黄色い雨合羽
俺のストレス解消法教えてやろうか。
それはな夕暮れに塾帰りの子供を襲うことだ。
まあ、たいていの子は親に送り迎えしてもらってるけど、中には忙しくてそんなことできない親もいる。
そういう子供を狙うんだ。
子供はいいよな。抵抗力が小さい。
本当は俺を小馬鹿にする大人の女をやりたいんだけど、かなりの力で反撃されるからこっちの身がやばいんだよ。かといって子供でも高学年の子はだめ。大人並みの力を発揮する子もいるからね。
そう。狙うなら低学年の子供。
そんな小さな子を放っておく親なんてそうそういないように思うだろ? ところがどっこい結構いるもんなんだよな。
ああ、俺はなんて卑劣なんだろうって自分で思うね。非力な子供に暴力を振るうなんてさ、卑劣過ぎてワクワクするよ。
そうだな。一番いいのは女の子。けど人知れず拉致るのに選り好みなんてやってられない。とにかく一人で帰る子を見つけたら、誰でもいいから即行拉致らないと。
後ろからそっと近づいて頭に袋かぶせるんだよ。
ほら、この袋。小学校ん時の体操着の袋。
まさか、母親も愛情込めて作ったものがこんなことに使われてるなんて思ってもみないだろうな。
で、これかぶせて素早く車に放り込む。悲鳴上げる間も抵抗する間もないくらいあっという間に。
乗せたらまずは一発腹パンだ。
これでたいていの子は恐怖でじっとなる。泣いたり暴れたりする子も入るけど、殺すぞって凄めばだいたい大丈夫。
後は誰も来ない空き家に連れ込んで――ああ、見つからないよ。空き家って言っても住宅地じゃなく会社の空き倉庫だからね。父親の持ちもんで辺鄙すぎて使ってないとこがあるんだよ。そこ。
で、男の子なら――まあ俺はハズレって言ってんだけど――ハズレなら全身ぼっこぼこかな。嫌味な上司や同僚に見立てて殴る蹴る。うん。結構すっきりはする。
女の子なら? そんなのやること一つじゃん。
ただ残念なのが袋かぶせたままでってとこかな。だって顔バレするじゃん。ふっくらほっぺもなめたいけどさ、やっぱヤバいでしょ。
済んだら男の子と一緒さ。ぼっこぼこにする。だって、トラウマ級にビビらせとかないと。
優しくないよなぁ俺。だからモテないのかな。
でも殺しはしないよ。そこまで悪人じゃないもん。
うん。今のところ誰にもばれてない。
ふふ、うまいもんだろ。
ただね、警戒が厳しくなるよね。だからそう頻繁にはできない。しばらく我慢さ。
けど喉元過ぎればなんとやら、じきにまた一人で行動する子供が出始める。親たちってほんと愚かだね。
で、そろそろ喉元過ぎた頃なんだよね。
久しぶりだから、すごくワクワクするよ。
*
男は待機した車の中で舌打ちした。待っている間に雨が降り出したのだ。雨足はだんだんとひどくなっていた。
こうなると子供の送迎率が高くなる。
きょうはあきらめなくてはならないのかと思うと、楽しみが大きかった分、失意も倍以上になった。
次の機会まで待たなければならない日々を思い、もう一度大きな舌打ちが出た。
それでもしばらく待ってみたが、一人歩きの子供はやってこなかった。全員迎えが来て帰ってしまったのだろう。
男は塾から少し離れた場所の目立たない路地に車を止めていたが、雨降りの上に人通りが少ないとはいえ、そろそろ近隣住人や警邏中の警官などに見咎められる恐れがある。
あきらめることも大事だな。
そう男はため息をついたが、心とは裏腹にあきらめきれない不満が澱んでいた心をさらに澱ます。
ああ、どうすればいい? どうやったらこの気持ちが晴れるんだ?
知らず、知らず奥歯がゴリゴリと音を立てていた。
そうだっ。次は殺っちまえばいいんだ。
どうせ殺すなら顔バレしてもいいなぁ。袋を外して怯えた顔見ながら思う存分いたぶってやろう。恐怖に震える目が見れるなんて最高じゃないか。こうなったら男の子でも女の子でもどっちでもいいや。
そう考えていると気持ちが高揚してきた。イライラが消えて頬が緩む。
こりゃ楽しみだ。よし。次回まで死体の捨て場所も探しておかなきゃな。倉庫の裏に穴を掘っておくのもいいなぁ。ああワクワクする。
心の澱みが薄まり、男はエンジンをかけようとキーに手を伸ばした。
その時、十数メートル前方にある街灯の下に小さな黄色い人影が見えた。煙る雨の中を雨合羽の子供が一人とぼとぼとこちらに向かって歩いてくる。
薄暗い中、濡れないよう深々とフードをかぶっているので、男の子か女の子か判別できない。母親にお使いでも頼まれたのだろうか、来た方向が塾帰りではないことを示していたが、そんなことはどうでもよかった。
よっしゃあっ。
男はガッツポーズを作ると袋を手にそっと運転席から降りて車の陰に潜んだ。
すぐに前髪や首筋に雨粒が滴り始める。不快だったが、こんな雨だからこそ証拠が残りにくいんだと、天の味方に感謝した。
次の獲物は殺すと決めたことで男の高揚感は半端ない。
あ、死体の捨て場所――そんなもんどうとでもなるか。
雨粒なのか涎なのか自分でもわからない口元に流れる雫を手で拭う。
黄色い雨合羽は何も知らずにだんだん近づいてくる。
すぐそこの街灯の下に来ると身の丈に合わない大きな合羽と同色の長靴の姿が雨に煙る中見えた。
ピチャピチャと足音が聞こえ始め、男はより深く車の陰に身を隠した。もうすぐ前を通過する。
黄色がさっとよぎったのを合図に男は陰から飛び出し、後ろから子供の頭に袋をかぶせて抱きしめた。
小さくて柔らかな肉感が胸や手に伝わる。男の耳には自分の荒い鼻息しか聞こえてこない。
抱きかかえ急いで後部ドアを開けようとした時、かぶせた袋がベチャっと水溜りに落ちた。
と同時にだらりと合羽が腕に掛かる。
中の子供がいない?
「嘘だろ――」
マジックのような出来事に男は戸惑った。
今の今まで押さえつけていたんだ。逃げられるはずない。
両手で合羽の肩をつまんで目の前で広げる。幾本もの皺に沿って流れる雨水が地面にぼたぼたと雫を垂らしていた。
「どういうこと?」
合羽を左右、表裏と眺めていると手に重みを感じた。
フードだけが膨らんで目の前で持ち上がる。
中には丸い子供の顔があった。
「わっ」
思わず放り投げた。地面に落ちた合羽はぺちゃんこのまま雨に打たれている。
「み、見間違いか」
男は目に流れ込んでくる雨水を拭いながら笑った。
じゃ、さっき歩いて来た子供はいったいどこへ?
危険を感じうまく合羽からすり抜けて隠れたのか。
男は辺りを調べ、まさかと思いつつ車内も確認したが、どこにもいない。
目の端で黄色が動いた。
雨に叩かれ地面にへばりついていた合羽が立っている。
膨らんだフードが男を見上げたが、その中には何もない。
「なん、なんだ――」
動けずにいる男に向かって合羽がとことこ近づいてきた。
思わず蹴り飛ばすと合羽はぺしゃりと地面に落ちた。
狂ったようにそれを踏みつけ、さらに両足で踏みにじる。
合羽の鮮やかな黄色が泥にまみれた時、男は足を滑らせ尻もちをついた。舌打ちしながら両目に流れ込んでくる雫を拭った。その間に合羽が浮き上がり、男の頭上高く飛んだことに気づかなかった。
合羽が覆いかぶさってきた。男の体を包み込むと風船が萎むように縮み始める。
男は苦し気な呻き声を上げて助けを呼んだが、もちろん誰も来ない。
合羽はどんどん縮み、その度にばきばきと骨の折れる音が聞こえ、呻き声は途絶えた。
それでも合羽は縮むことをやめず、小さく小さく小さくなって黄色い絵の具のような粒となり、溶けて雨水とともに側溝に流れ込んでいった。