第343話 死神ちゃんとクレーマー⑥
「残念って言うなよちくしょおおおおおおおッ!」
死神ちゃんがダンジョンに降り立つのと同時に、見知ったエルフが泣きながら足早にその場から立ち去った。何事かと顔をしかめると、死神ちゃんは頭をむんずと掴まれた。
「なんだ。今度はお前か。――チェンジを要求するぞ!」
「俺だってチェンジできるならしたいわ! でも、今、お前が掴んできたことで〈とり憑き〉完了しちまってるんだよ!」
死神ちゃんは、不服そうに目くじらを立てる侍の手を思いきり払い除けた。すると侍は一転して〈閃いた〉と言わんばかりの、真に迫った表情を浮かべて拳を握った。
「いや待てよ。この幼女のコミュニケーション能力と可愛らしさを巧みに利用すれば、いつもはつれない尖り耳も俺になびくかもしれん。……これはイケる! イケるぞおおおおおッ!」
「はあ……?」
死神ちゃんが不機嫌に顔を歪めると、侍は「よろしくな、相棒」と言いながら握手を求めてきた。もちろん、死神ちゃんはその手を思いきり叩き飛ばした。
彼は〈尖り耳狂〉と呼ばれ、エルフの女性たちから忌み嫌われている。彼はエルフ女性の〈先がほんのりと朱に染まった、愛らしい尖った耳〉を愛しているのだが、その愛しかたというのが実に偏執的なのだ。彼によって心にトラウマを植え付けられたものは数知れず、修復課のサーシャもそのうちの一人だった。
彼は今回、駅弁売りが首に引っ提げるような箱を準備していた。そこには〈尖り耳からの愛よ、来たれ〉と書かれていた。しかし、中は残念ながら空っぽだった。尖り耳狂は悔しそうに歯ぎしりすると、空っぽの箱にじっとりと視線を落としながら言った。
「先ほど、尖り耳を装った男がチョコレートボックスをくれようとしたんだ。必要アイテムが中々ドロップしなくて、ようやくできた一箱だったらしい」
「あいつ、意外と優しくて親切なんだよなあ……。せっかくだからもらっておけばよかったのに」
「何故だ? 尖り耳を装った男からお情けでいただくなど、残念にもほどがあるだろう!」
「男だって立派な〈尖り耳〉だから! お前のその救いようのない趣味嗜好は致し方ないにしても、そういう差別的な発言はやめろよな!」
「差別ではない! 区別だ!」
死神ちゃんが呆れ果てて閉口すると、尖り耳狂はフンと鼻を鳴らした。
「とにかく! 俺は尖り耳と愛を交換し合うために、たくさんのチョコレートボックスを作り上げた。見てくれ」
「お前、気持ち悪いよ! このイベント、まだ始まって間もないだろう!? 何ですでに、こんなに大量のチョコレートボックスを手に入れているんだよ!」
彼は、駅弁売りのような箱の他にももうひとつ、釣り人がクーラーボックスを肩がけにする
思わずドン引きした死神ちゃんに、尖り耳狂は得意気に胸を張った。
「尖り耳への愛があれば、こんなの、造作も無いことよ。寸暇を惜しまず、それこそ寝食ですらあと回しにして、独りでひたすら狩りを続けていたのだッ!」
「はあ、そう……。でも、そんだけ準備しても、交換してくれるヤツがいないんじゃあ虚しいだけだよな」
「そうだ! だから、今から、お前を囮にして尖り耳から愛をいただくことにするッ!」
他人にプレゼントすると〈ラブリング〉が出てくるとはいえ、何もこのラブは恋人同士のそれだけを指すわけではない。そのため、冒険者たちは日ごろの感謝を込めて互いにチョコ箱の交換を行っている。尖り耳狂はその〈チョコ箱交換会〉に死神ちゃんを伴って潜入し、死神ちゃんがチョコをもらいそうになったら、ちゃっかり自分がチョコをもらい受けようと画策しているようだ。
「そんな、上手くいきますかね……」
死神ちゃんは呆れ果てて鼻を鳴らすと、彼のあとを追って歩き始めた。
チョコ箱交換会は、二階の〈回復の泉〉で休憩中によく行われているようだった。泉の水を飲みながら体力を回復させたあと、冒険者たちは物理的にも癒やされようと言ってチョコ箱を開け、チョコレートを口に放り投げていた。
死神ちゃんがそこを通りかかると、さっそく「君にも上げるよ」と冒険者に声をかけられた。お返しするものがないと困惑する死神ちゃんに、冒険者はにっこりと笑って「そんなの、気にしないで」と首を振った。側で身を潜めて様子を窺っていた尖り耳狂は、これはイケるぞとばかりに拳を握った。
死神ちゃんが泉の側にちょこんと腰を掛けると、エルフの女性が声をかけてきた。彼女はニコニコと笑いながら、死神ちゃんにチョコ箱をプレゼントしてくれた。尖り耳狂は颯爽と姿を現すと、エルフの手に自身のチョコ箱を握りしめさせた。
「この幼女はお返しする品を持っていないからな! 代わりに俺がお返しをしようではないか! そしてよかったら、俺にもその愛を――」
エルフはキャアと悲鳴を上げると、無理やり渡されたチョコ箱を彼の顔に投げつけて走り去った。
「おかしいな。こんなはずでは」
「グイグイ行き過ぎなんじゃあないのか。そりゃあ驚きもするだろうよ」
「む、そうか! では、俺もお前の隣で待機するとしよう!」
尖り耳狂はにこやかな笑みを浮かべると、死神ちゃんと並んで腰を下ろした。しかし、死神ちゃんの頭巾の中がチョコ箱でいっぱいになっていくのと比例して、彼に増えていったのは顔のあざだった。
「おかしいな。こんなはずでは」
「日ごろの行いが悪いんじゃあないですかね」
「そんなこと、あるはずないだろう! ――おっ! ヘイッ! そこの尖り耳ッ! チョコ箱―― ぐえッ!」
へこたれずにエルフ女性へと声をかけた彼は、またもや顔面に一発いただいた。彼は不思議そうに首をひねると、再び「おかしいな」と呟いた。
そんな可哀想な彼を不憫に思ったのか、
「おじさん、可哀想だね。これでも食べて、元気になってね」
「いや、ちょっと、待っ――」
「きっと明日はいいことあるよ。頑張ってね、おじさん」
「だから、待っ――」
「大丈夫。世の中、世知辛いことだらけじゃあないよ。負けないでね、おじさん」
コビートは次から次へと現れて、気がつけば尖り耳狂の〈チョコくれ箱〉はコビートからのチョコでいっぱいとなっていた。彼は何とも言えない気まずそうな表情を浮かべると、大量のチョコを見つめてポツリとこぼした。
「小さい人たちに、とてつもなく励まされてしまった……」
「よかったな。一応、愛でいっぱいにはなったぜ」
「いやでも、これは何ていうか、心が痛いというか……」
「チェンジぃ。チェンジぃよぉ。チェンジを要求すぅるわぁ!」
尖り耳狂と死神ちゃんがハッと顔をあげると、そこには目を血走らせた僧侶の女性がメイスを握って立っていた。彼女は尖り耳狂を恨めしげに睨みつけると、地団駄を踏みながら叫んだ。
「可愛い子ちゃんたちの愛ぃは、全部私のものなぁのよ! そのポジぃション、私と代わぁりなさぁいよ!」
「いや、一応もらったものだからな! 渡さんぞ!?」
「男性エルフからはもらうことすら拒否したくせに、コビートからのはもらうのか」
「何でぇよ! あなた、女性エルフかぁらしか、要らなぁいんじゃあなかったぁの!?」
「ていうか、お前もどうせなら、人から取り上げるんじゃあなくて、直接コビートからもらえばいいだろうが」
「そうは言ってぇも、許せなぁいのよ!」
そう言って、女性はメイスを握り直すと尖り耳狂に襲いかかった。二人は、互いの〈偏執的な愛〉をかけて死闘を繰り広げた。しかし、結果は相打ちだった。死神ちゃんは〈付き合いきれない〉とばかりにため息をついて肩をすくめると、壁の中へと姿を消したのだった。
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死神ちゃんが待機室に戻ってくると、何故かそこにサーシャがいた。彼女は頬をつやつやとさせて、とても上機嫌だった。
「あの変態が面白いことになっているって聞いたから、死神課のモニターを見に来たんだ。あーあ、私もできることなら、一発殴りたかったな」
対して、周りの死神課メンバーはげっそりと頬をこけさせていた。どうやら、サーシャは尖り耳狂が殴られるたびに〈彼女は過去に、彼からこういう仕打ちを受けた〉と実況していたらしい。
「何ていうかもう、その変態性が凄まじくて。これは、もしあいつが天寿を全うしたら、死神課にスカウトされるんじゃあないかっていうレベルだった……」
死神ちゃんがげんなりとする横で、サーシャがにっこりと微笑んだ。
「大丈夫だよ。全尖り耳の安全を守るべく、尖り耳の代表としてこの私がそんなこと許さないから」
そう言って、彼女は鼻歌を歌いながら「アリサちゃんのところに行ってくる」と言い待機室から出ていった。さっそく、尖り耳狂がうっかりここの社員とならぬよう手配を行うつもりらしい。死神ちゃんはサーシャの背中を見送りながら「エルフさんたちは、本当に大変なんだなあ」と心中で同情したのだった。
――――尖り耳狂が裏表両方から