コワいウワサ~ヤキバ~
4
ヤキバ
友紀と和徳は禁忌を犯していた。ともに親から行ってはいけないと言われているヤキバの敷地内で網を振って虫取りに励んでいたのである。
二人の親だけではなく、この辺りの子供を持つ親なら誰でもそこで遊ぶなときつく注意していた。
親は自分の親から、その親はそのまた親から、この地に住んでいる限り子供たちは代々必ず言い含められて来た。
友紀と和徳は夏休みの宿題で生きている昆虫図鑑を作ろうと考えた。それにはできるだけ多くの種類が必要だ。
だが、セミやバッタといった誰でも捕れるようなものしか集められなかった。
友紀は考えた末、多くの樹木が茂るヤキバの敷地に目を付けた。数年前から建ち並び始めた住宅地に引っ越ししてきた友紀にとって代々続くタブーの畏怖はさほど効き目がなかった。
友紀の母親は子供の頃からこの地に住む和徳の母親やその他のママ友から子供に伝えるべき禁忌を確かに言い渡されていた。
そしてそれを友紀にも伝えていた。
だが、母親は葬送の場で遊ぶべからずというただの倫理的な意味だと解釈し、重要性をそれほど考えていなかった。そのため友紀にもそのように伝わったのだ。
ヤキバに入ろうという提案に和徳は大反対した。自分は祖父母や両親から絶対に行くなと、幼い頃からきつく言い聞かせられている。
決まりを破ると家に帰れないぞと。
それを訴えたが、友紀は鼻で笑った。
「そんな証拠どこにあるの? 誰かそんな目に合ったことあるの? そんなのただの噂だよ」
「でも祖父ちゃんたちが言うてるもん」
「あのね、大人たちがそういうふうに言うのは子供たちを危険な場所に行かせないためさ。だから、ヤキバの建物内に入らなかったらきっと大丈夫だよ。そこが一番怖くて危険な場所だから」
友紀の説得に和徳は納得した。
「ヤキバに行って正解だったね」
友紀は水槽型のケースを抱いてほくほく顔で家路を歩いていた。
「なあ、後ろから変な声聞こえん?」
「そう?」
振り向こうとした友紀を、「振り向いたらあかんっ」と大声で和徳は制した。
「な、なぜ?」
「もし決まり破ってヤキバへ行ったら、家へ帰るまで振り向いたらあかんのや」
「なぜなの?」
「し、知らん。知らんけど、その決まりも破ったら、玄関の敷居またぐ瞬間に後ろへ引っ張られて家に入れんのやって」
「えーそんな理由? だからそれはただの大人が流した噂だって」
友紀は鼻で笑うと後ろを振り返った。つられて和徳も振り返る。
確かに大勢のひそひそする声が聞こえた。が、それはプラスチックの壁をよじ登るタマムシやカミキリムシ、図鑑で調べるまではまだ名前の知らない虫たちの脚先が立てる音にも思う。事実、背後には誰もいない。
「ね、なにもいないだろ」
二人は顔を見合わせうなずき合った。
それ以降、奇妙な声は聞こえず、和徳の自宅前に着いた。
「じゃ、虫は僕が預かっておくから。明日仕分けして名前と生態のラベル張りしよう。
すごく楽しみだね」
「うん。じゃバイバイ」
網を持ったまま和徳が手を振った。そして玄関ドアを開け、足を踏み入れる瞬間、忽然と消えた。
それをまともに目撃した友紀はケースをその場に落とした。
フタが開いて這い出た虫が空に向かって飛んでいく。
そんなことなど構わず友紀は思いきり走った。
うそだ、うそだ、うそだ――
きっと見間違いか、和徳がいたずらをしたのだ。
だが、戻って確認する気になれない。
自宅が見えて友紀はほっとした。
門扉を開け放したまま勢いよく玄関扉を開く。
「ただいまっ」
そう言いながら中に入る瞬間、首根っこを後ろからぐいっと引っ張られた。
友紀の母は門扉と玄関ドアの開く音、「ただいま」という息子の声を確かに聞いた。
だが、いっこうに入って来ない。いつもならお腹空いたと叫びながらキッチンに飛び込んでくるのに。
聞き違えたのかと玄関先まで出てみた。
扉は開けっ放しでそこから見える門扉も開いたままだ。
「友紀?」
母は階段下から二階の部屋へと呼びかけ、外にも出て周辺を窺ってみたが、息子の返事も姿もなく、そのまま和徳ともども行方がわからなくなってしまった。
「あれだけタブーを重要視していたのに、みんなまったく子供たちの失踪の原因に見当がつかないわけ。
まあ、生きながらあの世に引きずり込まれたなんて誰も想像できないでしょうね」
跋
わたしはいつまでもにこにことくだらない話をし続ける彼女を睨んだ。
「ねえ、なんかおかしくない? 当事者はみんな消えたままなのよね? だったらいったい誰がウワサの真相を話したの?」
「さあ、誰でしょうねぇ」
彼女から笑みが消えると辺り一面真っ暗闇になった。
どこを見渡しても何も見えず、何も聞こえない。
まさか、これもウワサの一つ?
ってことは、わたしも消えた一人になるの?