黄金羊は喜びも愁いも胸の奥に
帝都近郊
クーゼル演習場
帝都周辺は温暖な気候とアーク山脈からの豊かな水が流れこみ、肥沃な平野が続く。下流に南部諸侯領があり、その先に帝国に従属する小国家郡がある。
黄金の野に立つ帝都シルバーヌ。
その黄金の下は死屍累々の帝国の歴史…離宮の下に眠る巨大迷宮『黒き聖宮』。
『黒き聖宮』の守護者として、神獣『覇王弩竜』がいる。
収穫の季節になれば黄金の麦畑が大地を埋め尽くす。
帝国全土に巡る大動脈がこの都にたどり着く。
すべての道はこの都の続くのだ。
帝国を横断する帝国鉄道が帝国領内から多くの人を乗せ物資を運び、黄金を讃える穀倉地帯を抜け、帝都を囲む湖の上を走り帝都のシルバーヌに至る。
帝家の直轄地にクーゼル演習場は存在する。
ここは北部と帝国中央との境界線に程近い場所である。
平野の先に巨大な魔獣の森がある。
帝国騎士団の演習相手として重宝されている大型魔獣が多く存在し間引きも兼ねている。
帝国騎士団魔導騎兵達の演習地となっている。
この先、『危険』と立て看板が書いてあるが、中央の帝国軍人は絶対足を踏み入れない領域だ。
演習地に足を踏み入れるのは、自殺志願者か、魔獣の森での狩りをする冒険者という密猟者か…帝国騎士団を探る間者か。
見つかれば命の保証はない…例え帝国人だとしてもだ。
この先には悪夢のような左遷先であり、『死地』であるからだ。
演習地の平野、魔獣の森のを抜けると、悠久の時を流れる大河アークラインが渓谷を作り上げている。
この先には、帝国の生命線が二つもある。
一つは、対『悪魔』の最前線『ラーピリス戦域』があり、その先に放棄せざるを得なかった『迷宮都市イグルー』が存在する。
東にクナイツァー家の領都ファティニールと西に領街ルブール…ここは、西部大公家の公都モンドバールの玄関口であり要衝だ。
帝国中央の無理な出兵のせいで陥落したイグルー砦と迷宮都市イグルー…クナイツァー家の要衝の一つ人類生存競争の最前線だった地だ。
その先にあるのは…人が失し世界『聖都』があり、世界樹が聳え立ち…天空城があったと言われている。
帝国は、クナイツァー家に損失の対価は払っていない。
手切金程度を払っただけだ。
…それをケチったから顎門騎士団の報復にあい、帝家の権威は失墜したと言われている。
イグルー以南に広がるラーピリス戦域を共同で『守護』しているのは、帝国北部軍管区とクナイツァー家の顎門騎士団だ。
帝国で、騎士団と名乗る事を許されているのは、帝国府は当然として、大公三家とクナイツァー家だけとなっていた。4家のみである。
時の権力者達でさえ己の私兵集団を騎士団と名乗ることは叶わなかった。
東部公 ミッドライツ大公家
西部公 ダルツヘルム大公家
南部公 アインスベルト大公家
北部公は存在しない。
クナイツァー家は西部大公の分家であるのを帝国で知らない貴族はいない。
200年前の皇帝の実弟が西部大公となり、その大公の三男が家を起こし北部辺境伯となった。時の皇帝の甥にあたるのが初代クナイツァーである。
クナイツァー家が北部公に一番ふさわしい家柄であるが、西部公の力が強くなり過ぎるのを恐れる余り200年誰も口にしなかった。
当時のいらない者…貴族家、騎士爵家の次男三男…溢れもの達の厄介払いの就職先として重宝されたのが始まりである。
当時の貴族家にとって、都合の良い貴族家として何かと便宜が図られた。
邪魔者を送り込める先であり、最前線の防衛に当たってくれる実に都合の良い集団だったのだ。
帝国騎士団の魔獣専門部隊が顎門騎士団の源流であり、発足当時は帝国騎士団の外縁部隊程度の実力しかなかった。
200年後、両者の実力、力関係は見事に逆転し、帝国最強の軍事集団になると誰が予測出来ようか。
帝国北部軍管区でも左遷先で有名な部署であり、危険な最前線。
大型魔獣が闊歩し…数少ないシュバリエを投入する環境ではない、かと言って高額な魔導騎兵を惜しみなく投入する度胸もない。
消去法の結果、中央から左遷された貴族軍人が、冒険者を『帝国軍属』として雇い 日夜、『古き領域』監視している状況だった。
冒険者達は、高給で釣られて来たものの…いつ命を落としかねない状況から、砦内の治安も悪く左遷組の貴族達は知らん顔であり、士気が低かった。
彼らが脱走したり、暴れ出すと士気の低い帝国軍では抑え切れなってしまう…その時、真打登場である。
顎門騎士団が『帝国府からの要請』という大義の元、督戦隊として…逆らう者がいなくなるまで数を減らす業務に精を出すのだ。
冒険者にとって、士気の低い帝国軍人はどうとでもなるが、シュバリエで構成されている顎門騎士団は…離反兵、脱走兵として問答無用とばかりに容赦無く殺しにくるので恐怖の対象だった。
常に後方でぬくぬくと育った帝国府の御坊ちゃまシュバリエではない、最前線で戦える本物のシュバリエが魔獣と戦うのではなく、自分達を監視するためにいるのだ。
魔獣に殺されるか、顎門騎士団に殺されるか…自分が帝国騎士団軍属から、帝国軍人になれるという破格の条件に騙されたと気づくのだ。
軍属から、正規の軍人になれるものも一定数いるが…宝くじに当たるより確率は低いかもしれない。
彼らは、死んでも殉職扱いされないことが多い為、正確な人数がわからないからだ。
クナイツァー家は、帝国貴族システムで一子爵にすぎないが、元は北部辺境伯であり…シロウドは、現役の大都督である。
ここ数十年、帝国大本営に足を運んでいないが、彼の『役職』と『執務室』だけは健在である。
年金が支払われているかは、誰も知らない。
無駄な金だと声をあげた貴族達もいたが、首と体が分離してしまう珍事が度々発生した。誰も何も指摘しないないこと常識となり、掃除の行き届いた執務室には『噂』が一人歩きし遂には誰も近寄らなくなった。
もう一つの生命線は、帝国の水源であるアークベルテ湖である。
帝国中央としては看過できない状況なのだが、アークベルテ湖の主である神獣『水龍帝』を刺激することなど御法度であり、領地として支配するクナイツァー子爵が顎門騎士団を構え睨みを利かせている状況は絶望的であり、何事も起こらない様に調整する事が中央の役人の仕事だった。
『アークベルテ湖』は、水の一族であるクナイツァー家の守護龍『水龍帝』の社であり、命の源であるを湖を手放すはずがないのだ。
帝国府は、ラーピリス戦域同様にクナイツァー家に共同管理の打診をしているが相手にされたことなど一度もない。
ラーピリス戦域を監視しているの帝国軍、ラーピリス戦域の帝国軍を管理しているのはクナイツァー家顎門騎士団。
魔獣から逃げ惑うばかりの帝国軍の救援要請先は、クナイツァー家顎門騎士団。
表に出せない大金でお願いし救援してもらうのも、戦果を譲ってもらうのも、帝国中央の役人の腕の見せ所…帝国府の金庫が空になるのも、いつもの事。
相手にされるはずがない。
武力で奪う事も、経済力で締め付ける事も現帝国府では不可能だ。
西部大公家とクナイツァー家、その寄子である北部諸侯を合わせれば、帝国中央の勢力に迫る戦力と経済力を持っており、内乱を恐れ何も出来ないのが実情だった。
北部にはもう一つ巨大な湖がある…世界最大の人造湖ルンバール。
この世界の空の行き来する飛空艇の生産拠点であり、クナイツァー家が発掘した前時代の遺物、旧世界の証明である魔煌艦隊の母港でもある。
アーク山脈からの雪解け水が豊富に流れ込み、帝国一の貯水量を誇るアークベルテ湖と最大の人造湖ルンバール湖。
クナイツァー家と西部大公家の巨大運河構想などがあり、下流の南部諸侯をはじめ帝国府、属領に対する圧迫力があった。
クナイツァー家の水利は、軍事力、経済力以上の効果があった。
水龍帝の加護を受けた大河の流れを帝国中央は苦々しく思うが、なければ生きていくことも出来ず、かと言ってクナイツァー家と揉めれば自分の命がいくつあっても足りないのは容易に予測出来る。
頭の良い帝国中央の役人は、臭いものに蓋をし『平和』である事を祈り、ハト派路線を切望しているのだった。
遠い昔…人が『神』に抗っていた事など誰も知らない…学問として一部の者が知るだけの『平和』な時代が続いていた。
彼らが何処に行ったのか…禁忌に近い学術論争になるだけだ。
予測される事実は…おそらく絶望だから…
ドォーーーン
ガシャーン
大質量の金属がぶつかり合い、鈍く重い振動が全身を貫いてくる。
ドォーーーン
ドォーーーン
魔導騎兵が戦っているのだ。
模擬刀で打ち込みをし、相手が受け流し打ち払う。
人型兵器、魔導騎兵。
対『悪魔』決戦兵器であり、帝国の主力戦力である。
30年前の聖都奪還作戦の撤退時に初めて実戦投入された。
演習地の林の中を…散策、とある人物を捜索している人影。
帝国軍軍服に高級参謀を示す略章をつける青年将校。
金髪の育ちの良さそうな好青年。
「目を離すと、すぐこれだ」
ボヤく顔も絵になる青年は、ある高級将校を探していた。
目下捜索中の高級将校による魔導騎兵隊の視察の予定が…肝心の視察しに来た当人が姿を晦まし…誘拐されるほど弱くないので心配はないが、女癖が悪いので…心配だ。
ブツブツと金髪の青年がぼやき続ける。
散策…捜索を続ける。
ため息をつきながら、魔導騎兵の練度を自慢しようとしている将軍達をすっぽかして雲隠れしている上官を探す金髪の青年。
金髪の青年が探している男は…”草”からの報告を受け取っていた。
その報告を受ける為に、演習で一番人の注目が集まる魔導騎兵の演習を使い、視察をすっぽかした。
彼にとって査問官の仕事より重要だからだ。
その男は紙切れを握りしめて、木陰で声を押し殺し感涙にむせていた。
”嘘ばかりの世界に、信じていた願いが叶った”
「殿下!!」
いきなり、声をかけられ心臓が飛び出しかねないくらい驚いたが、冷静対処する。
それが、この歳まで生きてこれた処世術だ。
男は、タバコに火をつけるフリをし紙切れを燃やした。
慌てる素振りを見せないよう注意をしつつ…タバコを蒸す。
欲しい情報は手に入った…この紙切れはもう意味がない。
「ここにいたのですか!?」
青年将校は、タイミングを見計って声をかけた。
従者としての配慮だった。
「タバコが逆ですよ」と、揶揄うのも考えたが野暮なので何も言わなかった。
木立の中に、遠視出来る自分には彼が”草”からの報告を受けているのがわかった。うっすらと魔力残滓があり何らかの接触があったのは容易に想像できる。
青年将校も数少なくなったシュバリエであり、貴人の護衛を任される程の力量なのだ。
「シューベルトか…脅かすなよ」
殿下と声をかけられた男は、金髪の青年の顔を見て緊張から解放された。
シューベルトは、探しましたよと言わんばかりの顔をしつつ
「将軍達が、殿下を探しています。…騎兵の視察で、騎兵の模擬戦闘を見ないのは問題ですよ。」
あぁ…殿下と呼ばれた男は、少しばかり首をもたげ…そうだな、まずいかと、他人事のように装い惚けた。
その男の胸には、黄金の羊の紋章が入った略章が掲げられていた。
「タバコが吸いたくてな…」
トリプルAをトリプルBとして、偽る男。
最凶のシュバリエと互角以上に戦えるであろう最強のシュバリエ。
冴えないバカ殿様を演じる男。
それが、彼の処世術。
彼は、皇帝になりたいと思った事などない。
筋肉質の体に、厳つい顔は今上帝の若い頃を彷彿させると言われる男。
金色というより茶色の髪が、属性の証。
赤く黄金色に輝く髪、帝家に二人しかいない土の属性支配者の一人。
シュバリエが颯爽と歩き出す。
「ふふ、仕事に戻らないとな…」
彼は、自嘲気味笑う。
”今日はなんて気分の良い日なのだろう”
天気は、季節外れの雷雨の影響か淀んでいたが、雲の隙間からさす一条の光さす光景に胸を躍らした。
彼は、歩む。
一歩、一歩…いつかの日か。
黄金羊は未来を信じていた。
紙切れ一枚に書いてあった言葉に未来を信じた。
その紙切れには、ただ一行書かれてていただけだ。
『母子共に無事、若君なり』