②
夜明け前と言うのに、ギルドホールは活気に満ち溢れている。
前もこれくらい、と言いたいところだが目玉商品がここ数ヶ月で塗り替えられた結果だ。
一応、競りの進行役が立つ壇上、受付は確保出来ていても、あとは買取予定の冒険者達で埋め尽くされている。
前は、市場関連の連中ばかりだったのに、えらい違いだ。
(それだけ、スバルのポーションパンは人気だしなぁ?)
その中でも、少し前に職員のミントから一つだけ購入した『メンチカツサンド』は群を抜いている。
他にもある高確率の効果付きもだが、今見えてる冒険者達の大半はそれを狙っていた。
「予約された方達はこちらです! 今お渡ししますので料金をお忘れなく」
準備が出来たのか、職員がそう叫ぶと一部の冒険者達が急いで受付の方に向かった。
途中、ぶつかるかなんかで押し問答があったりもしたが、競りの方も時間がないので気をつけろとの注意程度。
以前なら、こんなことはなかった。
「ぜーんぶ、スバルの効果ってかぁ?」
まだアシュレインに来て、店も開かせたにしたって三、四ヶ月程度。
彼がこの街に来なければ、商業とは言えギルドにこれだけ冒険者達がひしめき合うことなど、考えられなかった。
今日少しぶりに会いに行くが、予定を変更されたので時間はそこそこある。
ロイズは受付後ろから目標を探すも、この人混みじゃ大して見えやしなかった。
(まあ、いいか。競りの開始宣言辺りで見つければ)
実際、予約の受け渡しが終わった頃に、その予感は的中した。
「お前ら、待たせたなぁ!」
『うぉおおおおお!』
『待ちくたびれたぞギルマスぅ!』
『早く始めてくれぇ!』
「うっせぇ! 今から始めっからお前ら黙れ⁉︎」
時間が来て、競りの開始宣言を言い放った後のやりとりもいつものこと。
ギルドマスターとして、進行まで行うと他の業務に差し支えるのでこれだけしかできないが、見た目がいかつい分騒がしい冒険者達を落ち着かせるのにもってこい。
職員達の一部はまだまだ若手なので、ミントも含めてこういった叱責役には向かないからだ。
「今から、メンチカツサンド及び高確率の補正効果付きのポーションパンの競りを始める。今日も効果は抜群だ。良い値で買ってくれよ?」
そう言い放った後に結局歓声が上がるも仕方がない。
スバルの手がけるパンはどれもこれもが美味揃い。加えて、冒険者が喜ぶポーションの効果付きともなれば金を注ぎ込みたくなるのもわかる。
今は休職中でも、ロイズも冒険者の端くれだからだ。
「では、進行を私シャッツが務めさせていただきます! ギルマス、お疲れ様でした」
「おぅ、あとは頼んだぞ」
「はい! メンチカツサンドは本日残数があと4つ。はじめは銀貨60枚から──」
宣言が終わってから職員と入れ替わり、壇上から見えてた目標の人物に足を向けた。
ギルドホール全体が人混みだらけなので、いちいち注意するのも面倒だから突き進む。
やがて、ひときわ目立つ赤髪が目に入ると、移動を少しだけ早くした。
あと少しで手が届く距離になれば、迷わず対象人物の腕を掴む。
「え、誰⁉︎」
驚かれるのは無理ないが、ロイズはすぐに自分の近くまで引き寄せた。
「よ、エリー?」
ゆるい波打った赤髪が美しく、勝気そうな紫の瞳もロイズの目に入ってくる。
エリーと呼ばれた冒険者の少女は、ロイズだと分かると瞳を少し丸くさせた。
「ろ、ロイズさん⁉︎ お、おはようございま」
「挨拶はいい。お前に用があっから、上に来い」
「け、けど、あたしまだ何も競り落としてなく」
「狙ってんのは知ってる。まあ、いいから来いって」
有無を言わせずに引きずり、また元来た道を無理に進んでいく。
エリーも、途中ゴツい冒険者連中にぶつかりはしたが、先にロイズがいたのであまり咎められはしなかった。
ホールを抜け、踊り場の階段を上がり、ギルドマスターだけが使える執務室と応接間のフロアに連れて行く。
中に入ってから、ロイズは彼女の腕をようやく離した。
「もぅ、一体何ですか⁉︎ あたし、今日の競りは絶対落とすって決めてっ」
「まあ、待てって」
もったいつけるわけでもないので、腰に下げてる
その包み紙が見えたのか、エリーも喚いてた口を黙らせてしまってた。
完全にポシェットから取り出したそれを、ロイズはためらうことなくエリーの前に差し出す。
「ほら、目当てのもんだろ?」
エリーの反応に少し笑いながらも聞けば、彼女は
そして、ロイズとメンチカツサンドを交互に見た。
「ど、どうしてこれを……⁉︎」
「ミント達から聞いてたからなぁ? 予約もだが、競りもスカしまくってたんだろ?」
それだけ、このメンチカツサンドを欲してたのはロイズの耳にも入ってきてた。
他にも理由はあるが、ひとまず彼女の右手を掴んで無理に握らせた。
「早めに来たのを取り置き出来たんでな? やるよ」
「お、お金は払いますって⁉︎」
「いいっていいって。ただの顔見知りじゃねーし、今回だけだ」
「け、けど、このポーションパン結構高いはずじゃ」
「まあ、高いなぁ?」
このメンチカツサンドは味も抜群だが、効果が他の中でも群を抜いている。
通常のポーションでも希少価値の高いのに、普通のパンを製造する過程で生み出された至高品。
予約でも競りでも、最低銀貨60枚からスタートさせているくらいだが、今日の効果値は90%もする。金貨一枚でも安いが、別にロイズの給金を考えれば払えなくもない。
「ギルマス権限使っただけだし、いいって。それより、お前が今挑戦中の
「な、何でそれを!」
「昔からのよしみだろ? 向こうのギルマスも心配してたぜ? ランクは俺に近づいてきてても、お前はまだ成人して二年だ。経験値はどうしたって浅い」
だから、このポーションパンに頼りたかったと、冒険者ギルドのマスターはエリーのことを心配していた。
孤高の狼もとい、ランクBのソロ冒険者。
挑めなくはないが、あの
「それと、このメモ見とけ。製造した錬金師が客一人一人に配ってるもんだ」
まだ言い訳をする前に、ミントから受け取っておいたパンへのメモ書きも忘れない。
これも無理矢理握らせれば、ざっと見た彼女は驚き過ぎたのかすっとんきょうな声を上げた。
「こ、ここここんなにも値高いのぉおお⁉︎」
「スバルなら、これくらいお安い御用みたいだぜ? なにせ、ヴィーの弟子だしなぁ?」
「……ヴィンクス=エヴァンス氏の弟子」
スバルの師を言えば、エリーも多少落ち着いたのか今度はじっくりメモを読み出した。
「使用期間は最低一日……ですか」
「普通のと違って全部食いもんだしな。そこは勘弁してやってくれ」
「いいえ、それは大丈夫です。ですが、やっぱり料金は払わせてくだ」
「だーから、今回だけだって」
やはり言うと思ったので、すかさず彼女の柔らかな髪に手を置いてぐりぐりと撫で付けた。
(まったく、人に頼ろうとしなくても真面目なやつだ)
冒険者になる前からずっと知ってたが、幼少期はもっと明るかった気がした。
その性格が一転した原因はもちろん知ってるが、あまり口にしたくはない。
「ま。
今日は行く予定があるし、試食会だからたらふく食える。
それを思うと、金貨一枚出したところで釣り銭出るどころか儲けもんだと思っていた。
が、ロイズは致命的なミスをしていた。
エリーは喜ぶどころか、メンチカツサンドを胸に当てながらがっくりと首を折ったのだ。
「…………けど。あそこの店員って全員男ですよね」
「……すまん。忘れてた」
彼女が何故競りにこだわった理由があるのを思い出した。
すぐに謝っても、エリーはだんだんと体を震わせていく。
「ろ、ロイズさんは大丈夫です。あ、あたしが大半の男がダメだからぁああ!」
エリーは、幼少期の事件がきっかけで大半の男に恐怖を抱く体質になってしまっている。
表面上は問題がないのだが、ロイズのように付き合いが長い相手でないと対象外にはならないくらいに。
まだ会ったことのないラティストやスバルを想像したようで、少しずつ涙目となり小刻みに体を震わせた。
「落ち着けって! 俺も無理にとは言わねーが、あっちにもメンチカツがあるらしいって聞いたからよ」
「そ、そそそ、それは聞いてます……で、でも、美形店員目当ての先輩達が買いまくるとか聞いてたのでぇえ!」
「……あー、そうか」
最近の売り上げ状況は耳にしてなかったので、そこは盲点だった。
店長のスバルも人気ではあるが、美青年の象徴とも言われてるラティストには負けるらしい。
だが、そのどちらもエリーには恐怖の対象でしかないときた。
ここは煽らずに、退室させた方がいいだろう。
そう思って声をかけようとしたが、エリーが急に黙ってしまった。
「……けど、気にはなってました」
震えを収めて、しっかりと顔を上げてロイズと目を合わせてくる。
「貴族や豪族もお忍びで来るくらいの、とても美味しいパンだって。値段も、ギルドに卸す以外は安価だとも」
「……ああ。包装の関係とかでも、もって1日かそこらだ。が、全部美味い」
強い眼差しに応えるように、ロイズもきちんと答えた。
エリーは、近いうちに行くかどうかはわからないが、しばらくしてからロイズに向かって腰を折った。
「メンチカツサンド、本当にありがとうございます! ダンジョンの攻略、頑張ってきます!」
「おう、頑張れよ」
どっちにしても、励みになったのか受け答えはしっかりしてる。自分の
「さて、仕事の続きすん前に一服」
ベストのポケットからタバコを取り出したが、背後から伸びてきた薄紫の靄に持っていかれた。
「おっま……ルゥ⁉︎」
すぐに振り返れば、全身薄紫の靄でも女性の形をした精霊がロイズのタバコを指でくるくると回していた。
『吸う本数減ったからって〜、仕事始めに吸うのは良くないわよん?』
「ほっとけ! つか、返せ」
『やだぁ〜』
「おい!」
ルゥと呼ばれた精霊は、紙タバコをくしゃりと握りつぶしてから火の魔法で消失させてしまった。
あれが手持ちの最後だったので、残りは自宅だ。
だが吸う気にはもうなれなかったので、髪をかくしかない。
「んで? 精霊寄越してまでの用件はなんだよ、冒険者ギルドのマスター?」
聞くと、精霊はふんわりと微笑んでからまっすぐに応接用のソファへと腰掛けた。
『もうスバルちゃんがこの世界に来て三ヶ月以上も経つでしょうー? 試食会に行く前に、色々整理した方がいいんじゃないかなって』
「……まあ、一理あるな」
時の渡航者として来てからまだ数ヶ月程度の青年。
実際には、少女のような可憐な男だがまだアシュレインに馴染んでそれだけしか経ってないのだ。