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のんびり刑事と美人刑事の事件簿(2)

      一   プロローグ
 滋賀県長浜市高月町に渡岸寺(どうがんじ)という村がある。そしてこの村の向源寺というお寺には、十一面観音立像が安置されている。だが一九七四年に向源寺から少し離れた所に、慈雲閣(じうんかく)という収納庫が完成したことにより、そちらに移された。
 一般的には(渡岸寺の観音様)と呼ばれていて、その観音像は国宝に指定されており、全国に七体ある中で最も美しいと言われている。

 時は平成三十一年四月七日の日曜日。夜中の雨が嘘のように、空は晴れていた。その日、早朝の六時に住職が日課にしている朝の散歩に行くべく、境内に足を踏み入れたときだった。石畳の上に人らしきものが横たわっているのを見つけた。近づいてみると、やはり人だった。その人は背広を着ている年配の男性で、目を開けたまま身動きひとつしない状態なので、ひとめ見ただけで死んでいると分かった。そして男性のそばには、小さな木彫りの観音像が、ひとつ転がっていた。
 日頃から遺体を見慣れている住職とはいえ、それは棺の中であって、地面に倒れている死体を見慣れているわけではない。驚いた住職は携帯電話を手に取ると、慌てて110と押した。

「こちら湖北警察署です。どうしましたか?」
 住職は名乗ったあと、状況を説明した。すると十分と経たない内にサイレンを鳴らしたパトカーが寺の前にやってきた。車から降りた警官が遺体を見て言った。
「すでに死んでいるな、見ただけでは死因が分からないから鑑識を呼んでくれるか?」
 もう一人の若い警官が答えた。
「分かりました、本署に連絡を入れます」
 その警官はパトカーに戻ると無線を手に取った。もう一人の警官もパトカーの所へやって来ると、トランクを開けて「立ち入り禁止」と書いてある黄色いロープを持った。

 湖北警察署では一報を受けた警官が、二人の刑事を呼び出すための電話をしていた。
「もしもし、こちら湖北警察ですが、一平さんはおられますか?」
「はい、まだ寝ておりますが」
 一平の母がそう答えた。
「至急、署まで来ていただくように伝えてもらえますか?」
「分かりました」  

 一平さんとは、刑事歴三年の奥村 一平(おくむら いっぺい)だ。年齢は三十歳で独身。階級は巡査部長。身長百七十八センチ、体重八十キロのがっちりとした体格の持ち主であった。大学を卒業後、警察に入り刑事になった。性格はおっとりとしていて、何事に対しても焦ることなく、ゆっくりと進むタイプだ。こう聞くといかにも落ち着いていて、思考能力をじっくりと発揮して、あらゆる難事件でも解決しそうな刑事に思われるのだが、悪く言えばのんびりした性格とも言えた。彼が刑事の職種に向いているかと言えば、決してそうとは思えなかった。顔立ちも決して男前とは言えず、刑事にありがちな鋭い眼光をしているわけでもない。やや丸みのあるその顔はいかにもやさしそうで、彼の職業が警察官で、まして刑事をしているとは誰もが思わないだろう。そんな彼が刑事を続けていられるのは、もう一人の相棒のお陰とも言える。

 その相棒とは、女性刑事の池内 可奈(いけうち かな)だ。年齢は二十五歳で独身。階級は巡査長だ。彼女は高校を卒業して警察に入った。最初は交通課勤務だったが、前任者の女性刑事が寿退職したため、刑事に抜擢されたのだった。身長は百六十五センチ、体重は秘密だそうだ。顔はやや面長で、二重瞼の大きな瞳が特徴の美人刑事だ。それに加えて頭脳明晰で刑事歴はまだ二年と短いが、これまでもいくつかの事件を解決した実績を持っている。天は二物を与えずという言葉があるが、彼女は天から二物を与えられていた。その池内だが、実はちょっぴりだけど、奥村刑事を好きなのだ。彼は二枚目ではないが、いつも優しくしてくれる。たまにだけど食事をおごってくれるし、疲れた様子を見せると、パトカーの運転も代わってくれる。刑事になった時は、刑事のいろはを親切に教えてくれた。そんな奥村に対してすぐに好意を持ったのだった。しかし肝心の奥村は、そのことに全く気付いていないので、のんびり刑事と言うよりも鈍感刑事と言ったほうが、正しいかもしれない。
 ただ奥村はこの池内刑事とコンビを組んでいるお陰で、主に池内が事件を解決しているにも関わらず、そうとは知らない上司や周囲の警察官から、奥村も刑事としての能力を評価されているのだ。

 奥村刑事が署に着くと、先に来ていた池内刑事が言った。
「奥村さん、急いでください」
「殺人なのか?」
「まだ分かりませんが早く行きましょう。殺人事件だとすれば、初動捜査が肝心ですから」
「分かったよ、でも起きてすぐ来たから、お腹が空いて仕事にならないよ。池ちゃん何か持ってないかな?」
「パンで良かったらありますけど」
「それでいいから、もらえるかな?」
「ええ、でも現場に着くまでに食べてくださいね」
「うん、三分以内に食べるよ」
 そうして二人の刑事は事件の現場へと向かった。

 現場に着くと、すでに鑑識が来ていて遺体やその周辺を調べていた。奥村も遺体の所に行くと鑑識の男性に聞いた。
「死因は分かりましたか?」
「はい、まだ断言はできませんが、青酸カリのような毒物と思われます」
「他に何か気付いたことはありますか?」
「死んだのは夜中の零時前後でしょう。それと身元を示す物ですが、財布の中に名刺が何枚か入っていました。本人の名刺かどうかは分かりませんが、これから調べます」
「その仏像のような物はなんでしょうね?」
「遺体のそばに落ちていたようですが、この仏さんの持ち物か、犯人の持ち物かは分かりません。持ち帰って指紋を調べます」
「事件とは全く関係のない、第三者の物とは考えにくいですね」
「そう思います、こんな像がそこらに落ちているとは思えませんから」
 その観音像は高さが三十センチばかりの小さな像で、仏壇の店に行けば売ってあるような物だ。素人の奥村が見ても特別に作られた像とは思えなかった。ただそれが、どうしてこの場に落ちていたかが問題だ。

 周囲を隈なく調べていた別の鑑識にも話を聞いたが、何も発見された物はなかったとのことだ。昨夜はかなりの強い雨が降っており、足跡も残っていないし、争う声があったとしても雨の音で消されてしまったのか、誰も声や物音を聞いた人はいなかった。

 ひと通りの捜査を終えると、鑑識は遺体を車に乗せて署に戻った。奥村と池内は現場に残って二人で話し始めた。
「池ちゃん、何か分かったことはあるかな?」
「いえ、今のところはありません。雨も災いしたようです」
「そうだね、強いて言えば落ちていた観音像かな」
「どうしてそんなものが残されていたのでしょうね?」
「それに犯行の動機が潜んでいるのかもしれないな?」
「おそらく何か関係があるでしょうね」
「じゃあ署に戻ろうか」

 二人が署に戻ると、今から捜査本部を立ち上げるので二階の会議室へ集まるようにとのことだった。
 湖北警察署は田舎の警察なので、署員もそう多くはない。署長以下二十名の署員と、受付業務が二名、電話の交換手が二名で総勢二十四名だ。警察官は移動も多いので、署の裏には官舎が建てられている。

 署長と副署長が会議室へ入ると、最初に事件の概要について鑑識が話を始めた。
「渡岸寺における死体の件について、これまでに分かったことを報告します。まず被害者の身元ですが、持っていた名刺から判明しました。名前は高木雄三、年齢は六十八歳です。仕事は高木自動車販売と言って、主に中古車の販売をしている会社の社長です。住所は高月町内で、家族は子供が二人います。家に連絡をしましたので、間もなくこちらに来られると思います。死因は青酸カリによる中毒死です。現場に残されていた遺留品は小さな観音像が一体だけで、他には何もありませんでした。足跡も残っていません。また雨の音もあってか、言い争う声や物音を聞いた住民はいませんでした。尚、所持していた財布の中に三万円あまりのお金が入っていましたので、盗みが目的とは思えません。報告は以上です。また新たな情報があれば報告します。何か質問はありますか?」
 
 そこで奥村が手を上げた。
「どうぞ」
「残されていた観音像から指紋は出ましたか?」
「はい、被害者の指紋が出ましたが、他にはありませんでした」
「青酸カリは飲み物に混ぜて飲んだと思いますが、空き缶はどうしたのでしょう?」
「近くには落ちていませんでしたので不明です」
「自殺の線も考えられますね?」
「はい、しかし自殺だとすれば、空き缶などの容器が残っているはずです」
「分かりました」
 最後に署長からひと言あった。
「今の話では自殺と他殺の両方が考えられますが、飲み残しの容器が落ちていなかったことを考えると他殺の可能性もありますので、全力で取り掛かってください」

        二   捜査開始
 奥村と池内が一階に降りると、丸岡警部に呼ばれた。警部は奥村刑事と池内刑事の上司で、名前を丸岡哲男(まるおか てつお)という。年齢は四十五歳。短髪で、やや強面(こわもて)の顔をしている。
「奥村と池内、今回も二人が先頭に立って事件を解決してくれ、私は他の事件で忙しいから先頭には立てないが、困ったときは言ってくれれば協力するから」
「はい、分かりました。任せてください」
 奥村がそう言った。いつもそうだが、彼はこうやって軽く言葉を発するのだ。確かにこれまでも、いくつかの事件を解決してきたという実績はあるが、だからといって今回も解決できるとは限らない。もし解決したとすれば、おそらく池内がするのだろうが、それは二人で解決したと評価されるのだ。
 池内はいつも思うのだが、奥村の返答は「任せてください」ではなくて「頑張ります」程度にしてほしいと思うのだった。しかし先輩に、それを言うわけにもいかない。性格のやさしい彼だからこそ、自分の上司に心配を掛けないように、そう言わずにはいられないのだろう。

 丸岡警部との話が終わったところに、一人の男性が受付嬢に案内されて警部の所に来た。その男性は殺された高木社長の息子で、名前を誠(まこと)と名乗った。
「高木さん、御足労をお掛けしてすみません。電話で聞かれたと思いますが、お父さんが渡岸寺で亡くなられておりました。それで少々お聞きしたいのですが、最近お父さんの様子に変わったところはありませんでしたか?」
「いえ、何もなかったと思います。会社の仕事も、いつもと変りなくしていました。それに悩んでいる様子も見受けられませんでした」
「昨日の夜のことですが、お父さんは一人で出掛けられたのですか?」
「分かりません。出掛けたことも知りませんでした」
「そうですか、じゃあ御家族は他に誰がいますか?」
「三才下の弟がひとりいますが、母は三年前に病気で亡くなりましたので、三人家族です」
「お父さんの経営されていた会社で、一緒に働いておられたのですか?」
「はい、車の販売や簡単な修理をしています」
「人は雇っておられるのですか?」
「ええ、男性を二名と事務の女性を二名雇っています」
「では伺いますが、お父さんと従業員の方々の間で何か問題はありませんでしたか?」
「僕の知っている限りは何もなかったと思います」
「そうですか、分かりました。それでお父さんの遺体ですが、もうしばらく調べたいので、こちらで預からせていただきます。終われば連絡しますので、引き取りをお願いします」
 
 高木の長男が帰ると、警部が奥村と池内に言った。
「じゃあ今から二人で高木さんの会社へ行って、弟や従業員に話を聞いてきてくれるか?」
「はい、そうします」
 二人はパトカーに乗ると、高木自動車販売へと向かった。
 
 会社へ着くと社長の次男や従業員に、社長の最近の様子などを聞いたが、誰もが「いつもと変わったところはなかった」と、同じ返答だった。常務の肩書を持つ次男も父が夜遅くに出掛けたことは、気付かなかったと言っていた。
 刑事の二人は念のために、社長の部屋を見せてもらうことにした。
「どうぞ、案内します」
 長男は葬儀の準備などで忙しそうだったが、次男が快く部屋に案内してくれた。被害者の部屋でもあり、捜査令状もないので部屋を荒らすわけにはいかない。さっと見る程度しかできないので、ものの数分で部屋を出た。
 
 署に戻る途中の車内で、奥村が池内に聞いた。
「どう、何か分かったことはあったかい?」
「いえ、何も・・・ただ社長の部屋にも例の観音像がありましたね。大きさからみて、殺害現場に会ったものと、おそらく同じ物だと思います。社長はどうして、そんな像を何体も持っているのでしょうか?」
「まあ商売柄、神や仏を崇拝とまでは言わないけど、商売繁盛をお願いしているとも考えられるね」
「それは分からないでもありませんけど、事務所には神棚だけで観音像はありませんでした。警察署も安全祈願などで神棚はありますが、どこの会社でも普通は神様だけで、観音様は商売とは無関係に思えますけど」
「うん、社長の単なる趣味なのかな?」
「少し気になりますね」
「また次の機会に聞いてみるよ」

 二人は署に戻ると警部に報告をしたあと、昼食を摂ることにした。
「池ちゃん、お昼はどうするの?」
「今朝は早く出勤したので、お弁当を作る時間がなくて持ってきていません」
「じゃあ食べに出ようか?」
「はい」
 池内は嬉しそうな顔をして返事をした。奥村と一緒に食べるのも嬉しいが、うまくいけば奢ってもらえるかもしれないからだ。
「駅前の喫茶店に行こう」
 二人は歩いて二分(にふん)ばかりの所に在る喫茶店に向かった。
「池ちゃんは何にする?」
「私はオムライスを」
「僕はチャーハンにするよ。大盛でね」
「奥村さん、今回の事件も捜査が始まったばかりだけど、何だか前途多難な気がするわ」
「どうしてだい?」
「だってそうでしょう、自殺なら飲んだあとの空き缶か何かが残っていて当然でしょう。それが無かったということは、他殺の線が濃厚になるわ」
「もし他殺だとしても池ちゃんなら大丈夫だよ、今までからそう言っては見事に解決してきたじゃないか」
「そんな簡単に言わないでください。簡単な事件なんてひとつもありませんでした」
「それはそうかもしれないけど、君ならきっと解決できるよ。一緒に知恵を絞って頑張ろうよ」
 池内はそう言う奥村に(一緒にと言っても、知恵を絞るのは奥村さんが一割で、私が九割でしょう)と、言いたかった。

       三   三十年前
 翌日の八日、署内で奥村と池内が捜査の打ち合わせをしていると、そこに鑑識をしている松井がやってきた。彼はこの道三十年のベテランで、年齢は五十三歳だ。
「話したいことがあるのですが、構いませんか?」
「ええ」
「この事件は今回の事件とは無関係だと思いますが」と、前置きをしてから話し始めた。
「実は被害者のそばに落ちていた観音像を見て思い出したのですが、今から三十年ほど前の平成元年でした。私が大学を出てから、湖北署に配属されてすぐの事です。この木之本町内にあった和田という名前の仏壇店の店主が、町内のお寺の境内で死んでいたという事件がありました。死因は今回と同じく毒によるものですが、その事件も自殺か他殺か分からず、最後は自殺ということで幕を引きました。なぜなら、その事件はコーヒーの缶がそばに落ちていて、中から青酸カリが検出されたからです。指紋も本人のもの以外に出ませんでした。その死んだ店主は夫婦で店をやっていまして、二人の間に息子が一人いました。当時は中学生だったと記憶しています。その店は仏壇仏具の店でしたので、今回の事件で被害者のそばに落ちていたような観音像も、売っていたかもしれません。その時の事件と今回の事件は、場所もお寺で死に方も同じなので、何か関係があるかもと思いまして。まあ三十年も前の話ですから繋がりはないと思いますけど。一応思い出したので話しておきます」
「そんな事があったのですか、じゃあその事件の捜査資料はまだ残っていますか?」
「はい資料室に行けばあるでしょう。ただその時の捜査員は、もう退職されておりませんし、私も鑑識で現場には行きましたが、まだ見習い中だったものですから、指示されたことをするのが精一杯で、事件の中身は殆ど覚えていません」
「では資料を一度見せてもらいます。わざわざありがとうございました」
「いえ、何かお役に立てればと思いまして」
 松井はそう言うと、持ち場へと戻って行った。

「池ちゃん、今の話はどう思う?」
「三十年も前じゃ、私はまだ生まれていなかったわ」
「そうだね、わざわざ話してくれたのだから、関係ないとしても捜査資料だけは目を通しておこうか?」
「ええ、そうしましょう。無関係かどうか決めるのは、読んでからでも遅くないでしょう」
 二人は資料室に入ると、その事件の資料を探し出して読んだ。

「この事件の現場は俗に木之本地蔵と呼ばれている、大きな地蔵様が建てられている寺の境内だな」
 奥村がそう言うと、池内が答えた。
 「場所は違いますが、今回と同じくお寺ですね」
 ちなみにこの地蔵様だが、建立は明治二十七年。高さが六メートルもある大きな銅像で眼病平癒の地蔵様として信仰を集めている。

「ただ、この捜査資料を読んでも、今回の件と関係があるのかどうかは断言できないな」
「そうですね」
「その後、奥さんと中学生だった息子は、どうしたのかな?」
「これには書いていませんね」
「ちょっと調べてみようか?」
「この調書によると、奥さんの名前は和田瞳(ひとみ)で、息子さんは満(みつる)です」
「え~と、それじゃあ現在の年齢は奥さんが六十八歳で、息子は四十三歳だな。今も家におられるのかな?」
「調べましょうか?」
「そうしてくれるか」
 
 それから一時間余りが過ぎた頃、池内刑事が戻ってきた。
「奥村さん、和田家の件ですが、市役所の木之本支所で聞いてきました」
「どうだった?」
「住民票を見せてもらったところ、奥さんは夫が亡くなった一年後に、心労から病気になって亡くなったそうです。それで息子の満は親戚に引き取られて、中学校を卒業したようで、一旦親戚の住所に移されていました。中学校を卒業後は地元の会社に就職をして、親戚の家に住んでいたそうですが、その後は自宅へ戻って一人で生活していたようです。住所も自宅に変わっていました。ですが現在は家にいないようです」
「じゃあ今はどこに居るのか、生きているのかどうかも分からないんだね?」
「はい、そういうことです」
「そうか・・・何とか行方を追えないかなあ?死んでいたら仕方がないけど」
「そうですね、一度しばらく住んでいたという親戚を、あたってみましょうか?」
「そうしてくれるか、僕は今回の事件を捜査するから。古い事件に人や時間を費やすわけにもいかないしね」
「ええ大事なのは今回の事件ですから。繋がりがないと分かったら、すぐに手を引きましょう」

 池内は和田満が引き取られたという親戚の家に出向いた。玄関の表札に
(吉岡)と書いてあった。
「こんにちは、湖北警察署の池内と申します。吉岡さん、少し聞きたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
 玄関を開けたのは、七十歳前後と見受けられる女性だった。
「はい、何でしょうか?」
「今から三十年ほど前のことですが、こちらに和田満さんという中学生の男の子を、お引き取りになったと聞きました」
「ええそうです。私はあの子のお父さんの妹で、この家に嫁いで来ましたが、両親が死んでしまって、他に身寄りのない満を私が引き取りました」
「そうでしたか、それでその満さんですが、そのあと実家に戻られたのですね」
「はい、満も私や夫に迷惑を掛けたくなかったのでしょうね。高校へ行きなさいと言いましたが、行かずに就職をしまして頑張ってお金を貯めていました。いくら貯まったかは知りませんが、ちょうど成人を迎えた二十歳の時に、この家を出て実家に戻りました。あの子はとても優しい子で、家の手伝いもよくしてくれたし、この家を出るときも世話になったお礼だと言って、お金を置いていきました」
「満さんは実家に戻ってから、どうされたか知っておられますか?」
「確か五年ほどはいましたが、会社を辞めて家を出たようです」
「何か訳があったのでしょうか?」
「それは分かりません」
「それで今はどこに住んでいるのか、ご存知ありませんか?」
「ちょっと待ってください」
 吉岡はそう言うと、家の奥へと入って行った。そしてすぐに戻ってきて言った。
「これは満からの手紙です。ただ一年ほど前のものですので、今でも同じ住所かどうかは分かりません」
 そう言いながら、池内に手紙を渡した。
「読ませていただいても構いませんか?」
「どうぞ」
 池内は満からの手紙を読んだが、通り一遍の内容で特に気になる文面ではなかった。一年前の手紙とはいえ、まだそこに住んでいる可能性は高く、生きていると思って間違いないだろう。封筒の裏に書いてある住所を控えると、吉岡に礼を言って署に戻った。

 和田満の件を報告するため奥村のデスクに行くと、書類に目を通しているのか下を向いている。
「奥村さん、高木さんの親戚宅へ行って来ました」
「・・・・」
 返事がない。
「奥村さん」
 再度呼び掛けて、顔を見ると目を閉じている。奥村を知らない人が見たら、何か真剣に考え事をしているように見えるが、彼をよく知っている池内は分かっていた。そう、彼は居眠っているのだ。
 少しばかりカチンときた池内は彼の耳元に口を持っていくと、大きな声で「奥村さん!」と呼んだ。すると彼は驚いて顔を上げた。そして目をしょぼしょぼさせながら、池内の顔を見て言った。
「ああ池ちゃんか、びっくりさせないでくれよ」
「また居眠りしていたのね」
「いやそういうつもりはなかったんだけど、書類を読んでいたら自然に目が塞がってしまって」
「それを居眠りと言うのですよ」
「ごめん、ごめん、それでどうだった?」
「ええ、少しは収穫がありました」
「聞かせてくれるかい?」
「今から一年ほど前に、高木さんから親戚宅に手紙がきていました。それで生きていると思って間違いないでしょう。それと住所が書いてあったので、変わっていなければ、今もそこに住んでいると思われます」
「そうか、それだけ分かれば彼のことは一旦置いておこう。住所さえ知っていれば、今後の捜査で何か関連があれば会いに行けるからな」
「はい」
      
       四   観音像
 その後、向源寺で亡くなっていた高木雄三の捜査は、特に進展がないまま
一週間が過ぎた。
 そんなある日のこと、鑑識の松井が奥村と池内の所へやって来た。
「ちょっといいですか?」
「はい、何でしょう?」
「これを見てもらえますか?」
 松井はそう言うと、二人に観音像を見せた。
「高木さんの事件で、遺体のそばに落ちていたものです」
「そうでしたね、これが何か?」
「見てください。ここが外れます」
 松井は観音様の足の下にある台座を、手で回して見せた。そして外れた部分を見せて言った。
「観音様の台座に穴を掘られたのか、ここが空洞になっています。他の観音様がどうなっているのか知りませんが、普通は穴など開いていないと思います」
 その穴は直径が約五センチで、深さは一センチほどだ。
「何のための穴でしょうね?」
「それは分かりませんが、それよりも重要な発見がありました」
「何ですか?」
「この台座の内側からも指紋が出ました」
「誰のか分かりましたか?」
「はい、それは三十年前に殺された仏壇店の和田さんのものでした。和田さんの指紋は警察のデータベースに登録されているので、間違いありません」
「本当ですか、どうしてこの像に和田さんの指紋が付いていたんでしょう?」
「はっきりとは分かりませんが、この像は和田さんが作って高木さんに売ったものではないでしょうか?。そう考えると、指紋が付いていても不思議ではありません」
「短絡的な発想ですが、高木さんが和田さんを殺して、像を奪ったとは考えられないかな?」
「殺してまで奪うほどの価値はありませんね。市販で買っても数千円から一万円程度の物でしょうから」
「それもそうですね。しかし何か引っ掛かるな。和田さんの事件と今回の事件が、どこかで繋がっているんじゃないかな?」
「可能性はありますね」
 池内がそう答えたあと、続けて言った。
「でも三十年間、よく指紋が残っていましたね」
「ええ、台座の内側だったので、滅多に触らなくて残っていたんでしょう」
「そう言えば、高木さんの部屋を見せてもらったとき、部屋の中にもこれと同じ像があったな」
 奥村が池内に言った。
「ええ、ありました」
「その像を借りてきて、これと同じものか調べてみようか?」
「そうしましょう」

 二人はすぐに高木自動車へと向かった。店は社長の葬儀も済んでいて、すでに開店していた。
 中に入って事務員さんに声を掛けると「ちょっと待ってください」と言って、新たに社長に就任した長男の誠を、奥の部屋へ呼びに行った。
 彼はすぐにやってきた。
「その節は色々とお世話になり、ありがとうございました。今日は何でしょうか?」
「先日お伺いしたときに、お父さんの部屋を見せていただきましたが、部屋の中に観音像がありましたので、それをお借りできないかと思って伺いました」
「そうですか、分かりました。取ってきますので待っていてもらえますか?」
「すみません」
 
 しばらく待つと、誠が像を持って戻って来た。
「これですね?」
「ええそうです。何日かお借りしても構いませんか?」
「構いませんよ、私には不必要なものですから」
 二人は像を借りると署に戻った。

「松井さん、像を借りてきたので調べてもらえますか?」
「はい」
 それから一時間と経たないうちに、二人の所へ松井がやってきた。
「どうでしたか?」
「やはり同じものでした。何から何まで全く一緒です。台座を外すと空洞がありますし、和田さんと高木さんの指紋も検出されました」
「そうですか、同じものが二体ですか・・・」
 池内が言った。
「何だか謎めいてきましたね。他にも同じものがあるんでしょうか?」
「分からないけど、社長の部屋で見える所にはこれだけだったな」
「もしかしたら部屋のどこかに、もっとあるかもしれませんね?」
「たとえそうだとしても、勝手に探すわけにはいかないだろう。家宅捜索をする理由がないから、令状も取れないな」
「息子さんに頼んでみてはどうでしょうか?」
「うん・・・だが今は止めておこう。三十年前の件に、高木さんが関係していることが分かれば、そのときは捜索令状が取れるから。単に二人の指紋が付いていたというだけでは、関係しているとは決められないな」
「そうですね」
「それに高木さんが死んでしまった以上、話も聞けないからな」
「この空洞も気になりますね」
「何かを入れるためなのかな?」
「それですが、先ほど仏壇の店に電話で聞いたところ、そのような穴は開けないとのことでした」
 鑑識の松井が、口を挟んだ。
「そうですか、じゃあ和田さんが故意に開けたということなのかな?」
「そうでしょうね」
「どうしてなんだろう?」
 そこで池内が返答した。
「それは分かりませんが、今回の事件と三十年前の事件の両方に、この観音様が絡んでいるような気がします」
「そうだな・・・もう一度、和田さんの件を洗ってみようか?」
「ええ、そうしましょう。きっと何か繋がっていると思います」
「よし、そうしよう」
     
       五   再捜査
 翌日の四月十六日、奥村と池内は上司の丸岡警部に相談をした。
「警部、三十年前に起こった和田仏壇店の店主が、町内のお寺で死んでいた件を捜査したいのですが、構わないでしょうか?」
「その件が今回の件と何か関係しているというのか?」
「今のところは断言できませんが、その可能性もあります」
「そうか、私もその頃のことは全く知らないが、確か自殺ということで捜査が終結したそうだな」
「そうです」
「それで三十年も前の件を、今になって君たちは何を調べようとしているんだ?」
「ええ、はっきりしたらいずれ話しますが、警部にひとつお願いがあります」
「何だね?」
「亡くなった和田さんの家の中を一度見たいと思っています。しかし家は誰も住んでいないので、勝手には入れません。持ち主のいない空き家なら入れますが、和田さんには長男の息子がいまして、今は別の所に住んでいます。家の名義もその息子さんの名義ですので、中へ入るには彼の了解をもらう必要があります」
「じゃあ了解をもらえばいいじゃないか?」
「ところが、その息子は現在京都に住んでいまして、電話番号も分からないのです。ただ親戚宛に送られてきた手紙から、住所だけは分かっています。それで一度京都へ出張して会ってきたいのですが、構いませんか?」
「じゃあ奥村か池内、どちらかひとりならいいぞ」
「はい、ありがとうございます。では僕が行きます」
 奥村が返事をした。
「では署長に話して許可をもらうから。いつ行くのだ?」
「明日の朝にしたいと思います」
「分かった」

 十七日の早朝、奥村は米原(まいばら)駅まで車で行き、新幹線に乗ると京都へ向かった。着くとタクシーに乗り、運転手に住所を教えて目的地に着いた。その目的地、つまり和田満の住んでいる所だが、なんと仏壇を製造販売している店だったのだ。看板に(京仏壇の店・長谷川)と書いてある。池内刑事が親戚宅で満からの手紙を読ませてもらったが、仕事のことは何も書いていなかったそうだ。住所はここになっているが、住んでいる所もここなんだろうか?奥村は取り敢えず、店の入り口に立った。するとガラスの自動ドアが開いたので中へ入った。
「いらっしゃいませ」
 店員の声がした。
「すみません、私はこういう者ですが、こちらに和田満さんという方はおられるでしょうか?」
 奥村は警察手帳を見せて尋ねた。
「はい、工場のほうにいますが」
「少しばかり話したいのですが、会えますか?」
「はい、この店の奥が工場ですので、案内します」
「そうですか、ありがとうございます」
 店の奥に行くと、三十坪くらいの場所で何人かの男女が仕事をしていた。店員が満の所に行って話をすると、彼は奥村の所へやってきた。
「和田ですが、何でしょうか?」
 
 満は四十三歳になるが、若く見えた。髪は短髪で、身長は百七十センチくらいだろう。がっちりとした体つきで、端正な顔立ちをしていた。ただ訪ねてきたのが警察官と聞いてか、顔つきが少しこわばっていた。それと態度も、どこか(おどおど)と、しているようなところがみえた。
「お仕事中にすみません。私はこういう者です」
 奥村は先ほどと同じように手帳を見せた。
「湖北警察の方ですか」
「そうです。実はひとつだけお願いがあって来ました」
「何でしょうか?」
「三十年前に、あなたのお父さんが亡くなられましたが、その件をもう一度調べたいのです。それには家の中を見る必要がありまして、そこであなたに家の中に入る許可をいただきたいのですが、どうでしょうか?」
「家の中ですか・・・・分かりました。しかし私も木之本へ帰るのは日曜日じゃないと無理ですので、それでも良かったらですが?」
「いえ、あなたには立ち会っていただかなくても構いません。ただ玄関の鍵さえ貸していただければ。それと中の物を見せていただいて、必要とあれば警察にお借りして、調べても良いという了解さえいただければ、それで結構です」
「分かりました。私もわざわざ帰るよりは、そのほうが楽です」
「では了解してもらえますか?」
「はい、じゃあ家の鍵を渡しておきます。予備ですので返していただかなくても構いません」
 満はそう言うと、ポケットからいくつかの鍵が付いた物を取り出して、家の鍵を抜き取り、奥村に渡した。
「これです。どうぞ」
「ありがとうございます。責任を持ってお預かりします。ところで、あなたの実家は仏壇店をされていたそうですが、それでここに就職されたのですか?」
「ええ、私は子供のころから父にこの仕事を教えてもらっていまして、慣れているということもありますし、やりたかった仕事でしたから」
「そうでしたか、ではこれで失礼します。仕事中にお邪魔しまして申し訳ありませんでした」
「いえ、遠い所をご苦労様でした」
「あっ、それともうひとつ、あなたはここに住んでおられるのですか?」
「はい、隣に寮がありまして、そこに住んでいます」
「そうですか、ちなみに御家族は?」
「いえ居ません。結婚しておりませんので、一人身です」
「そうでしたか、では失礼します」
 奥村は礼を言うと店をあとにしたが、帰る道中に考えていた。
(和田満と会った時の顔や態度を見ると、何かを隠しているのではないだろうか?)

 昼過ぎに署に戻った奥村は、警部と池内に報告を済ませて昼食を摂ったあと、満の家に池内と一緒に向かった。
 家に着くと、奥村が借りた鍵で玄関を開けた。
「閉め切っているから暗いな」
「電気が点かないから雨戸を開けましょう」
「じゃあ、順番に見ていこうか?」
 二人は殆ど物の無い、がらんとした部屋を見て回った。
「調べるといっても、タンスとか何も物がありませんね」
 池内がそう言った。
「そうだな、満さんが家を出るときに処分してしまったのだろう」
「もう戻るつもりがなかったのでしょうね」
「仏壇の店だったという名残(なごり)も、なくなっているな」
 話しながら順番に部屋を見て歩き、次の部屋に入った。
「奥村さん、あれを見てください」
「ああ仏壇だね。あれだけは処分しないで残しておいたのかな?」
「やはり先祖から受け継いできた仏壇だけは、処分することができなかったのでしょう」
「仏具もそのまま残してあるな。おや・・・この真ん中にある観音像は?」
「似ていますね」
「うん、見たところ大きさも同じだし、遺体のそばに落ちていたものや、高木さんの部屋にあったものと、同じかもしれないな?」
「借りて調べましょうか?」
「そうしよう。満さんには許可をもらっているから」
 二人は仏壇に付いてある引き出しを開けるなどして詳しく調べたが、他には特に気になる物は無かった。

 借りた観音像を署に持ち帰ると鑑識に持っていき、調べてくれるように頼んだ。
 一時間後、松井が「終わりました」と言って、奥村と池内の所にやってきた。
「どうでしたか?」
 奥村が聞いた。
「はい、全く同じものでした」
「指紋はどうでしたか?」
「殺された和田さんと、息子の満さんのものが検出されました」
「満さんの指紋は警察に登録されていたのですか?」
「ええ、その件のときに登録してありました。まあ彼の指紋が付いていても不思議ではありませんが」
「そうですね、仏壇の掃除などするときに触っているでしょうから」
「それと他の二体と同じく、やはり空洞がありました」
「えっ、あれにもありましたか」
「同じ大きさの穴でした」
「う~ん、何の穴だろうな?・・・ああ松井さん、忙しいところ、どうもありがとうございました」
「像はもう返されますか?」
「いや、もうしばらく借りたままにしてください。手を合わす人もいないことですから」
 そこで松井は自分の持ち場へ戻った。

「奥村さん、やはり同じものでしたね」
 池内がそう言うと、奥村が返した。
「和田さんは仏壇店をしていたのだから、同じ観音像が何体あってもおかしくはないけど、像の台座をわざわざえぐって、空洞にしてあるのが気になるな」
「ええ、それも三体ともですからね」
「直径が五センチで、深さが一センチか?」
「台座の大きさからいっても、その大きさしか開けられないでしょうけど、特に何かを入れるには小さいですよね」
「今までの像に付いていた指紋から考えて、和田さんの作った像が直接高木さんに渡ったのか、それとも第三者を介して渡ったのかが問題だな」
「もし直接渡ったとすれば、二人に接点があったということになりますね」
「うん、間に誰か第三者がいれば、接点があったかどうか分からないが」
「その辺をもう少し詳しく調べたいですね」
「高木さんは確か六十八歳だったな。和田さんが亡くなった時は三十八歳くらいかな?」
「そうですね、確か和田さんも三十八歳と資料に書いてありました」
「同じ年齢なのか?」
「そうですね、同級生とは限りませんが」
「偶然かな?」
「それも調べましょうか?」
「そうだな、もし同級生だとしたら、どこかで繋がっている可能性もあるな」

 翌十八日、池内は和田さんの近所の人や、高木さんの息子に話を聞いた。すると二人には、共通点があることが判明した。それは二人が同級生で、同じ高校に通っていたことだった。さらには入学した大学も同じだと分かった。それを推測すると、二人は高校からの親友で、相談して同じ大学へ行ったと思われる。
「奥村さん、やはり二人は知り合いだったようです」
 池内は調べた内容を奥村に報告した。
「そうだったのか、それじゃあ大学を卒業して地元に帰ってからも、交流があったと思って間違いないだろう」
「ええ、私もそう思います」
「その二人が、三十年の時を隔てたとはいえ、二人ともがお寺の境内で死んでいたというのは、偶然にしては出来過ぎているな」
「それとあの観音様ですから、きっと何かありますね」
「ああ、絶対に何かあるぞ」
「二人がこちらに帰ってからの状況を調べましょうか?そうするには高木さんの写真がほしいですね」
「そうだな」
「店に行って、息子さんからお父さんの写真を借りましょうか?」
「そうしよう、その写真を近所の人に見せて聞くことにしよう」
「若い時の写真があると良いのですが?」
「そうだな、ただ近所の人だって、もし見ていたとしても直後なら覚えているかもしれないが、三十年も経てば顔を忘れてしまうだろうな?」
「それは仕方がないですね。でもやるだけはやってみましょう」
「池ちゃん、高木さんの店は彼の自宅があった住所と、同じ所なのかな?」
「ええ、そう聞いていますけど、それがどうかしましたか?」
「いや、ついでと言ってはなんだけど、高木さんの店の近所で和田さんを見掛けた人が、いなかったかどうかも調べようかと思ってね」
「それもそうですね、和田さんの家に高木さんが来ていたとすれば、反対に高木さんの家にも、和田さんが来ていたかもしれません」
「じゃあ捜査資料に貼ってあった、和田さんの写真を二枚コピーしてくれないか」
「はい」
「それが済んだら、今日は終わろう」
 
       六   情報   
 翌日の十九日、二人は高木中古車販売に向かった。着くと、社長になった息子は留守だったが、専務をしている次男がいた。
「すみません、先日お伺いした湖北警察の奥村ですが、お願いがあって来ました」
「何でしょうか?」
「実はあなたのお父さんの写真をお借りしたいのです。それも出来れば若い頃で、三十歳前後のものがあればお借りしたいのです」
「そうですか、確か父の部屋に昔のアルバムが残ってあると思います。探してきますので、待っていてもらえますか?」
「はい、忙しいのに申し訳ありません」

 ほどなくして専務はアルバムを持って戻って来た。
「中を見ていただいて、必要なものがあれば取ってください」
「じゃあ場合によっては二枚か、三枚お借りします」
「どうぞ、他に用事がなければ私は仕事に戻りますが、アルバムはそこの事務員さんに渡しておいてください」
「どうもお手数を掛けまして、すみませんでした」
 二人はさっそくアルバムを開いて、順番に見ていった。彼が独身だったと思われる頃の写真は無かったが、結婚してからの写真はたくさんあった。年齢的には三十五歳前後だろう。顔が大きく写っているものと全体像のものと合わせて、三枚の写真を抜き取った二人は、店を後にして近所に高木氏の聞き込みを始めた。

 和田さんの写真を手に、二人は近所の家を順番に訪ねた。しかし何の成果も得られずに終わった。
「やはり三十年も前じゃあ、誰も覚えていないよな」
「仕方ありませんね」
「もう一軒だけ回って終わろうか?」
「はい」
 これで最後にしようと言って、その家のチャイムを鳴らした。玄関を開けてくれたのは、五十歳前後と思われる主婦の女性だった。訳を話すと、自分は二十五年前にこちらに嫁いできたので、古い事は知らないとのことだった。諦めて礼を言うと、彼女から質問をしてきた。
「刑事さん、昔の事は知りませんけど、亡くなった高木さんの店のことで、最近ちょっと小耳にはさんだ話があります」
「何でしょうか?」
「噂ではお店の経営がうまくいっていないそうで、資金繰りが大変だとか聞きました」
「そうなんですか」
「ええ、それと本当かどうかは分かりませんけど、高木さんは多額の生命保険を掛けていたそうですよ」
「そうでしたか、それは知りませんでした。普通は保険の受取人が保険会社に請求すると、保険会社の担当者が調査をして、問題なければ保険金を支払うという流れになるのですが、まだ警察にはそう言った情報が入ってきていません。保険金の受取人が誰になっているのか知りませんが、まだ請求していないと思われます。いずれにしても大変貴重な情報です。ありがとうございました」
 彼女に礼を言うと、署に戻った。

「池ちゃん、保険金の話だけど、もっと詳しく調べたほうがいいだろう」
「ええ、多額の保険金だとすれば、お金目当ての殺人とも考えられますね」
「保険の金額と受取人を調べられないかな?」
「やってみます。しかし単純に保険金殺人だとすれば、受取人が真っ先に疑われるでしょうから、そんな馬鹿な真似をするかどうかですね?」

 昼食が済むと、保険の件を調べようと池内は一人で動いた。息子に聞けば手っ取り早いが、受取人の可能性が高いのでそうもいかない。店の事務員さんに内密にしてもらい、店の取引銀行を教えてもらった。そして銀行に行って警察手帳を見せながら、口座の中身を見せてもらうと高木氏の保険会社が判明した。次に保険会社に「捜査に必要だから」と言って、保険金額と受取人を教えてもらった。すると受取人は、長男の高木誠(まこと)と弟の裕太(ゆうた)で、金額は五千万円ずつの、合計一億円だと分かった。ただ保険は今から十か月前に掛けられていたので、もし自殺なら保険が下りないとのことだった。

 池内は調べたことを奥村に報告した。
「金額が一億円とはかなりだな」
「ええ、でも自殺だとしたら保険金は下りません」
「じゃあますます他殺の疑いが濃くなるな」
「それと自殺か他殺か、決まるまでは下りません」
「高木さんの息子は保険のことを知っていたのかな?」
「思い切って長男の誠さんに当たってみましょうか?」
「そうするか、座って考えているだけでは、進展しないからな」
「それじゃあ、電話でアポを取ってくれないか」
「はい」

 電話でアポを取ると二人は再び店に行き、誠に会って話を聞いた。
「高木さん、ずばり聞きます。あなたはお父さんが多額の生命保険に入っておられることをご存知でしたか?」
「はい、知っていました。但し、それを知ったのは三日ほど前です。僕が社長になってから、銀行の通帳を見て知りました。それまでは父が通帳を管理していたので、僕は見たことがありませんでしたから」
「そうですか、それでお父さんが自殺なら、保険が下りないことも知っておられますか?」
「はい、知っています。保険に入って一年未満の場合は自殺だと下りません。
あっ刑事さん、まさか僕たちが保険金目当てに父を殺したと、疑っておられるのですか?」
「いやそういう訳ではありませんが、職務上、一応は調べます。じゃああなたと弟さんは、お父さんを殺していないと言われるのですね?」
「はい、神に誓って僕たちは父を殺してなどいません」
「分かりました。それでは念のために伺いますが、四月六日の土曜日ですね。その日の夜の行動を聞かせてください」
「え~と、その日は弟と一緒ですが、夜の七時に店を閉めまして、それから一時間ほど後片付けなどして自宅へ戻り、風呂へ入ったあと晩御飯を食べてから自分の部屋でくつろいで、十一時には寝ました。晩御飯のときにビールを飲んだので、どこにも出掛けていません」
「分かりました。それじゃあ弟さんにも同じことを聞きたいので、呼んでいただけますか?」
「はい」
 
 奥村は弟の裕太にも同じ質問をぶつけたが、やはり兄の誠と一緒の答えが返ってきた。二人は自分の部屋に入るまでは、一緒にいたとのことだった。
「では今日はこの辺で失礼しますが、またお聞きしたいことができましたら伺いますので、聞かせてください」
「はい」
 そう言うと、二人は店を出て署に戻った。

 奥村が池内に聞いた。
「本人はそう言っているが、どうだろうね?」
「まさか僕達が殺しましたとは言わないでしょう」
「それはそうだけど、二人の話をどこまで信用できるかどうかだな?」
「もし自殺だとすれば、保険に入ってから十か月という中途半端な時期に、どうしてしたのでしょうね?あと二か月したら自殺でも確実に保険が下りるのに」
「やはり他殺でしょうか?」
「二人に聞いた話を鵜呑みにしないで、足取りを洗ってみようか?」
「それと青酸カリの入手先ですね」
「そうだな」

       七   新たな情報
 翌二十日、高木兄弟が経営する店の近くで聞き込みをしたが、兄弟二人とも家を出たのを見掛けた人はいなかった。もちろん誰も見なかったから出掛けていないとは限らないが、本人たちが本当に出掛けていないのなら、足取りなんて追えないのだ。次に高木氏が死んでいた向源寺に行き、初動捜査のときよりも範囲を広げて聞き込みを行った。
 亡くなった高木氏の車は午前零時頃に乗って来たと思われるが、その車は翌朝、寺の近くに停めてあったのが見つかっている。ところが、ある家での聞き込みで、午前一時頃に二台の車が、お寺の近くに停まっていたとの情報を得た。
 その男性は名前を山下と名乗った。土曜日ということで、近くの友人の家で麻雀をしていたそうだ。終わって家に帰る道中に停まっているのを見たが、特に気にせず通り過ぎてしまい、覚えているのは白っぽい乗用車ということだけで、ナンバーや車名までは分からないとのことだった。

「奥村さん、どういうことでしょうか?」
 池内がそう聞いた。
「高木さんの死亡推定時刻が零時頃だとしたら、一時頃に停まっていた車は何なのだろうか?」
「零時過ぎに二台停まっていたのなら、被害者と加害者の可能性もありますが、一時間も誤差があると高木さんを殺した犯人とは思えないですね」
「そうかもしれないが、死亡推定時刻は零時となっているが、零時半ごろかもしれないし、山下さんの見た車は、もっと早くから停まっていたかもしれないよ」
「じゃあ、その車の持ち主が犯人とも考えられますね」
「そうだな」
「一体、誰なんでしょうか?」
「分からないな」
「防犯カメラでもあれば良かったのですが」
「こんな田舎じゃ、それも無いな」
 奥村と池内は署に戻ると、聞き込んだ件を話し合ったが、特に推測できることはなかった。

 それからも二人は捜査を続けたが、これといった成果はないまま日だけが過ぎていった。そして一週間が過ぎた四月二十六日のことだった。
「もしもし、私は高月町の山下といいますが、奥村刑事はおられますか?」
 この前の聞き込みで午前一時ごろに現場を通り、二台の車を見たと言っていた、あの山下からの電話だった。
「はい、奥村ですが何でしょうか?」
「先日、車を見たと言いましたが、ひとつ思い出したことがあって電話をしました」
「聞かせてください」
「はい、通りすがりの一瞬でしたから間違っているかもしれませんが、車の後ろバンパーの少し上の部分にステッカーのような物が貼っていまして、私が持っていた懐中電灯に反射しました。そのとき文字が見えまして、見間違いでなければ確か、高木何々と読めました」
「えっ、それは本当ですか?白っぽい車のほうですよね?」
「ええそうです。間違っていなければですが」
「分かりました。わざわざありがとうございました」

 奥村は電話を切ると、池内に言った。
「池ちゃん、高木さんの車は黒い色だったが、白っぽい車のほうも高木さんが関係している車だろうか?」
「ええ、翌朝まで停まっていた黒い車は、亡くなった高木さんの車で間違いありません。中に免許証もありましたので」
「高木何々と書いたステッカーが貼ってあった車は、高木さんの店で買った誰かの車か、それとも高木兄弟のどちらかの車かもしれないね?」
「奥村さん、店に行って聞きましょう」
「そうしよう」

 店に着くと中へ入り、事務員さんに訪ねた。
「社長の誠さんはおられますか?」
「いえ、いま外出しています」
「では専務の裕太さんは?」
「専務ならいます」
「ちょっと呼んでいただけますか?」
「はい」

 ほどなくして事務所に入って来た裕太に奥村が聞いた。
「少しばかり聞きたいことがあるのですが、あなたは自家用車を持っておられますか?」
「はい」
「何色ですか?」
「シルバーです」
「乗用車ですか?」
「いえ、ワンボックスタイプです」
「そうですか、ではお兄さんは、どんな車ですか?」
「兄は白い色の乗用車です」
「じゃあ二台とも見せてもらえますか?」
「兄は乗って出ていますが、お昼には帰って来ると思います。取り敢えず僕の車をどうぞ」
 二人は裕太に付いていき、彼の車を見た。確かにワンボックスで山下さんが見た車とは全然違う。ただ車の後部に(高木自動車販売)と書いたステッカーが貼られていた。
「このステッカーは売った車に全部貼られるのですか?」
「いえ、全部というわけではありません。お客様のほとんどは車体に貼るのを嫌われるので、貼っても構わないというお客様だけです」
「そうですか、ではこのステッカーが貼ってある車は少ないのですね?」
「はい」
 
 事務所に戻って、しばらく待っていると社長の誠が戻ってきた。
「お邪魔しています。ちょっとお聞きしたいことがあって来ました。弟さんにはもう聞いたのですが、あなたにも同じことをお聞きします」
 奥村はそう言って車を見せてもらった。彼の車は白色の乗用車で、後ろにステッカーも貼ってあった。
「奥村さん、この車は山下さんが見た車で間違いないでしょうか?」
「これだけでそうとは言えないけど、可能性は高いな」
「どうしましょう、思い切って山下さんの件をぶつけましょうか?」
「いや、今日は止めておこう。一度署に戻って警部と相談してからだな」
 奥村と池内は署に戻り、先ほどの件を丸岡警部に話した。
「そうだなあ・・・誠に聞いても『行っていません、違う人でしょう』と言われれば、それまでだ。彼が行ったという確実な証拠がないと、言い逃れをされてしまうぞ」
 警部がそう言った。
「それもそうですね、じゃあ何か確実な証拠を見つけないと」
 奥村が言葉を返した。しかしそうは言っても証拠なんか簡単に見つかるものではない。

       八   署長の言葉
 昼食後に休憩をしていると、そこへ署長がやってきた。
署長の名前は安田満(やすだ みつる)という。一年前に湖北署に移動してきた。階級は警視だが、少しも偉(えら)ぶることなく、署長室を出ては署員と気軽に談笑するので、皆に好かれている。そんな署長が話し掛けてきた。
「どうだね、高木自動車の社長の捜査は進んでいるかな?」
 奥村が返答した。
「署長には申し訳ないのですが、どうにも進展しなくて困っています。亡くなっていたお寺付近で聞き込みをしましたが、誰も見たものがなく、また現場には何も証拠が残っていないものですから」
「そうか、それは困ったね」
「はい、ですがひとつだけ分かったことがあります」
「何だね?」
「今から三十年前のことですが、この町内で仏壇店を開いていた和田という人物がお寺の境内で亡くなっていたという事件がありました。その人物の指紋が高木さんの持っていた観音像から出まして、今回の事件と三十年前の事件は、どこかで繋がっていると思われます」
「そうなのか、そのときの事件の犯人は捕まったのか?」
「いえ、その事件は自殺として終結しました」
「自殺だと判断する証拠が出たのか?」
「証拠と言えるかどうか分かりませんが、捜査記録を読む限りは和田さんの指紋が付いている毒入り缶コーヒーが近くに落ちていたことと、周辺での聞き込みで他の人物を誰も見ていなかったこと、それと和田さんは人に恨まれるような人物ではなかったことなどで、そう判断したようです」
「じゃあ自殺をしなければならないような動機が彼にあったのかね?」
「はっきりした動機はなかったのですが、家族や周囲の人が言うには(最近、何かで悩んでいる様子だった)と何人かの人が証言しています」
「そうか、何かで悩んでいたのだな。それで自殺をしたということか」
「はい」
「そして今回の高木さんの件は他殺だとの見方が強いのだね?」
「そうです、今回は高木さんが飲んだと思われる飲み物の容器が、どこからも見つかっておらず、犯人が持ち去ったとの判断で他殺の線で捜査をしています」
「もし三十年前の事件と今回の事件が、どこかで繋がっているとしたら三十年前の件は、飲み物の容器があったから自殺で、今回は無かったから他殺ということなのか?・・・・・」
署長は顔を上に向けて何やら考えていた。奥村と池内は黙ったままで署長のその顔を見ていた。すると署長は上げていた顔を下げて二人に言った。
「君たちも知っていると思うが(逆転の発想)という言葉があるだろう」
「はい」
「この言葉が三十年前の事件と今回の事件に、当てはまるかどうかは分からないが」 
「逆転の発想ですか・・・」
「ああそうだ」
「詳しく話してもらえませんか?」
「いや、捜査をしていない私が話すと、君たちはその話でよけいな先入観を持ってしまいそうだから話せないが、その言葉を頭の片隅に入れて捜査を続けてくれたらいいよ」
「はい、分かりました」
 池内は署長と奥村の会話を、ただ黙って聞いていた。話が終わると署長は部屋に戻った。

        九   奥村と池内の推理
 その日、池内は自宅に帰ると署長の話を思い出して考えていた。
(逆転の発想)か?・・・署長は何を思って、その言葉を言ったのだろう?」
 池内はしばらく考えていたが、何も思いつかなかった。そこで署長が、その前に言っていた「飲み物の容器があったら自殺で、無かったら他殺ということか」という言葉を思い出した。署長はそれからしばらく考えたあとに、逆転の発想という言葉を出したのだ。それらを総合して考えると、自殺と他殺を反対にすればいいのだろうか?つまり(飲み物の容器が現場に残っていれば他殺で、残っていなければ自殺だと)そう考えて二つの事件を推理すると、三十年前の事件は他殺ということになる。、犯人は毒を飲ませたあと、その容器をわざと残して自殺に見せかけた。そして今回の事件は他殺に見せかけるため、犯人が容器を持ち去ったように思わせているが、実際は自殺だったのだ。そう考えると署長の言った逆転の発想という言葉に、ぴたりと当てはまるような気がする。ただし、今回の事件を他殺に見せかけるには、飲み物の容器が大きなポイントとなってくる。残しておけば自殺で処理される恐れがあるので、他殺と思わせるには容器を現場から回収しなければならないのだ。そうするには第三者の協力が不可欠となるだろう。誰かに頼んで容器を回収してもらう必要がある。もし協力を頼むとすれば、一番先に考えられるのは身内だろう。つまり高木氏の息子だ。もしここまでの推理が正しいとすれば、山下さんの「午前一時ごろに二台の車が停まっていた」という目撃情報から、停まっていた白い乗用車は高木誠の車だったとみて、間違いないだろう。そう推測すると、全てのつじつまが合ってくるのだ。だがこれは、あくまで推測であって、その証拠は何ひとつとしてない。
 池内は署長が言っていた逆転の発想という言葉を、頭の片隅に入れておくのではなくて、この線で捜査をやり直したいと思った。

 翌日の二十七日、奥村と池内が出勤すると鑑識の松井が観音像を手に、二人の元へやってきた。
「これは亡くなった高木氏の部屋から借りた像ですが、台座に空洞が掘られていたでしょう。そこでその中を念入りに調べてみました。すると木埃(きぼこり)以外にも微量ですが、ある物質が採取されました」
「何だったのですか?」
「驚かないでください、覚醒剤です」
「えっ、本当ですか?」
「そうです。間違いありません」
「どうしてそんな場所に?」
「私には分かりません。ここからはお二人の仕事です。推理を働かせてください」
「池ちゃん、どう思う」
 奥村が池内に言葉を振った。
「まさかとは思いますが、二人は覚醒剤の密売でもしていたのでしょうか?」
「どうだろうね?松井さん、自分たちが使っていたという形跡は遺体になかったのでしょう?」
「ええ、少なくとも高木さんにはありませんでした」
「和田さんも捜査資料を読む限り、それらしきことは書いていなかったな」
「自分たちが使わないのに持っていたということは、やはり売っていた可能性がありますね」
「もしそうだとすれば、大学時代に何かあったのかな?」
「大学は京都の仏教系の学校でした」
「こんな田舎よりも、京都のどこかで覚醒剤と関わったと考えるほうが、妥当だな」
「しかし二人が死んでしまった以上、流れを追うことは無理でしょう」
「そう思うが、高木家の家宅捜索をしない訳にはいかないな」
「まだ出てくるかもしれませんね」
「二つの事件は覚醒剤に絡んだ殺人だったのかな?」
「もしそうだと、厄介なことになりますね」
「うん、麻薬組織とか殺人のプロの仕業だと、犯人は特定できないだろう」
「大変な事件になりましたね」
「取り敢えず、我々は出来ることをしていこう」
「はい、まずは高木家の家宅捜索からですね」
「そうしよう、令状を警部に頼んでおくよ」

 午後になり、二人は令状を持つと高木の店へと向かった。もちろん他の警官や鑑識も一緒に十名体制での家宅捜索だ。
 店に着くと令状を見せて「全員、この場所から動かないでください」と言って捜索を開始した。高木氏の部屋はもちろんだが、二人の息子の部屋を含めて全ての部屋だ。像が飾ってあった仏壇の引き出しやタンスの中、写真の貼ったアルバムや手紙に葉書、雑誌のページの間に至るまで念入りに調べたが、その場では証拠になるようなものは見つからなかった。さらには持ち帰った物の中にも、覚醒剤に関するようなものは何もなかったのだった。
 奥村も池内も何かが出ることを期待していたので、落胆の色は隠せなかった。
「高木さんの家にあった像に覚醒剤が付着していたからといって、必ずしも高木さんが覚醒剤を持っていたということは言えませんね」
 池内が奥村に話し掛けた。
「そうだな、家宅捜索で見つからなかった以上、どこで付着したのか分からないからな」
 
 そこで池内は昨夜、自分が推理した内容を奥村に話した。署長が言っていた逆転の発想という言葉の件だ。
「私はそう思うのですが、奥村さんはどう思いますか?」
「うん、そう言われてみると事の流れがスムーズに感じるね。しかし証拠がないんだろう?」
「そうです。何かひとつでも証拠があれば、事件も解決すると思うのですが」
「実はね、僕も署長の話を聞いて事件を推理したから聞いてくれるかい?」
「どう推理したの?」
「高木さんは殺されたと思うんだ。その犯人はずばり、三十年前に亡くなった和田さんの息子の満だよ」
「どうしてそう思ったのですか?」
「うん、満は何らかの理由で父が殺されたことを知ってしまった。そして犯人も分かったんだ。おそらく家の中に、和田さんが自分の死に関して分かる何かを残しておいたのだろう。その何かを満が見つけて、父の死の真相と犯人を知ったのだろうね。そこで彼は父が殺されたのと同じ方法で復讐しようと考えた。しかし父と同じ場所だと自分が疑われるから、違うお寺に和田の息子だと言って呼び出し、青酸カリを飲ませて殺したというわけだよ」
「確かに和田の息子だと言えば、高木さんも呼び出しには応じるかもしれないわ。でもそんな簡単に渡された飲み物を飲むかしら?無理やり飲ませたような形跡はなかったのよ」
「それは満が言葉巧みに何か言って、飲ませたのだろう」
「じゃあ満さんはどうして毒の容器を持ち帰ったのでしょね。残しておけば父と同じく自殺だと判断されて、自分が疑われる心配はないのに」
「その点は僕も(どうしてだろう?)と、しばらく考えたけど分かったよ」
「どうして持ち帰ったのですか?」
「敢えて他殺だと分かるようにするためだよ。満は父を殺され、母もそれが元で早く死んでしまった。そんな自分の苦しく悲しかった思いを、高木氏の息子たちにも味わせようと考えた。それで息子を犯人に仕立てようとしたのだろうね。だから午前一時にお寺に来るようにと、何らかの方法で高木誠に連絡をした。誠は誠で自分が犯人だと疑われたくないから、私たちに『あの日はどこにも出掛けていない』と、嘘をついたのだよ。それと満は高木氏を殺すにあたって、彼のことを念入りに調査したのだろうね。それで店の経営が苦しいとか、多額の保険に入っているといった情報を得たので、ますます息子を犯人に仕立てる好材料だと思って計画を練り、実行に移したのだろう」
「じゃあそうだとして、満さんの四月六日の行動は調べたのですか?」
「いや、それはまだだけど、これから調べるよ。アリバイが無ければ、ほぼ間違いなく僕の推理は当たっていると思うよ」
「自信たっぷりですね」
「そうでもないけど、いつも君に先を越されるわけにはいかないからね。池ちゃんが困っているときは僕が助けないと」
「ありがとうございます。じゃあ満さんの六日の行動から洗いましょうか?」
「そうしよう。まず京都の勤務先に電話を掛けて社長に聞いてみるよ」

 奥村はさっそく電話を手に取って、先日行った京都の長谷川仏壇店に電話を掛けた。
「私は先日お邪魔しました滋賀県の湖北警察署の奥村と申しますが、社長さんはおられますか?」
「はい、ちょっと待ってください」
 電話を取った事務員の女性は、そう言うと社長を呼んだ。
「はい、社長の長谷川ですが」
「忙しいところをすみません。少しお聞きしたいことがありまして」
「何でしょうか?」
「そちらに勤めておられる和田満さんのことですが、二十日ほど前の四月六日の土曜日は、仕事でしたでしょうか?」
「ちょっと待ってください。すぐに調べますから。・・・・・お待たせしました。その日の満君は夕方の五時まで勤務していますね」
「そうですか、それじゃあ五時以降はどうされたか、ご存知ですか?」
「いえ、仕事が終わってからは知りません」
「満さんは車に乗られているのでしょうか?」
「彼は乗っていませんね、それ以前に免許も持っていないと言っていましたよ」
「分かりました。どうもありがとうございました」

 奥村は電話を切ると池内に言った。
「殺害時刻が午前零時だから、仕事が終わってから京都を出発しても充分に間にあうな」
「ええ、移動は車じゃなければ、電車でしょう」
「それじゃあ夕方の六時以降で、駅の防犯カメラに写っていないか調べるよ」
「そうですね、もし写っていたら奥村さんの推理が正しかった可能性が高いですね」
「木之本駅と高月駅を調べればいいかな?」
「もし写っていなければ米原駅も調べたらどうですか?米原駅からタクシーで、こちらに来たかもしれませんよ」
「そうだね、防犯カメラに写っても誰か分からないように、対策をして降りたかもしれないから、タクシーの乗車記録も調べよう」

 二十八日の早朝だった、いつはスロースターターの奥村だが、今日は早くから署に来ていた。そして出掛ける準備を終えると、池内が来るのを今か今かと待っているのだった。
 ほどなく署に入ってきた池内を捕まえて言った。
「池ちゃん、遅かったね。さあ早く出掛けよう」
「奥村さん、私はいつもと同じ時間に来ましたよ。遅くはありません」
「そうかい、僕が早く来すぎたのかな?」
 奥村が池内よりも早く来るのは一年に一回あるかないかだ。それなのに私の来るのが遅いように言う奥村に池内は少しイラっとしたので、今日は昼ご飯を奢(おご)らそうと思った。

 二人は署を出ると駅の防犯カメラからタクシーの乗車記録まで、丸一日を掛けて調べたが、満の足取りは全く掴めなかった。カメラには写っていないし、タクシーに乗った形跡もなかったのだ。

「う~ん、空振りに終わったな」
 奥村がそう言った。
「ええ、こちらには帰っていなかったようですね」
「いや、まだそうとは言い切れないよ」
「まだ調べるところがあるのですか?」
「ああ、電車を使わずに京都からタクシーで帰ってきたか、もしくは湖西線で帰ってきた可能性もあるからな」
「でもそこまで調べるのは大変でしょう?京都のタクシーにしても台数が多すぎますよ。湖西線だって、どこの駅で降りたのか分からないので、カメラを調べるにしても、いくつもの駅を調べないと」
「そうだなあ、困ったな」
 奥村がそう言って悩んでいたとき、彼に一本の電話が入った。
「もしもし、こちらは京都の長谷川仏壇です」
「奥村は私ですが、何でしょうか?」
「先日電話で聞かれた和田満君の件ですが、先ほど家内に奥村さんから聞いた話をしましたところ、家内は六日の夜の十時に店のシャッターを閉めに表に出たとき、満君が寮に戻ってきたのを見かけたと言っていました。そればかりか話もしたそうで、今までパチンコをして遊んできたと、満君が言っていたそうです」
「えっ、それは本当ですか?」
「ええ間違いありません」
「そうでしたか、それはわざわざ知らせていただき、ありがとうございました」

「奥村さん、今の話が本当なら十時に京都の寮にいた彼が、零時に高月のお寺で高木さんを殺害するのは、まず無理でしょう」
「そうだね、彼は白だったか。今回だけは推理に自信があったのだが」
 自分の推理に自信を持って、早朝から張り切って仕事をしていた奥村だったが、満が白と分かりがっくりとしていた。
「池ちゃん、今日は疲れたからもう帰るよ。また明日から出直そう」
「奥村さん、明日は私の推理したことを調べるので手伝ってくださいね」
「ああ、分かったよ」
 奥村は力のない声でそう言うと、肩を落として署を出ていった。
      
 翌日の二十九日、今度は池内の推理を検証するため、何から始めようかと二人で相談をしていた。
「池ちゃんの推理だけど、証拠が見つからないのだったら、どうだろう思い切って社長の誠にぶつかってみないか?」
 奥村がそう言った。
「ぶつかるとは?」
「つまり、山下さんの目撃情報を誠に話して、聞いてみるんだ」
「でも警部が言っていたように、逃げられてしまわないかしら?」
「もちろん正直に話してくれるとは思っていないが、何か糸口が掴めるかもしれないよ。それに隠しておくような情報でもないからね」」
「分かりました、そうしましょう」

       十   告白
 四月三十日の朝、九時を過ぎると奥村と池内は高木自動車へと向かった。あらかじめ電話で行く旨を伝えて、誠に待っていてくれるようにと頼んでおいた。
 店に着くと、誠に「お父さんの部屋で話をしたい」と言って、三人で部屋に入った。そこで奥村が話し始めた。
「誠さん、あなたにお聞きしたいことがありますので、正直に答えてください」
「何でしょうか?」
「以前にも一度お聞きしましたが、お父さんが亡くなった四月六日の夜のことです。あなたはどこにも出掛けなかったと言われましたが、それは本当ですか?」
「・・・・・」
 誠の顔が、気のせいか少しばかりこわばっている。奥村は話を続けた。
「実を申しますと、あの日の夜あなたの車が、向源寺の前に停まっていたという目撃情報がありまして、それで先日も車を見せていただいたわけです。その情報をくれた人は、白い色の乗用車で車の型もあなたの車と一致します。それと車の後ろに貼ってある高木自動車販売のステッカーも、はっきりと見ておられました。もう一度聞きますが、あの日あなたは午前一時ごろ向源寺に行かれませんでしたか?」
 奥村の話を聞いていた池内は驚いた。目撃情報では車の型まで分かっていなかったからだ。これは奥村が、誠に(かま)を掛けているのだ。
 
 誠はしばらく考えたあと、答えた。
「刑事さん、すみませんでした。本当のことを話します。実はあの日の夜のことですが、もう寝ようかと思っていた午前零時前です。父の携帯電話から僕に電話がありまして、自分の部屋に手紙が置いてあるから読んでほしいと、それだけ言って電話は切れました。それで急いで父の部屋に行き、机の上に置いてあった手紙を読みました。それがこの手紙です」
 誠はそこまで話すと、手紙を取り出して奥村に渡した。
 「読んでください」
 
 奥村は封筒の中から便箋を取り出すと、読み始めた。
「誠、おまえにいつ話そうかと思っていたのだが、とうとう話せないまま今日がきてしまった。早く話すべきだったのだが、勇気が出なくて話せなかったのだ。面と向かって話せないから、手紙を書くことに決めたので読んでほしい。 
 随分と昔の話になるが、私は大学のときにある人と出会い、その人のお陰で無事に大学を卒業できだ。つまり私にとっては恩人とも言える人なのだ。ただ残念なことに、世間から見れば決して善人とは言えない人で、悪い事をしてお金を儲けていたのだよ。その当時は私も若かった。言い訳になるが、大学は金が掛かるのでお金がほしかった。そして出会った人の言うとおりにしてしているうちに、悪事に手を染めてしまったのだ。
 卒業してこちらに帰る時、やめればよかったのだが、一旦その道に入れば自分だけの都合で、やめることはできない仕事だった。その仕事とは覚醒剤の密売なんだ。それを今日まで長い年月に渡って続けてきたが、もう限界だ。しかしその仕事をやめるとなれば、私だけでなく家族にも危険が及ぶ恐れがある。どうするべきか色々と考えたあげく・・・・誠、父さんは死を選ぶことに決めたよ。そうすれば何もかもが終わり、もう悪いこともしなくて済むから。
 それともうひとつ、父さんには悔やんでも悔やみきれないほどの、悪いことをやってしまったのだ。それは今から三十年前だが、私には高校と大学を一緒に過ごした親友がいた。その男も私と同じように覚醒剤の密売をしていたのだが、彼はこちらに戻ると、その仕事を止めると言い出したのだ。そして一緒にやめようとも。しかし私はやめられなかった。組織の恐さもあったが、それよりもお金がほしかった。会社に勤めていたが、その給料だけでは足りずに悪いことだと分かってはいたが、やめる気にはならなかった。
 その理由は、今の仕事をするための開店資金が必要だったのだ。だが彼の意志は固くて、へたをすれば警察にも話し兼ねないほどの様子だった。もしそうなると私はもちろんだが、妻そしてまだ小さなお前たち子供まで食べていけなくなってしまう。それで父さんは彼を抹殺しようと考え、ある所に呼び出して私が持っていた青酸カリを飲ませたのだ。自分の身を守るために、かけがえのない親友を自分の手で殺してしまったのだ。
 その親友の名前は和田と言って、木之本の町内で仏壇の店を経営していた男だ。その時は彼の死を自殺に見せかけるためにコーヒーの缶を残してきたので、警察は自殺で処理をして捜査が終わり、私は捕まることなく、今に至っているのだ。
 彼を殺したことに対して、その時はこれで良かったのだと自分に言い聞かせてきたが、その後は自分の犯した過ちに苦しむとともに、日々後悔の毎日だよ。 
 何を今更だが、父さんは自責の念に耐えられなくなってきたのだ。そこで私は自分が死ぬことによって、彼に詫びようと思っている。死ねば必ずどこかで彼に会えるだろう。もし会えれば土下座をして謝ろうと思っているよ。それでも許してもらえないかもしれないが・・・・。
 そこで誠・・・私は自殺をするのだが、おまえに最後の頼みがある。それは生命保険のことだが、自殺では保険が下りないので、他殺に見せかけようと思っているのだよ。それでおまえに協力をしてほしいのだ。父さんは大学のときに青酸カリを入手して、今も持っている。それを飲んで自殺を図るのだが、青酸カリを混ぜた飲み物の入れ物が現場に残ってしまうと、自殺で処理されるだろうから、その入れ物を回収してほしい。そうすれば警察は他殺を視野に入れて捜査するはずだ。最終的に他殺と判断されれば保険金が下りる。それに実際は自殺なのだから、いない犯人が捕まることもない。それが父さんの頼みだ。但し、最後の判断はお前に任せるよ。それだって保険金詐欺という犯罪には違いないからな。ただ、店の経営もかなり苦しい状態なので、そのお金で立て直せればと思っているのだ。生きているうちは犯罪を続け、死んでもまた犯罪を犯そうとしている父さんは、どうしようもない許し難い人間だな・・・ははは。
 誠、もし入れ物を回収してくれるのなら死に場所を書いておくから、そこへ午前一時に来てくれ。じゃあ二人とも元気で幸せに暮らしてくれ。 父より」 

 高木氏の手紙を読んで、全ての真相が明らかになった。
 奥村が誠に言った。
「よく見せてくださいました。この手紙で三十年前の和田さんの事件と、お父さんの死の真相がはっきり分かりました。ただ、もっと早く見せてほしかったですね」
「すみません、どうするべきか悩んでいるうちに日が過ぎてしまいました」
「じゃあ詳しい話を聞きたいので、署まで来ていただけますか」
 奥村と池内は誠を連れて店を出た。

       十一   エピローグ
 湖北警察署での取り調べを終えた奥村刑事と池内刑事は、少し遅い昼食を食べるために、駅前の喫茶店に入った。
 注文したものを待っている間に、奥村が池内に話し掛けた。
「平成のうちに解決できて良かったよ」
「そうですね、令和の年号に変わったら、こんな事件がないことを祈るわ」
「池ちゃん、今回も君の推理が当たっていたね」
「いえ、これも署長が言ってくれた逆転の発想という言葉のお陰です」
「でも高木氏は三十年前に和田さんを殺したことまで、よく手紙に書いてくれたな」
「わたし思うのですけど、高木さんが一番書きたかったことは、和田さんを殺したことだったんじゃないでしょうか?」
「どうしてそう思うの?」
「手紙を読んで分かったのですけど、息子に保険金を残すのが本来の目的だとしたら、他のことは何も書く必要はないでしょう。覚醒剤の密売だって言わなければばれないし、和田さんを殺したことも言わなければ誰にも分らなかったことなのに、わざわざ書いたのは真相を知ってほしかったからだと思うの。それで書いた手紙も、誠さんから警察の手に渡ることを予測していたのかもしれないわ。いえ、むしろ渡ることを願っていたのだと思う。全ての真相を明らかにすることによって、それが和田さんに対して、せめてもの罪の償いになるだろうと考えたのでしょうね」
「そうかもしれないな、それで誠の罪はどうなるのかなあ?」
「彼は保険金を請求していないので詐欺にはならないけど、飲み残しの空き缶を回収したことと、お父さんの自殺を知っていながら黙っていたことが、どう解釈されるかですね」
「それと実際は午前一時に行った向源寺に、行っていないと我々に嘘をついたことかな?」
「多少の罪はあるけど、厳重注意程度で済むかもしれないわ」
「そのくらいで済めばいいな。少し遅かったけど、僕たちに正直に話してくれたのだから」
「奥村さん、優しいのね」
「君だってそう思っているのだろう?」
「私ですか・・・・私は今から食べる昼食を、奥村さんが奢ってくれるのかどうかが心配なんですよ」
「何だい、話をすり替えたな。もちろん君の推理で解決したのだから、ここは奢らせていただくよ」
「本当、ありがとう。それだから奥村さんのこと、好きなんですよ」
「君は先輩を持ち上げるのが上手だね」
「いえ、持ち上げているのではなくて、本当に好きですよ」
「顔が嘘だって言っているよ、ははは」
 鈍感な奥村には何をどう言ったところで、女心は理解できないだろう。まあ長い目で見るより仕方がないな・・・・池内はそう思った。
                                   完         











        

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