第九十話 最終試合
「ええ、知ってますよ。確か、10年ほど前にロンドンを震撼させた連続殺人鬼ですよね。その手法から、ジャックザリッパーの再来だと恐れらたことから、2代目ジャックという通り名がつけられた。突然、犯行を止めたと思いきや、近年また同じ犯行が見られるようになったとか。でも、確か、2代目ジャックはその時捕まったって聞いてるんですけど」
「ああ、それ捕まえたの俺だから」
「マジすか」
「ああ、大マジ。かなり強かったよ、2代目ジャック。ま、暗殺一家の末裔だから仕方ないっちゃ仕方ないけど」
「(さらっと、とんでもないこと言いやがった)それで、あの子とこの事件ってなんか関係してるんですか?……もしかして……!!」
一度シンに事の真相を問いかけるが、瞬時に焔は悟った。そんな焔の表情を見て、シンはうなずく。
「そう、その2代目ジャックを捕まえた時に一緒にいたのが、あの子ってわけさ」
「……つまり、あの子は2代目ジャックの娘ってことですか?」
最もな意見を述べたと思った焔であったが、シンは首を縦には振らなかった。
「いいや、あの子は2代目ジャックの道具として育てられたただの可哀そうな子だよ」
そこまで言うと、シンはあの子がなぜあそこまで無表情で、何の反応もしないのかゆっくりと話し始めた。
―――さっきも言ったけど、2代目ジャックは暗殺一家の末裔でね。昔から、国の汚れ仕事を引き受けていたそうだ。だが、それも昔の話。今では、ただの殺し屋に成り下がってしまったね。それを国も快く思わなかったんだろう。国は一家の抹殺に乗り出た。そして、その中で生き残ったのが、2代目ジャック。
今までの恩を仇で返してきた国に復讐を決意した2代目ジャックはジャックザリッパーを模倣し、ロンドンを恐怖に陥れた。それが10年前。
だが、その時2代目ジャックは大けがをした。1人では無理だと悟ったジャックはあろうことか1人の少女を誘拐し、自分の忠実なる道具、そして後継者にしようとした。
誘拐する際、少女の家族は殺され、その少女は行き場を失った。7歳だった。そこからは地獄のような日々が続いたそうだ。詳しくは語らなかった。というか、語らせなかった。もし、語っていたら、俺があいつを殺してたかもしれないからね。
だが、約3年前、徐々に感情を失っていた少女は悲しみ、苦しみ、痛みなどの感情も完全に見せなくなったそうだ。そこから、あの子はずっとこんな感じだと言う。おそらく、そのほうが都合がよかったんだろう。生きるためには感情は不要。そう彼女は悟ったんだ。
そうして、完璧に出来上がった自分専用の人形をひっさげ、再び2代目ジャックは現れた。だが、総督から捕まえるよう命令を受けた俺が2代目ジャックを捕縛。そして、少女は自由の身となり、平穏な暮らしを手に入れました。めでたし、めでたし……とはいくわけもなかった。
目の前で自分の主を倒された少女は自動的に次の主を俺だと思い込んでしまった。それほどまでに、彼女の感情は殺されてしまっていた。そりゃそうだ。10年間、名前を呼ばれず、常に物扱い。死ぬほど、きつい特訓を毎日、毎日受けさせられた。壊れないほうがおかしい。
2代目ジャックはその少女が俺の方に付いたことに、怒鳴り声をあげ、少女を脅した。だが、全くと言っていいほど、少女は反応を示さなかった。10年間、時間をかけ、完璧に仕上げた人間に、こうもあっさりと裏切られるとは、何とも皮肉な最後だったよ。
2代目ジャックはぼっこぼこにして、警察に渡しておいた。この子も、渡そうか考えたけど、なんせ俺の言うことしか聞かないからね。言われれば、何でもする。おそらく、死ねと言えば、簡単に命を絶つだろう……逆を言えば、命令されたこと以外は何もしない。君が何度も話しかけたのに、何の反応も示さなかったのはそういうこと。これが、この少女の過去。そして、真実だ。
―――そこで、シンの話は一区切りついた。焔の様子を見るシンであったが、下を向き、どんな表情をしているのかはわからなかった。だが、膝に置いていた拳は強く震えていた。
「シンさん、名無しと言うのは……前の事件を探せば、その子の名前のことは分かると思うんですけど」
「……ああ、もちろん探した。そして、見つけた。だが、その子は自分の名前のことは完全に忘れていた。本人に自分の本当の名前を教えても、わからないと言う。2代目ジャックからは名無しと10年間呼ばれてるから、もうそれ以外の呼び名を言っても、何の反応もしないんだよ」
「……昔のことは何も覚えてないんですか?」
「覚えてないね」
「……」
「……と、思ってた」
焔はその言葉にピクリと反応すると、ゆっくりと顔を上げた。
「彼女は、全ての感情、記憶を殺してしまった……そう思ってたけど、焔のある言葉を聞いて、そうじゃないんじゃないかと思えてきた」
「俺の……言葉」
「君はあの子の瞳の奥を覗いた時、泣いているように見えたんだろ?」
「……確かに……でも、あくまでそんな風に見えただけで、実際泣いてなかったし、俺の勘違いかも」
そんな風に自分の言葉の曖昧性を主張している焔だったが、シンはハッキリと言う。
「いいや、俺は君の言葉で確信した。彼女の感情はまだ生きている! 今までの辛い日々に己から殺してしまったのかと思ってたけど、それは間違いだった。彼女は感情を失ったわけではない。まだ、かすかだが残ってる」
そう断言するシンに焔も動かされた。
「そして、心の奥底で助けを求めているはずだ。誰かが自分の感情を引っ張り出してくれるその日を」
「……誰かが……」
そう口にした焔にシンは笑って言う。
「……青蓮寺焔! お前に最初の試練を与える。この試合の中で、彼女の世界にもう一度色を付けろ」
強い口調で、焔に言い放つシン。だが、当の焔はその命令にすんなりと従うはずもなかった。焔は勢い良く立ち上がると、シンの前に立つ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、シンさん! 流石に無理があるでしょ! この試合中にとか……そもそも勝てるかどうかも分からないし、というか、勝ってもそれが解決になるわけでもなし、彼女の気持ちを何も知らない俺なんかが……もっともっとじっくりと時間をかけて……!!」
弱気な言葉ばかり出てくる焔を前にシンはゆっくりと立ち上がった。そして、
パンッ!!
強く肩を叩く。その瞬間、焔は言葉を失う。そんな焔の耳元に顔を近づけたかと思うと、シンは笑いながら、呟く。
「泣いてる少女1人助けられないで何がヒーローだ……そうは思わないか?」
「……上等」
不安に押しつぶされそうな気持をグッと堪え、焔は笑ってそう言った。その顔を見たシンは、2回ほど肩を叩くと、その場から去っていった。
そして、試合も佳境に入っていた。リーチの長い槍を巧みに操るサイモンに攻めあぐねていたコーネリアだったが、ついに隙を作ることに成功した。
コーネリアはサイモンの攻撃を強く弾く。体勢を崩したサイモンにここぞとばかりに距離を詰めるコーネリア。だが、サイモンもすぐに体勢を立て直し、武器をコーネリアに向ける。
「そこまで!!」
その瞬間、総督の声が会場に響く。
「試合終了! 11回戦! セリーナ・コーネリアvsサイモン・スペード! 引き分け!」
そう言い渡された2人、サイモンの首にはコーネリアの鋭い切っ先が、コーネリアの額にはサイモンの矛先が、それぞれほぼ同時に捉えられていた。
総督からの試合終了の合図を聞くと、2人はゆっくりと武器を収めた。
「ひゅー、コーネリアちゃん強すぎ……」
「フッ、あんたもそれなりにやるじゃない」
互いの実力を称えあった2人はその場から消え、観客席へと移動する。
「お帰り、2人とも! 凄い戦いだったね(ヴァネッサさんの言う通りだ。マジでこれなすすべもなく終わってた。なんか……私の見てる世界って、すごく狭かったんだ)」
2人をねぎらう茜音であったが、内心、自分の実力の底を知り、かなりがっかりしていた。
「おお! 茜音ちゃん! 僕の華麗なる槍術見てくれてた!? まさにあれは芸じゅ……」
「コーネリアちゃん!! すごくカッコよかったヨ! いつか手合わせしてほしいネ!」
「いいわよ。いづれやりましょ」
「どうせ僕の話なんか……誰も聞きやしないんだ……」
「アハハハ……」
捻くれてしまったサイモンに愛想笑いを浮かべながら、茜音は背中をさする。一行は会話に一区切りつけると、
「さて、次で最後ね」
「……そうネ」
「……レンジ」
一行は離れた場所で1人目をつむり、座っている焔に目を向ける。焔はそんな視線に気づくことはなく、ただただ集中力を高めていた。
「おい、シン」
焔から離れ、1人になったシンに耳元から総督の声が聞こえてくる。
「なんですか、総督」
「本当に大丈夫なんだろうな? あいつに任せて」
「……盗み聞きなんてひどいなあ」
「いいから、答えろ。あいつはやる気だが、何か策でもあるのか?」
「……ないんじゃないですかね」
「何だと!? じゃあ、あの意気込んでたのは?」
「ま、十中八九強がりですね」
「はあ」
ため息をつく総督であったが、シンの話はまだ続いていた。
「でも……焔がにやけながら『上等』と口にした時……大抵の強がりは押し通します」
「……フッ」
耳元で総督が軽く笑う声が聞こえたかと思うと、
「それでは、これより第三試験12回戦、最終試合を始める! 対戦カードは青蓮寺焔vs名無し!」
焔はゆっくりと立ち上がる。すると、試合会場へと転送された。もうすでに目の前には少女の姿があった。総督からの説明を受けている間も、両者は決して相手から目を離さなかった。
そんな時、2人の人物が観客席へと現れる。
「チーッス」
軽い口調で教官たちの前に現れたのはオッドアイで白衣を着ている女性だった。
「リンダ!」
ペトラは嬉しそうな顔を見せ、リンダと呼ばれるオッドアイの女性に声をかける。すると、もう1人後ろから顔を見せる。
「ヤッホー! 来ちゃった!」
明るい表情を浮かべながら、また1人白衣を着たペトラと同じぐらいの身長の少女が現れる。
「マナちゃん!」
マナとペトラは互いに近づくと、ハイタッチをし、その場で話し込む。そんな2人を置いて、リンダはある男の元へ近づいていく。
「よお、シン! 元気かー?」
「やあ、リンダ。まあ、元気かな」
リンダはシンの肩に手を回し、親しそうに話し込む。それを見たヴァネッサはなぜか冷たい視線をシンに送っていた。
互いに、世間話もほどほどにし、リンダは本題を切り出す。
「で、私が丹精込めて調合してやった薬を贅沢にも無償で飲んでた坊やはちゃんとここまで勝ち残ってるんでしょうね?」
「ああ、ご心配なく、今からちょうど試合だから見ていくといい」
「お! そりゃ、ラッキー。あの少年だね。中々いい体つきじゃない。対するは女の子か……あの子もまた……相当……」
リンダは相手の体を見ただけで、その度量を推し量っていた。そんなリンダは何かを思い出したようにマナに話を持ち掛ける。
「マナー、あんたはペトラとお話しするためにここに来たんじゃないでしょ」
「あっ! そうだった」
「ちょっと、こっち来な。あの2人のこと見てみ」
言われるがまま、マナは試合会場にいる2人を覗き見る。すると、
「あっ! この2人だ! 凄いオーラ!」
「やっぱりねー。そんじゃ、あと1人もこの中にいるかな?」
「うーん……」
マナは観客席へ見渡す。そして、指さす。
「あそこの中にいる」
その指の先には茜音たちの姿が見えた。
「おー、3人とも残ってたんだ。で、どの子?」
「全員のオーラが強すぎて、わかんない」
「そっかー」
そうやって、話し込む2人にシンは問いかける。
「マナ、試合会場にいる2人のうち、どっちの方が強い?」
その問いかけにマナは応えるかのようにジッと2人のことを凝視する。その間、教官たちも固唾をのんで見守る。そして、しばらくして、金色の目を閉じたかと思うと、マナが指をさす。
「こっちのほうが強い」
そうやって、指を向けた先に焔の姿はなかった。
「……あちゃ~、残念シンちゃん」
「あらら、こりゃまいったな」
何ともふざけているようにしか見えないやり取りに教官たちは肩を落とす。
「シン、てめえ」
レオが怒りを拳に溜めているときだった。
「でも……」
まだ、何か言いたいことがあるようにマナは呟いた。当然、皆もその一声に注目する。
「あの少女の鋭く、冷たいオーラを見ても、なぜかあの男の子のオーラはすごく安心できる……不思議」
その言葉の意味に皆が戸惑っている中、総督の声が強く響く。
「第三試験! 最終試合! スタート!!」