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四章の十二 次朗の奢りで焼肉屋へ。

 焼肉へ行く云々の話をしてから二週間後。
 一華と文花は、会社の正門の前で、次朗を待っていた。

「なんで次朗ごとき奴の計画で、動かにゃならんのだ」

 一華は正門の壁に(もた)れ掛かって、ブツクサと愚痴った。

「同感。むっつりマゾのために、貴重な週末の時間を使うなんて、考えられない」

 文花は腕組みしながら、一華と一緒になって、次朗批判に加わる。

「今、やらなきゃならない仕事が、たんまりとできたんだから……」

 文花は、意識の半分はここにあらず、みたいに遠くを見据えた。

「なんか、すごい話になっているみたいね」

 一華は、文花の邪魔をしないように、そっと会話を挟む。

「新しい素地の皿は、すでにインドネシアの工場で、生産されているらしいんだよ。つまり、デザイン待ちの状況なんだよ。なんで、新人の私に計画を投げるんだよ。本当に、正気かって言ってやりたいよ」

 文花の愚痴を、一華は黙って聞く。原因は、多分に一華にもあった。阪口に「蔦のデザイン、どう?」と意見を求められたのだ。
 ここいらで一華は、うすうす己の天賦の才に気づいていた。相談事を受けてアドバイスをする。アドバイスを受けた者たちは、皆、運気が急上昇していった。
 尾藤公季然り、阪口然り、文花もまた然りである。今回の幼児用食器の企画も、間違いなく成功するだろう。
 一華は、占い師でもやろうかと、結構、真剣に考え始めていた。

「うちの会社も、新しい事業に乗り出さないと、厳しいんじゃないかなあ。だけど、よかったじゃん。新しいプロジェクト・リーダーの誕生だね」

 一応は一華も、文花を急に忙しくさせた負い目があったから、まあまあと慰めた。
 文花は、一華が示した先の開けた道を思い描いてくれたのか、ぷうっと頬を膨らませながらも、納得しようとしていた。

「あれ、文花のお向いの席のガリガリじゃん」

 わざわざ一華は、正門から出ていこうとする、文花と同じ部署の男を指さした。話題を変えるには、ちょうどいい題材だ。

「やめなさいよ」

 文花は小声で制止し、一華の指さした右手も、両手で掴んで下ろさせた。
 ガリガリが、一華と文花のやりとりに気づき、軽く会釈してきた。一華と文花も同じように会釈し返した。そのままガリガリは、背を向けて歩いて行く。

「あいつ、文花だから、挨拶したんだよね。私になんか、挨拶すらしなかったんだから」

 一華は昔、ガリガリの研修に付き合ったのだが、そのときに嫌な態度を採られたと、未だに根に持っていた。

「私には、別に何にもしてこないよ」

 文花は、不思議そうにする。

「だから文花には、いつも向いの席で、変なことをしているって」

 一華は、自分の下ネタで吹き出した。

「もお、本当に最低!」

 文花が、軽蔑の感情をぶつけてくる。一華は、横を向いて受け流した。

「そういえば、おたくのところの三流ミュージシャン。今年の紅白とかって、出られるの?」

 文花は意図的に、憎まれ口を叩いてきた。ガリガリ話の仕返しなのだろう。

「恐らく尾藤公季は、出ないね。ラジオには出るけど、テレビには出ない主義だから」

 一華は、尾藤公季のスポークスマン的な立場で対応した。

「出ない――じゃなくて、出られないの間違いじゃないの?」

 やっぱり、意図的に憎まれ口を叩いている。

「出られないわけないでしょ。あんだけ売れたんだから」

 一華は、公季の話題に対しては、正統派な意見で返答した。

「あんな風に、勝手に他人を唄にして、恥ずかしくないのかしら」

 文花は、紅白云々の話題からは逃げて、話を蒸し返す。

「誰を唄にしたって? ちょっと、自意識過剰じゃないの?」

 さすがに、正統派の反論では追いつかなくなってきた。

「あ、そう。そこは、まだ認めないんだ。でもね、次やったら、本当に訴えるからね」

 文花は、凄んだ。一華は、知らぬ存ぜぬで、文花の反対側に顔を向けた。

「お二人さん、お待たせ」

 次朗が、満面の笑みで姿を見せた。一華は、次朗を睨む。「お前が遅れたせいで、変な責めを負ったんだ」と、次朗に(かず)けた。

「私、ちょっとお化粧室に……」

 文花が、もじもじして、会社の敷地内に戻っていった。

「ありゃあ、大きいほうだな」

 一華は「ひゃっひゃっひゃっ」と、いやらしく笑う。だが次朗は「文花さんは、大きいほうなんて、しない」と真顔で言い切った。

「お前。大丈夫か?」

 一華は、鼻で笑う。

「何が、おかしいんだよ」

 引き続き次朗は、真顔で返した。

「文花だって、こんなに太くて長いの、捻り出すんだぞ」

 一華は自分の右腕を、次朗の前で(かざ)した。次朗は「嘘だ、嘘だ」と、ぶるぶると首を横に振る。

「本当だって。前にトイレで、文花が流し忘れたのを、見たんだから」

 一華自身も、悪巫山戯(わるふざけ)しすぎていると思った。それにもかかわらず、わかろうはずなのに、次朗は深刻な顔になっていた。
 それから結構、文花の帰ってくる時間が遅かった。十分以上は掛かっていた。

「ごめんごめん。事務所にも戻ってたんだ。忘れ物しちゃっててさ」

 文花は、少し息切れをしていた。一華は、文花の目の前で、次朗の耳元に(ささや)いた。

「けなげな女だな。大きいほうを隠すために、理由まで作ってな」

 一華は、真上を見上げて高笑いする。文花は「何? 何?」とキョロキョロした。

「俺は、そんな文花さんも引き受ける!」

 次朗は、変な宣言をした。
 文花は「何?」と、一華に目で訴える。
 一華は、文花の耳元に近づき「興味があるんだったら、後で次朗本人から聞いてみな」と、笑いを押し殺して囁いた。

「よし、食いに行くか」

 仕切り直しの一華の声が(こだま)すると、文花が心配そうにした。

「どこに行くつもりなの?」

「そりゃあ、前に行った高いほうでしょ。どうせ、次朗の奢りなんだし」

 一華に迷いはない。次朗は、不安そうに一華を見てきた。

「あそこは、予約制だよ」

 文花の心配そうな意味が、よくわかった。

「じゃあ、最初に行った安いほうで」

 一華は、行き当たりばったりで喋った。

「あそこは、ちょっとね……」

 文花が渋った。一華はすぐ気づく。失恋話をして、大いに取り乱した現場だ。

「まあ、しょうがないか」と、他所(よそ)にしようと文花に提案を求めようとした。だが、いやらしい思いつきが、頭をよぎる。

「あの、最初に行った店。なんていう名前だっけ?」

 一華の変な問いに、文花は渋々「『焼肉朱雀』だけど、なんで?」と返してきた。

「そういえば今度、尾藤公季の新曲が出るんだって。題名は『焼肉朱雀』で、ヒロインが焼肉屋で泣き崩れる、って唄らしいよ」

 さっきの『大きいほう云々の話』辺りから、悪巫山戯が()められなくなっていた。

「それは本当に、やめて! 次やったら、絶対に訴えるから!」

 文花が、大声を張り上げた。一華は笑いながら、ショッピング・センター側に走る。文花は、一華を追いかけた。
 ショッピング・センターから出てきたばかりの客数人が、一華、文花の鬼ごっこ的なじゃれ合いに驚いていた。

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