第六十七話 偽りの過去(前編)
焔は溜めていた力を一気に解放し、虎牙に向かって突っ込んでいく。だが、虎牙は動揺することなく、冷静を装っていた。
(大体は把握していたが、やっぱり速いな。トップスピードに至るまでの過程が極端に短い。というか、ないに等しいな。今までのこいつの動きを見てなきゃ面食らってた……だが、この距離なら何とか対応できる。今までの戦い方を見る限り、こいつ離れている相手に対して、この加速力と小さい体を武器に素早く相手の懐に入って、スピードに乗ったパンチ一撃で相手を戦闘不能に至らしめる。今回もこういうスタイルで来るはず)
虎牙の読み通り、焔は加速を緩めることなく、虎牙に向かって行く。そして、ある程度の距離まで詰めると、肘を曲げ、右拳を腰の位置に待機させ、殴る準備をした。それを見た瞬間、虎牙は自分の読みが当たり、緊張が高まる中、思わず笑みをこぼした。
(当たりだ!! 後はこいつが攻撃してくる寸前に横に移動し、あばらを折る。これだけのスピードだ。急に止まったり、フェイントなんてできるはずがない。こいつの攻撃を交わした時点で、勝ちは確定したも同然)
予測が確信へと変わった虎牙は、己が立てた作戦を実行するべく焔の動きに全神経を注いだ。焔の射程距離に入るか入らないかのところで、焔に動きが出た。腰をひねり、更に肘を折り畳み、拳は胸の高さまで上がった。虎牙はそこから大体の軌道を読み、左側、焔から見て右方向に勢いよく飛び出す。
焔の拳はものすごいスピードで虎牙の横をかすめ、空を切り、アッパー気味の軌道を描く。その威力を肌で感じ、若干顔が引きつる虎牙だったが、それと同時に安堵にも似た笑みがこぼれる。
(勝った!!)
そう悟った瞬間、未だ飛んでいた虎牙はすぐさま体勢を焔の方向に向け、左手で狙いを定め、右ひじを折り畳み、拳を脇に携えた。砂埃を上げながら着地した虎牙は若干の微調整を加えると、完璧に準備を整えた。
(お前は確かに強い……だが、全ての動きがシンプルすぎた。それじゃあ俺には勝てない!!)
虎牙は強く拳を握り直し、全力で焔のあばらを折ろうとした瞬間だった。焔が全くの予想外の動きを見せた。
勢い余った拳をそのまま利用し、左足を軸にし、腰をひねり回転を加えた。勢いよく下ろした右足は虎牙の方向を向いていた。焔はその回転を利用し、先ほどよりも威力のある一撃をまさに振り下ろさんとしていたのだ。
そして、今まさにその一撃が振り下ろされた。
砂埃を上げながら、虎牙の姿は後ろの方に消えていった。焔はその場で佇み、砂埃の中をジーっと窺う。砂埃が薄れていくと、段々と虎牙の姿が見えてきた。
虎牙は焔の変則的な動きを見てすぐに攻撃する拳を防御に回していた。何とか前腕の背の部分で焔の一撃を防ぎ、クリティカルは避けていた。だが、防いだ腕は小刻みに震えていた。
(ヤバいな。防いだとはいえ、物凄い激痛じゃねえか。どうする? あんな化け物にどんな手が通じるってんだ!!)
焔の人間離れした動きに作戦を練り直そうとする虎牙だったが、実際に焔と対峙し、一度の戦闘でもう悟ってしまった。
あいつには何をやったって勝つことが出来ないと。
そんなことが頭にチラつきながらも、必死に考えを巡らせる虎牙だったが、当然何の策も浮かぶことはなかった。
「そんなもんかよ、堂林虎牙ってのは」
空虚な廃工場に焔の声が響く。砂埃が風と共に消え、悠々と佇む焔に虎牙は当然の疑問をぶつける。
「お前、何で俺の名前を、フルネームを知ってるんだ?」