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少年は回顧する

 あの時、何が起こったのだったか。
 朝、目に映った見知らぬ天井を眺めながら、少年は現在の状況を思い出すと共に、昨日のことを思い出す。
 少年はとある世界で暮らしていた。そこは貧富の差が激しく、富める者はより豊かになり、貧しき者は人知れず死んでいく。そんな世界であった。
 そんな厳しい世界でも、誰にでも幸せというモノはあるもので、少年にとっての幸せは、唯一の家族である妹と共に暮らす事。特に一緒に食事が出来た日は、ゴミのような食べ物でもおいしく感じられたものだ。
 そんな食べ物でも数日に一回ぐらいしか食べられない。少年達は浮浪児で、周囲もそんな相手に施せるほど余裕はなかったのだ。
 少し前まで喋っていた隣人が気づけば死んでいた。なんて事はここでは日常茶飯事で、皆が空腹には慣れてしまっているほど。
 それが当然で、それが異常だとは誰も思えない。その世界は死に溢れていた。
 その日少年は、妹と共に裏路地の片隅で身を寄せ合って眠っていた。それが起きたのは、まだ夜が明けきらぬ時間だったか。
 にわかに騒がしくなった周囲に、少年は目を覚ます。
 普段と違う雰囲気を感じ取った少年は、一体何事だと身構え周囲に意識を集中させる。そうしながら、隣で寝ている妹を揺り起こした。
「ん~、どうしたの? お兄ちゃん」
 目を覚ました少女はまだ薄暗いのを知覚して、眠げな声で起こした兄にどうしたのかと問い掛ける。どうやら少女は周囲の喧騒にまだ気づいていないようだ。
 少年は周囲を警戒しながら、少女に周囲が騒がしい事を告げる。それでざわざわとした空気を感じ取ったのか、少女は少年の服をぎゅっと掴んで怯えるように周囲に視線を泳がす。
 それに少年は安心させるように笑いかけると、二人は立ち上がって慎重に裏路地から外に出る。
 外の通りは大騒ぎだった。少年達が居る辺りはまだ騒ぎが伝わりだしたばかりらしく、本格的な喧噪はまだ遠いようだったが。
「何が起きているんだ?」
 怪訝そうな面持ちでそれを眺めた少年だったが、直ぐに少女の手を引いて喧噪の反対側へと向かう。
 まだ人の流れは多くはないので、逃げる分には問題ない。今から逃げれば、子供の足でも反対側の門まで到着出来るだろう。
 少年は手を引く少女を気にしながらも、喧噪とは反対側の門を目指す。まだ何が起きているのか分からないので、外に出るかどうかは決めていないが、それでも万が一の時に直ぐに外に出られるように門の近くには居た方がいいだろう。おそらく同じ事を考えている者は多いのだろうが。
「それならそれで何か分かるかもしれない」
 そう呟くと、少年は門を目指す。
 少年達が住処にしていた場所は門から少し離れた場所であったが、門に到着してみれば既に結構な数の人が門に殺到していた。
 その様子を離れた場所から眺めた少年は、今は門に近づかない方がいいかと思い、少し距離を置く事にした。
「それにしても、もう外に出る人がこんなに大勢居るのか」
 離れた場所から外に出ようとする群衆を眺め、少年はポツリとそう零す。
 未だ何が起きているか分かっていない少年は、そんな様子を眺めながらも、何か分からないかと人々の話し声に耳を傾ける。
「おい! まだ出られないのか!!」
「お願い! 早くしてよ!!」
「早くしろ、やつらが来ちまうだろうが!!!」
 聞こえてくるのは、人々の叫びばかり。その声には苛立ちは強いが、焦りは思ったよりも強くない。門番もしっかりと手続きしながら外に出しているようだ。まだ夜が明けきらない時間だと考えれば、開門しているだけおかしくはあるが。
「やつら?」
 その中で誰かが言った言葉に、少年は首を傾げる。何処かが攻めてきたのかとも思ったが、少年は周辺に何があるのかも知らないのでなんとも言えない。
 賊が襲撃してきたという可能性もあるが、ここは首都には及ばないがそれなりに大きな街だ。それだけに備えもあるだろうから、普通は襲わないし、襲ってきてもここまで騒ぎになる事はない。
 では、一体何が起きているというのだろうか? 少年がそう考えていると、遠くの方から風に乗って何かの叫び声のような音が耳に届いた。その僅かな音を聞いた瞬間、ぞわぞわと背筋を這いあがってくるような気味の悪い感覚と共に、少年は全身からぶわっと冷たい汗を掻き、背筋が一瞬にして凍ったような気がした。
 少年は思わず逃げてきた方へと顔を向ける。続々人が駆けてくるが、それだけだ。先程の音を発生させた何かは見つからない。
 しかし、何故かそれで安堵出来ず、少年は段々と焦燥感に駆られる。だが、だからといってこの混雑している中で外に出られるとは思えない。
 どうすればいいのか。少年はあまりよくない頭で必死に考える。今まで何だかんだで生きてきたのだ。学は無いが、生きる術は多少は身についている……はずである。
 まずは何が起きているのか把握するべきだろうか? 少年はそう思うも、直ぐに首を振る。何となくそれは危険な気がした。少年の手には護るべき者が居るのだ、今はこの得体の知れない感覚から逃れる事が優先だろう。
 どうしたものか。少年は必死に思考を巡らす。そうすると、ある事を思い出した。それは、門から離れた場所の壁に小さな穴が開いているという事。その穴の前には木箱が置かれていて、その木箱で穴は隠してある。
 この穴は非合法な物品をやり取りする際に使われており、子供程度ならばなんとか出入りできるぐらいの穴が開いている。しかし、それが今でも開いているとは限らない。警備兵も無能という訳ではないのだから。
「別の場所は知らないからな」
 少年は少女の手を引いてその場を離れる。その穴の存在を知ったのは少し前だったので、もしかしたらもう補修された後かもしれない。それでも、このまま門の前で待っていてもいつ出られるか分かったものではなかった。
 少しして、門から離れた場所に在る裏路地に到着する。普段から人気が無く陰気なその場所だが、今に限って言えば静かで快適な場所に思えてくる。先程までの喧噪が耳にまだ残っているような気がしたから。
 記憶を頼りに、少年は慎重に奥へ奥へと進んでいく。そうすると、目的の木箱を発見した。壁の前に置かれたそれは二段重ねになっていて、見るからに重そうな感じがする。
 しかし、少年は知っている。上の木箱には物が詰まっていて見た目通りに重いのだが、下の木箱は実は空な事に。それどころか、そもそも下の箱は木箱ですらない。
 見た目こそ木箱だが、中身は丈夫な鉄製である。そして、箱の一部を少し持ち上げてから手前に引くと、側面が開いて箱の中に入れるのだ。そのまま壁側も同様に箱の中から少し持ち上げて向こう側へと押すと、箱の一部が開く。
 聞いた通りのその仕掛けに、少年はそれを教えてくれた知り合いの少年に感謝する。話を聞いた翌日には冷たくなっていたが、その後に簡単な墓を造って弔っておいてよかったとも思った。
 分厚い壁を通って一度外の様子を確認した後、戻った少年は少女を外に出す。その後に箱を戻しながら少年も外に出た。
 外はしんと静まりかえった草原だった。少し先に森があるが、風も吹いてないようで凄く静かだ。しかし、門がある方から人の声が僅かに聞こえてくる。
 少年は少女の手を握ると、森の方へと足早に歩いていく。
 何が起きているのかは分からないが、何だか嫌な予感がしているのだ。街道から外れた場所なので道はないが、道中は草が生えているだけなので問題はない。
 空も気づけば朝になっており、周囲は十分明るくなっていた。
 そうして少年達が森を目指して草原を歩いていると、街の方から『ぐごおおぉぉおお!!!』という怖気の走る雄たけびが上がる。それも一つや二つではない。門前で少年が聞いた音はおそらくそれなのだろう。随分と距離が近くなったようで、今度は嫌になるほどはっきりと聞こえた。
 門に集まっていた人は大丈夫だろうか? 少年は一瞬そう思うも、あのまま待っていなくてよかったと直ぐに思った。おそらく人々が騒いでいた原因は、今の雄たけびを上げた者達が門か壁を破って侵入してきたからなのだろう。
 街を護っている兵達がそれを迎撃したのだろうが、突破されたのかとうとうこちら側までやってきた。
(……魔獣)
 少年は心の中で声の主の正体を呟く。
 それは人類の敵と言われる存在で、襲って喰う事しか考えていない存在だと言われている。とても強い存在で、人では数を集めなければ到底倒せないとも聞いていた。
 幾つもの雄たけびが上がっている事から、おそらくそんな存在が群れを成して襲ってきたのだろう。街の兵士達では対処出来ないほどの数など、実物をろくに見た事がない少年では想像もつかない。
 とにかく、今は逃げねばならない。それだけを考え、少年は少女と共に森を目指す。
 そしてようやく森についたところで、街の壁が吹き飛んだ。分厚い壁が爆発したような音と共に吹き飛ぶさまは、見ていて恐怖しか湧かない。
 そこで少年は見た。真っ黒な身体をした巨大な獣が街から外に出てくるのを。それと共に、壁が吹き飛んで通るようになった視界に映る無残な肉片とそれを貪っている黒き獣。
 全身を走る恐怖に膝が震えるが、少年はそれを叩いて自分を叱咤すると、少女と共に森の中に逃げ込んだ。
 森の中は静かだった。しかしそれも最初だけ。直ぐに後方から木が折れる音が聞こえてくる。
 それを聞いて、少年は魔獣が自分達を追ってきたのだと思った。相手はあり得ない力を持つ存在といえども獣である。人のにおいを追ってくるなど容易いのだろう。そんな中、少年は魔獣にとって人は好物であるという話を思い出していた。
(いや、きっと別の何かを追っているとか、たまたまこちらに来ただけに違いない)
 少年は現実を逃避するようにそう思うも、走る足は止まるどころか速くなるばかり。しかし、ただでさえ歩きにくい森の中である。それに加えて少年よりも幼い少女を連れている。いくら速く足を動かしたとしても、子供の足ではそれほど速度が出る訳ではない。
 必然的に追ってきている魔獣に直ぐに追い付かれてしまう。
 森の中をどれだけ走ったか分からない。見えた魔獣は真っ赤な目をしていて、四足で地を駆ける真っ黒な獣だ。それでいて、相手に恐怖を与えるかのように、鋭い爪や牙は白っぽい灰色だ。それが黒い身体の中では嫌でも目立つ。まるで光を反射して輝いているようにさえ思えてきた。
 少年は走る。生きるためにただひたすら真っ直ぐに。
 少女も走る。転ばないように気をつけながら懸命に。
 それでも現実は無常でどうしようもない。直ぐに魔獣に追いつかれ、哀れ少年と少女はそこで命尽きるのだった。……そうなるはずだったのだが。
「どうしてここに居るのだろうか?」
 最初は死後の世界なのかと思った。しかし、管理者と名乗る女性は、ここは別の世界だと言っていた。もしかしたらそれが死後の世界かとも思ったが、ここには管理者の女性と管理補佐と呼ばれていた男性しか居ないという。いくら死後の世界にしても、これは寂しいだろう。
 では、ここは本当に別の世界で、自分達は死んだ訳ではないという事なのだろう。そう思うも、ではあの時何があったというのか。少年はもう一度思い出そうと記憶を探るも、突然世界が暗転したという事しか思い出せなかった。

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