第357話 死神ちゃんと司書④
死神ちゃんがダンジョンに降り立つと、女性エルフが何かに怯えるように身をひそめていた。死神ちゃんは物陰からそっと顔を出して辺りをうかがっている彼女の背後に回ると、膝カックンをお見舞した。すると、彼女は盛大に悲鳴をあげて飛び上がった。
そのままモンスターのいる場所へと
「何だ、死神ちゃんだったの! 驚かさないでよ!」
「それが俺の仕事だからな。仕方がないだろう。――ていうか、司書、お前、また転職したのか?」
司書と呼ばれたエルフはうなずいて「ええ、司教に」と答えながら、再び物陰へと身を隠した。
彼女は王都の図書館で司書として働いている。本好きを拗らせて、本が傷つかないための掃除方法として、風魔法を習得したほどの本狂いである。他にも〈図書館の利用者にいち早く対応できるように〉と侍の技である縮地という〈瞬時に間合いを詰める技〉を習得してみたり、ダンジョン産の幻の書籍を手に入れたときに備えて闘士に転職してみたりと、彼女の〈本への愛〉はとどまることを知らなかった。
彼女はまとまった休暇が取得できたときに、探索へやって来ていた。彼女がこのダンジョンにやって来る最大の理由は〈暗闇の図書館〉だった。それを発見することができた暁には、そこで働かせてもらうか住まわせてもらうかしたいと彼女は思っていた。
「今日はね、一番の目的である〈暗闇の図書館〉を再度目指そうと思って来たのよ。というのも、図書館に自著本を置かせてくれって定期的にやって来るヘンテコ司教がいるって言ったでしょう? 蔵書するかどうかの審議のために最新巻を読んだんですけど、そしたら〈暗闇の図書館〉を発見したって書いてあったのよね!」
ヘンテコ司教というのはソフィアの叔父である〈おしゃべりさん〉のことである。彼は探索の際に魔法の自動筆記羽ペンで延々と書き連ねている〈偉大なる未来の教皇である私の、華麗なる冒険譚〉という内容の誇張盛りだくさんの駄文を、書籍として発売していた。その最新巻には〈暗闇の図書館〉についての記載があり、どこにどのように存在するのかということについては隠されてはいたものの、図書館内部の詳細が事細やかに書かれていたのだとか。
死神ちゃんは首を傾げると、司書に尋ねた。
「あれ? 蔵書するかどうかの審議って、する必要あるのかよ? 既存巻はサイン入りのものが置いてあるんだろう? 本人が、前にそう言っていたが」
「ああ、既存巻のあるものでも、審議は毎回するわよ。寄贈本だとしてもね。だって、管理や維持にだって経費はかかるのよ? 本は貴重品だもの、お金を出して買えない人たちのほうが世間には多いじゃない。そんな人たちのために全て揃えておきたいのは山々ですけど、貴重品だからこそ、無駄なところに無駄なお金を使うわけにはいかないのよ。――ていうか、あの歩く騒音と知り合いだったの?」
死神ちゃんは曖昧な笑みを浮かべると、きちんと答えること無くはぐらかした。司書は「まあ、いいわ」と気を取り直すと、目を輝かせて話を元に戻した。
「とにかく、あの歩く騒音の本に書いてあったのよ! しかも、その幻の図書館にサイン入り自著本を置いてもらったとか!」
死神ちゃんは遠い目で虚空を見つめながら、心の中で「無下に断られてたがな」とツッコミを入れた。しかしながら、死神ちゃんが話の中に登場するとあって、後日になって各巻につき数冊ずつ配架されたのだ。あながち、彼女の言ったことは間違いではなかった。
死神ちゃんが微妙な面持ちで当時のことを思い返していると、いろいろと捲し立てていた司書が瞳を輝かせながら拳を握った。
「そういうわけで、私ももう一度探してみようと思って! 彼がすんなりと見つけられたのは何か秘密があるんじゃあないかと思って、いろいろと考察してみたのよ。そしたら司教が覚えることのできる魔法の中に〈隠された何かを発見したら教えてくれる魔法〉とか〈罠を解除する魔法〉とか、便利なものがあるじゃないの! だから私、司教に転職したのよ」
「はあ、そう……。で、それなら何で何かにビクビクと怯えていたんだ? 自信を持って堂々と探索に臨めばいいだろうに」
「それはほら、変な侍がまた現れたら嫌だなあと思って。噂で聞いたところによると、彼、どうやら一時的か永久にかは分からないけれど、
「ホント、エルフの方々は大変ですね……」
死神ちゃんが同情の眼差しを浮かべると、司書もしんみりとうなだれた。そして彼女は勢い良く顔をあげると、一転して決意の表情を浮かび上がらせた。
「こうしちゃあいられないわ。時間も経費と同じ。無駄になんかできないものだもの。とっとと暗闇ゾーンに向かって、さっくりと図書館を探し当てなくちゃ!」
そう言って、彼女はモンスターを蹴散らしながら暗闇ゾーンへと向かった。ゾーンに足を踏み入れる前に例の〈隠された何かを発見したら教えてくれる魔法〉を唱え、メイスの先がぼうと仄かに光を放ち始めたのを確認すると、彼女はとうとう暗闇の中へと進入した。
しばらくして、彼女は念願の〈暗闇の図書館〉を発見した。辿り着くことができたという興奮で身を震わせながら、彼女は恐る恐るその扉を開けて中へと入った。天井まで伸びる書棚には見たこともないような装丁の本がぎっしりと並び、壁を覆い尽くしていた。その様子に司書は興奮して頬を上気させ、小さな声で「もう、死んでもいい……」と幸せそうな吐息混じりに呟いた。
書籍以外のものも置いてあることに気がついた彼女は、これまた未知の素材でできた容器に入った何かがズラリと並ぶ棚を真剣な面持ちで食い入るように見つめた。ひと棚ずつ丁寧に見て回りたいところだったが、それでは何ヶ月あってもたりないのではと彼女は思った。そのため、とりあえずザッと館内を見て回ることにした。
まるで天国に来たとでもいうかのような幸せそうな表情で館内を見て回る彼女は、利用者の好奇の的だった。しかしながら、彼女はそんなことなど気にとめることなく、時おり感嘆の息を漏らしながらゆっくりと館内を巡った。
「わあ、図書館会報とかもきちんとあるんだあ……。私も定期的に会報係をやらされるのよ。幻の図書館の会報だもの、きっと私の想像も及ばないような叡智の詰まった会報なんでしょうね。――ご自由にどうぞって書いてあるから、一部もらっていきましょう。……ん? 何これ?」
司書は首を傾げながら、その隣に置いてあった紙の束を手に取った。それには〈謎解きゲーム解答用紙〉と記載されていた。
死神ちゃんはもちろん、この図書館の司書や利用者たちは解答用紙とにらめっこする彼女の姿に静かに沸き立った。というのも、この謎解きゲームこそが六階から七階へと降りるためのリドルなのだ。
今まで図書館を発見して訪れた冒険者は、数えるほどではあるが存在した。しかしながら、解答用紙を手に取る者は一人もいなかった。だから、その場にいた全員が〈とうとう、リドルを解くものが現れるのか〉と緊張し固唾を飲んだ。しかし、彼らの気持ちに反して、司書はただただ興奮するだけだった。
「ねえ、死神ちゃん! 見てよこれ! 図書館内を巡って謎を解けですって! おもしろいことするのねえ! でも、こういうイベントを行ったら、図書館利用者も増えるかもしれないわね! これはいいアイデアを頂いたわ! さっそく、帰ったらうちの図書館でもやらないかって提案しましょう!」
死神ちゃんは立場上、攻略の補助をすることができない。そのため「じゃあ、実際に解いてみたら?」という一言が言えなかった。そのため、死神ちゃんは苦い顔を浮かべることしかできなかった。それはこの場にいる全員も同じのようで、彼らは「せっかくリドルに気がついたのに〈いいアイデアもらった〉止まりかよ」と思いながら、死神ちゃん同様にがっかりしていた。
そんな周囲に目もくれることなく、司書はブツブツと言い出した。
「本棚の間を縫い、巡りながら謎を解くって、絶対おもしろいわよ。これはいい活性化イベントだわ。他にはどんなイベントが考えられるかしら。――うーん。私だったら、一晩でもいいから、本に囲まれて過ごしたいんだけど。お泊りイベントとかは駄目かしら。……あっ! そうだ!」
司書は何かを思い出したとでもいうかのようにハッと息を飲むと、貸出カウンターへと向かった。そして司書の人に声をかけると〈この図書館ではお泊りイベントはやっていないのか〉と尋ねた。この図書館の司書は困惑しながらも、行っていない旨を彼女に伝えた。
彼女はしょんぼりと肩を落とすと、またもや何か思い出したと言いたげに目をカッと見開いた。そしてこの図書館の司書に詰め寄るようにカウンターに見を乗り上げると、真剣な面持ちで求人情報を尋ねた。
「私、どうしてもこの図書館で働きたいんです! 今、王都の図書館で司書をしております。なので、司書資格はもちろん持っています。本が好き過ぎてもう愛してて、だからどうしてもここで――」
「申し訳ありません。オーナーの方針で、白いエルフの方はお断りしているんです」
「何故!? あなただって同じエルフよね!? 白とか黒とか、そんな単なる肌の違いでそんな差別をするの!?」
この図書館の司書――ダークエルフの女性――は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべると、再度「オーナーの方針なんです」と繰り返した。司書は舐め回すように黒エルフを見つめると、いきなり彼女の胸を鷲掴んだ。
「白と黒の違いと言ったら、これよね!? もしかして、オーナーさんは巨乳好きなんでしょう! これのあるなしで採用が決まるとか、それはちょっと横暴ってもんじゃない!?」
「いえ、胸の大きさは関係ない―― ていうか、あの、揉みしだかないでもらえますか?」
「じゃあ、何で!? 別に私だって魔力も知力も高いし、本に対する愛情は誰にも負けないのに!」
「ですからオーナーの方針ですので、私にはどうしようも――」
「やっぱりこれなんでしょう!?」
「あんっ、もうっ、揉まないでくだ、さい……ッ!」
黒エルフは胸を揉みしだかれながら、へにゃへにゃと脱力した。彼女が力尽きてカウンターにうなだれてもなお、司書は恨めしげに胸を揉みしだいていた。するとそこに、警備員姿のオーガの男鹿さんがやって来た。男鹿さんは司書を拘束すると、強制退去頂くべく彼女を冒険者用の入り口へとズルズルと引きずっていった。
「だったら、利用者として本を読み漁りに来るんだからああああああ――」
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死神ちゃんが待機室に戻ってくると、同僚たちも心なしかがっかりしていた。初めて〈謎解きゲーム〉の存在に気づいた者が現れたというのに、解こうともしなかったのが残念だったのだ。
「攻略されるのは嫌だけど、だからといって用意したリドルがスルーされるのも切ないもんだよな」
グレゴリーがしょんぼりと尻尾を揺らすと、一同は静かに同意してうなずいた。
ところで、と言うと、同僚の一人が死神ちゃんに声をかけてきた。
「発見したといえば、
「今度、契約しにいくんだ。そしたら、毎日少しずつ掃除して、物を運んだり揃えたりして、夏頃からは完全にそこに住むことになるかな」
嬉しそうにうなずいてそう言う死神ちゃんの顔を見つめながら、同僚たちは少しばかり寂しさを覚えた。職場で毎日顔を合わせるとはいえ、一緒の生活自体は終わりを迎えようとしているからだ。そのしんみりとした空気を壊すように、ケツあごがどこからともなく現れた。
「物を揃えるのであれば、我も何かプレゼントを送ろうではないか。トレーニングジムにあるような、運動器具一式なんかどうかな?」
「いや、あの、そんなもん置ける場所ないですし。置ける場所があったら、そりゃあ喜んで頂きますけれど。ていうか、何しに来たんですか」
死神ちゃんが顔をしかめさせると、ケツあごはにっこりと微笑んで言った。
「でーぶいでーを借りに来たのだ。ここの図書館は、あらゆる世界のあらゆる物が揃っているからな。わざわざその世界に見に行かなくとも良いというのは、便利でいい。まったく、そんな素敵なものがあるというのなら、灰色ちゃんも早く教えてくれればよかったものを」
「で、何を借りる予定なんですか」
ケツあごはニヤリと笑うと「サメ映画である」と答えた。どうやら、先日ビットと話をした際に、うっかり意気投合してしまったようだ。
死神課一同は灰色の魔道士が旅好きなうえに、食べ歩くことが好きでよくたこ焼きをどこかに食べに行っているのを思い出した。そして「神様って、実は、どの人も暇なのかな」と心の中で呟いたのだった。
――――最近の図書館は視聴覚資料や漫画なども取り揃えが豊富で、とても重宝するんDEATHよね。