最終話 私たちにできること
「ポップコーンにバターかけていいよね?」と涼子に聞かれた。
「うん、大丈夫だよ」
週が開けてからの水曜日、私と涼子はとあるシネコンにいた。営業時間は短縮されたものの、ここは週明けから営業を再開した。県から行動自粛要請のあった土日と、今日とで何がどう違うのかわからないが。いまも不要不急の外出は控えるべきだろう。しかし、どうしても今日だけは涼子と一緒に映画を楽しみたかった。月が変わり、今日は四月一日、映画の日だ。それにエイプリルフールでもある。冗談を言うことも憚れるいまの世の中で、作り物の映画を、いわばおとぎ話を涼子と共に見たかったのだ。お互いにマスクをして、館内に入るときにも消毒をする。防備は徹底。自分が感染しないためにも。他の人にうつさないためにも。
「この前、『ジョーカー』のことで感情的なことを言っちゃったけど、それから間を置かずにこれを見るのも何かの縁かも」と涼子がロビーを歩きながら、ポップコーンを頬張って言う。
見に来た映画は『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』。『バットマン』の世界の中で、ジョーカーの彼女であるハーレイ・クインを主人公としたものだ。悪いやつらばかり出てくるアンチヒーローな映画だが、こんなセレクトでも涼子はついて来てくれた。
「でも、いまから見る映画は去年見た『ジョーカー』とは関係ないんだよね」
「そうだよ、ややこしいけど。『スーサイド・スワッド』っていうイマイチな映画があって、それの世界の話で、そっちに出てくるジョーカーは、涼子と一緒に見たジョーカーとはまったく違うんだ」
「へえ。どんなジョーカーなの?」
「なんだろう、存在感が薄くて血色の悪いパンク? 少なくとも涼子はあのジョーカーには共感しないと思う」
「なるほどね。映画に詳しい友達がいてよかったよ」
友達。私たちにとって、今日の映画は、映画館で一緒に見る最後の作品かもしれない。昨日、私と涼子は電話で話し合った。自分たちにできることは何か。私たちには人命を救う技能はない。エンターテイメントで人々を笑顔にすることもできない。寄付できるようなお金もない。守るべき、養うべき人のために働いてもいない。ならば、いまできることといえば、感染しないこと、人にうつさないことだ。涼子は、私に会うことを「要も急もある」と言ってくれた。私にとっても、涼子と会うことは、不要不急なんかじゃない。でも、私たちが外で出会おうとすることで、感染拡大を加速させてしまうとしたら。話し合った末、私と涼子は明日からしばらくの間、外で会うことも、互いの家に行くことも、控えることに決めたのだ。政府の要請などは関係ない。自分たちで考えた結論だ。お互いに直接顔を会わせるのは、もしかしたら今日で最後。だから、今日は大事な日なんだ。映画の日で、レディースデーでもあるが、私たちには、涼子と結衣の日だ。
「本当は結衣と隣同士で座りたかったな」
この映画館も感染拡大防止のため、座席は一つ空けてしか売ってくれない。私と涼子は間に一席おいた横並びで座った。そのことを忘れてポップコーンは一つしか買わなかったことを悔やんだ。
「私はあんまりお腹すいてないから、涼子が食べなよ。実はバターないほうが好きだし」
「え! じゃあ、バターかけるのが好きな私に合わせてくれてたの? これまでずっと」
「いやいや、別にたいした話じゃないでしょ。なんか、いい話みたいにしないでくれる?」
「ちょっと感動」
「そんなことで感動されても。言わなきゃよかったなあ」
場内が暗くなる。予告編の間、ふっと横を見た。涼子はポップコーンをパクつきながら、スクリーンを見つめている。隣同士じゃない分、じっと見てても気づかれない。この子と仲良くなれて本当によかった。私はウイルスに感染した。重症ではなかったけれど、辛く苦しい経験だった。だが、いまは回復し、前を向いている。いろんな人に助けてもらったが、特に涼子がいなければ、だめだったに違いない。
「ねえ、結衣」
「うん?」
「今日は誘ってくれて、ありがとね」
「こっちこそ、来てくれてありがとう」
症状はまた再発することもあり得る。世の中もこれからもっと厳しくなるかもしれない。でも、それでもだ、いま私には確信がある。だめになりそうになっても、また前を向けるという強い確信が。涼子が友達なら、なんとかなるんだ。映画館だから声には出せないが、私は心の中で叫んだ。
「バカヤロウ! 私たちはここにいるぞ!」
戦いは続く。打ち勝つその日まで
×××
あとがき
この短編小説の連作は、二〇二〇年三月一八日から一九日の二日間をかけて書いた『私には要も急もある 羽田涼子VS新型ウイルス感染症』に登場したキャラクター、結衣を主人公としたものです。『私には要も急もある』は三月一九日前後に私が見聞きし感じたことを投影しましたが、それから日に日に状況は変化しております。そのため、あらためて状況の変化を見据えながら、今度は連作という形で日々感じたことを更新しつつ書いていきました。涼子や結衣の置かれている状況は、他の場所や立ち位置、特に一部の外国に住む方々に比べれば非常に甘いものかもしれません。ただ、ある状況において涼子や結衣のような感覚を持ち、日々を不器用ながらも実直に生きる人たちはいるだろうと、その思いを想像し、創作の形で描写したつもりです。
本作の最終話を書き終えたのは、二〇二〇年四月一日です。つまり、その時点までの世の中の情勢を踏まえての私の考えと感覚にすぎません。これから先の変化によって、まったく異なる状況の訪れや価値観の変容もあるでしょう。そうなれば、本作で描かれた思いや価値基準は意味をなさなくなる可能性もありますが、いつかゆっくりとこの災難を振り返れるときには、本作に込めた、当時の感情を一つの記録として眺めたいと思います。私自身、多少混乱しながら書いたもので、私小説とエッセイが混在したいびつな作品になってしまい、お見苦しい部分もあったかと思います。それでも、最後までお読みいただけましたら大変うれしく、感謝いたします。
二〇二〇年四月一日 日本のとある街より