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ディタリエール伯爵邸【2】

 は?
 は……?
 な、な、な、なん、は? な、なんて?

「え……い、今なんて?」

 ラナが声に出しちゃった。
 いや、この場の誰もがそれを聞きたかったような気もするけれど。
 親父すら見た事ないあんぐり顔になってるし。

「え? え?」
「そうだ、まずはお名前をおうかがいしてもよろしいでしょうか。俺はクールガン・ディタリエール・ベイリーと申します。どうぞお気軽にクールガンとお呼びください、美しいお嬢さん」
「……う、うつくし……?」

 かっかっかっ〜、とファーラの顔が段階的に赤みを増していく。
 いや、嘘でしょ、なにが起きてるの、これ。
 クールガンが見た事ない爽やかな笑顔で跪いてファーラを、く、口説いてる?
 いやお前は誰だ。
 俺の知ってるツンデレのクールガンじゃない……!
 いや、ファーラが美少女なのは知ってるけど!

「ク、クールガンがおかしくなった……兄様、クールガンがおかしいっ」
「い、言うなルース。まずは落ち着け。状況を落ち着いて把握しろと毎日教わってるだろう?」
「そ、そうか。と、父様! クールガンがおかしい! 朝なに食ったっけ?」
「た、確か川タコのマリネとハンバーグ……」
「親父も落ち着いて」

 ダメだうちの家族。
 普段冷静な分、思いもよらなさすぎる事が起こると冷静さがぶっ飛ぶ!
 クールガンの普段のツンツン具合を知っているだけに、混乱が混乱を呼んでいる……!

「お名前を教えて頂けますか?」
「あ、えーと……ファーラ……」
「ファーラ嬢、すぐでなくともよろしいので、俺との婚約をお考え頂けませんか? 確かに俺は貧乏伯爵家の三男ではありますが、家は俺が継ぐ予定ですので不幸にはさせません!」
「え、えっと……えっと……!」

 おろおろ、おろおろとファーラが俺とラナを振り返って見上げてきた。
 その眼差しでハッとする。

「ク、クールガン! ちょっと落ち着け。そもそも、ファーラはこの国の民でもないし貴族じゃないぞ」
「は? なにか問題が?」
「…………」

 えーと……まあ、確かに……。
 貴族に嫁入りする平民は前例がないわけではないし、法的にも問題はない。
 もっというと他国から平民の妻を迎えるケースは稀といえば稀なだけで、前例もあれば法的にも問題はない。
 むしろ『聖なる輝き』を持つ者であるファーラは歓迎どころか大歓迎。
 ディタリエール家の家長よ、よくぞやった! ……と褒めちぎられるレベル……。

「…………まあ、特にないけど」
「フラン!?」
「い、いや、本当に法的な問題はなんにもないし……」
「そ、そうかもしれないけどっ」
「う、うん。ファーラの気持ちが最優先……」
「もちろん。ファーラ嬢に選んで頂けるよう、誠心誠意俺の想いを伝えさせて頂きますとも!」

 いや、うん、まあ!
 そ、そう? いや、それならまあ、とかじゃない!
 え? お、俺も今相当混乱してる!?

「そ、そもそも突然なに言い出してるんだよ!」

 それだ!
 よく言ったルース!
 俺もそれが言いたかったんだ!

「どうしてそんな事……だって、そもそも……あれ? そもそもこのファーラって子誰? いや、なに? 兄様とどーゆー関係?」
「そ、それも今からお前らに説明するつもりだったんだよ。まあ、だから……クールガン、一度座れ」
「はぁーい、兄様」
「…………」

 そ、外面の……営業用の笑顔……。
 我が弟ながらその変わり身よ。
 クールガンがファーラに手を振りながらルースの横の一人がけソファーに座ってから、咳き込んで一度場をリセットする。
 あー、なんか本当変な空気になった。

「ファーラは元々『赤竜三島ヘルディオス』で親が育てられないと言って、児童養護施設に預けた子どもの一人だったんだ。『緑竜セルジジオス』で知り合った商人がその施設の出身者で、そいつが『赤竜三島ヘルディオス』の施設を買い取ったから『緑竜セルジジオス』に連れてきた。あの国は子どもが過ごすには厳しいからな」
「ふむ……で、後天的に『聖なる輝き』を持つ者になったのか?」
「そう。『緑竜セルジジオス』王家にはもうバレてる」
「……ふぅむ……そうか……」
「せ、『聖なる輝き』を持つ者? その子が?」
「これはもう、守護竜様も俺とファーラ嬢との婚約を祝福しておられるようなものでは!」
「クールガンはちょっと黙っておれ」
「つーかお前マジでそんな性格じゃなかったよな? どうしたの?」

 ルースもクールガンも『聖なる輝き』を持つ者の特徴はまだ理解していなかったのか?
 まあ、それはおいおい覚えていけばいいので置いておく。
 ……俺もルースの意見に超同意。
 クールガン、お前そんな奴じゃなかったよな?
 婚約者をそろそろ本格的に決めてもいいな、って時期なのに「興味ありません」って突っぱね続けてきたよな?
 え、本当なにが起きたのあいつの中で。
 未知の爆発?

「それならば尚更わしもクールガンとファーラ嬢の婚約には盛大に賛成する!」
「お父様!」
「うん、親父もそろそろ落ち着いて。……ごめん、ちょっとみんなにお茶のおかわりを」
「か、かしこまりました」

 うちの使用人は優秀だが、さすがにクールガンの変わりようと親父の混乱には追いついていけていないようだ。
 普段クールだからな、二人とも。
 お茶のおかわりを飲み、ふう、と一息つく親父とルースと俺。
 ラナの様子は……まだ少しかしこまった感じ。
 ファーラも困った様子のままだ。
 いや、まあ、この状況は確かに困り果てるけれども。
 つーか頭が痛いけれど!

「話が進まないからクールガンの主張はあと! ……まずは、その状況を踏まえた上で俺とラナの——あー、エラーナ嬢の話!」
「む、う、うむ、そうであったな。わしらはファーラ嬢を一時的に預かっておけばよいのだな?」
「うん。あと、肝心なのは——」
「ファーラ嬢をウチで預かるのですか!? でしたら護衛は俺が!」
「クールガンマジちょっと黙ろう。もちろん場合によっては頼むから」
「はい! フランお兄様! その際はこのクールガンにお任せください!」

 ……お前本当そんな奴じゃなかっただろう?
 怖いんだけど?
 怖いんだけど!

「えーとなんの話だっけ……あ、そうだ……宰相様の疑惑の件だ。親父はなにか掴んでる?」
「陛下に毒を盛ったとかいう嫌疑の話だな? ……正直なところ、盛った、という証拠もなければ盛っていないという確証もない状況だ。部下も使って調べさせておるが、確固たるものが未だない。宰相は性格柄、少々敵が多いから困っておる」
「んん……」

 不正嫌い、国費無駄遣いする野郎ども万死! ……のような人だからなぁ。
 まあ、だからこそ陛下は他の公爵家の方でなくルースフェット公爵を宰相に任じたのだろうけれど。
 親父が調べて盛った証拠も、盛っていない確証も出ないのであれば……困ったものだな。

「医者はなんて?」
「……その医者がな……」
「…………」

 なるほど、医者が宰相様からの紹介だったのか。
 そりゃあ宰相様の足を引っ張りたい、引きずり下ろしたい連中からするとヒャッハーだなぁ。

「えっと、そのお医者様がどうかしたのですか?」
「宰相様からの紹介だったんだと思うよ」
「え! ……でも、お父様にお医者様の知り合いなんていたかしら? ……あの、父はなんて……」
「パーティーで出会ったのだそうだ。なんでも自分で自分を売り込んできた医者らしい。とはいえ、他の知り合いの医師も腕を保証していたし、医者の世界では名の通った人物だったようだ。その辺りはうちのかかりつけ医も同じ証言をしておったよ」
「まあ……」

 ふむ、医者の界隈では有名人……。
 うちのかかりつけ医まで太鼓判を押しているのなら……まあ医者は問題なかったんだろう。
 宰相様ほどの人が医者の身元の確認もせずに、陛下のかかりつけ医にするとは思えない。
 問題は——。

「なあ、親父……その有名だという医師、名前と顔は一致してたのか?」
「!? …………。……いや、その確認はしておらんな……」
「そう……。まあ、そこまで調べるかは任せるけど」
「分かった、調べておこう」

 ……その医師が『本物』である確証である。
 名を騙る偽者であれば、根底が揺らぐからな。
 そして、もし医者の身元確認に突っ込んでいけばなにかしらの面倒事が起こるだろう。
 陛下のかかりつけだった医者は失踪するなり死亡するなり、口封じの対象になりえるからだ。
 いまだ所在が分かっていて存命、という事は……本物である可能性が高い。
 が、しかし——……本物であるのならば、宰相様と敵対する派閥が、その医師になんのちょっかいも出していないのが不自然なのだ。
 宰相様が連れてきた医師がついていながら、陛下が亡くなった。
 これは宰相様を責める絶好の機会でもある。
 お前の責任だ、と追及するその好機を活かさず、大人しくしているなんて……この国の貴族がそんな殊勝なはずがあるか。 
 敵対しておきながら敵対している貴族を責めない……それには、相応の理由があるはずだ。
 陛下が亡くなったから喪に付している?
 いやいや、それもないわ。
 貴族が全員真面目に仕事してたら親父たちが仕事に追われて、俺に連絡も寄越さない、なんて事になってるはずない。
 親父たちは相変わらず、連中にいいようにこき使われて忙しかったのだ。
 それこそ、俺に連絡も寄越せないほどに!

「あの……調べて頂けますの?」
「わしは陛下のご意向に従うまでだ。宰相殿とは不仲というわけでもないが、特別親しいわけでもない。我が家は在り方においてこの国ではいささか特殊でな……特別公爵家と懇意にして取り立ててもらいたいわけでもない。ただ、我が家はこの国の守護竜様が、心穏やかにいてくださればよいという事のみ」
「…………」
「その辺りの話は、うちの愚息が、ルースフェット公爵に正しく婚姻を認めて頂いた時にでもお話致そう。まあ、本日は長旅で疲れておられるだろうから、ゆっくり部屋でお休みになられればよい。ファーラ嬢も、『戴冠式』が終わるまでは我が家でしばらくお預かりするという話だ。心よりもてなしさせて頂く、『聖なる輝き』を持つ、守護竜の乙女よ」
「……え……ええと……」

 困惑するファーラの肩を抱き寄せるラナ。
 泊めて頂くのよ、とラナが説明すると、ファーラは頭を下げて「よろしくお願いします」と告げる。
 んん、親父……顔が緩み過ぎだ。
 確かにうち、男兄弟で女の子はいないからなんとなくアレなんだろうけれど!
 息子として大変に気持ちが悪うございます。

「ファーラ嬢のご案内は俺が!」
「お前はこのあと少し話がある。ルース、お前もだ」
「うへぇあ……」

 俺にしがみついていた件でゲンコツ確定のルース。
 そして俺もクールガンには少々話がある。
 もちろんファーラの件で!

「ラナ、宰相様の件はもう少し親父の方で調べてもらえる事になったから。とりあえず今日は部屋で休んで。食事も部屋の方に運ばせるから」
「え、で、でもあの……」
「そうされるといい。わしは今の話を城の部下たちに指示しなければならないので、今夜は戻らん」
「…………。あの、フランのお母様にもご挨拶をしたいのですが……」
「む……う、うぅむ、す、すまぬ……。妻は最近育児疲れが酷かったゆえ、実家の方に数日泊まると……まあ、乗馬ももちろん理由の一つではあるのだが……」
「そ、そうでしたか……では、お戻りになられた時に、まだわたくしどもがおりましたらぜひご挨拶させてください」
「ありがとう、妻にもそう手紙を送っておく。殿下の『戴冠式』には……さすがに出てくれるとは思うからな……うん」

 確約出来ないあたりがうちの母である。
 しかし育児疲れが理由だと、まあ、うん、はい……なんにも言えなくなるよなぁ……それは……。

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