第341話 死神ちゃんとまさこ③
「ッシャ、ォラーッ!!」
死神ちゃんがダンジョンに降り立つのと同時に、地鳴りのような怒号とともにズドンという重たい衝撃音が聞こえてきた。死神ちゃんは怯えた様子で目を見開きカタカタと小さく震えると、恐る恐る声のしたほうへと首を振った。すると、山羊角を生やした女性が
「ほらほらほらぁ! 兄ちゃんよぉ! あんた、ちょっと、往生際が悪いんだよ。ア゛ァン!?」
「あの」
「ほら、さっさとカカオ豆出しなさいよ! それから、上等な酒も!」
「あの、まさこさん」
死神ちゃんはおずおずと女性に声をかけた。しかし女性は死神ちゃんの声に気づくことなくメンチを切り続け、そしてとうとうハイウェイマンを豪快に殴り倒した。
女性はアイテムへと姿を変えるハイウェイマンを不満げに見つめると、鼻を鳴らして吐き捨てた。
「しけてんなあ、おい。カカオなしの、酒も下の下のものかよ」
「あの、まさこさん。素が。ヤンキーの素が出てますから……」
まさこと呼ばれた女性はギョッとして死神ちゃんをつかの間見つめると、「あらいやだ、オホホ」と苦笑いを浮かべながら淑女を装った。そして死神ちゃんの頭に手を伸ばすと、頭を撫でながら悪魔のような形相で詰め寄った。
「今見たことは、お姉ちゃんとお嬢ちゃんとの秘密だからね? 特に、うちの旦那や、マンマやばあちゃんには絶対に内緒だからね?」
死神ちゃんは顔を青くすると、必死にうなずいた。
彼女は街の酒屋の妻で、名を〈まさこ〉と言う。アルコール中毒のため度々仕事を放棄し、〈酒と肴〉のためにダンジョンへと繰り出してしまう夫の手綱をひいている、とても強い女性だ。
彼女が強いのは精神的だけでない。〈
そんな最強の彼女は、ダンジョン踏破に微塵も興味がなかった。そのため、本日ももちろん、踏破のための探索活動でダンジョンにやって来たわけではなかった。――彼女の本日の目的は、カカオ豆と酒だった。
昨年の今ごろ、〈裏世界〉とギルドは協力してバレンタインイベントを実施した。何故かダンジョン内でカカオ豆が産出されるようになったから、それを集めてお菓子を作ろうという催しである。イベントは好評で、冒険者たちに惜しまれつつ一ヶ月ほどで終了した。そのイベントを、今年もまた行っているというわけである。
今年は昨年よりもさらにパワーアップしており、低階層を徘徊しているハイウェイマンがこっそりと隠し持っている高級なお酒をチョコレート作りに使用してくれるのだとか。お酒を併用することで、チョコレートを食した際にかかる魔法効果も変わるそうだ。
「しかもね、それだけじゃあないのよ。今年は可愛らしい箱にラッピングしてもらえるんだけど、その箱には魔法がかかっているそうでね。ネームタグが付いているから、そこに自分の名前を書いてから相手にプレゼントして。そして箱を開けると、なんと、指輪がチョコレートと一緒に出てくるそうなのよ」
もちろん、指輪は玩具程度の品である。しかしながら、意外と凝った作りとなっていて、自分で箱を開ければぼっち感たっぷりのブルーの指輪が出てきて、内側には〈明日も元気に頑張ろう〉などの励まし文が彫り込まれている。他人が開けばラブラブ感漂うピンクの指輪が出てきて〈誰それより、愛をこめて〉と送り主の名を添えた愛情たっぷりの文章が刻まれる。そしてどちらの指輪も効果は違うものの、ほんの少しながら祝福魔法がかかっているそうだ。
ブルーの指輪の励まし分はいくつかパターンがあるようで、興味本位で〈自分へのご褒美チョコ〉を生産する冒険者が多いという。だが、仲間への日ごろの感謝や愛の告白のために〈配る用のチョコ〉を作る者ももちろんいるし、ラブリングの数を競い合う者も少なくないそうだ。
「まさこさんはもちろん、ラブリングを作りに来たんですよね?」
「そうなのよ、分かるー!? うちのダーリンったら、結婚するときに指輪のひとつもくれなかったのよー! だから、せっかくだから、お互いにチョコレートボックスを交換し合おうって約束をしていてね。お店や息子の世話があるから、交代制でダンジョンに潜ってるのよー!」
まさこは染め上げた両頬を手で覆うと、キャアキャア声を上げながら身をくねらせた。死神ちゃんは頬を引きつらせると、小さくポツリと「仲がおよろしいことで」と呟いた。
まさこは、せっかくだから酒好きの夫のために高級酒を使ったチョコレートを作りたいらしい。しかしながら、どれだけハイウェイマンをボコボコにしても、手に入らないとご立腹だった。
まさこはハイウェイマンが近くを通りかかったことに気がつくと、死神ちゃんを放置して殴りかかりに行った。凶悪な台詞と痛々しい打撃音がこだまする中、死神ちゃんはよく知る人物と同じ見た目のレプリカが藻屑と消えて行くさまを何度も見ることとなった。まさこは心なしか具合の悪そうな死神ちゃんに対して、心配そうに眉根を寄せた。
「お嬢ちゃん、大丈夫? 具合悪いなら、お家に帰ったら? そろそろ外も暗くなってくるころだから、お母さんも心配しているだろうし」
死神ちゃんは苦笑いを浮かべてすぐ、青い顔で凍りついた。死神ちゃんが一点を凝視していることに気がついたまさこは、きょとんとした顔で首を傾げた。
「ああ、血で汚れているのが気になるのね。――大丈夫よ、これ、今日あの小汚いお兄ちゃんをしばき倒しまくってついたものだから。私のじゃあないわよ」
「いや、十分恐ろしいんですけど。どれだけしばき倒したんですか!」
「さあ……。それに、帰ってすぐに重曹水につければ綺麗に落ちるし。ダーリンからもらった大切な手袋だからね、しっかり汚れは落としておかないと――」
「それ、やっぱり、あの純白の手袋なのかよ! 大切なものなら、戦闘中につけてるなよ! 血の染まり具合が半端なく怖……ぎゃあああああああああッ!」
まさこは怒り顔で死神ちゃんを小脇に抱えると、問答無用でお尻ペンペンをした。
「お姉ちゃん、悲しいわあ。お嬢ちゃんのその年上に失礼かつおっさん臭い口調、きちんと直ったものだと思ってたのに」
「すみませ……すみませんでし……ああああああああッ! ごめんなさいいいいいいいッ!」
死神ちゃんは泣き叫びながら必死に謝った。まさこは死神ちゃんがきちんと謝罪したことにうなずくと、ようやく死神ちゃんを解放した。そしてまさこは一転して思案顔になると、ポツリと呟いた。
「白いものがこれだけ綺麗に赤く染まるほど殴り倒しているのにカカオが出ないのって、もしかして、あのお兄ちゃんはカカオを持っていないのかしら」
そう言って彼女は何やらを決心するようにうなずくと、少しだけ奥に行ってみようと言い出した。彼女はそのまま、四階へと降りていった。雑魚を大量に倒して全くもらえないのであれば、強敵を倒せばそれなりにもらえるのではと思ったらしい。彼女は気合いの篭った声を上げ、手のひらに拳を打ち付けて豪快な音を立てると、
まさこはボクシングジムで学んだ成果を活かし、的確なポジショニングで急所を突いていった。しかし、戦闘の途中で死神ちゃんのお腹がグウとなると、一気に集中が途切れたようだった。
「えっ、もしかして、もう結構遅い時間!?」
「社会人の方々の勤務時間で例えると、日勤の方はそろそろ業務終了のころですね」
「あらやだ! じゃあ、夕飯作りに戻らない、と――」
集中の切れ目が彼女の運の尽きだった。夫への愛に燃え盛り、常に最善を尽くしていたはずの彼女は、愛ではなく、ドレイクの炎で燃え尽きた。死神ちゃんはため息をつくと、そのままスウと姿を消した。
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死神ちゃんが待機室に戻ってくると、鉄砲玉のマサがガタガタと震えていた。どうやら彼は〈自分〉が数え切れないほどすり潰されていくさまを延々と見せられて、肝をすっかりと冷やしたらしい。
「やべえ、どうしよう……。俺、当分チョコレートが怖くて食べれねえかも……。バレンタインは、もちろんたくさん欲しいけどよ……」
さすがの超絶ポジティブ・マサ様も、こればかりはポジティブになりきれないようだった。死神ちゃんは同情するようにポンと彼の肩を叩くと、夕飯を奢ると約束したのだった。
――――純白手袋を染める赤の色味が深まれば深まるほど、彼女の愛も深くなる。しかし、だからといって、血のバレンタインというのは考えもの。もっと殺伐感なく、幸せ満載で迎えたいものなのDEATH。