結人と夜月の過去 ~小学校二年生⑨~
12月 学校
結人が病院へ運ばれてから、4ヶ月目に突入した。 だがこれらの月日が経っても、目覚める気配はない。
きちんと呼吸はしているものの、一度も目を覚ますことはなかった。 夜月はそんな彼に対して――――今もなお、何も思ってはいない。
“心配だから早く目覚めてくれ”という気持ちは、この時の夜月は一切持ち合わせていなかった。 だが――――
「・・・まだ結人、目覚めないのかな」
隣のクラスからやってきた理玖は、しばらく空いていた結人の席に座り寂しそうな表情をして小さく呟く。
夜月は何も思わなくても――――彼の感情には、変化が出てきたのだ。 目の前で立っている夜月に聞こえるよう口を開いてきたが、夜月は何も答えないまま。
それを見かねて、理玖は返事を求めることを諦め机の上に伏せる。
そう――――今まで彼はあまり結人の話題は出さないよう、そしてみんなにも心配をかけないように無理して明るく振る舞っていた。
だけど結人は全然目覚めてはくれず、どんどん日にちが経つにつれ次第に元気がなくなっていく。
「ねぇ・・・。 夜月?」
「?」
顔を伏せたまま名を呼ぶなり、少しだけ顔を上げ夜月のことを見上げながらあることを尋ねてきた。
「・・・結人は、本当に目覚めると思う?」
「え?」
突然放たれた質問にどんな返事をしたらいいのか困っていると、理玖は伏せるのを止め態勢を元に戻し気まずそうに目をそらす。
「本当に・・・目覚めるのかな。 もう、目覚めなかったらどうしよう」
「ッ・・・」
最後の一言を訴えるように言い放ちながら突然泣き出されると、流石に戸惑ってしまった。 彼は目から溢れ出てくる涙を、必死に拭こうと努力する。
「あぁ、もう・・・! 結人が起きるまで、もう泣かないって決めていたのになぁ・・・ッ!」
「理玖・・・」
夜月は――――悲しんでいる理玖の姿を見ていることが耐えられなくなり、今日の放課後、一人で結人の見舞いへ行くことに決めた。
放課後 病院 結人の病室
いつも結人への見舞いは、理玖たちに誘われ仕方なく行っていたが今回は違う。 自ら夜月の意志で、彼の病室へと向かっていた。
「色折・・・。 早く目覚めろよ」
結人と夜月しかいないこの静かな病室に、夜月の苦しそうな声だけが響き渡る。 この時――――初めて思った。 結人に早く目覚めてほしい、と。
「理玖のためにも、早く目覚めろよ!」
なおもベッドの上で静かに横たわっている少年を睨み付け、必死に言葉を放し続ける。
しかし口ではそう言っているが、夜月の本心は“色折は目覚めないでほしい”という気持ちのままだった。 だけどそれ以上に、理玖が悲しむことはもっと嫌だった。 苦しかった。
確かに、夜月は結人が入院をしたら理玖は悲しむだろうということは分かっていた。 だけど―――― ここまで悲しむとは、思ってもいなかったのだ。
夜月は珍しく感情的になり、結人の目覚めを待っていたが――――結局今日も、彼が目覚めることはなかった。
数日後 放課後 空地
そして――――夜月は今日も、琉樹に呼び出される。 結人が目覚めないということもあり、理玖が悲しんでいることもあり、琉樹を相手している場合では――――なかったのに。
「結人くん、まだ目覚めないんだってな? 可哀想に。 ・・・まぁ、お前は嬉しいんだろうけど」
「・・・」
琉樹は笑いながら揶揄する。 それでも夜月は、何も抵抗はしなかった。
「まぁ、結人くんのことはどうでもいいか。 夜月、早速仕事だ。 俺の友達がコンビニで万引きしちゃったみたいでさぁ。 本当、困った奴らだよな。
それであれなんだけど、友達の代わりにコンビニへ行って、謝ってきてくんね? 『僕が盗みました』って」
「ッ・・・」
ニヤリと笑って言い放たれた最後の言葉を耳にして、悔しそうに歯を食いしばる。
―――何だよ、コイツ・・・狂っていやがる。
次第に命令されることが重い内容になっていき、夜月への負担も徐々に増えていった。
だがここで反抗するわけにもいかなく“これは全て自分のせいだ”というように考えを変換する。
―――いや・・・琉樹にぃをこんな風にしてしまったのは、この俺か。
―――俺の・・・せいか。
理玖が今結人が目覚めないことに対して苦しんでいる間、夜月もまた琉樹に対して苦しんでいた。
琉樹は直接手を出すわけではなく、間接的に酷く苦しい思いをさせてくる。 だが夜月は“これは自業自得だ”と思い、彼の命令を全て受け入れていた。
―――この苦しい思いは、いつまで続くんだろう・・・。
早く苦しさから抜け出したい。 早く自由になりたい。 だけどそうなるためには、どうしたらいいのだろうか。
琉樹の実の弟である理玖にいじめられていることを告白してもいいのだが、そうしたら今まで隠してきた努力が全て無駄になる。 だとしたら、先生か警察に言うべきか。
だがその案も――――駄目だった。 夜月がこのいじめを人には伝えられない理由が一つある。
それは――――理玖が大好きに思っている実の兄、琉樹が、自分の友達である夜月をいじめていた――――という真実を知ったら、理玖はきっと悲しむだろうから。
そこまで先を読んでいた夜月は、簡単にこのいじめについて誰にも話すことができなかった。
だが夜月は、今現在理玖と琉樹の関係が少し拗れているということは――――当然、知る由もない。
数日後 放課後 病院前
今日もまた、彼らは結人の病室へと足を運ぶ。
見舞いを終えた後、理玖が『少しの間、結人と二人きりにさせてほしい』と言ってきたため、夜月、未来、悠斗は彼が戻ってくるまで病院前で待機していた。
冷たい風が身体に突き刺さる中、彼らはあえて外で理玖のことを待っている。 未来がいるというのに珍しく、今この場には真剣な空気が漂っていた。 その理由は――――
「・・・夜月」
「?」
ベンチに座りながら寒そうに肩をすくませ、未来は名を小さく呼んだ。 そして――――決定的な一言を、夜月に向かって遠慮なく言い放つ。
「・・・ユイをやったのは、夜月なんだろ?」
「え?」
突然放たれた言葉に、夜月の思考は一時停止した。 あまりにも衝撃的な一言だったが、未来の近くで立っている悠斗は微動だにしない。
見事にその発言が的中していた未来と、何も動揺していない悠斗に違和感を覚えながらも夜月は聞き返した。
「何で? どうして俺なんだよ」
すると未来は気まずそうに視線をそらし、小さな声で問いに答えた。
「・・・今までの、ユイに対する態度を見ていたら分かる」
「・・・」
その言葉に何も返せずにいると、夜月のことをチラチラと見ながら発言を続ける。
「否定しないっていうことは、俺が今言ったことは本当なんだな」
小さな声でもその言葉の中には強い気持ちも込められており、反射的に視線をそらしてしまった。
だが当然夜月は彼の言う通り否定することができなく、別の少年の名を口にしてみる。
「理玖も、このことについて知っているのか?」
先程の発言を否定しても既に遅いと思い、正直に罪を認め理玖の名を出した。 その問いに対しては、未来は少しだけ首を傾げながら答えていく。
「さぁ。 でも理玖のことだから、もし夜月がユイをやったっていうことが少し頭を過ったとしても、親友である夜月のことだし疑わないと思うぜ」
「・・・そっか」
その言葉をどういう風に受け止めたらいいのか分からず、曖昧な返事をした。 そしてここで、初めて口を開く悠斗が直球に夜月に尋ねかける。
「どうして夜月は、そんなにユイのことを嫌うの?」
「ちょッ、悠斗・・・!」
流石に場に相応しくない質問だと気付いたのか、未来は慌てて止めに入る。
だがそれは一瞬の出来事で、彼もその質問の答えが気になったのかこれ以上止めようとはしなかった。
未来が二人を交互に見ながらあたふたしていると、夜月はその気遣いにはお構いなしに悠斗にされた質問を淡々とした口調で答えていく。
「色折は偽善者だからだよ」
「ん・・・? ギゼンシャ? ギゼンシャって、どういう意味だ?」
質問をした悠斗ではなく、未来が難しそうな表情を浮かべて聞き返してきた。 その問いに対しても、平然と答えていく。
「外面的には善い行いに見えても、それは本心や良心からじゃないっていうこと。 善良であると偽る、つまり、いい人のフリをするっていう意味」
その説明を聞いても、なおも彼は首を傾げていた。
「ユイがその・・・偽善者なのか? そうは見えないけど」
「・・・」
未来が結人を思い出しながらそう口にしていると、近くで夜月のことを不審な目で見つめている悠斗が視界に入る。
「何だよ。 俺に何か、言いたいことでもあるのか?」
そんな彼を少しキツく睨み付けながら聞くと、悠斗も負けじと反論する言葉を堂々と述べていった。
「・・・別に。 でも僕は、ユイが偽善者だとは思わないよ。 確かにユイが最近僕たちに見せていた笑顔は、本物の笑顔じゃないっていうことには気付いていた。
だけど今まで僕たちに優しく接してきてくれたことは、それは本心からだと思っているよ」
「・・・そう思いたいなら、勝手にそう思っておけ」
悠斗にしては珍しく自分の意見を主張してきたことに、夜月は少し戸惑いつつも強気で言い返す。
そんな二人のせいでこれ以上険悪な雰囲気にならないよう、未来は自らの発言でこの話を強制的に終わらせようとした。
「・・・まぁ、このことは理玖には言わないでおいてやるよ」
「・・・」
未来からの、優しい気遣い。
だけど夜月はその行為を否定するわけでもなく、かといって感謝するわけにもいかず――――その言葉には、何も返事をすることができなかった。