四章の五 文花、尾藤公季を探る。
通勤用の会社の鞄が、クローゼットにしまわれずに乱雑に転がっている。「今日はどうしたの?」と、下の階の母親から声があったが、おもいっきり無視をした。
文花は、デスクトップのパソコンで「尾藤公季」公式ホームページを見ていた。なんとしても、の想いで、尾藤のスケジュールを探る。
尾藤の、明日土曜日の予定は、東京で公開放送があるそうだ。それで明後日が、愛知県蒲郡市のラグーナ蒲郡で、地元 《ZIP―FM》が主催する公開放送をするらしい。
一華からは、金曜日の今日を、なんとしても乗り切ってやろうという意思を感じた。そこから考えると、明日、明後日の、土日の間に動くに違いなかった。
どう考えても、日曜日の 《ラグーナ蒲郡》が怪しい。落ち合うとしたら、 《ラグーナ蒲郡》しかないと、文花は山を張る。
一華と尾藤の接点は、文花なりに確証がある。尾藤の『新生幻想即興曲F』の歌詞と一致する現実を、知る人間は限られるのだ。限られるといっても、正確には、一華しかいない。
情報を、なりふり構わず集めるしかない。求める相手は、数少ない市原弘子になった。
「どうしたの、文花から電話してくるなんて? もしかして、同窓会に出られなくなった、だなんて、言わないでしょうね」
「尾藤公季って、本当に来るの?」
文花は、自分の質問を優先させるべく、弘子の「来れなくなったの?」という質問には、まったく構わない。
「やっと、尾藤君に興味を持ったの?」
電話越しでも、
「高校時代に、あいつと仲の良かったやつって、誰?」
弘子が笑っていようが、構わない。情報さえくれれば、どうでもよかった。
「尾藤君の友達って、誰かいたっけ……?」
少しの沈黙が続いた。文花は(こいつではダメか……)と、がっかりする。
「クラスには、いなかったと思うよ。ずっと独りのイメージしかないからね」
当てが外れたと、すぐに電話を切ってやろうとした。
そもそも、同窓会を開く上で、尾藤も客寄せパンダであったはずだ。クラスに友人がいなかったのであれば、尾藤が来るはずがない。弘子の、幹事としての見立てまでも怪しくなった。
「そっか、やっぱり覚えていないんだ。本当に文花は、びっくりするほど嫌な
弘子が何かを思い出し、引き続き嘲笑う声を届ける。文花は極度の不快感で、今度こそ電話を切ってやろうとした。
「私、あの場所を見ていたんだけどね。あなたが覚えていないなら、話してもしょうがないけどさ」
もったいぶった弘子が、邪魔くさい。文花は、「何が!」と怒り口調で急かす。
「じゃあ、話すね。学校内にあった、日当たりの悪い中庭って、覚えているでしょ? あなたが独りで、よく
文花は、見られていたんだと驚く。独りになりたいときには、弘子の言う、日当たりの悪い中庭に逃げ込んだ。
当時の文花は、周りの者と、あまりにも将来の進路が違っていて、悩んだ。普通の進学校の中で、美大に進もうとする文花は、浮いた。最大関心事の進路について、相談できる者が近くにおらず、特に高校三年の時期だったから、心細かった。
なおかつ、文花に言い寄るブームが盛んで、クラスの、自分の席にいたくなかった。
中庭では、落ち着けた。高校二年から通った、美大の予備校の友達に電話して、近況などを交換した。なによりも、予備校で知り合った中には、つい前まで付き合っていた高嶋仁志もいた。思えば、仁志に携帯電話で告白したのも、あの中庭だった。
「あの中庭で、あなた、尾藤君と接触してたんだけど、覚えてないの?」
今度は弘子が、怒り口調で挑んできた。文花は、机に右肘を置き、拳を額に持っていく。
「あなたみたいな女に、人気(ひとけ)がないところで近づくとなったら、だいたいのシチュエーションは想像できるでしょうに」
弘子は責め立てる。文花は、心当たりがないと、弘子にカウンターを仕掛けようとした。
「メールか何かは知らないけれど、あれはないは、本当に」
文花は、カウンターの機会も潰された。妙に弘子がエキサイトしている。途中から文花は、何で怒られているのか、分からなかった。
「ごめん、キャッチが入った。また後で電話するね」
「あ、ちょっと待ちなさ……」
文花は、平気で嘘をついた。あまりにも一方的で、嫌になった。もう、電話はしないだろうと、関係すらも閉ざす方向で考えた。
思ったよりも、弘子が役に立たなかった。それに、尾藤の過去を
尾藤の今現在が、知りたい。いや、尾藤の接点を解明したい。結論は、既にあった。要は、尾藤と一華の接点を、現行犯で暴けばいいのだ。
文花は、次朗に電話を架ける。こいつのほうが、まだ使えると、散々に扱き使ってやると意気込んだ。
「いい。私の言うとおりにしなさい。まず、明日と明後日の、一華のスケジュールを知りたい。あなたが電話して、今すぐ聞き出しなさい」
一発目から、強制的に促した。
「どうやって、聞き出したらよいでしょうか?」
素直過ぎて、ただの馬鹿にしか思えない。
「相談を持ち掛けなさい。どうしても、会って話がしたい、と」
全部、指南したつもりだが、次朗にとっては、具体的ではないようだ。
「恋愛相談で、どうしても直に聞いてほしいから、って言いなさい」
次朗は電話越しで、フムフムと頷いていた。
「きっと、会えない、と言い出すから、どこにいるんだ、って聞きなさい。教えなくても、だいたいどこにいるのかが、分かるはず」
仕掛けた後、折り返し連絡するように言いつけた。絶対に尻尾を掴んでやると、奥歯を噛みしめる。自然と握り拳も、左右の手で作っていた。