白き狼が舞い降りた 前編
城塞都市顎門
シロウドレイ主務室
人払いの済んだシロウドの主務室に、タンタは呼び出されていた。
石壁には魔獣のトロフィーと刀がかけられ、死して尚放つ魔力波動がまるで冷気ように突き刺さってくる…タンタ呼び出される度に身が引き締まる想いに駆られる…魔力を持たない者なら気絶してしまうことだろう。
タンタがトロフィーに視線を向ける、魔獣の瞳が自分を睨んでいるような気がしてゾッとした。嫌な汗が背筋を出る。
この部屋の主人は、壁のボードからグラスを取り出しタンタに渡す。
緊張した面持ちのタンタは、ゴクリと唾を飲み込み。頭を深々下げ受け取った。
「…ご馳走になります。」
蚊の鳴くような声で呻く。
とくとく…
とくとく…
グラスに酒が注がれる。人の命より価値の高い魔導酒だ。
”この量で一体何ゴールドなのだろう…”
タンタは、生唾を飲み込みながらなみなみと注がれるグラスを見つめる。
”治癒ギルドの特級の薬が買えるのでは無いか?”
唇を噛み締め凝視していた。
真っ赤な果実酒のように見えるが、炭酸のように湧いてくる泡は金色に輝き空気に触れると消える。
鼻腔をくすぐる、それはまるで麻薬だ。
災厄の魔獣の臓器から作られる秘蔵酒である。
治療ギルドの最高峰の技師であり、本家の主治医でもあるタンタに主人が声を掛ける。
年齢は50前後であり、ブルームの従者の一人だった。
ブルームレイ フォン クナイツァー…究極招喚をし、人類を救った白銀の召喚士であり、クナイツァー家の次男だった。
…だった、彼は帰ってこれなかった。
究極召喚の対価として…自らの命を燃やし龍騎士となり消えていった。
タンタは若かりし頃、大遠征に従者として従軍させてもらえないことを泣き自決も考えた。
何故、自分が従軍出来なかった理由を、主人から渡されたブルームの手紙によって知った。
遺書になってしまった、その手紙を読み…二度泣いた。
クナイツァー家に絶対の忠心を向け、本家の主治医まで上り詰めたタンタ。
バチバチ
バチバチ
暖炉の火が爆ぜる。
照明が落とされ、爆ぜる炎の虜になってしまいそうになる。
揺らめく炎…火を恐れない人がこの世界の支配者になった。
火…魔煌色の煌く火、蒼白く燃ゆる魔煌の輝き。
タンタは、ふと壁に飾られてある魔獣のトロフィーと視線があったような気がした。
まるで魔獣が笑っているように見える…ドキッとしてしまうのは、アルコールのせいか、最凶のシュバリエが目の前にいるせいか。
タンタは怖くなりグラスに視線を戻した。
「で、どうなのだ?」
ぐいっと一杯煽るシロウド。
「若君は、アブローラ様と彼の方の間に生まれたお子様なので…その、やはりというか。」
彼の方というフレーズに、シロウドは眉をひそめる。
「父親は不明だ。帝国貴族院には、そう報告せよ。」
ガンッとグラスをテーブルに置き、酒を注ぐ。
早く飲めと顎でタンタに急かす。
「は、はい。」
ゴクゴクと自分の年間収入の酒を飲み込む。
タンタのグラスに赤い酒が金色の泡を浮かべながら踊る。
「…はい。ですが、その…」
ドォーん
ピカッと雷鳴が響く。
ゴロゴロ…と、暗雲の中を迸る。
「ふぉふぉふぉ。雷帝が力んでおるから精霊達が震えておる、季節外れの雷雨じゃな…」
アブローラの魔力波動を受けた水の精霊が共振しているのだ。
若き雷帝の誕生を祝っているのだ。
「ダブルBくらいになると報告すれば良いじゃろ?アブローラの時は婿殿が、はしゃいだせいで上手くいかなかったがの。後先考えずに下駄を履かせよって…」
ガリっと食いしばっていた歯が鳴った。
「邪魔ばかりしおって!」
シュバリエのランクが存在し、最高ランクをAとしB,Cと続く。
シュバリエランクに、Dは存在しない。
シュバリエとして求められる能力を有してない者の蔑称して使われる事はある。
シュバリエとは、魔導騎士のことを指す。
魔導力であり、魔力そのものがランクを裏付けるものではない。
魔導…力、つまり、魔力によって導き出せる力と言えば分かりやすいだろうか。
その力が、強いほど高ランクであり、帝騎、魔導騎兵と呼ばれる人型兵器を纏える力が高い事を示している。
帝騎や魔導騎兵をを纏い戦うのだ…古き領域の支配者である『悪魔』との生存競争を生き残る為に。
帝国貴族は、生まれた子供の出生報告の義務がある。
報告のなかった子には、家督継承に制限がついてしまうのだ。
正妻から生まれなかった子供がお家騒動を起こすのを未然に防ぐ意味合いが強いが、帝国が先の大戦で失ったシュバリエの確保に躍起になっているのも事実だった。
30年経ってもシュバリエの量も質も回復しないのだ。
強いシュバリエほど、生まれないのだ。
血筋もさることながら、親からの遺伝が大きいので高ランクのシュバリエは、高ランクのシュバリエからしか生まれないのが基本だ。
突然変異で生まれることもあるが、歴史上数える程しかない。
そして、突然変異の高ランクシュバリエの子は、大抵何も力のない普通の人間、『持たざる者』だ。
「それが、その少し難しいかと。」
両手を拝むかのように合わせ、その手の隙間からシロウドに恐る恐る報告する。
「まさか…まだ腹の中なのに、すでにAなのか?」
ギョロッと目を見開くシロウドと、こくっと視線はシロウドに合わせながら頷くタンタ。
「お屋形様と同じ…トリプルA…確実かと」
タンタの意味ありげな発言に目を瞑り酒を煽る。
凄まじいなぁ…ふふふ
と、独り言のように口走った。
「若様はアブローラ様の子宮を魂の揺り籠とし母胎に器を馴染まさせる為、通常の倍の時間をかけて成長しております。」
タンタは一気に吐き出すと、大きく息を吸い込み持論を展開する。
「…あの方の属性も引き継いでいるようですので、精密検査しないと正確なことは言えませんが、簡易検査だと…おそらく属性支配者の資質ありかと。」
唾を飲み込み言葉を慌てて繋いでいく。
「あぁ、勿論…水も風も可能性はあります」
その報告を聞きシロウドが頭を搔く…髪の毛は既にないが。
「土属性の支配者か…尚更知られる訳にはいかんな。」
土属性の支配者は、ここ三十年で一人しか生まれていない。
生まれるだろう一族に生まれていないのだ…その理由は想像の域を出ないが大ハズレでもないのはシロウドの情報機関からの報告で判明していた。
「我らは、水属性支配者が二人、土属性支配者が一人…」
シロウドがほくそ笑む。