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14話 リナリア

 白い半そでのパーカーにデニムのショートパンツを履いた久保明日香は母、容子とダイニングテーブルに向かい合って座っていた。ミディアムボブの髪を後ろで一つ結びにし、パーカーのポケットに手を突っ込んで真剣な表情で話す明日香。容子は最初こそ些細な相談だと思って母として聞いていた。それがだんだんと話が進むにつれて仕事が入り混じった表情になっていく。明日香が話し終え、容子が口を開きかけた時、玄関のチャイムが軽快に鳴った。

「夜にまた話そうね」

 明日香はうん、と頷いてぺたぺたと裸足の足で玄関に向かう。パーカーから片手だけ出して扉を開けると外は鏡に反射した光のように真夏の日差しが容赦なく降り注いでいた。思わず目を細める。逆光の中には私服姿の三人が立っていた。オレンジ色の、お尻がすっぽり隠れるくらいだぼだぼのTシャツを着た満里奈。水色のオフショルダーに白いミニスカートを履いた希美。流奈は真っ黒の、喪服のような長袖のワンピースを着ている。

「いらっしゃい。とりあえずリビングにおいでよ。お母さんがみんなの顔見たいって」
「明日香のお母さんいるの? やった! あたし、会うの久しぶりなんだよね」

 満里奈はいそいそとスニーカーを脱いでリビングに向かう。満里奈と希美は何度も遊びに来たことがあり、勝手知ったる、という感じだ。

「こんにちわー!」

 満里奈が一番にリビングに入り、そのあとに希美が続く。流奈が不安げな視線を送ってきたのに気づき、「大丈夫だよ。うちのお母さん、優しいから」そんな思いを込めて柔らかく微笑み返した。伝わってくれたのか、ゆっくりと希美に続いてリビングに向かう。

ガチャリと玄関のカギをかけて明日香がリビングに入るとすでに満里奈は容子と談笑していた。

「いらっしゃい。ひさしぶりね、満里奈ちゃん。希美ちゃんはコンビニでたまに会ってるもんね。あなたが流奈ちゃんね。初めまして、明日香の母です」

 容子は娘の友達でも一人一人に向けて挨拶をしっかりする人だった。その礼儀正しさと柔らかい物腰もあって満里奈と希美は容子に懐いている。明日香とよく似た涼しげな瞳はすっかり母の顔に戻っていた。

「あまり根詰めないで休憩もしなさいね。お勉強頑張って」

 四人はリビングを出て明日香の部屋に向かう。初めて友達の部屋に入る流奈はきょろきょろして落ち着かない。それが明日香には知らないところに連れてこられた小動物のように見えてかわいらしくて仕方がなかった。

「相変わらずたくさんあるねぇ」
「すごいね。これ全部読んだの?」

 満里奈が感嘆の声と流奈の驚嘆の声がモノクロの部屋に響く。エアコンのきいた部屋は涼しく、外から来た三人の汗はすっかり引いていた。

「にしても明日香のお母さんてなんであんなにきれいなの? あれすっぴんだよね。ほんとうちのお母さんとは全然違う……」
「え、明日香のお母さんって何歳なの?」
「もう五十歳近いよ。仕事ばっかりで結婚も出産も遅かったんだって」

 容子に会うたびに年齢不詳の容姿をうらやましがる希美と年齢に驚く流奈。流奈はあまり気乗りしていないのではないかと心配していたが意外と楽しそうに見えて、心の中でほっと息をついた。

「よし。じゃ、はじめっよか」

 黒いラグの上に置かれた白い丸テーブルの上にそれぞれ教科書やノートを乗せて勉強会が始まった。流奈は昨日の続きを満里奈に教え、明日香は一人で暗記の続きをする。希美もさすがに今日はまじめに勉強をしている。時折雑談をしたりしながらも1時間半ほど勉強をしたところでブー、と明日香のスマートフォンが震えた。

『ケーキあるから、切りのいいところで取りに来なさい』
「お母さん、ケーキ買ってくれてたみたい。休憩にしようか。みんなコーヒーで大丈夫?」

 マーカーだらけの教科書をぱたんと閉じ、三人が頷いたのを確認してからリビングに向かうと対面キッチンの向こうに容子が立っていた。

「ありがとうお母さん。流奈、どうかな」

 容子の隣に立って出してあったグラスにインスタントコーヒーの粉をスプーンに二杯ずつ入れる。

「すこししか話してないから何とも言えないけど、この真夏にあんな長袖着ているなんてね。糸がほつれたりもしてるし……」
「そうだよね」

 容子が沸かしてくれたお湯を少なめにグラスに注ぎ、たっぷりの氷を入れてぐるぐるとスプーンでかき混ぜる。黒色の水が渦を巻いて冷えていく。

「そんな顔してたらそのまま眉間にしわが刻まれちゃうぞ。はい、とりあえず友達との時間を楽しみなさい」

 両手の親指で眉間をぐりぐりといじられる。こういう瞬間にこの人が母でよかったと思う。

 受け取ったケーキの箱とアイスコーヒー、取り皿とスプーンを四つずつ。全部お盆に乗せて部屋に戻った。

「おかえり~。ありがとう。なんか流奈に教えてもらって頭よくなった気がするよ」
「気がするだけじゃない?」

 満里奈と軽口を言い合いながらきれいに片付けられたテーブルの上にお盆を置いてケーキの箱開けた。中にはそれぞれ違う種類のケーキが四つとシュークリームが四つ入っている。

「流奈、ケーキどれがいい?」
「わたし、これ以外食べたことないからどれが何なのか全然わかんない」
「こっちがチョコ、これがチーズケーキ、でこっちがフルーツタルト! タルトってクッキーにカスタードと果物が乗ってる、みたいな感じかな」

 ショートケーキ以外何かわからないという流奈に満里奈がケーキを指さしながら説明する。

「チョコ、食べてみたい」
「はい、どうぞ」

 明日香がチョコレートケーキを皿にのせて渡すと未知の生物を見つけたみたいにじっとケーキを見ていた。

「あたしタルト!」

 満里奈が自分で箱からタルトを取り出す。

「明日香はどっち?」
「んー……ショートケーキかな」

 残った二つのケーキを皿にのせチーズケーキを希美に渡した。満里奈はすでにタルトの上に乗ったグレープフルーツを頬張り、流奈は恐る恐るケーキにフォークを刺して口に運んでいた。

「どう? 初めてのチョコケーキは?」
「おいしい」

 キラキラした目を自分に向けて答える流奈。その姿がとてもかわいらしく、さっき勉強したことなんて全部忘れてこの顔だけを脳裏に焼き付けたくなる。甘ったるくて苦手なはずのショートケーキがなぜかとてもおいしく感じた。





「じゃまた月曜日にね、おじゃましましたー」

 松坂希美は満里奈と流奈とともに明日香の家を出た。仲良しとはいえ母親が在宅の時に長居するのは申し訳ない。流奈も遅くまではいられないので早めの解散となった。

「ケーキおいしかったね」

 隣を歩く流奈がきれいな形の唇を動かす。明日香が見とれるきれいな横顔。自分の好物を人にあげちゃうような優しい明日香が恋焦がれる、純粋すぎる女の子の顔。その顔に夏の夕焼けが黒い影を落とす。

明日香が流奈を見ているときだけ恋する乙女の顔をしていることなんて最初から気づいていた。五年も一緒にいて、五年もその涼しげな瞳に焦がれてきたのだから。赤い空につがいを求めて泣き叫ぶ蝉の声が鳴り響く。

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