62 脱出3
ヤマーダさんと副所長は余裕の笑みを浮かべて悠々と乗り込んできました。
「全員揃っていますか?」
ヤマーダさんの声に騎士が小さく頷きました。
どうやら作戦は成功したようです。
後はなるべく早く出港するだけですが、実際に動き出すまで心臓がバクバクして貧血を起こしそうなほど緊張してしまいました。
「出港!錨をあげよ!」
その声を聞いた途端、涙が出てしまったのは仕方がないと思います。
後は打ち合わせ通り沖まで移動し、夕方まで停泊してからイーリス国に向かうだけです。
沖に停泊している間にシージャックする予定ですが、船員たちは何も疑問を感じていないようですから、熟練の騎士達にかかれば簡単に制圧できるでしょう。
私たちは会議室に集まって、夕方までじっと息を殺していました。
港を離れて数時間後には、部屋の外でバタバタと音がしていましたが、呆気ないほど早く制圧は完了したようです。
アンナお姉さまが会議室に入って来られました。
「完了しました。もう自由ですよ。ご苦労様でした」
船員たちはほぼ無抵抗で落ちたようです。
イーリス国での身分と仕事を保証すると言ったら、とても素直に寝返ったそうです。
こんなところにも国の弱体化が伺えますね。
静かに走り出した船の甲板から小さくなっていく街の明りを眺めました。
私の両隣にはジョアンとエスメラルダがいます。
『上手くいきました。二日後にはハイド領に到着する予定です』
私はサミュエル殿下に頭の中で報告しました。
『ご苦労だったね。良かったよ。安心した。カーティス兄上もサリバン博士たちと合流してこちらに向かっている。ルーカス兄上は裁判を引っ搔き回した後で、怒って席を立ってすぐに出国したよ。国境に待機していたワイドル国軍とはもう合流したはずだ』
『予定通りですね』
『ああ、後は叔母上に頑張っていただこう』
私はエヴァン様との婚約を白紙にしたあの日から初めて、心から安心できました。
私とエヴァン様の分の夕食をもってエヴァン様が寝かされている部屋に行きます。
「エヴァン様、夕食ですよ」
「ああ、ローゼリアか。寝てるだけだからあまり腹は減ってないけど君と一緒なら少し食べようかな」
「ええ、きちんと食べないと傷の治りも遅くなりますからね」
「わが愛しの妻はなかなか夫の管理が上手なようだ」
エヴァン様はそう言ってベッドの横に座った私の手を握りました。
その手の温もりが本当にうれしくて、私はエヴァン様の頬にきすをしました。
「よく頑張ったね。本当に大変な日々だった。今だからいえるけれど、何度ももうここで死ぬんだなって考えたよ」
「エヴァン様…」
「君が生きる心の支えだった。ありがとうローゼリア」
「私もです。エヴァン様、本当に生きていてよかった」
「ああ、恐らく私の足には障害が残るだろう。でも私は文官だからそれほど困ることもないと思っている。出張中の怪我による障害だから、有給だし見舞い金も補償金もぶんどってやるかな。そうそう、王宮の階段の横にスロープを作らせよう。でもそうなると王都で暮らすことになるから君の領地のこととかいろいろ考えなくてはいけないね」
「ええ。それにマリア王女とアランのことも考えないといけません」
「あいつらのこと?何だったら今からアンナに言って海に投げ捨てる?」
「いやっ!それは…」
「そう?全然いいと思うけど。まあ、ローゼリアが寝覚めが悪いなら諦めよう。きっと君のことだからハイド領で暮らせるように手配するつもりなんだろう?」
「ええ、アランを代官にしてはどうかと思うのです」
「信用するの?」
「明日にでも一緒に話してもらえませんか?二人の様子を見極めてから決めたいと思うのです」
「ああ、その方がいいね。物凄く厳しい目で見極めるよ」
「それと地質研究所のことですが…」
「うん。私もずっと考えて一つのプランに辿り着いたのだけれど、これはローゼリアの同意が必要だからじっくりと話したいと思っていたんだけど、聞いてくれる?」
「もちろんです」
「ジョアンは頑張って話せるようになってきたけれど、かなり無理していると思うんだ。まだ幼いし父と母から離すのは可哀想だ。たぶん母上が手放さない」
「そうでしょうね」
「我がドイル家は領地を持たない伯爵家だ。そして君のワンド伯爵家は広大な土地と地質研究所、そして交易港を有している」
「そうですね」
「でも私はこの体だし王都を離れるわけにはいかない。そして君とも離れたくない。そうなると君が領地経営をするのは難しい。ここまでは良い?」
「はい」
「幸い父上は凄腕の経営者だ。交易も商品開発も絶対に上手く回すと思う、だからドイル家とワンド家を交換するのはどうだろう。ドイル伯爵家がワンド領を経営する。そして私とローゼリアでワンド家として王都で暮らすんだ。ジョアンは君の後継者として地質調査研究所を担いつつドイル家を継ぐんだ。どうかな?」
「え?でもそうなるとエヴァン様は?」
「私はワンド家に婿養子に入るよ」
「エヴァン様が婿入りして下さるのですか?」
「うん。君はドイル家が持っている商会の経営をしてもいいし、商会経営はララ夫婦に任せて今のまま子供たちの先生として研究所に勤務してもいいと思うよ」
「ドイル伯爵がお許しになるでしょうか?」
「絶対って言えるけど反対はしないさ。できればエスメラルダとジョアンを婚約させて一緒に行かせたい。あの二人なら脳内で会話できるだろ?無理して喋る必要が無いからジョアンの心も休まるだろう?もちろんエスメラルダも楽なはずだ」
「それは本当にそうですね。無理に頑張っていたジョアンは痛々しかったですから」
「そうか、それほどジョアンは頑張ったのか」
「ええ、本当に頑張りましたよ。褒めてあげてくださいね」
「父上たちにはワンド領から全体を統治してもらって、ハイド領の代官をアラン達にさせるのが理想だけれど、アランはまだしもマリアがどう変わるかが問題だな」
「そうですね…私は卒業以降お会いすることも無かったのでなんともいえませんが」
「ああそうだね。私は何度かあったけれど見る影もないほど大人しくなっていたよ。しかも今回の事件でかなり消耗しているだろうし。マリアはアラン次第だな」
「良い方に変わって下されば良いのですが」
「そうだね。もしローゼリアがそれでいいなら伯爵家同志の領地交換については問題ないよね。皇太子は私が動かすから」
「まあ!素敵です。私は大賛成です。私としてはできれば研究所の仕事を続けたいと思っています」
「では明日のアラン達との面談で決定だな。もしもダメだと判断したら他の方法を考えよう。まあ、代官を誰にするかだけだから何とでもなるさ」
「そうですね。ああ!なんだか夢みたいです!」
「あっ!そうだ。一番大事なことを後回しにしてしまった!」
「えっ!なんですか?」
「ローゼリア・ワンド伯爵、私エヴァン・ドイルと結婚してください。できれば婚約期間など設けずに、すぐにでも一緒になりたい!」
「はい、喜んでお受けいたします。でも結婚式はエヴァン様の怪我が完治してからですね」
「そうか…早く治そうっと!」
私たちは微笑みながら誓いのキスを交わしました。