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一話

 燦々と降り注ぐ太陽の光の雨が差し込んでいるというにもかかわらず、そこは陰鬱な空気がこれでもかと言わんばかりに漂う異空間。負の感情を纏めてごちゃ混ぜたような、そんな常ならざる気で場は淀む。
 堅牢な鉄格子が無数に並ぶ石造りの牢獄染みた場所。
 そこに囚われた者たちを物色すべくやってきた客———俺に対し、手を揉み、ニコニコと営業スマイルを浮かべてゴマをする男は、ここ———奴隷館のオーナーであった。


「本日は、どのようなご用件でしょうか?」


 ぶくぶくと、肥え太ったオーナーは、金づるがやって来たといわんばかりに猛禽類もかくやという炯眼で俺に焦点を当てて離さない。


「壊れ者が欲しいんだ」


 そう言うと、俺の目の前の奴隷商の男は得心したかのように笑みを深め、顔に刻んだ。
 彼とは何度もこうした取引を行なっていたから「壊れ者」という言葉に不審を抱いた様子もない、が。
 「壊れ者」と聞いた瞬間、堅牢な鉄格子越しに囚われていた何名かの奴隷から、射殺さんとばかりの憤怒の乗った視線が俺に向けられた。


 俺の身なりは貴族のソレ。
 そんな人物が「壊れ者」を所望する。
 それはつまり、壊してもあまり高く付かない奴隷が欲しい、と口にしていると同義であった。故に、怨嗟に似たうめき声すら俺の言葉を契機に鼓膜を掠め始めていた。


「ふむ。壊れ者、ですか……。確か、使い古しの奴隷が2人。昨日うちに売られて来ましてね。歳若い獣人の兄妹なんですが、どうにも主人に噛み付いたようでして」


 俗に言う、「狂犬」と呼ばれる類いの者たちですが、それ良いのでしたら。と念を押してくる。


「構わない」
「分かりました」


 そう言って男は胸元のポケットから鍵を一つ、取り出した。
 程なくしてすぐ近くの牢へとその鍵を差し込もうとする。
 どうにも、その「狂犬」とやらを男は俺に押し付ける気満々だったらしい。けれど、俺はその行動に待ったをかけた。


「ああ、ちょっと待って」


 そう言って俺は、彼の行動を制止させる。


「二人ともなると、色々と用意する事が多くてね。一度出直そうと思うんだけどそれで良いかな」
「ええ。そう言うことでしたら一向に構いません。ちなみに、いつ頃になりますでしょうか?」
「そう、だなあ……」


 悩むそぶりをほんの少し見せて、俺は隣に視線を移した。
 直立不動で控えていた俺の護衛であり、名目上は、奴隷である一人の男に向けて。


「三日もあれば万事抜かりなく準備を整える事が可能でしょう」
「オーケー。なら、三日後、また訪ねさせて貰うよ」


 そう口にすると、奴隷商の男はぺこりと一礼し、「お待ちしております」と言って取り出していた鍵を再び仕舞う。


 奴隷商。
 その中に位置する奴隷を保管(・・)する場所——奴隷屋敷だけは何度訪れても慣れる気配がない。
 いや、きっとこの空気に慣れてはいけないのだろう。人として、道を外れたくないならば、恐らく慣れるべきではないと言い切れた。


「それじゃ、用も済んだし帰るよ——アウレール」


 俺の護衛をしてくれていた耳長の男——『エルフ』と呼ばれる種族の男性の名を呼び、俺は出口へと向かう。


 そんな折。背後から気配がした。
 殺気のような、研ぎ澄まされた気配。


 きっとそれは、言外に『買う』と公言した俺に対する殺意。
 ふざけるなという意思表示なんだろう。
 そう、知っていたからこそ俺はあえて振り返らなかった。
 アウレールも同じで、一度たりとて振り返らない。振り返ったところで、不毛だと知っているから。




 暇さえあれば奴隷商に通い、奴隷を囲おうとする。
 それが俺——ナハト・ツェネグィアの日常であった。
 貴族の家に生まれながら、魔法の才に恵まれず、成人すると同時に家から出て行けと言われている俺は、己を守る手段を求めた。冷めた家族関係のせいでぽっかりと穴が空いた心を埋める為に、疑似家族が欲しかったのだ。


 そして、辿り着いた答えが——奴隷であった。


 俺は、彼らに可能な限りの自由を与える。
 その代わり、俺を守ってくれと。
 そんな、情けない契約。


「なあ、ナハト」


 奴隷商の館を後にするや否。
 先程とは打って変わって砕けた物言いで不意にアウレールが俺の名を呼んだ。


「ん?」
「いつまで続けるつもりだ」
「何のこと?」


 俺は、発言の意図が分からないとばかりに微笑んだ。
 己自身にとっての、家族にのみ見せる柔和な笑み。


「……奴隷の、事だ」


 言い辛そうに、アウレールが口を動かした。


「そうだなあ……取り敢えずは成人するまで、かな」


 ナハト・ツェネグィアは、貴族である。
 貴族であるにもかかわらず、魔法が一切扱えない『落ちこぼれ』として一族の間では汚点と知られているが、腐っても伯爵家の次男坊。お金なぞ、家からくすねようと思えばそれなりにくすねてもバレない程度にはお金持ち。
 だから、こうして奴隷を。己の保身に走る事が出来ていた。


 けれど、成人したら家を出て行けと言われている。
 子供の間は養育の責任を果たしてやるが、成人したならばその義務はない、という事だ。故に、奴隷を囲えるのも成人するまで。


「……違う」


 しかし、アウレールが求めた答えとは違ったらしい。
 くぐもった声で、否定をされた。


「奴隷を囲うのは良い。それはもう何を言っても無駄だと分かってる」
「じゃあ何が言いたいんだよ」


 ハッキリ言ってくれないと、俺はわからないんだけど? と、笑い混じりに答えると彼は一層、眉間に皺を寄せる。


「『壊れ者』を進んで引き受けるその行為の事だ……!!」
「ああ、そういう事……」
「そういうことじゃない!! お前は全く事の重大さが理解が出来ていない!! たとえお前がどれだけ理解があろうと、優しかろうと、奴隷たちに刻まれた貴族や、人間に対する憎悪は滅多な事では無くならない!!! それが『壊れ者』なら尚更だ……ッ!!」


 人目を憚らず、これ以上ないくらい真剣な形相で俺を見詰めていた。


「なんだよアウレール。もしかして心配してくれてんの? 俺の事を、さ」


 揶揄うように言ってやると、ぐいっと強い力で胸元を掴まれた。まだ15歳である俺と、成人済みのアウレールとの間には20cm程の身長差があり、少しだけ踵が浮いた。


 これは間違っても、マトモな奴隷と主人の関係ではない。砕けた口調、乱暴な扱い。本来の貴族相手にアウレールが同じ行為をすれば間違いなく打ち首だろう。けれど、俺だけはそれを咎めない。


「いつか言ったよな、ナハト」


 それは悲鳴だった。慟哭のようであった。
 頼むから、己の言葉を聞き入れてくれと言わんばかりの意思表明で、あった。


「オレたち『エルフ』は、恩讐を決して忘れないと」


 それは、アウレールの口癖だった。


「言ってたね」
「だから忠告する。あの兄妹を、引き取るな」
「どうして」
「アレは恨みに駆られたヤツの目をしていた。余裕なんて無い。全てが悪に見えている。きっとお前が情をかけたところで更に疑心が増幅するだけだ。だったら、見なかった事にするのが賢明だ」


 いつになく真剣な眼差し。
 どうにもアウレールは俺に終始殺意を向けていた『壊れ者』の兄妹が気に入らないらしい。でも、返答は決まっていた。


「やだね」
「ナハト!!」


 大声で怒鳴られる。
 しかし、俺は申し訳ないと思うどころか、その真逆。
 人を食ったような笑みをただただ浮かべるだけ。


「あれだけの殺気をぶつけてくるんだ。将来、俺を守ってくれる良い仲間になると思わない?」


 勿論、奴隷といえど帰る場所がある者は相応の処置だけを施して解放をしている。元より、無理に拘束するつもりはないのだ。
 情けは人の為ならず。
 巡り巡って俺の助けとなれば良い。そんな考えであるから、一定数の者たちが付いてきてくれているし、アウレールもその一人だった。


「それに———」


 そう言って、俺は指を指す。
 指した先には、アウレールの姿。


「お前がいるじゃん? いざという時は、守ってくれよ。だから頼りにしてるよ? アウレール」


 こう言えば、彼は言い返せないだろうと分かった上で俺は言ってのける。狡いと思う。卑怯だと思う。
 でも、悪いとは思わなかった。


「……オレは忠告したからな」


 最後の悪あがきとばかりに小声でそう、言い捨てる。
 本気で止めたいなら、口頭での説得ではなく物理的な方法を使えば良いだけ。けれどそうしないのはきっと、アウレールにもアウレールなりの同情を向けていたから。


 彼は、元々は奴隷商に売られた奴隷であった。
 経緯は、身売り。
 彼は村の人間に売られたのだ。
 魔法の扱いに長けた『エルフ』の一族でありながら、『氷』の魔法しか扱えない不出来な『エルフ』であったからと、貧窮する村の村長に売られたのだと、いつか言っていた。


 だから彼も俺と同じ『落ちこぼれ』であり、『壊れ者』であった。きっと、それが理由で危険と分かっていてもあの兄妹を心の底から拒絶は出来なかったのだと思う。
 俺だって、『壊れ者』と聞くと変な同族意識が時折湧くくらいなのだから。その気持ちは痛いくらいに分かってしまった。


「はいはい。忠告どーも」


 聞いているか聞いていないのか、判断に困る返事をしながら俺は帰路につく事にした。
 新たに二人もやってくる。
 準備もしておかないと、などと考える俺の足取りは心なし軽かった。その様子を眼前に、アウレールも呆れ混じりの嘆息をもらす。


 なんだかんだ言って、俺はこの生活がすきだった。

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