の婚約者だ。婚約中の身なのに一緒に住んでいるのはおかしいだろう?でもラザレフ子爵家に帰してしまうと、またマスロフスキーが狙ってくるかもしれない」
「ああ、理解します」
もう父親であるアレクセイはいないのだ。
1人でリーシャが帰るのはよくないだろうと判断し、ファリドは自分を、屋敷に連れてきたのだろうと理解している――が、婚約中である自分達の体裁を気にすると、自分がシュレポフの屋敷にいるのはあらぬ誤解を受けることもある。
「だから、結婚証明書にサインしてしまおう。式はまだだけど、書類上は夫婦ならこの屋敷にいるのは不自然じゃないだろう」
「――はい?」
結婚証明書とは、2人が夫婦であることを約束し、皇宮に提出する書類のことだ。結婚関係を結ぶのであれば、必須の書類になる。
「結婚証明書、ですか···」
リーシャは、頭が追い付かない。何故だか、身体が固まってしまった。そんな自分を、ファリドは不思議そうに見る。
「どうした?俺、何か変なことを言っているか?」
「いいえ、ファリドは何もおかしいことは仰っていません。私達は婚約者ですから、結婚を予定してい···ます、よね?」
「何だ、歯切れ悪いな」
カタコトのようになるリーシャの言葉を、ファリドは笑った。
彼とは長い間婚約関係である。自分は18歳であるのだし、オーブルチェフ帝国の貴族令嬢としては、結婚をしてもおかしくない年齢だ。
(私とファリドが夫婦、ですか···)
『ボクと君は夫婦になる予定だからね』と言っていた彼ではなく、ファリドと結婚をする。自分にとっては自然なことのはずなのに、リーシャは不自然に思えてしまう。
ファリドは、自分の肩を抱く。彼の手は、自分の肩を強く抱いていた。
「お義父さんが亡くなってすぐで申し訳ないが、これも君を守るためだ。必ず、君を幸せにしよう。君を狙う巨悪からも、絶対に君を守る」
ファリドは真摯な瞳で自分を見つめ、言った。
―――プロポーズなのだろう、とリーシャは解釈した。きゃ、と近くにいたメイドが思わず声を漏らしたのも聞こえてきた。
(···本当に、まともな人ですね)
リーシャは、考えた。ファリドに対して「まとも」だと感じてしまうのは、無意識に自分は彼とファリドを比べているからだ。
ファリドは、何も申し分がない男性だ。自分と長年婚約関係であるし、誠実である。彼は真面目な性格だから、家にリーシャを置くために結婚証明書を早めに出すという行為は、自然なことだ。
「·········はい」
ファリドと結婚することに、躊躇することは何もない。
(躊躇う必要は、ありません。ファリドとはずっと前から婚約をしていたのですから)
リーシャは合理的に考え、短くてもすぐに返事を出した。ファリドは、微笑んだ。
「じゃあ直ぐに用意をしよう。部屋で待っていてくれ」
彼は螺旋階段を駆けあがっていく。急いで自分から過ぎ去っていくファリドの背中を見守る。
「リーシャ様も、こちらです」
「···はい」
枯葉色の髪をしたメイドに言われ、リーシャは彼女の後についていく。20代の後半くらいだろうか、ガリーナよりは年上だろう。
(ガリーナだったら、こういう時、おめでとうございます、とか言いそうですね)
きっと長々と祝辞を述べてくれるだろう。
今一緒にいるメイドは、さすがシュレポフ家のメイドである。
無駄話をすることがなく、自分を部屋に導いてくれる。ファリドが駆け上がった螺旋階段を上る。
「こちらのお部屋をお使い下さいませ」
案内された部屋は、サロンだった。高級そうなソファーが向かい合わせになって置かれ、窓からは淡い雪が降り、皇宮を見ることができた。
「お紅茶を用意させて頂きます。少々失礼いたします」
「あ、紅茶ですか?」
リーシャは扉から出ていこうと頭を下げたメイドを、呼び止めた。メイドは不思議そうに首を傾げる。
「ちなみに、キノコ茶とかはないのでしょうか?」
「キノコ茶?」
つい、リーシャは訊いてしまった。
ついぞルカの屋敷ではキノコ茶を飲むことがなかったなと思い立ったからである。
「残念ながら、我が家にはご用意がございません」
「そう、ですか」
リーシャは優しく微笑んで見せた。取るに足らないことだとメイドが判断するように。
メイドは、自分を残して部屋から去っていく。ぱたんと扉が閉まった後、リーシャは溜息をこぼした。
(どんな味がするんでしょうね、キノコ茶って)
ルカの屋敷にいた時、ルカやガリーナが何かとキノコ茶を勧めていたが、自分は飲んだことがなかった。
キノコ茶はオーブルチェフ帝国では珍しくはないが、味の想像すらできない。
リーシャはふと、窓の外に目を向けた。
(皇宮、アデリナ皇女、ですか)
初めて出た夜会でも、話題になっていた。
アデリナ皇女の遺体だけが見つからなかったとされるミステリーである。
密かにアデリナは生存しているのではないかと言われていたが、それが自分自身などという話、ありえるのだろうか。
(私は孤児院で育ちました。オルロフ一家が殺害された際、アデリナ皇女が1歳に満たないのなら、記憶がなくても全くおかしい話ではありません―――ですが)
リーシャは考える。
すぐにメイドが紅茶を持ってきた。テーブルの上に紅茶と、赤いジャムが入った小皿が並べられる。リーシャはそれらに手をつけず、腕を組んだまま思考を止めなかった。
(先ほどのファリドの話、引っかかりますね)
メイドがいなくなっても、リーシャは動かなかった。
今思考を止めてしまうと、リーシャは寂しさを感じてしまいそうだった。
この部屋には、リーシャ1人しかいない。
(何がおかしいんでしょうか?ゆっくり考えましょう――夜会の話、ルカさんや皇帝の話、皇女であると判断した要素、父さんの死)
この9日間、リーシャは自分が起こったことと、先ほどのファリドの話を、照らし合わせた。
推理ゲームのように条件が箇条書きになって提示されているのではない。
だが、リーシャは確実に、何か自分の思考が引っかかっていることを感じていた。
(父さんの死を、私は見ています。それから連れ去れる時に見た、足跡や――音)
自分が目や耳で確認したことは、確かな情報だ。
人は嘘をつくかもしれないが、自分が自分の力で得た情報は、絶対揺るがない真実である。
(――あれ?あの時父さんは、何故――?)
リーシャは、引っかかりの正体に気が付いた。
アレクセイの行動とファリドが話した話は、食い違っている。
アレクセイのある行動がおかしいのだ。
どうしてアレクセイは、あの時――――そういう行動を取ったのだろうか。
『そして、AとBはお互いに愛し合っていた』
リーシャは、ルカが言った言葉を思い出す。
(···いえ、そんな···)
己の考えを、リーシャは否定する。
1つの行動が、もしリーシャの考える通りならば、他の謎の正体も次々と脳裏を過る。
リーシャは自分の頭を抱えた。
(愛など、嘘···)
導き出した強烈な真相に、吐き気がした。
自分が考えているよりも、本当の真相は、辛いものだった。
リーシャは、自らの赤い宝石がついたネックレスに触れる。
(愛が本当にあったとしたら、身を滅ぼすこともあるでしょう。でも、こんなことが起こっていたのなら、私は······)
リーシャの瞳から、涙が零れた。
大きな一筋の涙は、頬を伝い、落ちていく。
アレクセイの死を直面した時ですら、リーシャは取り乱しはしたが、涙を流すことはなかった。
あまりに辛い真相を突き付けられたことによって、リーシャは涙を流す。
瞳からこぼれた涙は頬から顎へ伝い、自分の膝に零れていく。鬱陶しい涙を流す時、リーシャは彼との会話を思い出した。
『本当に、情報はすべて開示されているのですか?』
密室の推理ゲームをした時だ。
リーシャは、彼がまだ情報を開示していないのではないかと思った。
『うん、全部言ったよ』
ルカは、言った。
(まだ、私に開示されていない情報があれば良いのに···)
皮肉なことに、もう全ての情報は開示されているのだ。
リーシャは謎を解き、自らの運命を呪うしかなかった。