老いた狼は嗤う 2
城塞都市顎門
次元の狭間『聖櫃』
「タンタ、続けるように」
シロウドレイの声が静まり返った裁断場内に響く。
「…は、はい、お屋形様」
タンタは汗が滲む額をハンカチで拭いながら、持って来た書類を開きアブローラの体調とレインの体調のこと、経過報告を話し始めた。
皆が聞きたいことは、ただ一つ。
居合わす者達は、待ちきれなくてタンタを急かしたい…のだが、お屋形様の前でタンタを締め上げる事など出来るはずが無い。
ぼそぼそ…
ぼそぼそ…
喋るタンタに、やきもきしながらも聞き逃してしまわない様に耳を澄ましていた。
皆が一心に顎を食い縛り耳を立てていた。
「若様は、氷と雷の適性を持つ生まれながらの魔力待ちでございます。」
家臣たちの緊張の魔気が最大限まで孕んだ瞬間、
どん!
弾けるかの如く室内の空気が明らかに変わった。
家臣達が一番聞きたかった知らせが届き、皆胸を踊らせる。
”我らの未来のお屋形様が持たざる者の筈がない”
”選ばれし魔導騎士に決まっている、初代様から続くシュバリエの血統なのだ”
”我らの血にも、流れている選ばれし駿馬の血統なのだから”
だが、不安があった。
強すぎる魔導騎士から生まれてくる子は、逆に魔力を持たず生まれてくることが多い。血をつなげていくよりも、能力を繋げていくことの方が難しい…と言う現実があるのだ。
レインの母親は、領主シロウドレイの孫娘である『氷結の雷神』の二つ名をもつ知らぬ者がいない帝国屈指の魔導騎士、シュバリエランクダブルAのアブローラである。
帝騎を纏う聖騎士の一人であり、天使『ディルボラーン』持ちである…その経緯は何れ語られるだろう。
水属性と風属性の属性門を持ち、クナイツァー家の血統の象徴でもある水属性門の支配者である。
冷却と雷を得意とする、放出系統魔導士『広範囲殲滅者』である。
沸きあがる歓声の中、タンタも負けじとプルプル震えながらも声を上げる。
「若様は、シュバリエランクBでございます。」
「「「…」」」
先程までの歓声が、嘘のように静まり返った。
ギロリと、タンタを睨みざわめき立つ家臣団。
”ランクB…つまり、ダブルBの下のシングルBだというのか。”
”ダブルAのアブローラ様から、ランクBが産まれたというのか?”
”侯爵家が選んだお相手ではないのか?”
”まさか、お相手は持たざる者だったとでも言うのではないだろうな?”
”そんなバカな!?…我等はどうすればいいというのだ。”
「ふむ…」
腕を組みし瞑想しているかの様に、じっとしていたシロウドの口が開いた。
「それは、帝国貴族院に提出する予定の出生報告の内容じゃ。」
シロウドレイが、閉じていた両目を片目だけ見開いた。
「うむ、生まれてきた子の確認出来た属性門は三つ、シュバリエはランクAだ。」
家臣逹は目を見開きポカーンと口が開いたままだ…シロウド様、今何と?と、そんな顔だ。
はっ!と我に返ると両隣の同僚と驚き合う…
これは、夢か?魔力酔いでもしてしまったのか?
目を閉じたら、ベットの上で夢だったと言う悪い冗談にならないか。
「水、風、地の3属性を持つ複数属性持ちのシュバリエじゃ!」
ぐふふ…と、どうじゃ?どうじゃ?とシロウドレイがこれ見よがしに笑う。
家臣逹の表情が、パァッと破顔しシロウドレイの話の続きを期待する。
男子で、複数属性持ち…天才ブルームレイ以来なのだ、驚かない方がおかしい。
「帝国歴史上屈指のシュバリエになる、我が家の跡取りに相応しい氷結のシュバリエになるだろう!」
ふぅーと大きく息を吸い込み満面の笑みで宣言する。
「大当たりじゃー!」
「「「おおおぉー」」」
家臣達から歓声が上がる。
シュバリエランクAであり、属性門は水、風、地の複数属性持ち…まるで、考えられる最強のシュバリエだ。
三属性持ち…シュバリエイーター間違いなしだ。
対シュバリエ戦となった時、属性持ちが一属性のみだと天敵属性に苦労するが、生まれて来た子は苦手属性で無理に戦う必要ない、相手の不利属性を駆使すればいいのだ。
母親は、アブローラ…広範囲殲滅者であり否が応にも期待が膨らむ。
シュバリエは、母親の能力に影響を受けて生まれてくる。
適切な属性を切り替えて戦えるのは、圧倒的なアドバンテージとなる。
シュバリエランクAとは、単純に魔力量だけではない適性も重要であり4属性の魔導は使える素質があるのが基本である。
因みに、アブローラは我が儘一杯に育てられたので得意の水と風しか使いこなせない…苦手ものは絶対しない、絵に描いたような悪い例だ。
『属性門支配者』には劣るかも知れないが、火と地の『魔法』はいうに及ばず『魔導』を、操る素質はあるのだ。
『属性持ち』には負けることがないと判断されるのがランクAの実力だ。
シロウドレイは、属性魔法を何一つ使うことが出来ない。
使える魔導は、一系統のみ。
それでも、最強のシュバリエだ。
その話はここでは割愛する。
あまりの大盤振る舞いに家臣達のざわめきは止まらない。
言葉は悪いが、シュバリエランクAである若君の子を産む娘達次第で、いくらでも高ランクシュバリエが生まれてくるのだ。属性持ちゆえの相性問題のハードルは低い。
北部は水龍帝の加護を色濃く受け水属性持ちが多い…次に多いのが風属性となり、地属性と続く…火属性持ちは数少ない。
水属性同士ならば持たざる者が生まれてくるかも知れないが、アブローラの子には、風属性と地属性の素養があるのだ。
まず、持たざる者が生まれてくることはない。
これが、水属性のみの若君だとしたら、ここまでの歓声は湧かなかっただろう。
帝国は『神獣』の魔力波動の影響を受けているせいか、東西南北の出身地で主属性強い傾向がある。北は水属性、東は火属性、西は風属性、南は地属性と言う具合だ。
水、風、地の複数属性持ち…クナイツァー所縁の一族は火属性と相性が極端に悪い。
火と水で属性同士で潰しあってしまうので、子が出来ても持たざる者が生まれてくるのが普通だ。
だが、母親が火属性のシュバリエランクAならば、どうなるだろうか?
史上初の4属性持ちのシュバリエが誕生するかも知れない。
4属性持ちのシュバリエは、歴史上記録にない。
あるとしたら、伝説の中に登場する『純血の召喚士』様ぐらいだ。
天才と称され、初代様の再来と言われたブルームレイと同じ、水、風、土の3属性だ。
但し、ブルームレイは規格外で、3属性門支配者だった。
おそらく、歴史上彼だけだ。
『属性持ち』と『属性門支配者』とでは、格が違う。
魔力持ちが使える理を『魔法』という。
そして、『魔法』の上位互換とも言うべき理が『魔導』である。
『属性持ち』と言われる者が行使する『魔導』は、彼らシュバリエの圧倒的魔力量においても1日あたりに行使出来る量には限界がある。
だが、魔導の深淵と言われる『属性門』を垣間見た者は、その無限の魔力を行使できる様になると言われている。
分かりやすく言うなのば、『門』を開きっぱなしに出来るものを『属性門支配者』と呼び、無尽蔵の魔力を使え魔力切れをしないと言うことだ。
ペットボトルの残量を気にしなければならない者と、水道の蛇口全開しっぱなしの差だ。
実際には、魔法とは魔力だけを使うわけではないので、自ずと使用限界があるのだが。
ペットボトルも蛇口も何れ壊れる、力のかかる方がより壊れるのが早い理屈と同じだ。
それは適性もあるので一概には言えず、高ランクシュバリエほど限界が高いのが現実である。
高ランクシュバリエに掛かれば、持たざる者数万の兵も消し炭になるしかないのだ。
シュバリエは、戦術兵器であり、戦略兵器としても抑止力としても効果的なのだ。
レインのシュバリエの将来性に俄然注目が集まる。
「まさに、選ばれし者!!」
筆頭騎士アイズベルが追随する、おべんちゃらではない本気でそう思っているのだ。
先の戦いで多くのシュバリエを失い廃絶した家もあった。
強いシュバリエは少ない…魔力適性の低い/弱い両親から産まれて来るのだ、産まれて来る子が弱いのは当然だった。
しかも男子の数は少なく…親子ほどの歳の差どころではなく、孫と祖父ほどの歳の差の夫婦から生まれてくる事が話を複雑にした。
夫婦ならまだ家督問題を考えると致し方ないと諦めざる得ないが、それは大人の問題であって生まれてくる子には関係ない。
自分の生まれに苦しむ事が多く…帝国離れの温床になりつつあった。
『家を継がせる為に仕方なく作った子。』
愛人を囲う者が多い事実が、嫡男を孤立させ種違いの兄弟との家督争いが家の繋がりを弱めていく…そして、源流である帝国を弱体化させるのだ。
帝国貴族家で発生している問題は、その家臣家にさらなる重荷になっていたのだ。
シュバリエを出せない為に爵位を返上するの者、一陪臣になる者…寄り添う家に力がなければ全て失うのだ。その従者や領民達は全てを失いかねないのだ。
帝国はシュバリエの損耗の回復が軌道に乗らず弱体化に歯止めがかからなかった。
シュバリエは帝国の武力外交を支える国力そのものだ。
失って等しいシュバリエの力。
今、北部に圧倒的なシュバリエが生まれたのだ。
しかも、男子だ…相手を見繕えば、幾らでも優秀なシュバリエが生まれてくる時代が来る。
レインが成人し、子を成しその子が成人する時代は、傷ついた顎門騎士団にとって第二の黄金期となる突破口になる…決して、夢物語でないはずだ。
これで浮かれるなと言うのが酷だ。
浮かれている家臣団の中で、筆頭文官であるダーチベルの疑問のピースは、まだ揃わない。
”なぜ、過小評価して帝国貴族院に報告をあげるのだ?”
下駄を履かせる…申請する能力は、過大評価し報告するのが常識だからだ。
これは、帝国貴族家がシュバリエでない者に家督を継がせることを認めないのが遠因である。
シュバリエの質と量が大きく低下したのは帝国府の失政に原因がある。
出生時の報告義務と帝国学院入学時のシュバリエの能力検査は、自己申告が適用されるのが常識となってしまい実能力が不明であり有耶無耶にされるのか慣例になっていた。
”あの日…若君が生まれた日、深夜に何かが起こった。”
ダーチベルの視線は、お屋形様でなく主治医のタンタに向けられていた。
選ばれしシュバリエ…これが本当に揃ったピースなのだろうか。
”失神した者が続出したのだ。深夜であったから、その程度で済んだのではないか…巨大な魔力波動で、一瞬とは言え城塞都市顎門が麻痺したのだ。”
ダーチベルは、普段から愛想のいい男では無いし目立つ男では無いのだが、祝いの席で頬を引きつらせながら微笑む姿は明らかに浮いていた。
”人類の砦が、麻痺をする…そんな事があっていいのか、だが…お屋形様は気にしている素振りも見せない…下の者が動揺するのを避ける為なのだろうか?”
『落雷の影響で、魔導高炉が逆流し魔力波動が溢れ失神者が出た』
と、公式発表が出ているが真実は誰も知らなかった…筆頭文官であるダーチベルでさえも知り得ない。
シロウドの命令で、発表したに過ぎないのだから。
ダーチベルの脳裏に一瞬の閃きが舞い降りた。
”まさか…若君は、…若君もか?”
ピースの醸し出す光景は…クナイツァー領の未来を照らせないのではないか?
ダーチベルの脳裏に、若かりし時見た…黒き翼を広げ恐怖を撒き散らす幻影が浮かんだ。
天使だ。
帝国に一物持つ男に、ランクAのシュバリエという最高クラスの戦術カードを帝国が許すのだろうか…生まれきた子は男子…しかも、天使持ちだとしたら。
過る不安が、全てを知る男、全ての決断ができる男に向けられた。
「…それは問題になりませんか?」
ダーチベルは、シロウドの口角が上がるのが見えた。
”この質問は、お屋形様が望んでいたものだ”
と、ダーチベルは確信した。