第二話 II
紅白が連れてこられたのは、社会科準備室だった。ここは蓮だけでなく、社会科教諭の職員室代わりの部屋だ。昼休みなのでもちろん他の先生もいたが、そこに触れることなく、紅白はその奥の休憩スペースに連れてこられた。
「ったくもう。結局最後まで引きずりやがって。怪我人なんすよこっちは」
「あれ、そうだったか?あんなに元気にはしゃいでいたからなぁ、すっかり治ったと思っていた」
「見ろ!包帯!ったく。で、何の用ですか?本当にまたパトロールをしろってんですか?」
紅白は勘弁したのか、おとなしく腰かけ、蓮に向き直った。否、態勢は(行儀が良いとは言えないが)向き直っていたが、心は向いていないだろう。紅白は早く教室に戻りたい気持ちがマックスだった。
「安心しろ。パトロールは一時中止だ。怪我人が出たんじゃ、止めざるを得んだろう。まぁ、それはいいとして、昼休みももう長くはないしな。単刀直入に聞こう。昨日戦って、何を感じた?」
「おいおい、蓮ちゃん。それは昨日も今日も話したじゃないですか。あれれ?蓮ちゃんって記憶力悪かったでしたっけ?健忘症?」
あからさまにバカにしている。問題児というのは困ったものだ。
「そういうことを聞いているんじゃない。何か感じたことはないかと聞いているんだ」
嫌味を全く意に介していない蓮も蓮なのだが。もしかしたら彼女が甘やかしている(?)ことが、紅白がこんなになってしまった要因かもしれない。
「疲れました!あと超痛かったっす!」
キラッ!と星が出そうなテンションで、ピースサインを目の横に持ってくる。はっきり言って気持ち悪い。
「何か違和感とかなかったか?」
そんな紅白を見事に受け流し、蓮は話を続ける。
「……………、二人と対峙した時間はそんなになかったっすけど、それでも二人とも自我を感じませんでした。本能のまま力を使ってるっていうか、何かに操られているようにも見えました」
紅白は、蓮のいつも以上に真面目な空気を感じとり、さすがにふざけるのをやめた。おとなしく腕を組んで、淡々と語り出す。
「それに、気を失うまで能力を使うなんて普通じゃない。普通の人間にはそんなことできないはずです。動けなくなるまで使うなんて、本末転倒どころか命にかかわります」
「なるほどな………」
蓮は、紅白の証言を受け、思案する。
「こんなこと聞いてどうするんです?」
「実は、あの二人は行方不明のた人達だったらしいんだ。そのことを含め、事情を聴こうにも二人は未だに意識が戻っていない。少しでも情報が欲しいそうだ」
「………そうですか。でも蓮ちゃんはあくまでも社会科教諭であり、自治会担当の先生であるだけで、警察でもなんでもないでしょう」
「それでも、私の可愛い教え子が傷ついたんだ。ただ傍観というわけにもいかんだろう。心配するな。無茶はしない」
蓮はいつもとは違う、優しい微笑を浮かべた。なんだかんだ言って、彼女は生徒思いの優しい先生だ。ほかの生徒からの人気も高い(もちろんその容姿も理由の中に多分に含まれているのだが)。だからこそ、紅白がここまでふざけられるのかもしれない。
「別に無茶するとは思ってませんよ。それに可愛いだなんて、よしてください。俺は嫌われこそすれ、好かれる生徒ではないですよ」
「だとしても、自治会には残っているし、まぁ授業態度には少々難ありだが、成績優秀だ。去年のことも含め、お前のことを評価している先生だって多いぞ。お前の人望も捨てたものではないと思うがな」
「………評価されるようなことは何もしてませんよ。ヒーローを気取って、何かいいことをしようとしても、人を傷つけたら何の意味もないんですから」
紅白は、たびたび出してくる入学当時の自分の話に、うんざりしていた。評価を受けているのは嫌ではないが、紅白としては納得はしていないので、その話を掘り返してほしくはなかった。
「少なくとも私はお前のことは好きだぞ。一緒に寝たこともあるじゃないか」
「そ、その話を今出さなくてもいいでしょう?ってか言い方!」
紅白は顔を赤くして抗議した。男子高校生らしい反応と言えばそうなのだが、紅白が、というのはどこか珍しさを覚える。
「まぁ、私の心配はいらん。それよりも私はお前のことが心配なんだ。また危ない山に登るんじゃないかと、気が気じゃない」
「心配には及びません、俺はもうそんなことはしませんよ。一介の高校生が首を突っ込んでも仕方ないじゃないですか」
「そこを突っ込んでいくのが、如月だったと思うんだがな」
「だーかーらー、もうその話はやめてください」
紅白は、心底嫌そうな顔をしている。蓮から目を反らし、ため息をつく。
「人間の本質はそう簡単には変わらんさ。別に私はお前のことを咎めてなんかいないと、何度も言っているだろう。子供なんだから失敗してもいいんだ。責任は大人の私がとる」
「~~~あぁもう!この話はもう終わりにしましょう。本当に俺は、そんな大層なもんじゃないっすから。何もしませんよ」
紅白はお手上げと言わんばかりに、話を終わらせようとする。いつだって主導権は蓮だ。紅白にしてみれば、蓮と対峙してるこの時間はたまったものでない。
「でも、お前じゃない方が無茶をするかもしれんぞ?」
「……………」
蓮の指摘に言葉を失い、固まる紅白。その無茶をしそうな自分『じゃない方』に、とても、とーてーも、いや~な心当たりがあった。そして紅白はすぐに、そいつと関わらないためにはどうしようかと思考を巡らせた。
「そう邪険にするな。私は別にいいと思うがな。もちろん怪我をしてほしくはないが、そういう行動は誇るべきだと、私は思うぞ。だから、お前がしっかり守ってやれ」
「いーやーでーすー。俺は巻き込まれたくないし、そもそもあっちの方が強いんですから、俺が守るとかそういうことはないですよ」
「男がそれでどうする。そんなのだとすぐに愛想つかされるぞ」
蓮は立ち上がり、休憩スペースを出ようとする。気づけば、昼休みの終わりはもうすぐだ。
「だーかーらー!そういうのじゃないって言ってるでしょ!」
蓮を追うように紅白も立ち上がる。さっきから蓮に振り回されてばかりだ。なかなか感情が重労働な昼休みである。
「そうかっかするな。愛想つかされたら私がもらってやるから」
「三〇のおばさんはちょっと…いてっ!」
休憩スペースを出たところで、紅白の顔面に出欠簿が飛んでくる。女性に年齢の話をするのは、いつの時代でもタブーだ。
「私はまだ二八だ。ほら、早く戻らないと昼休みが終わるぞ。自治会役員が遅刻するのは、いただけないと思うがなぁ」
蓮は自ら投げた出欠簿を拾いながら、次の授業で使用する教材を持って、社会科準備室を出ていった。
ここに無理矢理連れてきたのは蓮ちゃんだろ、と思いながらも、蓮に続くように、紅白も急いで社会科準備室を後にした。