第一話 I
コツッ
何かが落ちた音が、その空間内に響いた。
決して静かだったわけではないが、その音は不思議なほど響いた。
そしてその音で目を覚ます一人の少年。
うつろな少年の視界は、何か黒いもので覆われていた。
瞬間、
「あだっ」
頭に何かしらの衝撃がくる。
少年は最初、何が何だか理解できなかった。
今の自分の現状を把握するのに数秒を要し、気づいた時にはすでに遅い。
「おはよう、
ただの居眠りなので、遅いもくそもないわけだが。
「……………おはよーございまーす!」
如月と呼ばれた少年は、まだ開ききっていない寝ぼけ眼をそのままに、笑顔で答えた。ちなみに視界を覆っていた黒いもの(ただのスーツ)の正体は、今の授業の担当教師、
時刻は12時過ぎ。
今は四時間目の、現代社会の授業である。
居眠りをしていた少年、
「そして今私たちが使っているこの能力と、既存の武力を合わせた、前代未聞の戦争が起こった。アメリカと当時の北朝鮮の間で始まったこの戦争が、第三次世界大戦だ。はい、この戦争は何年に始まったか、如月」
「2017年でーす」
「………正解」
先ほどまで寝ていたくせに、解答までの思考時間はほぼ皆無だ。紅白に正解され、蓮は少し悔しそうにしていたが、一つ咳払いをし、授業に戻る。
「この戦争が始まった第一の要因は、アメリカの大統領が変わったことによるものだと言う人もいる」
第三次世界大戦が勃発した2017年は、二一世紀最大の分岐点と言われている。
この前年の2016年に行われたアメリカ大統領選は、世界中に衝撃を与えた。世界各国が民主党優勢と予想していたが、結果は僅差で共和党の勝利。そしてその共和党候補だったグーフノス・カード大統領が、世界を大きくかき回していく。
カード大統領は2017年に就任し、すぐさま、戦争への道を進んでいく。というのも、当時の北朝鮮は、核保有および核実験が問題となっていたのだが、カード大統領はそれを武力によって解決しようとしたのだ。この時、誰もが核戦争へのカウントダウンが始まったと思っていた。
お互いに核保有国であるがゆえに、その戦争はとどまるところを知らなかった。もちろん、アメリカと北朝鮮に挟まれている日本も無事では済まなかった。建前上アメリカの味方はするが、唯一の被爆国であったことから、核の使用の可能性のある戦争を手助けするわけにもいかなかった。
しかし結果からすると、核が使用されることはなかった。この戦争で始めて使われたのが、魔法とも呼べる能力だった。発見されてから時間は経っていなかったものの、実戦の効果は絶大だった。そのため、アメリカも北朝鮮も、兵士の能力発現に奔走した。そしてその動きは、二国間の戦争を止めるべく動き出した他の世界の国々も同様だった。
歴史上最も核の撃ち合いに近づいた戦争は、能力によってドロドロの戦いになっていく。世界を巻き込んだこの戦争は、およそ三年間続き、北朝鮮の滅亡によって幕を閉じた。
この戦争によるアメリカ、朝鮮半島、そして中国大陸への被害はいわずもがな、日本への被害も甚大だった。集団的自衛権の行使により、核が使用されないとわかるや否や、日本はアメリカに加勢した。それによる被害もさることながら、2020年に予定されていた東京オリンピックもなくなってしまった。
「これによって日本は、戦争が終わっても高額な負債と戦うことになった」
ここで、四時間目の終了を告げるチャイムが校内に鳴り響く。
「…時間か。じゃあ今日はここまでだ。如月、ちょっとこい」
授業が終わり、再び腕の中に顔をうずめようとしていたところを蓮に呼ばれ、少しふてくされながら、蓮の方を向く紅白。
「もー、なんですか蓮ちゃん」
「蓮ちゃん言うな、私はいつお前の友達になったんだ。まったく、最近寝すぎだ。そろそろ成績下げるぞ」
「むしろまだ下げられてなかったのが驚きだぜ!」
テンション高めの紅白に、しかめっ面をする蓮。紅白も今怒られているとは思えないほど、おちゃらけている。
「なんでいつもそうふざけているんだ。一応お前は自治会役員なんだ。もっとそれを自覚した行動をとってくれ」
紅白は少し眉を動かした。
「だーかーらー、俺は自治会に入りたくて入ったわけじゃないって何回も言ってるでしょ。第一俺を自治会に入れたのは蓮ちゃんじゃないですか」
「何を言う、入らないかと勧誘しただけで、無理強いした覚えはないな」
ちなみに『自治会』というのは、他の学校でいうところの生徒会にあたる組織である。
「はいはい。で、俺に何の用ですか?」
「そうだった。今日の放課後に自治会の臨時集会を開く。理由は大方わかっていると思うが、学校としても動いた方がいいと思ってな。ほかのやつらにも言っておいてくれ。それじゃ、頼んだぞ」
有無を言わさず、紅白に言うだけ言って、早々と教室を出ていく蓮。
「拒否権はなしかーい」
そしてそれをわかっていた紅白は、特に誰に言うわけでもなく、独り言気味に呟く。めんどくさいことになりそうだ、と思いながら。
「まーた怒られてたのか?」
そんな紅白に声をかけたのは、クラスメイトで同じく自治会役員である
「うっせーなー。眠いんだよ」
「最近寝てばっかだよなー紅白は。いったい夜にナニしてるんだ?ん?」
ニヤニヤしながら、紅白に詰め寄る修良。その言葉の端々に、どことなくいかがわしさを匂わせている。
「いや最近中々いいサイト見つけてよ!ってあほか。そんなんじゃねーよ」
「なんだよー面白くないなぁ。それで、なんの話してたんだ?」
「え?あぁ、放課後に臨時集会だとよ。まぁここまでの騒ぎになったんなら、この学校の自治会は動かんといかんのだろうけど………」
言葉の端々にあからさまに面倒くささを匂わせる紅白。よほどイヤなのだろう。睡眠を欲しているところに追い打ちをかけてきたのだから、彼にとってはたまったものではない。
「あー、ノーブラッド、だっけ?」
「ノーブラッド?」
「え、知らないのか?集会って最近起きてる行方不明事件と、連続殺人事件のことだろ?殺人事件の方の犯人を、出血無き殺人者、『ノーブラッド』ってみんな呼んでるんだ」
「へぇ…、そうなのか。そこまでは知らなかったな」
ここ数か月のうち、紅白たちが住んでいる地域で、行方不明の事件と連続殺人事件が多発していた。特に殺人事件の方は、昨夜も死亡者が出ており、今までで合計三人が亡くなっている。そして死亡者はすべて、外傷がどこにもなく、死因は不明。まるで命だけが取られたかのような、不可解な死が続いている。この事件に対して、その死体の特異性から、世間は犯人のことを『ノーブラッド』と呼んでいた。
「でもだからって、高校生が出て何になるんだまったく」
「おいおい、役員の紅白がそれを言っちゃダメだろ」
「だから俺は、やりたくてやってるんじゃない」
修良にも反論する紅白。相当面倒くさいというか、いやいや働いているサラリーマンのソレである。紅白にとってはブラック企業ならぬ、ブラック自治会といったところか。
「まあまあ。それより、早く購買行かないと、パンなくなっちゃうんじゃないか?」
「あ、そうだった!急ぐぞ修良!飯が食えなきゃそれこそ集会を乗り切れない!」
さっきまでの下降線テンションはどこへやら。紅白と修良は、急いで教室を出て購買へと走っていく。
「ちょっとー、廊下は走らないって小学生の時習わなかったの?」
そんな二人に声をかける女子生徒が一人。腰に手を当て、学級委員長のテンプレのようなポーズと言葉である。彼女の手には一つの包みが握られている。
「あ?なんだよ
「またパンで済ませるつもり?そんなんだと栄養が偏って体調崩すわよ。たまにはちゃんとしたご飯食べないさいよ。ほらこれ」
そう言って彼女は持っていた包み、もとい手作りお弁当を紅白に差し出す。彼女の名前は
「なんだそれ?親切丁寧に辞書でも包んでんのか?このご時世、紙の辞書とかどんだけマニアックなんだよ、このマジメ女」
「あんたねぇ。それだけ頭の回転が早いならわざわざパンを食べなくても大丈夫なんじゃないかしら?」
「今さっき、ちゃんと栄養とらないと身体壊すわよって忠告してきたやつの発言とは思えねぇなぁ?」
ヤレヤレという動きを交えながら、吐き捨てる紅白。そして二人のやり取りを見て笑っている修良。
「むかつく~。せっかくお弁当作ってきてあげたのに。っていうかこの包み見て辞書とか思考回路どうなってるわけ?」
「え、まじで!弁当作ってくれたのか!?食う食う!」
そう言って、紅白はピョンと天姫に向かって飛びついた。
「ちょっ!いきなり飛びついてこないでよ!びっくりするじゃない!って落ち着け!」
天姫の言葉など何一つ耳に入っておらず、避けられた紅白は、弁当めがけて手を伸ばす。紅白の目にはもう弁当しか映っていなかった。急に手を伸ばされて、身を引く天姫に対して、紅白は「ガルルルルル」と、獣と化している。
「だから落ち着け!ほら、心配しなくてもあげるわよ」
そう言って再び差し出されたお弁当を喜々として受け取る紅白。それを高々と掲げ、おもちゃを買ってもらった子供のようにはしゃいでいた。そしてしまいには、
「大好きだぜ天姫!」
と抱き付く始末である。
「ちょっと!?抱き付くな!離れなさい!」
必死に紅白を引きはがそうとする天姫。最初はびくともしなかったが、程なくして離れる。天姫はと言えば、恥ずかしさからなのか、ただ疲れただけなのか、頬が少し紅潮していた。
「いきなり女子に抱き付くとかいったいどういう神経してるわけ?そろそろ痴漢で警察のお世話になるんじゃない?」
「心配するな。お前にしか抱き付いたことはない」
「やめて」
心底否定する天姫。少し後ずさりし、両腕で自分を抱きしめ拒否感全開である。
「それより、なんか言わなきゃいけないことあるんじゃない?」
「生理なら早くトイレに行った方がいいぞ」
「……………」
天姫は無言で紅白に向けて手を突き出して、自分の能力を発動した。それを受けた紅白は床にうつぶせにされる。
「ちょっ、おまっ!?校内での能力使用は禁っ!ぐおっ!ごめんって!ちょっ待っ!ギブギブギブギブギブ!」
「お弁当作ってあげたんだからお礼くらい言いなさいよ」
天姫は能力を解除し、紅白の前に仁王立ちになる。
紅白は、別に俺が頼んだわけじゃあねぇのになぁと思いながら、体を回転させて仰向けになった。
「赤って。派手なの穿いてんなぁ」
天姫は何も言わず、紅白の顔を踏みつぶした。そして一連の流れをずっと見ていた修良は、お腹を抱えて爆笑していた。
「え、放課後集会あるの?」
三人は食堂に移動し、ご飯を食べながら、放課後の集会のことを天姫に伝えた。当の紅白はというと、鼻をトナカイの如く真っ赤にし、その鼻に詰め込まれたティッシュが、先ほど天姫から受けたダメージを物語っていた。
「ここまで来たら、さすがに無視できないっていう感じなんだろうね。用心に越したことはないし。警察も人手が足りないから、俺たち自治会が出来る限りのことはしないと。一応この学校はそういうポジションだし」
修良は結局パンを買うことが出来ず、今日は食堂のカツカレーで済ませていた。
ちなみに、修良が言っている学校のポジションというのは、単純に言えば、学校ごとの戦闘能力みたいなものだ。今の時代には、その学校の生徒の能力を鑑みた、学校ごとの自衛力というものが毎年算出され、ランク付けされていた。紅白たちが通っている
「まぁしょうがないよね~」
「だからって子供の俺たちが出しゃばってもなぁ」
「はいはい、こういう時だけ自分を子供にしないの」
現在の2113年は、世界の人口が百年前よりも大きく減少していた。日本は特に、だ。百年前は1億3000万人程の人口だった日本も、今ではその半分の6000万人程まで減っていた。
しかし、高齢社会はいかんせん変わらない。人口こそ減ったものの、高齢者の割合は、百年程前とさほど変わっていなかった。それでは、働ける大人は少ない。数々の職業が機械化されていく中で、警察という立場はどうしても人間がやらなくてはならない。だが人数の少なさは否めない。そういう理由もあって、ある程度の自己防衛力をもつ生徒のいる学校は、警察の手伝いと言う形でパトロールに協力することがあるのだ。
「あ~あ、めんどくせぇ」
「そんなこと言わないの。一応あんたも役員なんだから」
「だーかーらー」