61 脱出2
極秘に出国する計画を実行する日がやってきました。
ジョン殿下やノース国兵士たちの注意が私たちに向かないように、カーティス皇太子が同じ日に派手派手しく帰国する事になっています。
そして気づかれても追手がかかりにくいように、テレサ王妃殿下がすぐに赤色と黄色のおバカ兄弟の断罪を始める手筈です。
しかしジョン殿下が私たちの出国と軍艦乗っ取りに気づく可能性もあるので、全員が緊張して港に向かいました。
一緒に出ては目立ちますし、エヴァン様はまだ起き上がることもできませんから馬車での移動になります。
エヴァン様は一緒の馬車に乗るように言ってくださいましたが、私は副所長と一緒に最後に乗り込むことにしました。
「エヴァン様、ジョアンとエスメラルダをよろしくお願いします」
「うん、とは言っても私は動けないからね。せいぜい子供たちに迷惑をかけないように、いい子にしているよ。ローゼリアは最後になるのかな?心配だ」
「ええ、全員の乗船を確認してから副所長と一緒に乗船します。それまでは街中を調査している振りをする予定です」
「そうか、君は責任感の強い子だからこれ以上何を言っても無駄だろうね。怪我をして動けないわが身が情けないよ。でも無理だけはしないでくれ。何があっても自分の命を優先するんだ。それだけは約束してほしい」
「わかりました。もしも一緒の船に乗れないという状況が発生しても、必ず無事に帰国します。必ずエヴァン様のもとに帰ります」
「ああ、愛しているよローゼリア。帰ったらすぐに結婚式だ。いいね?」
「はい、楽しみです」
私たちはお互いの無事を祈りながら、それぞれの予定行動を開始しました。
エヴァン様たちはヤマーダさんの店に行き、食料などの物資の搬入に紛れて乗船します。
調査員達は物資搬入の作業員に扮して、騎士達は民間の護衛に成りすますのです。
私と副所長は街中の被害状況を調査しつつ、昼食に立ち寄った態でヤマーダさんの店に行き、副所長は料理人の服装で、私はワイン樽の中に入って最後に乗船します。
出船予定時刻は13時で、何らかのアクシデントが発生した場合は、一度沖に出て待機する事になっています。
沖に停泊して15時まで待っても合流できなかった場合は、躊躇することなくイーリス国に向けて出発するという計画です。
私たちが一番恐れているのは、ジョン殿下に計画がバレて追撃されることです。
しかも私たちが乗る軍艦の乗組員はジョン殿下の配下ですから、かなりきわどい綱渡り計画となります。
出航自体はテレザ王妃殿下の命令で、王太子たちの弾劾中は陸からの砲撃が届かないところまで移動すると通達が出ています。
しかも操船に必要な最少人数に絞ることと、訓練も兼ねて初心者を中心にメンバーを組むように指示が出されていますから、後は騎士達が制圧してシージャックするのみです。
私と副所長がヤマーダさんの店に入って20分程度経ったころ、軍艦から乗り組み成功の信号弾が打ち出されました。
これは訓練でも使用する信号弾だそうで、出航二時間前には実際に撃たれるものなのだそうです。
成功は信じていましたが、実際に信号弾の白い煙を見たときには、涙が出るほど安心しました。
「さあ、ローゼリア様。後は我々だけですよ。気を引き締めましょうね」
「はい、ベック副所長をこんな危険に巻き込んでしまって申し訳なく思っています」
「いやいや、刺激的で貴重な経験ですよ。それに実際に地震直後の地層サンプルも手に入りましたからね。こんなに素晴らしいお土産を持ち帰れるなんて嬉しいことです」
私を元気づけるように副所長が笑いかけてくださいます。
私は少しだけ心が軽くなりました。
副所長が料理人の制服に着替えるために席を外した時、予想外の人物に話しかけられました。
「やあ!ローゼリアじゃないか。一人かい?調査中?ああ、もしかしてランチかな?」
心当たりのあるその声は、今一番会いたくない人のものでした。
「ジョン殿下…こんなところでどうされたのです?今日は確か大事な行事があるのでは?」
「ああ、兄たちの裁判の事?あんなものは有罪に決まっているんだから出席する必要も無いよ。それより母上が何を恐れているのかマリア達を乗せた軍艦を沖に向かわせると言い出してね。先ほど出航二時間前の信号弾が上がったから見送りでもしようかと思って抜け出してきたんだ。良かったらローゼリアも一緒に見物しないかい?」
「私は副所長と待ち合わせをしていて、今日は一緒に調査に向かう予定なのです。ですから遠慮しておきます」
「そう?軍艦の出航はなかなか壮観なんだけどな…残念だ。それで?副所長はどこに?」
「今…お手洗いに?」
「そうか。では副所長が来るまで話し相手をしよう。そう言えばエヴァン卿の具合はどう?病院に行ったら宿舎で療養するように手配したなんて医者が言うから驚いたよ」
「ええ、安静にしているだけだから同国の人に囲まれている方が安心できるだろうと言って下さって。私も一緒に過ごせるので嬉しかったですわ」
「そうか、婚約者だったんだものね。でも婚約は白紙になってるでしょう?そこで相談なんだけど、良かったら私と婚約してくれないか?君となら上手くいくと思うんだ」
「えっ!それは…私には荷が重すぎます」
「そんなことはないさ。今からこの国は変わるよ。最初こそ母上の手を借りるけれど、私が即位した暁には豊かで自由な国にするつもりなんだ。ぜひ君に手伝って欲しい」
「…………」
私は何も言うことができず、俯いて黙ってしまいました。
言葉が浮かびません。
この人がエヴァン様をあんな目に合わせたのかと思うと、怒りがふつふつと湧いてきてしまいます。
そんな私の気持ちなどお構いなしに、ジョン殿下は私の横に座りなおして、私の手を握りました。
「ねえ、私は本気なんだ。一目惚れだったんだよ。何を犠牲にしてでも君を手に入れたくなった。そんな私の気持ちをどうか断らないでくれ」
ジョン殿下が私の肩を抱き寄せようとした時、後ろから声がかかりました。
「殿下、王妃殿下より大至急帰城せよとの事です。どうも被告たちが暴れているようで」
「なんだって?だから裁判なんかせずにとっとと殺せって言ったのに…。仕方がない。ローゼリアはまだ当分は帰国しないだろう?ああ、エヴァン卿は絶対安静だったね。時間はあるから、先ほどの件を考えて返事が欲しい。では私は行くけど、一人で大丈夫?」
「はい、一人で大丈夫です。どうかお急ぎください!」
「ああ、ではそうしよう」
ジョン殿下は私の手に唇を落としてから立ち上がりました。
おそらく私の顔色は真っ青だったと思います。
もしかしたら疑われているかもしれません。
ジョン殿下が帰ったふりをして様子を伺っている可能性も考慮するべきでしょう。
私はお店の前まで出て見送りをしました。
明るい笑顔を浮かべて馬上の人になったジョン殿下の背中が港町から見えなくなるまで、見つめ続けました。
どうやら本当に帰ったようです。
『危なかったわね、ローゼリア。あの子ったら変に勘がいいから…』
『テレサ殿下。ありがとうございます。おかげで助かりました』
『もう少しよ、気を引き締めて頑張りなさい。こちらではルーカスが大激怒している芝居をしているから時間は稼げるはずよ』
『はい、ではもう行きます。どうかお気をつけて』
私は急いで厨房に駆け込み、待っていた副所長に状況を説明して、すぐに出発することにしました。
私が慌てて樽に入ろうとしていたら、ヤマーダさんが港から戻ってきました。
「兵士の姿は無いよ。今なら走って乗船した方が早い。メイドの服に着替えてそのまま行こう」
私は急いでレストランのメイド服に着替えて港に向かいました。
ヤマーダさんと副所長が物資の確認をしている芝居をしている横をすり抜けて、私は甲板まで一気に走りました。
途中で船員と目が合いましたが、急いでいたので何か忘れ物でもしたのだと勘違いしたのか、何も言われませんでした。