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魔物避けの香

 わざわざ潜って確認せずとも、れいは地下迷宮の様子ぐらいは外からでも把握出来る。たまに行う見回りは、れいにとってはほとんど趣味か暇つぶしの類いに近い。一応情報の確度を高めるために直接赴いているという側面もあるにはあるが。
 地下迷宮は景色こそあまり変わらないが、空間が歪められているのでかなり広い。なので、散歩にはちょうどよかった。
 今回やってきたのは、とある場所の迷宮。迷宮大陸とは関係ない場所だが、攻略されている最中なので参考にはなる。それに、現在この迷宮には攻略中の者達が潜っているようで、れいとしてはそちらも確認しておきたいと思っていた。
 三層目を越えて四層目に足を踏み入れる。現在の攻略最前線はこの四層目らしい。
 四層目で攻略が止まっている理由は、そこで出現する魔物がスライムと呼ばれる不定形な魔物だからのようだ。
 この魔物は半透明な身体をしており、水のように柔軟な身体をしている。そのため、僅かな隙間があれば何処にでも入りこんでしまう。
 スライムを倒すには体内にある核を破壊しなければならないが、核もまた半透明なので見つけにくい。四階層で出てくるスライムはあまり大きくはないので、その分だけ核に攻撃が当てやすく倒しやすくはあるが。
 スライムの攻撃手段は、相手に張り付いてからの捕食。身体は結構自由に形を変えることが可能で、身体の一部を伸ばすなどもしてくる。
 厄介なのは、スライムの身体の中は強烈な酸性を帯びていることで、体液に触れると大抵のものは溶けてしまう。なので、核を破壊するために剣でも差し込んでしまうと、仮に核を破壊出来たとしても剣が溶けてしまうのだ。
 もっとも、四階層という低層で出現するスライムでは、溶かすというよりは徐々に腐蝕させるという感じなので、直ぐに駄目になるわけではない。それに低階層のスライムは、その酸性の液体を飛ばしてきたりはしないので対処としては楽な方。
 では何故攻略が上手く進んでいないかというと、地下迷宮という場所とスライムという魔物の相性が良過ぎるためだ。
 というのも、地下迷宮というのは、成形された石の塊を敷き詰めて造ったような空間なのだが、どれだけしっかりと石の塊同士をくっつけたとしても、そこには僅かながらも隙間が出来てしまう。
 そして、スライムというのは、そんな僅かな隙間でも入り込んでしまえるほどに身体の形が定まっていない。
 この二つの要素が合わさった結果、まるで罠のように足下からスライムが出てきて靴を溶かしてきたり、スライムは何処にでも張り付いてしまうので、天井や壁から飛び出してきて張り付いてしまうのだ。
 そんな場所であるからして常に警戒が必要で、休まる時が全く無い。五層目に下りるために四層目の探索を終えるには、どんなに少なく見積もっても数日は掛かるだろう。その間は精神をすり減らしていく必要があり、中々奥まで進めずにいるというわけだ。
 管理者達の娯楽目的であるダンジョンが基になっているだけに、地下迷宮にも攻略の手助けとして安全地帯という休憩場所が用意されていることがあるが、残念ながら四層目にはそんな場所は存在していない。
 なので、それを乗り越えるだけの精神力が必要になってくる。魔物避けの香などの存在もあるのだが、まだそういった物が調合される段階まで近くの町は発展していなかった。
 ちなみに、スライムを倒すのに最も効果的と言われるのは特殊な力を使った攻撃で、それは魔法などと呼ばれている。使い捨てのナイフなどを用いる場合もあるが、そちらは核に当たる可能性が低いのであまり使われていない。
 四層目なので強くはないのだが、厄介というのが一番の敵なのだろう。
 れいはそんな四層目に下りて、探索中の者達を遠目に観察してみることにした。接触するつもりはない。加護を与えるのならば、ネメシスかエイビスにでもさせるつもりだから。
 というのも、れいは強くなりすぎて、細かすぎる調整が難しくなっているのだ。
 ハードゥスの管理者のれいは、他の分身体のれいよりもかなり弱くなるように調整してもらっているのだが、それでも難しいほど。それは最小の単位がキロである物差しで、ミリ単位の出来事を測ろうとしているようなモノなのだから当然だが。
 なので、ミリ単位にも対応出来るだろうネメシスとエイビスにその任を任せることにしたのだ。細かな力の加減を覚えるいい機会でもある。
 そういうわけで、観察である。現在攻略中の者達は、安全を確認した後に小休憩を取っているようだ。
 ただ、それでも何時何処からスライムが寄ってくるか分からないので、完全には気を抜けない。スライムの場合は床や壁や天井の石の隙間を這って近づいてくるので、他の魔物のように近づいてくるのが見えないのだから。
 少しの間休んだ後、再び探索を始める。れいの頭の中にある四階層の地図では、五階層に下りる階段はまだ先に在った。途中で分岐もあるので、その辺りまで探索が済んでいなければ迷う可能性がある。
 慎重に慎重を重ねて通路中に目を走らせながら進むのを見て、れいは確かにあれでは精神的に参りそうだと感じた。
「………………」
 れいは手に魔物避けの香を出す。材料は全て近くの町周辺の森の中で揃い、調合方法も然程難しくはない。燃焼時間の調整や、持ち運びしやすいように固めたりという作業がやや面倒ではあるが、それでも調合を生業としている者であれば、そう労せずとも出来ることだろう。
 この魔物避けの香のレシピを拡げるだけでも地下迷宮の探索は格段に捗るだろう。もっとも、この香が効くのは十五階層前後ぐらいまでだが。
 一応ちょっとした忌避効果程度でなら二十階層ぐらいまで効くが、それも確実ではない。それでも、出来立ての地下迷宮ならば結構簡単に攻略できるようになる。
「………………」
 この魔物避けの香を広めれば、ダンジョンクリエーターに設けている制限を取っ払うことも可能だろう。在庫は多少減る程度だろうが、状況の好転として考えれば悪くはない。既にそこまで辿り着いている場所もあるので、介入の規模としても至って軽微だ。
 魔物避けの香は閉所空間でこそ効果があり、外だと効き目が弱くなるが、そっちは問題ないだろう。
 後で魔物避けの香のレシピを流すかとれいは考え、それをネメシスかエイビスにやらせればいいかと考える。丁度近くの町では二人を神として崇めているらしいので、その後押しとしても役に立つだろう。れいは別に自身を崇めろとは思っていないし、ネメシスとエイビスがこの地を創造せし神として騙られようと気にもしていないかった。
 使えるのであれば利用するだけ。結局何をしようともれいを害することなど不可能なのだから、その程度の些事は捨て置くか利用するかでしかないのだ。
 むしろそんなことよりも、それにより憤る補佐達を抑える方が面倒だったぐらい。
 れいは手に出した魔物避けの香を消すと、然程進んでいない攻略者達の後をゆっくりと付いていくのだった。

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