7 修羅場!
もうすぐ最終学年になる私たちは、専門分野の選択科目が増えて忙しい毎日です。
卒業も近いアランはきっともっと忙しいのでしょう。
最近ではほとんど見かけることが無くなりました。
たまに見かけることがあっても、やっぱり王女殿下と一緒です。
あの二人が親密にしていると悲しいし悔しいです。
もう諦めるべきなのに、なぜ私はそんな気持ちになるのでしょうか?
『王女とアランが一緒だと悲しい?』だってアランは私の婚約者だから。
『アランを盗られるのが悔しい?』だってアランは私の婚約者だから。
『なぜアランが必要なの?』だってアランは私の婚約者だから。
『なぜアランと結婚するの?』だってアランは私の婚約者だから。
そこまで考えて呆然としました。
私はアランの婚約者だからとしか答えが無いのです。
アランのことがなぜ好きなのかと自問したら、優しいからと答えるでしょう。
でも世の中にはアランより優しい人がいるはずです。
エヴァン様しかりジョアンしかり。
でも私はアランに固執しています。
それはきっと、アランを失うことは過去の自分を否定することだと感じているからです。
自分の過去を否定することは、亡き父の思いを否定することのように思えます。
父は私に幸せな人生を送らせたかっただけで、決して縛り付けたかったわけではないと頭では理解しています。
理解しているのに固執する私は、一種のインプリンティング症候群かもしれません。
そんなことばかり考えているからでしょうか?このところ胃痛に悩んでいます。
何度自問自答を繰り返しても、すっきりした答えは出せないまま、アランの卒業まで二か月というある日、決定的な出来事がありました。
「ねえ、珍しいわね。今日は護衛の方達がいないわよ?」
ララと一緒に中庭でランチを楽しんでいた時、クラスメイトが言いました。
その子が指さす方を見ると、マリア王女殿下とアランがバラ園の方へ歩いて行きます。
ララがそっと私に目くばせをしました。
私も小さく頷いて立ち上がります。
今では惰性になっているアラン観察行動の開始です。
私たちは二人の後をついて行きました。
二人はバラ園の奥の方に進み、向かい合いました。
「アラン、返事を聞かせていただける?」
「マリア…愛している。僕が愛しているのはマリア、君だけだ」
「では一緒に来てくれるのね!」
「それは…できない」
「なぜ?私たちは愛し合っているわ!別れるなんて嫌よ!」
ララがあまりの衝撃に横で仰け反っています。
私の心臓はバクバクして破裂しそうでした。
「やっぱり婚約者を捨てることはできない。僕の家は彼女の父親に救われたんだ。あの時の援助が無ければ、この学園にも入れなかったし、そもそも貴族でもいられなかった」
「だからってあなたの自由を奪う権利は無いわ!」
「ローゼリアと結婚して彼女との子供に爵位を継承するのが、僕に課せられた義務であり責任なんだよ。彼女と結婚はするけど、心は死ぬまで君だけのものだ」
「領地のために私以外の女を抱くの?だったら私が父に言って援助するわ」
「援助か…それでも両親は納得しないだろうね。僕も彼女のことを嫌いというわけではないんだ。それは何度も言ったよね?ただマリアに出会ってマリアを愛してしまった。ハイド家に生まれた僕は恋をしてはいけなかったんだよ。こんなに別れが辛いなんて知らなかった。僕には恋する権利はないということを忘れてしまっていた」
「そんな!嫌よ!嫌!愛してるの!愛しているのよアラン」
「僕だってマリアを愛してる!恋なんて知らなかったし、することも無いと思っていた僕に、その素晴らしさを教えてくれたのはマリア、君だよ。君は僕の初恋だ。君を手放したくない!別れたくは無いよ!」
「だったら!」
そう言うと二人は固く抱き合い、深く長い口づけを交わしました。
その光景を見ていた私の心の中で何かが壊れる音がしました。
今にも飛び出してアランに掴みかかりそうなララを宥めて、私は静かに前に出ました。
「だったら?そうね、別れる必要なんかないわ」
二人は口づけを止めて驚いた顔で抱き合ったまま私を見ました。
「ローゼリア?」
「こっちはアランの将来のためだと思って黙っていたのに、何よ!自分ばかり被害者ヅラしないでよね!あなたにとって私と結婚することが義務?気が合うわね、私も義務だと思って我慢してたの!親が決めたのだから仕方がないって思って諦めてたのよ!自分だけが可哀想?バカにしないでよ!」
「ちょっと待ってくれローゼリア」
「ほんっとに頭にくる!援助だけでは納得しないですって?ちゃんちゃらおかしいわ!ふざけてんの?悲恋の恋人たちを気取って酔ってんじゃないわよ!」
「お黙りなさい!」
マリア王女がわなわなと震えながら言いました。
でも私は負けません!
一度深呼吸をしてから渾身のカーテシーで挨拶をしました。
「これはこれはワイドル国第二王女マリア殿下。ご機嫌麗しゅうございます。既にご存じとは思いますが、私はそちらで不敬にも王女殿下にしがみついております、アラン・ハイドの婚約者であるローゼリア・ワンドと申します。誠に申し訳ございませんが、ただいま婚約者同士で一生にかかわるとても大切な話をしておりますので、今しばらくお待ちいただくか、御動座賜りたく存じます」
マリア殿下はぐっと歯を食いしばって一歩下がられました。
「で?どうなの?」
「どうって?そもそもなぜ君がここに居る?」
「同じ学園にいるんだからどこにいようと私の勝手でしょう?それともここは二人だけの楽園で立ち入り禁止場所だったかしら?だったら使用中って看板出しておきなさいよ」
「ローゼリア、そんな言い方するなよ。確かに僕の行為は君にとっては不貞だろう。でも僕はマリアを…もちろん君とは結婚するよ。だから今は見逃してくれないか?王女殿下の前だ。不敬だろう?」
「はあ?アラン、あなた王女殿下の誘いを断ったら不敬になるから、いやいや口づけをしてたの?」
「違う!僕はマリアを愛している。彼女を傷つけることは許さない!」
「婚約者の私は傷つけてもいいの?」
「それはっ…」
「はっきりしなさいよ!」
「じゃあどうすればいいんだ!君と結婚するって言ってるだろ!それで義務は果たす」
「冗談じゃないわよ!なんであんたなんかに責任取ってもらわなきゃいけないのよ!失礼にもほどがあるわ!あなたの責任て何よ」
「君の父上に受けた恩義を返す責任だよ」
「じゃあお父様に直接返しなさいよ。私は関係ないわ。そもそもあんたみたいな不貞野郎に貰っていただかなくちゃいけないほど落ちぶれちゃいないわよ!指一本触れられたくもない!あんたは運命に引き裂かれる悲運の主人公?私に言わせればただの浮気者じゃない!最低よ!あんたみたいなクズ男はリボンでもつけて欲しい人に進呈するわ」
「ローゼリア!いい加減にしろ!」
私は肩で息をしながらアランを睨みつけていました。
アランもマリア王女を背中に庇いながら、青い顔で私を睨んできます。
その時私の後ろで声がしました。
「良く言ったローゼリア、惚れなおしたよ」
振り返るとエヴァン様が数人の騎士と一緒に立っていました。
「マリア王女殿下、護衛を遠ざけて男と二人で森に入るなど、王族としては感心しませんな。おまけに婚約者のいる男と恋愛ごっこですか?どうかしているとしか思えない」
エヴァン様の言葉にマリア王女は肩をピクッと震わせました。
エヴァン様の後ろにいた騎士がマリア王女の後ろに移動します。
「控えなさい!誰に向かって口を利いているのです」
「あなたのお姉様から許可はいただいていますよ?きっちりと常識を教えてやってくれってね。私はワイドル国女王陛下の代理として話しているんだ。自分の身分を振りかざすなら、その地位に見合う行動をするべきだろう?そんな判断もできないのか!」
ララが後ろで小さく拍手をしました。
女王陛下の名代だと言われてしまえば、マリア王女は口を噤むしかありません。
「さて、アラン・ハイド子爵令息。君が一番罪が重いな。それで?これからどうするのかな?」
「僕はマリア王女殿下と別れて、婚約者であるローゼリアと結婚します」
「だそうだけど、ローゼリアはどうするの?」
「お断りです!絶対に嫌です!まっぴら御免被ります」
「だってさ。もしよかったら王家が間に入って婚約破棄の手続きをするけど?」
アランが怯むんだ瞬間に私が答えました。
「ぜひお願いします」
「ローゼリア!」
アランは叫びましたが関係ありません。
「アラン・ハイド子爵令息もそれでいいね?だって熱く口づけしている現場を婚約者に見られたんだ。現行犯だもの申し開きもできないよね。しかもなんだっけ?結婚することで義務を果たすだっけ?」
「ぐっ…」
「ふざけるなぁ!テメエなんぞにローゼリアをやれるか!」
そう叫ぶとエヴァン様はずかずかとアランの前に行きました。
アランはエヴァン様のあまりの剣幕にビビって後ずさりしています。
「すまんが王女を引き離してくれ。お召し物が汚れたら大変だからね。今から起こることは我が国伝統の教育方法だから、目を瞑ってくれるとありがたい」
すると騎士が王女を自分達の後ろに下がらせて言いました。
「もちろんです。教育的指導の方法は国それぞれですから、我々は関与しません」
「感謝する。ではアラン君、歯を食いしばれ」
言い終わるより早く、エヴァン様の鉄拳がアランの頬にさく裂しました。
アランはその衝撃でコロコロと転がっていきました。
「今のは歓迎パーティーでローゼリアが流した涙の分だ。それとこれはずっと君たちの不貞現場を見せられ続けたローゼリアの痛みの分だ!このクソガキが!」
エヴァン様はアランの襟を掴んで立たせてもう一度殴りました。
「お止めなさい!それ以上は許しません」
「では婚約者がいると知っていて横取りしたあなたが代わりに受けますか?」
エヴァン様がギリッと王女を睨みつけました。
「ひっ!」
王女殿下は腰が抜けたように後ずさり、騎士に支えられました。
「どうする?アラン。君は私の信頼も裏切った。この学園の信用も落とした。国の威信を貶めたんだ。その責任はどうとるんだ?」
アランは鼻血を拳でグイっと拭いて立ち上がりました。
「でも僕がローゼリアと結婚しないと彼女の爵位が…」
「まだ言うか?君はきっぱり振られたんだよ。こっぴどく嫌われたんだ。それにしても私をここまで怒らせたのは君が初めてだ。君の名前は死ぬまで覚えておくよ。この国に君の居場所はない。そこで震えている王家の血筋だけが頼りの我儘な王女様にでも縋るんだな。ローゼリアは私が貰う。君のような性根の腐った奴に心配される必要は無い」
アランは真っ青な顔のまま立ち竦みました。
きっと彼の頭の中では親のこととか領地のこととかぐるぐると回っているはずです。
というか、今さらっとエヴァン様はとんでもないこと言いませんでした?
「ローゼリア…君の言う通り僕だけが縛られていたわけでは無かったことは理解した。もっと君と話し合うべきだった」
アランはそう言うと王女と一緒に立ち去りました。
遠ざかる二人の背中を見送った私は、緊張の糸が切れたように倒れてしまいました。