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3話 アザミ

 翌日からいつもどおり授業が始まった。一限目の科目は現代文。久保明日香は現代文の授業が一番苦手だった。作者の心情を答えなさい。なんて授業になんの意味があるのかわからないからだ。ましてや自分はこう感じました。と回答してもこれは違う、そうじゃないと言って点数を付けられる。なんでわたしこんな先生から丸見えの席なんだろ。昼寝できないじゃん。授業をまともに聞くのは馬鹿らしい。でも昼寝がばれて教師に怒られるのはもっと馬鹿らしい。

 昼休みになり三人でお弁当を食べようと窓際の席に集まる。ふと黒崎流奈を見ると一人きりだった。

「ねえ。黒崎さんも誘っていい?」

 辰野満里奈と松坂希美は机をくっつけながらいいよー、と返事をする。噂とかを特に気にしない。二人のこのさっぱりした性格が明日香は好きだった。

 「黒崎さん。私たちと一緒に食べようよ」

 流奈に近づき笑顔で話しかける。柔らかい、優しい笑顔で。一瞬こちらを向いたものの無視される。昨日もだけどもう少し愛想よくてもいいんじゃないの。そっちがそういう気なら、と流奈の腕をつかんで立たせる。一瞬、体がこわばり、すぐに緩む。ちょっと強引すぎたかなとは思ったけど以外にもあっさり流奈はついてきた。つかんだままの流奈の腕は細い。

 満里奈と希美が机を四つくっつけて待っていてくれた。二人の自己紹介に流奈が返事をする。そういえば黒崎さんの声を聞いたのはこれが初めてだな。流奈はコンビニの菓子パンをひとつしか持っていなかった。三人そろって大丈夫かと聞くも華麗に無視される。それでお腹空かないのか心底不思議だったし、あまり美味しくなさそうにもそもそ食べている。栄養を口に運ぶだけの作業みたいに。


 *


 黒崎流奈はノートの端にぐりぐりと黒い丸を書いて遊んでいた。教科書に書いてあることを教師が読み上げて黒板に書く。黒板に書いてあることを手元のノートに書き写す。なんでこんなことさせられるんだろ。最初から全部教科書に書いてあるのに。わざわざノートに書かなくても教科書の内容ならほとんど覚えていた。スマートフォンもパソコンも持っていない。本や漫画を買ってもらえるわけでもない。そうなると暇つぶしは教科書を読むくらいしかなかった。三年生の教科書もすでに暗記してしまうほど読んでいる。一限目の現代文はほとんど寝ていた。

 流奈の授業態度は間違いなく不真面目だ。でも成績はとてもいいから教師に咎められることはほとんどない。

 退屈な授業を四回受けた後、昼休みのチャイムが鳴る。朝と夜は英司と一緒に食べるので作っているが昼はコンビニで買っている。月に四万円渡される生活費。そこから二人分の食費とトイレットペーパーなどの消耗品費。諸々のお金を引いて余ったお金が流奈のお小遣いだ。もちろんほとんど余るわけもなく昼食はいつもパンかおにぎり一つだけだった。お弁当を作ればいいのはわかっているが朝に弱い流奈にお弁当を作る気力はなかった。

 一人でご飯を食べようと思ったら窓際から久保明日香に声をかけられる。明日香の周りには流奈の知らない女の子が二人いる。特に行く気もなく、顔だけ向けてすぐ前に向きなおった。すると明日香が近づいてきて腕をつかまれ立たされる。

「話したくないなら話さなくていいから、一緒に食べよ?」

 明日香の腕は父の強引な腕と違いとてもやさしかった。なんとなくその温かさにほだされて一緒に食べることにした。窓際にはすでに四つの席がくっつけられている。そこまで連れていかれると座っていた二人が自己紹介してくれた。

「初めまして、辰野満里奈です」
「松阪希美です。一応一年のとき同じクラスだったんだけど覚えてないかな」

 覚えてない。私も名乗ったほうがいいのかな。話さなくてもいいとは言われたけど名前くらい言ったほうがいいんだろうな。

「黒崎流奈です」

 消え入りそうな小さな声で言う。三人はにこにことこちらを見ている。

 席に座ると空いた窓からひんやりとした春風が吹いて心地いい。持ってきたコンビニのパンを一つ机の上に乗せる。三人は目を丸くしてそれだけでいいの?と聞いてくる。こういうことをいちいち聞かれるのがめんどくさい。三人の疑問には特に答えず、黙々とパンを口に運んだ。


 *


 松坂希美は自分の席から、教室の真ん中の席に座る流奈を見る。ほんときれいな顔してるよなぁ。斜め後ろからだとはっきりと横顔が見えるわけではない。それでもわかる。すっと通った鼻筋、大きな目、白い肌。きれいな長い黒髪。高校生にもなると先生にばれないように化粧をしている生徒も何人かいる。だけど流奈は間違いなくすっぴん。

 絵を描くのが趣味の希美は人の顔の作りや表情の変化をよく見ている。この子の顔、書きたいな。スケッチブックを出そうと思ったら帰りのホームルームがちょうど終わった。

「希美、今日バイト?」

 そう聞いてくる明日香にうん、とだけ返す。満里奈はチャイムが鳴ってすぐに部活に行ってしまった。

「そっか。満里奈も今日からまた部活だし、寂しい帰り道だなー」
「ほんとに思ってる? それ」

 軽口を言い合える友達がいる。それだけでこの学校生活は楽しい。明日香はじゃあ、またあしたね、と教室を出て行った。私もバイト行こうっと。


 *


 アルバイト先のコンビニの制服に着替えて肩まで伸ばした髪を一つに結ぶ。タイムカードを押した。いらっしゃいませー。少し高い声を出しながら商品を並べたり、レジ打ちをする。高校に入ったときからお世話になっているアルバイト先。仕事内容はもう慣れたものだった。

「松坂さん、休憩はいっていいよー」

 店長にそういわれ裏の事務所に行く。ふう、と一息つくと店長も事務所に入ってきた。

「今日は店内、落ち着いてるね。たまにはこんな日もありだよね。そういえばさ、希美ちゃんってうちの社員試験受けるんだっけ?」

 バイト先の店長、松坂義弘は希美の父親の兄。希美から見たら叔父にあたる人物だ。少しおなかが出ているがその恰幅のよさが逆に親しげに見える。店内では店長、松坂さん、と呼ぶ決まり。けれど事務所で二人になるとどうしても叔父さんと姪という関係がでてしまう。

「はい。そのつもりです」
「そっかそっか、まぁ希美ちゃんはこの2年真面目に働いてくれてるしきっと受かるよ。がんばってね」
「ありがとうございます。がんばります」

 しかしあくまでもここでは店長。希美は敬語を崩さずに返事をしていた。

「でもさ、希美ちゃん、絵はほんとにいいの? もし、行きたいと思っているなら奨学金だってあるし、少しくらいなら俺も援助できるんだよ」

 叔父の優しさは身に染みてわかっていた。この申し出がなんの見返りもない純粋な善意だってことも。義弘には結婚して二十年の妻がいるが子供はいない。不妊治療もしたが実を結ばず、あきらめた。自分たちに子供がいない分、親戚の希美や希美の弟妹たちのことをかわいがってくれている。

「いいんです。絵なんて学校に行かなくても描けるし。どうせお金を使うなら私より妹と弟に使ってあげてください」

 高校では美術部に入らない。そう決めた時、進学もしないと決めていた。私はもう決めたんだ。決めたんだから、迷わせないでよ。揺らいじゃうじゃん。

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