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四章の六 一網打尽。

 一華は、なんとしても公季に会わねばならなかった。
 今日は、蒲郡市の《ラグーナ蒲郡》で、公季が地元FMラジオ局の公開放送を行う予定になっている。全国的知名度になりつつある公季が、久々に地元愛知で行うイベントだ。
 いつもであれば、他人目を嫌う一華が、絶対に行く場所ではない。公季に変な噂が立たないように、という配慮で、ここ数年、自分からは近づかなかった。
 ただ今回は、そうもいかない。
 公季のニュー・シングル『新生幻想即興曲F』が、あまりにも文花を唄い過ぎていた。一華だって、六日前の月曜日に、会社で流れた有線で初めて聞いた。
 いくらなんでも、やり過ぎだと、一華だって思った。一華が報告した「現、文花像」を、そのまま公季は詩にした。
 高校生のときよりも、コミック・ソング制作のキレが良かった。ただ、高校時代ならやっていいネタと、今ではやっちゃ駄目なネタの区別が、子供並みに理解できていない。
 下手をすれば訴えられると、一華は思い悩んだ。
『新生幻想即興曲F』を聞いた時点で、なんとしても公季との関係は、ないものにせねばならぬと覚悟した。つまり、公季に害が及ばないように、別れを告げようとしていたのだ。


 公開放送が行われる、《ラグーナ蒲郡》フェスティバル・マーケットの会場から、南の駐車場を跨いだところに木陰がある。すぐそこに見える観覧車が一際ぐんと目立つが、他人目がなく、一華が想定していたとおりの、密会しやすい場所だ。
 そこに、ちょっと用事があると公季を呼び出した。

「いっちゃんが来てくれるなんて、思ってもみなかったよ」

 せっかく一華が他人目を忍んでいるのに、公季は何の緊張感もなく、白無地のTシャツにスウェット・パンツ姿で、サンダルをケタケタとさせていた。

「私たち、別れましょう」

 一華の第一声は、すべてを端折(はしょ)っていた。ここまで来るまでに考えていた一言で、言ったらすぐ、帰ろうとしていた。

「え、何が、なんで?」

 何が起こったのか分からぬ顔で、公季は茫然(ぼうぜん)とする。

「嫌いになったの!」

 口足らずな説明にしかならない。考えていた流れには、全然なっていなかった。

「なんだよ。藪から棒に」

 公季が拗ねる感じで怒ると、一華は言葉に詰まった。嫌な沈黙が、数秒は続いた。

「『文子』が気に食わなかったの?」

 公季から出なかった話題が、突発的に聞けた。発端は、間違いなかった。ただ一華は首を横に振る。

「蔦文花の唄をいっぱい作ったから、怒っているの?」

 やっぱり、公季も負い目を感じていた。分かっていながら作っていたと、白状されていた。とても心苦しい。しかし一華は、首を横に振る。

「じゃあ、なんでだよ。理由を聞かせてよ」

 懇願に近かった。一華は首を横に振り、また嫌な沈黙が、数秒は続いた。

「わかった。今回の『新生幻想即興曲F』が気に食わなかったんでしょ?」

 大きく外れてはいなかった。ただ、正解ではない。一華は振り幅を小さくして、首を横に振り、最終的には(かし)げた。

「あれは、俺にとっての、最大の報復なんだ。あれを聞いたら、どう思うだろうか? 発狂するんじゃないかと思ってね」

 一華は目を見開いて、公季の顔に照準を合わせた。とっても悪い顔をしている。今までの公季には見られない一面だった。

「あんなにみっともない振られ方をして、ずっと考えていたんだ。自分が何か、悪行でもしたのかと。なんであんな目に遭わなくちゃいけないんだ、ってね。で、結論に達したんだ。あの女が悪いんだ、と」

 公季の顔は、悪い顔のままで持続されている。

「じゃあ、同窓会は、どうして行こうとしたの?」
 
 一華は、疑問の解消だけを優先させた。同窓会の件を知っている経緯などは、それこそ端折っている。

「あ、知っていたの? あれは、今の自分を見せつけるためだよ。それにさあ。どうせ行ったら行ったで、唄ってよお、って誰かに、せがまれるでしょ。そうなったら、あの女の前で、『新生幻想即興曲F』を唄ってやろうと思ってね」

 一華は目を(つむ)り、一つ生唾を飲んだ。何か、考え違いをしていた。自分が何をしようとしていたのか、分からなくなっていた。

「でも『新生幻想即興曲F』は、いくらなんでも、まずいよ。あんなあからさま唄は、訴えられるよ……」

 なんとか、ここにやってきた経緯は思い出した。当初は理由を言わないで、関係を終わらせ、公季に害を及ばせない腹積もりだった。

「大丈夫だって。あんなの、自意識過剰呼ばわりをして、一蹴してやればいいさ」

 なんだか今までにないほど、公季が力強かった。一華は、体の力が抜けていくような感覚に襲われる。
 ずっと、別れ話をしようとしていて、心の中を締め付けていた。一粒二粒ではなく、目許全体が一気に濡れる。見せたくなかったから、俯いた。

「一緒にいてよ。別れるだなんて、言わないでよ」

 公季が体を近づけて、最終的に抱き寄せてきた。
 一華は身を任せ、公季の胸の辺りに頬が密着した。安心感で心地いい。ずっと、このままでいたいと、切に願う。
 そうしていると、「ん、なんだろう?」と、ガサッと後方から気配がした。恐らく、通りすがりの者だろう。
 ちょっと前の一華だったら、すぐに身を離し、何事もなかったかのように、公季と他人の振りをした。今は、そういった世間体など、どうでもよくなった。自分の感情のみを大事にした。
 しかし、どういうわけか? 急に公季との接点である頬に、強張った感覚が伝わる。

(そんな、公季の胸が強張るはずがない)と、一華は、そのままの状態で気に留めようとしない。

「あんたたちは、うまくいったかもしれんがなあ……」

 声を掛けられた。(誰だ、邪魔をする奴は)と、一華は後方を振り向く。
 両手を腰につけて仁王立ちする、文花の姿があった。

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