第五話 引き止められない、その人は
一時間目が終わった後、ポケットに入ったキーホルダーを右手で掴みながら、優衣にどんな顔で会えばいいのかと悩んでいた。昨日冷たく誘いを断ってしまった手前、大丈夫だとは分かっていてもなんとなく緊張する。右斜め前を見て優衣を探して、誰もいない椅子を見つめてから黒板の上にある時計を見た。そうだと思い出して携帯を手に取りニュースサイトを開く。魔法少女のニュースはまだ入っておらず、ため息を吐きながら画面をなぞった指をそっとひっこめた。
「あれ? 優衣ちゃん遅刻?」
はっと教室の入り口に目をやると、優衣がクラスメイトにそう声をかけられてにっこり笑っているのが見えた。そのまま席に着くと周りをきょろきょろと見渡しながら、自分の鞄に手を入れてがさごそと何かを探している。私のことなんて見えていないかのように振る舞う優衣がおかしくて、自然といつも通り優衣の元へ行こうと立ち上がれる自分がいた。
「さな、次の授業の宿題写させて! いちごミルクおごるからお願いー!」
いきなり視界に飛び込んできた美紀の勢いに押されて、一度は上げた腰をまた下ろしてしまった。笑いながらノートを出していると、視界の端にいた優衣はふらふらと教室の外へと出て行ってしまう。その後の休憩時間もチャイムが鳴ると同時に教室の外へと行ってしまう優衣を見て、仲間のところにでも行っているのだろうと思っていた。
授業中さえ落ち着きがなかった優衣とやっと話せたのは、お昼休みになってからだった。
「優衣、ご飯食べよ。……って、あれ、今日はお弁当ないの? 学食?」
いつもの様にお弁当を持って優衣に近づくと、優衣はクラスメイトたちを見ていた顔を私に向けて、「うん」と頷いた。学食に行く途中の優衣は何だか嬉しそうで、いつもと少し違った雰囲気に私も新しい優衣を見たようで嬉しくなった。
「美味しい……美味しい!!」
いつもより明らかに多い量の料理に囲まれながら、口いっぱいにご飯を頬張る優衣の姿に呆然とした。この小さな体のどこにこれだけの量が吸い込まれて行くのか。私よりもかなり速いスピードで食事をしていた優衣は、器を空にすると急に立ち上がって、気になることがあると言い残して走って行ってしまった。周りからひそひそと声が聞こえたかと思うと、テーブルに置かれた大量の器とその前に座る私への視線を感じて、耐え切れずにすぐに器を返却して教室に戻った。
いつもなら昼休みも一緒にいるのに、と違和感はどんどんと膨らんでくる。今日の優衣は、明らかに何かがおかしい。
「さなー! お化け出たらしいよ! やばくない?!」
教室の入り口から声をかけてくる美紀に、首を傾げてから席を離れて近付いていく。美紀の隣へ行くと、廊下にたくさんの生徒が出て騒ぎ声が反響していた。お化けを探そうとしたのか大騒ぎしながら走り抜けて行った男子学生が、廊下の先で教師に出くわして怒られている。そのとき、教師の後ろを一瞬白いものが通り過ぎていった。叫び声をあげた男子学生たちは更に怒られ、教室の周りでは携帯のカメラで周りを撮り始めたり、学校の七不思議を話し出す生徒もいた。
「マジやばい、こういうの楽しい」
いつものようにぎゃははと笑う美紀の隣で、私も思いきり笑えた。こんなに楽しい時間をくれる美紀には感謝しないとな、と思うと同時に、まだ優衣にキーホルダーのお礼を言っていなかったことに気が付いた。チャイムが鳴って席に着くと、入り口から何故か疲れた表情の優衣がやってきて、続いてすぐに次の授業の教師が入ってきた。後でいいかと授業の準備をしながら、先ほどのお化け騒動を思い出して口元が緩んだ。
放課後になってすぐに席を立ち上がると、優衣はちょうどふらふらと教室を出ていくところだった。
「優衣! ちょっと待って!」
背中にとん、と手を当てると優衣はびくっと驚いてから私を見て、疲れた表情のまま精一杯笑った。
「ごめんね、今日ちょっと疲れてて……。また明日ね、早苗ちゃん」
本当に疲れていそうな表情に何も言えずに、こくりと頷いて見送る。教室に一人戻って席に着き、ため息を吐いてから俯いた。今日の優衣を思い返しながら、少しおかしかったなと改めて考える。いつも一緒にいるのになんだか今日は距離を感じたし、いつも小食な優衣が信じられないほどの量を食べていたのも気になる。
――また明日ね、早苗ちゃん
ゆっくりと顔を上げて手で口元を抑えながら、何度かその言葉を頭の中で反芻していたとき、心臓がどくんと鳴ったのが聞こえた気がした。勢いよく立ち上がり走って教室を出た後、長い廊下を駆け抜ける。角で曲がった優衣の姿を道の先に見つけて私もすぐ角を曲がったが、そこに優衣はいなかった。ポケットからキーホルダーを取り出して、しばらく見つめた後優衣がいたはずの道に顔を向けた。
「早苗ちゃん……って、言ったよね?」
息切れと揺れる肩を落ち着かせようとキーホルダーを握ったままの手を胸に置く。いつまでたっても静かにならない鼓動が外に聞こえぬよう、拳をぎゅっと胸に押し付けた。