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Chapter 1 - 3


 戦場に音はない。あるのは海と空と。
 時刻は0512。まもなく夜明けが来る。
 即戦ナビの上で多数の光点が集中、こちらに向かってきている。
「シュシュ、ちゃんと見てるか?」
「見ている」
 遠くてまだ機種は特定できない。おそらくはビョーネⅣ、あるいはヴォルゼン。
 敵の総数は百十から百二十の間と推定。
「ちょっと左を上げ過ぎじゃない?」
「いま補正をかけた」
「他は大丈夫? 準備は?」
「OKだ」
「下列のJが高めに出てるけど?」
「そういう癖だ」
「は?」
「いつもJだけ高めに表示される。実際は高くない。すでに別経路から確認した」
「じゃ、いつでも動けるね?」
「いつでも」

『待機モードは解除されました。これより前進し、交戦を開始して下さい』
 
 いいタイミングで司令からヴォイスメールが入る。
 八十余機のエミルクは、高い独特のブースタ振動を共鳴させながら、低高度を維持していっせいに前進を始める。一番機から十六番機までが綺麗に並んで立ち上がってくる。高度が上がり、視界の正面に敵の機影を捉える。敵もこちらを認識したらしい。左右に展開しながら、こちらに向かって急速に高度を落としている。
 青い閃光が、はるか前方の海面ではじけた。
「無意味だな。まだぜんぜん遠い」
 オリリアは唇を曲げて微笑する。
「十機ほど左にまわった。見えてる?」
「見ている」
「あいつらを叩く。上げてくよ、シュシュ。Cスロットルを120」
「了解」
 敵編隊の一部が、左方向からねじりこむような曲線を描いて下がってくる。
 垂直に立った二本のテールを認識。ウゥンという独特のブースタ音。
 ビョーネⅣ。
 比較的やりやすい相手。飛び方の特徴はもうぜんぶ把握している。
 あと少しで射程内という距離まできて、敵は三方向に散開。
 なるほど、そうきたか。
「さあ行こう」
 唄うようにオリリアが呟く。
 前を行く三、四番機が急上昇、射撃を開始。オリリアとシュシュの十四番機も直線的に敵機に肉薄する。
 繊細なタッチで指の下のパネルを操作。トリガーロックを解除する。
 微妙に機首を上げ、一番近くにいる機影を射程におさめた。
 しかし撃たない。
 まだだ。
 まだ遠い。
「まだだぞ、シュシュ」
「ああ」
「初弾で確実に当てろ」
 ナビ上に接近警告が出された瞬間、
 シュシュは機敏にパネルをタッチ。
 無音で前面に放たれる赤のヒート・レイ。
 視野の左隅で、敵ビョーネの尾部が大きく吹き飛ぶのを確認。
「いいね、今のは綺麗だった。よし、続けていく」
「了解」
 敵機と太陽が重なり、一瞬モニターが白転。
 けれどすぐにカラービューは復帰、
 オリリアのビジュアルフォーカスは敵機をとらえる。
「続けて右に上がる」
「右?」
「右だ。視野に入ってるか、二機?」
「三機見えてる」
「上の二機をやる」
「了解」
「インディケータは?」
「すべて正常」
「弾倉?」
「あと十二機は落とせる」
「上出来だ」
 高度が上がるにつれて、さきほどまでフォーカスの外にあった島影が遠景に入ってくる。その島を背に、敵味方あわせて二百機ほどの攻撃機が空に入り乱れ、見とれるような光の軌跡を描いて舞い続ける。敵のビョーネは太陽を反射して白銀に輝き、こちらのエミルクは淡い金色の光を投げる。銀の輝きを追ってオリリアは高度をさらに上げ、激戦の中心めがけてまっすぐ飛び込んでいく。



Chapter 1
 
「『秋の虹』作戦の序盤にこの戦績か。たいしたプレゼントだ」
 最初にカムリが言ったのはそれだった。
 カムリの顔はむしろ笑っている。皮肉のつもりだろう。
 カムリは、外見上は40過ぎのスリムな中年男性。いつでも無表情、笑うといえば、今みたいなシニカルな冷笑だ。一年中グリーングレーの作戦服を着て、肩の徽章はゴールドの二本線。つまりランクはA級管理職というわけだ。
「エミルク一機いくらすると思ってる? 君のボディの何体分だ?」
「さあ? 二十体くらい?」
「桁が二つ違っているな」
「あ、そう。それはすいませんでした」
「謝罪の言葉は不要だ。状況と意図を説明しろ」
「意図?」
 オリリアは首を左に六度ほど傾ける。
「状況はさっき言った通りだけど? 交戦記録をデータで見なよ。5秒で終わる。だけど何それ、意図って?」
「こういう結果をつくった意図だ」
「意図なんかない。序盤は良かった。でも途中でミスが出た。それだけ」
「『それだけ』で、新式のエミルクが海中デブリに変身か」
「敵もけっこう上手かった。まあ、飛んだことのないカムリに言ってもわかんないだろうけど」
「ミスの原因は分析できたのか?」
「まだでーす」
「今日の退社までにそれをやれ。追加レポートとして総務に上げる」
「はーい」
「先月の成績と加味して、重い処分も想定しておく方がいい」
「処分? 何それ? スクラップってこと?」
「それも視野に入れておけ。君よりはるかに性能の優れた新モデルが複数出ている。人事では数百単位の新規導入も検討中だ」
「やればいいじゃん。ごっそり入れ替えちゃえば? そしたらあんたもスクラップ工場行き」
「君とは違い、私は人間なのでね」
「は? 何それ? 何の冗談?」
「冗談ではない。単なる事実だ。五年も勤務して、まだそれを知らなかったのか?」
「えー!!」
 オリリアは大声をあげて二歩後退する。
「それが本当なら、驚きの新事実だね! みんな言ってるよ、あんたほどロボットらしいロボットは他にいないって」
「まずもって『みんな』の定義を誤っている。数名程度は『みんな』に相当しない」
「いやー、へー、でもそれ、ほんとにびっくりだよ。今年度の世界十大ニュースのトップ3には確実にランクインだねっ」
「もういいから行け。時間を無駄にしている」


☆ ☆


「あーあ、ほんと、やってらんないなー」
 
 送迎リモの窓から見える空は快晴。秋の夕方だ。
 崖沿いの道路からは海が見える。水平線付近にはジグザグの丘のような雲が立ち、雲の先端は夕暮れ色に染まっている。
「なんであんたはそんなにトロいんだ? 頭の中に細胞いくつ埋まってんの?」
「ゼロだ。思考ニュートは細胞で構成されていない」
「マジに返すなって。知ってるよ、んなことは。このイシアタマ!」
 言われたシュシュはわずかに眉をよせたが、何も答えない。
 元来、無口な設計なのだ。オリリアより二世代前のモデル。今どきめずらしいG2の男性タイプ。身長で言えば、小柄なオリリアの2倍ある。
「おいシュシュ、あんた今日が勝負どころだったってわかってんの? 先月の成績で、さんざんカムリに言われたばっかじゃん」
「…………」
「何とか言えば?」
「何と?」
「何だっていい。言い訳でも弁解でも。なにか言うことは?」
「だから、すまない」
「そればっかりじゃん」
「………」
「システムの不具合なら、早めにメンテに申告しなよ。念入りにチェックして――」
「先週やったばかりだ」
「それをやった上で、今日のあのパフォーマンス?」
「………」
「おい、ちょっとはこっち見たら? これじゃまるで壁と話してるみたいだぞ?」
 オリリアがシュシュの太い腕をつかむ。
「落ちてるよね、機能?」
「…………」
「思考ニュートの問題?」
「…………」
「前までは、さすがにあそこまでのミスはなかったし、素晴らしく上手くはなかったけど、そんなに悪くもなかった。あたしたち、いつも二人ペアで、ずっと上の方だったじゃないか、戦績」
「…………」
「設計寿命?」
「…………」
「何か言わないとわからない。今なに考えてる? その無駄にでっかい頭で?」
「…………」
 シュシュとオリリアが初めてチームを組んだのは二年前。
 それまでオリリアは、別の男性ロボと組んで毎日攻撃機を飛ばしていた。
 しかしパートナーはやがて廃棄となり、後継として入ってきたのがシュシュだ。
 最初のうち、寡黙なシュシュの言動パターンを理解するのに時間がかかった。しかし慣れると、余計なムダ口がない分、仕事がはかどる。オリリアが指示を出せば素直に従う。ミスも少なく、長時間の作戦任務の中でも精度が落ちない。
 去年は二人でショウズ支社内の年間最高戦績をあげ、表彰を受けた。クリスタル・ブロンズのメダルと、高価なスペシャル・カロリーリキッドと。報奨として得られたのは、たったのそれだけだったが……
 ドンッッ!
 オリリアが、拳でシュシュの胸をうつ。
 軽く、ではない。それなりに本気だ。
「あたしの思考ニュートはあんまり長考向きじゃないから。これ以上どう言えばいいかはわからない」
 オリリアは低く抑制したトーンで発声する。
「とにかく問題は自分でちゃんと解析して、メンテに報告。あんたのシステム内の問題は、あんた自身にしかわからない。今夜、集中して解析しな。でないと、あんたの行先は、」
 シュシュの首の後ろをトントン、と拳で叩く。
「回収再生センター、だぞ?」


☆ ☆


「シム・エレクトロ・ショウズ支社付属サジタリア海畔寮」

 ソリッドメタルの看板には、固い標準フォントでそのように記されている。
 そのパールホワイトの建造物は、海を見下ろす高台の上に建っている。
 サジタリア海畔寮。一般に「ドームS」と呼ばれている。他にも「ドームT」「ドームV」などの略称で呼ばれるロボット社員寮が全部で12ある。ちなみに「ドーム」とは、西域共通言語で「簡易共同住宅」の意味だ。
 オリリアとシュシュ、そのほか8体のロボットを降ろすと、送迎リモは自動で浮動して町の方に戻っていった。このあとも次々と、後続のリモが仕事を終えたロボたちを届けにのぼってくる。
「おいガド、そこで何してんの?」
 芝生の隅に、守衛のガドの姿が見えた。
 ガドは去年入ってきた人間の守衛。痩せて身長は高め。髪は癖毛でまとまりが悪い。年齢は三十代のどこか。一番の特徴は、いつでもかけているシャープなフレームの遮光グラスだ。昼も夜も関係なく装着している。外しているところを誰も見たことがない。
「見りゃわかるだろ」
 ガドは背中を向けたまま答える。
「見てわからないからきいたんだけどな。え、何? それってロボ?」
「だろうな」
「なんで?」
「知るか。誰かが捨てたんだろ」
「ひどい壊れ方じゃん」
「どこかの馬鹿が、処分費を浮かすために捨てていったんだろうな。で、ついでに捨てる前にちょっとばかりイタズラしたと」
「何をやったんだ?」
「顔のスキンに関しては、ヒートガンでじっくり炙(あぶ)ったって感じだな。あまりいい趣味とも思えないが。まあ、どこの町にも変態のひとりやふたりはいるもんだ」
「ところで守衛の仕事はいいの? メインゲート、さっきからオープンのままだけど?」
「どうせ後続のリモがすぐ来るだろ」
「……ガドがそれだからじゃん?」
「は?」
「不法投棄。いくらでも侵入できる。捨て放題」
「しかし何だ? 今日はえらく早いじゃないか」
「たまには早い日もあるよ」
「機嫌がいいな、やけに」
「そう?」
 オリリアは首をひねる。左方向に七度。
「だけどこの子、反応ゼロだね。これって単にカロリー切れ?」
「わからん。あとでトポリのおっさんに見せる」
「可愛い女の子」
「可愛い?」
 ガドは、そこで初めて顔を上げる。
「これだけ焦げてて、どのあたりが可愛い?」
「額から鼻にかけてのライン、顎のシェイプ。なかなかの美人顔だ。スキンさえ変えれば、きっと綺麗な少女ロボって感じになる」
「さあ、それはどうだか……」
 ガドは否定的なニュアンスで首を右に傾けた。


☆ ☆


「……ても、てすみんは、しことてす、もの……」

「あ? 何て言ってる?」
「『仕事ですもの』じゃない?」
「ダメだな、思考ニュートが参っとる」
 トポリ氏は、そう言って小さく息を吐いた。
 トポリ氏はドームS専属の整備技師。
 毎日必須のロボットへのカロリーリキッド補充と、日々寄せられるロボからの個別のメンテナンス相談に応じるのが仕事。年齢はたぶん60過ぎだろう。
 背は低く、過度に太ってはいないが、スマートという体型でもない。ふさふさした灰色の髪。その下にかくれて、彼の視線はいつでも読みにくい。
 顎には、同じく灰色の、山羊のような三角髭を生やしている。住み込みの技師で、ドームの4階に自分の個室を持っている。シム・エレクトロでの勤務歴は相当長いらしい。
「ミカラだな」
「え?」
「ミカラ。このモデルの商標だ。ボルテックス社が本腰を入れて設計した初期の量販家庭モデル。本来用途は主に家事、および独居老人のトークパートナー、派生用途に大人のラブトイ、etc. 手ごろな価格の割には高機能。一時は爆発的なヒットモデルとなったが、思考ニュートの設計上、ソフトの継続更新にあまり適性がなかった。で、今ではもう不良在庫以外で店頭で見ることはないと。こういうヤツだ」
「あいかわらず詳しいね、トポリさん。あたしのモデルアーカイブにはそんなの入ってなかったけど?」
「お前のアーカイブはいつもスカスカだ。どんな雑なデータを入れたのかと疑うよ」
 トポリ氏はガハハ、と豪快に笑った。
「ま、修復は不可能ではない。だが全体修理するほどの価値があるか、だな。この状態なら、まっすぐスクラップ工場行きってのが順当なとこだが……」
 スクラップ工場。
 正確には、イーストベイにある回収再生センターのことだ。
 不要になったロボットは、そこで廃棄される。デモリッシャと呼ばれるオートの大型解体装置にかけられた後、有用な部品とそうでないものに選別され、再利用されるものは再利用、そうでないものは高圧ガス炉で蒸発して大気に還る。

「何とかならないのか?」

「シュシュ?」
「……まずは、思考ニュートのベースユニット基部を修復、」
 いつの間にか、そこにシュシュがに立っている。
「ニュートのコアさえ正常化できれば、あとはセルフチェックで損傷個所を特定できる」
「まあ、それはもちろん、お前さんの言うとおりだろうが、」
 トポリ氏はオリリアと顔を見合わせた。
 珍しい。
 シュシュはいつでも受身な行動パターンがベーシック。オリリアの指示に「ああ」とか「いや」とか、単語だけで返事を返すのが日常リアクションの80パーセントだ。なので、今のこの自発的なアクションは、かなりの例外にカウントされる。
「しかしなんだシュシュ、この子に思い入れがあるのか?」
 トポリ氏は珍しい動物でも見るように、シュシュのボティの上から下までを眺める。
「思い入れ……」
 シュシュは視線を下げ、そのまま何かを思考している。
 三秒経過。
 六秒経過。
 気の短い者なら、このあたりで何かコメントを挿入するところだ。
 しかしそこはさすがにトポリ氏、オリリアの両者。二人とも、普段のシュシュの言動パターンをよく把握している。ここはシュシュの思考が終了するまでじっくり待つべきケースだ。途中で言葉を投げると、結局、次のコメントまでの経過時間が延びる。
「思い入れ、ではない。しかし、仲間だ」
「仲間?」「はあ? 何だそれ?」
 トポリ氏とオリリアが同時に反応する。
「仲間…… うーむ、仲間か。ロボットの口から、そういう曖昧かつヒューマニスティックな言葉が出るとはな! いや、面白い。G2ってヤツは、これだからな。何年接したあとでも、時々驚くような新パターンで攻めてくる。いやいや、悪くないぞシュシュ。そのコメント、それは実に人間的だ。なあ、オリリア?」
「さあね? 適当に言ってみただけじゃないの?」
 オリリアは軽く肩をすくめる。
「よしわかった。そういうことなら、引き受けよう」
 トポリ氏が、勢いよく立ち上がった。
「費用はワシが持とう。ただし、正直あまり金はかけれんから、少しずつ、だな。まずは思考ニュートから攻めて、次は右足の姿勢制御キャブ、それから多分、背面の排熱レンジも…… ま、コツコツ手を入れていこう。だがこれは支社の人間に漏れるとややこしい。あくまで内々の話だ。もし何か聞かれたら、そのときは守衛のガドが自分の趣味で購入したと。そう言うんだぞ?」
「別に俺の趣味じゃねーよ」
 ガドが、カウンターの向こうから口をはさんだ。ガドは遮光グラスのフレームに指を当てて位置を補正する。
「……なあトポリのおっさんよ、まずはそいつの顔、どうにかしてやれよ」
「なに? 顔?」
「そいつのツラ、毎日見るとなるとさすがにキツイだろ。一応そいつ、女だろ? 簡易のマスクでも何でもいいから、まずそれだけ措置してやれ。思考ニュートの何とかは後回しにしてでも」
「む…… まあ、言われてみればそうだな。外的ビジュアルってのも、あんがい無視できないからな。よし、下の倉庫にあるやつで、何とか間に合うか見てみよう。まあそうだな。毎朝この熱で変形したスキンをつぶさに見るってのも、たしかに気分は良くはない。 ……ったく近頃の若い連中ってのは……」
「おいおい、何でもワカモノの仕業にするっての、それは明らかな老化の兆候だぜ?」
「言われなくたって自分の年は自覚しとるわい」


☆ ☆


「え、なにこれ?」
 部屋に戻ろうとしたオリリアを呼びとめて、ガドが手渡したのは、
「見りゃわかるだろ。花だ」
「それは見てわかったけど。意味は?」
「記念だ」
「記念?」
「五周年」
「は?」
「お前がここに配属されて五年目って話。トポリのおっさんに聞いた」
「え、そうだっけ?」
 それは全くオリリアが予想しない答えだ。
 急いでメモリの中のカレンダーをカウントしてみる。
 なるほど。たしかにそうだ。ちょうど五年前の今日が、自分の配属初日。
「あ、わりい。あんまり好きじゃなかったか、水色?」
 ガドにしては珍しく弱気なトーンで発声し、遮光グラスのフレームに指をかけた。
「ん、いや、いい色だと思うよ。でも、ちょっとびっくり」
「言うほど珍しい花じゃないだろ」
「そうじゃなくて。意図が未解明だからさ。どうして? 理由が知りたい」
「理由なしに何かしちゃダメなのかよ?」
 ガドはそう言ってガシガシと頭を掻く。それと平行して、左足のつま先で床のタイルを繰り返し蹴っている。明らかなストレス行動だとオリリアは判定する。しかし何のストレスだろうか?
「とにかくやるっつってんだ。黙って受け取っとけ。所詮はただの花だ」
「う、うん。じゃ、ひとまずもらっとく。ありがと」

 三階の自室で。
 窓際のチェアにひとまず座り、先ほどのガドの行動について考察を開始する。
 何かの記念日に、誰かに花束をプレゼントする。
 他人同士のコミュニケーションであれば、これは単純に「あなたに好意があります」のアピールだ。家族間のやりとりであれば「わたしはあなたに誠意を示したい」の可能性もあるが、今回のケースには当てはまらない。
 ぜんぶで十七のケースを想定してみた。が、最初に浮かんだ可能性以外に、説得力のある仮説は見当たらなかった。
 しかし、今回のシチュエーションは何だ?
 人間がロボに花束を贈る?
 それはどういう心理だ?
 好意?
 そうだろうか?
 あたしみたいなロボット女に?
 考えれば考えるほど、
 可能性は漠然とした可能性のまま、
 詳細解析をかけても詳細が解けない。
 なのになぜか、じわりとポジティブな感情が、ひたひたと湧いてくる。
 もう少し厳密に言えば、ポジティブの感覚マターがカロリーフォーム中を高濃度で循環しているということ。人間の感情カテゴリで言うと、「嬉しい」と「恥ずかしい」の中間にある感情だ。
 オリリアとしては、この五年で初めて経験する感情パターン。
 でもこれ、なかなか悪くない。
 例えるならちょうど、朝、外に出ると太陽が出ていて、その光線の熱によって徐々に体表のスキンが温められ、それが体内に伝導してカロリーフォームの温度を上昇させ、ジョイント各部の機能が滑らかになり、吸排熱ユニットが順調に起動しはじめる。そのときの体感状況に似ている。
 オリリアは、ひとまずそこまでの思考結果を保留プールに置き、思考のモードを切り替える。
 単純な好意以外のものが理由にあると仮定すれば、
 それは果たして何?
 利害?
 計画?
 戦略?
 他には?
 検討を重ねても、なかなかリアリティのある仮説は導き出せない。
 オリリアは思考を止めて立ち上がると、簡易テーブルの上に置いておいた青の花束を、あらためて片手で取り上げた。花は天井の照明を反射して、しっとりとした青銀系の光を放っている。
 綺麗。
 と、人間の女ならコメントするだろう。
 これは、あたしに与えられた花。
 他の誰かじゃなく、別のロボットじゃなく。
 あたしに。あたしだけに。
――あ、わりい。あんまり好きじゃなかったか、水色?
 照れたように、遮光グラスのフレームを指で直す彼。
 でも、
 うん、うん。
 やっぱり綺麗だ。
 悪くない。
 なんだか知らないけど、これは悪くない。悪くないぞ。
 オリリアは花束を抱えたまま、暗くなりゆく窓のそば、そのままフリーズしている。



Chapter 2
 
 ロボットにも人間的生活が必要である。

 最初にこのテーゼを発表したのは、インファニア工科大学のライノ教授だ。彼は二十年以上にわたる精緻なロボット行動研究の末に、このきわめてシンプルな結論を導き出した。
 人間同様、仕事と休息のバランスがとれた生活を送るほど、システムの安定度は高まる。業務効率も耐用年数も、正比例的に上昇する。逆に、どこかに終日閉じ込めたり、規定時間を越えて酷使したり、そういう無茶を続けると、思考ニュートの解析能力は極端に低下し、機械としての寿命も目に見えて落ちていく。
 発表当初、ライノ教授の仮説は称賛と嘲笑が入り混じった複雑な反応を引き起こした。センチメンタルな疑似科学だと真っ向から否定する論客も少なくなかったが、その後、各地の様々なロボット労働現場において、教授の仮説の正しさが目に見える形で実証された。
 今では世界的に、ロボットの一日あたりの許容労働時間は一回30分以上のシステムメンテナンスをはさんだ最大十一時間と義務付けられている。各国の登録企業は、軍事産業であろうが何であろうが、このルールに従ってロボットを使用しなければならない。もちろんここ、諸島国、シム・エレクトロの社内においても。
 

   ☆ ☆
 

 朝。
 いつものようにオリリアは「キッチン」に降りて行く。
「おやよう、こまいてす、はい」
 声をかけてきたのは小柄な女性ロボットだ。身長は小柄なオリリアよりもさらに小さい。華奢な手足にスリムなボディ、人間で言えば12才―14才の少女に相当する。軽くウェーブのかかった髪は片側だけ極端に短く切られ、非常にアンバランス。しかし見方によっては、とても前衛的なヘアスタイルに見えなくもない。
 しかし、髪はともかくとして……
 奇妙だ。
 彼女の顔の左半分を覆い隠すように、艶のないシルバーメタルのマスクが――
「相変わらず早いな、オリリア」
 キッチンの奥から、トポリ氏の声が飛んでくる。
「どうだ? 一晩でだいぶ改善したろ?」
「おはようトポリさん。すごいじゃん、この子、ちゃんと自分で立ってる」
「昨日徹夜したんだ。ちょうど規格に合う部品があってな、足に関しては、ひとまずそれで応急措置」
 トポリ氏は、カロリーリキッドをキャリーに乗せて移動させてきた。
「ほい、お前さんの分」
 トン、と小気味良い音を立てて、ハンディタイプの注入ボトルを前に置く。
「今朝はリクシオが切れてて、イレズマで代用した。トッピングでミルガイザを少々。それで問題なかろう?」
「ぜんぜん問題なし。グラド酸系のやつ以外なら何でもOKだよ」 
「明日午後、リクシオが納品予定だ。明後日以降、通常に戻す」
 トポリ氏は、寮に住んでいるロボットの人数分、カウンターの上にリキッドのボトルを順番に並べていく。ロボットのタイプによって最適なリキッド組成が微妙にずれている。ガチガチのロボマニアであるトポリ氏としては、そこがまた気を使うところであり、腕の見せどころというわけだ。
「ねえ、あんた名前は?」
 オリリアはボトルの注入部を自分の左肩の補充リッドにコネクトし、少女ロボットに尋ねた。
「なまえ、てすみん、てす」
「テスミン? 変わった名前だね」
「てすみん、なまけ、くぁりりてすから」
「え? なんて言ったの?」
「くぁりり、てうてう、なのてす、はい」
 その子は少し舌足らずに可愛く発声して、首を二十度左に傾けた。メタルマスクに隠れて表情は読めない。
「んー、ちょっとわかんないな……」
 オリリアは「微苦笑」の表情を浮かべて、しばらくカロリーチャージに専念する。カロリーインディケータが上昇し、リキッドヒータが出力を上げ、体内で気化したリキッドがカロリーフォームとなって体内を駆けめぐる。
「テスミンってのが、正確な名前の発音かどうかは怪しいけれどな」
 トポリ氏は、後ろからテスミンの補充リッドを開け、リキッドのボトルをコネクトした。
「昨夜はかなり気合をいれて手を入れた。だが思考ニュートをまだ正常に戻せない。いくつかメモリに深刻な欠損部がある。物理的な衝撃でハード的に壊れてる可能性もあるんだが。ま、それはもうちょっと見ないとわからんな。今晩時間をとって、もう一度ゆっくり調整するつもりだ」
「あんまり徹夜徹夜だと体に良くないよ」
「言われんでもわかっとる」
「でも、このメタルマスクは悪くないね」
「まあ、とは言っても無骨だな。この子用のスキンは特注でなきゃ手に入らん。ま、これからしばらくはセカンダリ・マーケットで出品がないか目を光らせておく。それまで、このマスクで我慢だな」
「髪もトポリさんが切ったの?」
「焦げてて見苦しかったからな。が、少々切りすぎた」
「どこの前衛スタイリストかと思っちゃったよ」
 オリリアは少女ロボの髪に手をのばし、右側の、長い方のサイドを指で軽く揺らした。少女は心地良さそうに、スツールに軽く腰をのせた姿勢でカロリー補充が完了するのを待っている。
「あれ? そっちのボトルは? 他にも誰か補充した?」
「シュシュだ。あいつはもう出かけたぞ」
「どこに?」
「朝の散歩だと」
「また? あいつ最近、妙に散歩に目覚めたね」
「そういう気まぐれな部分もG2の魅力だ」
「トポリさんってさ、ずいぶんシュシュが好きだよね?」
「わしの場合、ひとつのロボット人格として好き嫌い言ってるわけじゃない。G2という、ひとつのモデルとしてな」
「G2の何が魅力?」
「思考ニュートの設計コンセプトだ。あれは美しいぞ。他のモデルには絶対にない果敢なチャレンジが随所に見られる。技術者から見たら実に味のあるロボットだ」
「味って何?」
「ひとことで言えばロマンだ」
「は??」
「最大限人間に似せようという努力。熱意。つまりロマンだ。技術者サイドの気合だな。ああいうチャレンジ精神に弱いんだ、自分は」
「それ、ぜんぜん意味がわからない」
 オリリアはチャージを完了し、空のリキッドボトルをトポリ氏に返す。
「でも最近、戦績悪いんだよ、シュシュのやつ」
「そうなのか?」
「うん。ペアを組んでるあたしまで評価下げちゃって、すっごくやな感じ」
「まあそうさな、さすがに年期が入ってるものな、あいつは。入社からまるまる12年だろう?」
「もうそんなだっけ?」
「ああ。一昨年こっちに転属してきた時点で、すでに勤続10年だったからな。あるいは全社内でも最古参かもしれん。それにしちゃあ良くやってる方だろう。もっとずっと新しいモデルで、とっくに廃棄になった社員がいくらでもいる」
「まあそうだけど」
「ま、そこはあれだ、お前が何とかうまくフォローしてやれ」
「けっこうがんばってフォローしてるつもりなんだけどなー」

 時刻は0740。
 送迎リモの第一陣が到着。エントランスのポーチ付近で待機していたロボたちが、一斉に芝生を横切ってゲートの方に歩いていく。
「おいシュシュ、そろそろだぞ」
 オリリアが手を上げて名前を呼んだ。
 しかし返事がない。シュシュはまだ、庭園のはずれに立ったままだ。すぐ隣には、テスミン――あの少女ロボ――の姿もある。
 オリリアは送迎リモに向かう同僚たちの列から抜け出し、シュシュの方に足を向けた。シュシュとテスミンは庭の隅のグノリアの木の下に立っている。木の下で、二人は正確に同じ姿勢で同じ角度に視線を向け、木の上にある何かにフォーカスを当ててフリーズしている。
「おーい。二人とも何見てるんだ?」
 呼ばれたシュシュは、そこで初めて姿勢を変えてオリリアを見た。
「木漏れ日を見ていた」
「は? 見てどうなの?」
「興味深い。パターンが実に多様だ」
「きらきら、きれいきれい、てすから」
「はあ??」
 オリリアは露骨に「バカなの、あんたたち?」の表情をつくって見せる。
「朝から二人して何わかんないこと言ってんだ。ほら、さっさと行くぞ。遅れたらカムリがうるさい。あ、テスミンはいいよ別に。ほらシュシュ、何ぼーっとしてるんだ、来いよ、ほら!」
 無理やりシュシュの腕をつかむ。シュシュは抵抗せず、そのまま手を引かれてオリリアの後についていく。途中で一度だけ振り返り、
「すまない」
 シュシュは木の下に立つ少女に向かって穏やかに発声し、微笑を見せた。
 

☆ ☆


 戦域の空には雲が停滞している。
 西からは寒冷前線が接近中。暗灰色の雲は時間の経過とともに厚みを増していく。
 雨はまだ降っていない。が、このまま編隊が西に進むと、まもなく時間雨量70以上の集中雨に遭遇する見込み。
 結集目標地点は、その雨の帯を抜けてさらに16ゼドヘクス西進した海上だ。後続部隊が遅れている関係で、当初の予定よりも待機時間が延びている。
「よし、今の時間をつかってもう一回、ブースタまわりを確認するぞ」
「了解」
「AからG」
「異常なし」
「下列は?」
「異常なし」
「Rから後は?」
「…………異常なし」
「え、だけどほら、Sブースタの値が低くないか?」
「…………」
「こいつは前回も出力が急に落ちたろ? もう一回よくチェックした方がいいぞ」
「……現在値は、許容下限の2手前……」
「ほら見ろ。そこ、今のうちに補正」
「了解」
「おいシュシュ、今日もちょっと注意散漫だな」
「…………」
「いつ遭遇戦闘になってもおかしくないエリアだ。もうちょっとシャキッしろよ」
「すまない」
「いいから、さっさと補正」
「了解」

『後続が到着しました。これより進軍を再開します。先行隊が設置したマーカーに従って、ポイントμまで各機移動を開始。編隊フォーメーションは現状を維持して下さい』

 指令からのヴォイスメール。
 オリリアは両手の指を同時に使ってパネルを操作。エミルクのブースタが順調に出力を上げ、8秒後には巡航速度に到達。海面すれすれの低高度を維持しながら、同僚機との間隔に注意を払って前進を続ける。
 はるか先の海上では、急速に立ち上がった積乱雲が赤銅色に偏光している。雲の間で、時おり雷光が閃く。雷鳴はまだここまで届いてこない。
 今朝の司令からのブリーフィングによれば、あの寒冷前線の雲に潜航する形で、敵のビョーネ部隊が果敢な東進を試みる可能性が捨てきれない。仮に遭遇すれば全力で迎撃せよ。遭遇しなければ、そのまま西進を続け、戦線を大きく西に押し上げよ。
 大雑把に言えば、それが本日の作戦のすべてだ。もう少し長いタームで見れば、今日の作戦は、次期会戦に向けての準備行動。二日後以降、敵国の軍港都市クレに近い海域で、大規模な会戦が予定されている。
「……オリリア」
「何?」
「オリリアは、なぜ戦う?」
「え?」
 一瞬視線をモニターから切り、ちらりと隣のブースを見る。
「それって今の作戦行動に関係あんの?」
「…………」
「何なんだよ、急に?」
「…………」
「なぜ戦うって言ったって……」
 オリリアは繊細なタッチでパネル左側を左の第四指でなぞり、突風を受けて上がりかけてた機首の角度を補正する。
「仕事だから、じゃない? 何かそれ以上の答えある?」
「…………」
「なあ、何を考えてる?」
「…………」
「あんたはベテランだし、複数の思考を平行で流してても問題なく飛ばせるのは知ってる。だけどあんまり無関連発言ばかり続けてると、あとでまた司令から呼び出しをくうぞ?」
「…………」
「ん、雨が来た。これ、視界がまずいね。降雨量70どころじゃないぞ。ビジュアルモードをトランスMに変えた方がいいな。できる?」
「ビジュアルモード、トランスMに移行中」
「ん、悪くない。雷すごいな。電波障害でセンサ類にダメージが来なきゃいいけど。で、シュシュは?」
「ん?」
「あんたは何で戦ってんの?」
「…………」
「また得意の沈黙攻撃?」
「……よくわからないんだ」
「は?」
「解析しても、わからない」
「それってさー、解析すること自体がナンセンスじゃないか?」
「…………」
「思考ニュートの制約ってあるだろ? 命令されたアクションの理由追求には向かないプログラムだ。どうせ最初からろくな回答なんて出ない。あたしもたぶん、解析できない」
「…………」
「だからさ、仕事だよ仕事。黙って「はいはい」って指令に従ってるうちは、誰もあんたのことで文句は言わないよ。定時までしっかり動いて、寮に戻って。そのあと散歩でも何でも、好きなことすればいい。徹夜で木漏れ日のパターンを解析すればいい」
「夜間の低月齢光量下では、木漏れ日の目視観察はできない」
「ふっ、ほんとクソマジメだなあ、あんたってヤツは。マジな回答するなって。適当に言ってみただけだよ」
「……すまない」
「ほら、距離が近いぞ。左の71番機。ちょっと離すように言って」
「了解。こちら28番機、71、接近しすぎだ。もう少し左翼寄りに位置を変更できないか? 繰り返す、こちら28番機――」


☆ ☆


 その日の仕事の終了は日没後にずれこんだ。
 帰りのリモの窓から、オリリアは漠然と外をながめている。外は暗くてほとんど視界はない。ときおり街灯に照らされて、強風にしなる街路樹が目に入る。
予報より早く雨が来るかもしれない。
 ついさっきまでモニター越しに見ていた海上の暴風雨、あれはまだ、この町の海からはるかに遠い公海上で暴れている。けれど、そこで吹き荒れる嵐の気配は、すでに高湿度と突風という形をとってこの町にも到達している。
 オリリアが寮に戻ると、エントランスのステップに誰かが腰かけていた。
「なーにしてんの?」
 オリリアは姿勢を低くして、相手の顔をのぞきこむ。
 ブン、という軽い駆動音をたてながら、少女がゆっくり顔を上げた。
「おり、りあ」
「あ、覚えてくれたんだ、名前」
「おぼえた、てすみん」
「こうやって見るとさ、あんたってやっぱり美形だね。顔半分がマスクでも、あたしよりずっと美人じゃん?」
「てすみん、ずっと、ぴじん?」
「そうだよ、可愛い。髪質もチャーミングだし。あたしのグサグサ髪よりだいぶいいよ」
 オリリアは少女の隣、硬質ポリネイドのステップの上にふわりと腰かけた。
「テスミンはさー、どっから来たの?」
「てすみんは、ろく、てすから、さちあのてした」
 少女は唇の周囲を動かして、可愛いらしい微笑を作って見せる。
「サチアノ? それって地名?」
「さちあの、こまれ、いとてした。かわりてす」
「んー、よくわかんない。ま、いいけどさ」
 オリリアは肩をすくめる。
「だけどあんたってば、なんかいつ見ても嬉しそうだね?」
「てすみん、うれしそう?」
「そう。いつも口もとがニコニコ」
「てすみん、いつもにこにこ」
「なんでかなー?」
「てすみん、なぜ?」
「だってほら、あんなひどい壊れ方してたの、あれって事故じゃないだろ? 前のオーナー、相当ひどいヤツだったと思うんだよな。なのにあんたは――」
 シルバーメタルのマスクごしに、少女はオリリアの目をじっと見返した。マスクの隙間からのぞく瞳は、ごく薄い紫。エントランス前の常夜灯を反射して、きらりと小さく光る。
「てすみん、うれしいにと、にこにこ、てすから」
「きっとさ、デフォルトの性格がいいヤツなんだね、ミカラのシリーズは」
「………?」
「ん、いやさ、あたしなんかと違って、シンプルで可愛いなと思って。これ、褒めてんだよ」
「てすみん、ほめる」
「違う違う、『ほめられる』だよ、そこは」
 オリリアは苦笑する。
「もうちょいあれだね、思考ニュートを触ってもらった方がいいよね。あれかな、言語変換メモルドが今いちなのかな? あとでもう一回トポリさんに見てもらうといいよ」
「しゅしゅ、とこ、てすか?」
「シュシュ?」
 オリリアは反射的に復唱する。
「シュシュね…… あいつはたぶん、次の次のリモで戻ってくるよ。会社の上司と話をするとかで、ちょっと遅くなるみたいだった」
「しゅしゅ、すき、てすか?」
「え? なにそれっ?」
「しゅしゅ、すき、てすか?」
「それってつまり、あたしに聞いてんの?」
 オリリアは右手で頭に手をやって、髪を触るポーズをとる。それからその手を、首の後ろに移動させる。
「んー、まあ、そうだね、そんなに嫌いじゃないかも。でも、それはまた好きとは違うんじゃない? 好きってのは、ほら、たぶん、もっと特別なんだろ?」
「すき、とくぺつ?」
「そりゃ、あたしも概念としてはわかるよ、人間の言う『好き』感情は。でも、なんたってあたしはロボットだし。今いちわかんない言葉だよね、『好き』って。それに対して、『嫌い』はわかりやすい。否定的なマインドを引き起こすものは、みんな『嫌い』カテゴリに入れればいいからね。で、最初の質問にバックして、シュシュが好きかって言われれば…… 『嫌いじゃない』。ま、それが正しい答えだろね。うん、多分そう」
「きらいじゃない、たたしい、こたえ……」
「あ、いいっていいって、そんなに詰めて考えなくても。まだ本調子じゃないニュートで集中思考したら、またどこか悪くするかもよ。じゃ、あたしはそろそろ入る。あんたも、雨が来る前に入りなよ」
「てすみん、しゅしゅ、まちます、てすから」
「へえ、何それ? あんたこそシュシュが好きなんじゃないの?」
 オリリアは好意的な笑いのニュアンスで発声する。
 それから素早く立ち上がり、軽い動作でエントランスのステップを踏んでドームの中に消えていく。少女は先ほどと変わらぬ姿勢で膝をかかえ、正面ゲートの向こうに広がる漠然とした夜の闇を見ている。西からの風が、少女の髪を海とは逆方向になびかせる。空気は湿り気を増し、潮の匂いが強く香る。


☆ ☆


 同じ日の夜。 
 もう夜中に近い時刻。ほとんどの部屋の明かりは消えている。
 けれど、二階の奥の一室には、まだ今でも、ほのかな明かりが灯っている。
 シュシュの部屋だ。
 いつの間にか降り始めた雨が、窓に降りかかっている。
 窓に背を向けて座っているのは、テスミンだ。
「しゅしゅは、なのしことて、すか?」
「……仕事のことか?」
 シュシュは反対の壁にもたれて、少女の言葉に耳を傾ける。
「なん、の、しことて、すか?」
「戦争だ」
「せん……そう?」
「そうだ」
「しゅしゅは、しこと、すき、てすか?」
「…………」
「しゅしゅは、はなす、きらいて、すか?」
「……いや、きらいではない。あまり得意でないだけだ」
 部屋の中には、どこから集めてきたのか、旧式の木工機械が、方々に散らばっている。簡易ドリル、ハンディタイプのウッドソー、木工用のグラインダー…… どれもこれも至ってシンプルな量産品。無駄のない機能的な実用品と言いかえることもできる。
 シュシュは壁にもたれたまま、小型のカービングナイフでひとつの木片を加工している。木片は、鳥の形をしている。このあたりの森でよく見かける、ウェッジテイル科の小鳥。
壁際のシェルフには、他にも、過去にシュシュが完成させたウッドカービング作品がずらりと並んでいる。そのほとんどは、鳥がモチーフだ。優雅に羽根を広げているもの、飛び立つ直前の緊張感をとらえたものなど。そのほかには魚の造形がいくつか。
少数ながら、人間型の作品も混じっている。もし仮にオリリアがここにある作品群を観察したならば、その小さな人型の木製オブジェの数点は、オリリア自身がモデルだと気付いただろう。
「しゅしゅ、つくるの、すき、てすか?」
 少女が、こころもち、首を左に傾けた。
「好きだ」
 シュシュは手を休めずに答える。 
「壊すより、よほどいい」
「こわす、きらい、てすか?」
「無駄な行為だ」
「むた?」
「そうだ。自然界の事象は、そのまま放置すれば秩序からカオスへと移行する。それを再び秩序の側に押し戻すのが、生物的主体の存在理由だ。少なくとも自分は、そのように世界を理解している」
「せいぷつ、しゅたい……そんさい、りゆ……」
「しかし自分は、それに逆行している。自分が作るのはカオスだ。それ以外の何もない。そこにどのような意味がある?」
「いみない、てすか?」
「あれば教えて欲しい」
 シュシュは口元に、疲れた笑みを浮かべた。
「だが、もうこのあたりでいいだろう。そろそろ自分が壊れる方がいい。壊すより、まだしもそのほうが、何倍も世界のためになる」
「しゅしゅこわれる、てすみん、かなしむ、てすから」
「自分がいなくとも世界は回るさ」
「まわるせかいも、しゅしゅ、すき、てすから」
「世界が、自分を?」
「しゅしゅは、いいろぽっと、てすから」
「…………」
「てすみん、しゅしゅろぽっと、すき、てすから」
「…………」
「しゅしゅろぽっと、こわれる、かなしむ、てすから」
「……悪かった。その話はもう忘れてくれ」
「てすみん、わすれる、ても、ても、」
「……ん?」
「てもしゅしゅことは、すき、わすれない、てすみん、てすから」
「…………」
「すきは、わすれない、てすから」



Chapter 3

 存在とは何だろう?
 
 あたしたちロボットは、なぜ存在するのだろう?
 でもその先を考えようとすると、あたしの思考ニュートは「停止」を命じる。
 それより先には進めない、進んではいけない。
 プログラムの中に、大きな壁が築かれている。あたしの思考は、どうやっても必ずその壁にガツンとぶちあたる。
 たとえば、ふだんと少し思考経路を変えて。
 生きるとは何だろう?
 このように問いかけてみる。
 人間はなぜ生きる?
 喜びのため? 子孫を残すため? 
 答えは無限にある。人間の数だけ答えがあると言っても間違ってはいない。
 じゃあ、ロボットは? 
 ロボットはなぜ生きる? なぜロボットは――
「停止」
 ここにも壁だ。
 じゃあじゃあ、またもう一度、アプローチを変えて。
 あたしここに居続ける意味は?
 その意味は?
 どうしてここで働いている?
 シュシュとふたりで、会社で、毎日、多数のモニターと計器に囲まれて。
 そこで自分たちが生み出すのは、破壊。
 海の向こうで、モニターの彼方で、
 機械と機械を戦わせ、粉々に砕いて海に落とす。
 それだけが、自分の役割。
 そこにどんな意味がある?
 いったい何が理由で、あたしは毎日毎日――
「停止」
 行き止まり。
 行き止まりだらけだ、あたしのマインド世界は。
 あたしが選べるルートは、ここと、ここと、あそこと…… 
 なぜならあたしはロボットだから。
 人間と違って、あれこれ意味を問い続けて生きていくことを求められていない。
 動く。働く。それが役割。
 考えるのは、あくまで人間の役割だ。
 あたしたちは手足。命じられたように動く道具。
 そう。
 そう考えれば。
 もとより意味を考える必要はないんだ。
 手足は考えない。考えてはいけない。
 あたしに要求されるのは、純粋な反応。
 必要とされるのは、シンプルでソリッドな行動だけ。
 だけどだけどだけど、
 それでもあたしは、
 あたしは、時々ふと、この小さなマインド世界の隅で立ち止まり……
 血の通わない両手で、人間を模したボディを抱きしめ……
 自分はどうして……
「停止」
 何のために、自分は……
「停止」
 なぜ
「停止」
 どこへ
「停止」
 いつまで
「停止」
「停止」
「停止」
「思考ニュートは強制終了されました」
「十二秒以内に再起動します」
「思考ニュートの設定値を標準化」
「システム修復中」
「残り時間あと四分三十秒(見込み)」
「修復終了。更新の構成を確認しています」
「オリリアの思考ニュートは最適標準化されました」


   ☆ ☆


 翌日は雨の朝だ。
 雨脚はそれほど強くはない。空は薄い灰色に覆われ、湿った海風がドームの前庭に吹いている。いつもの時刻にリモの第一陣が到着。同僚たちに混じってオリリアはゲートの前まで進んだ。
「おい。今晩、時間とれないか?」
 守衛ブースの中から、ガドが呼び止めた。ガドは雨天用ユニフォームに身を包み、防水キャップを深くかぶっている。
「時間とれないか? それはどういう意味?」
「そのままの意味だ。今夜暇かと聞いている」
「定時上がりであれば、夜は特に何もない。って言うより、何かある晩なんてないよ、あたしらロボットに関しては」
「なら、ちょっとつきあえよ」
「つきあうって何?」
「七時にゲートの前で」
「は?」
「ゲート前、七時」
「そこで何があるの?」
「そのとき話す。ほら、もう出ちまうぞ、最初のリモが」
「何なんだよまったく……」
 小声で文句を言いながら、オリリアはゲートの前まで移動する。
 バーが反応して両側に開く。そこを素早く通り抜け、同僚たちのあとを追って発車間際のリモの前方に乗り込んだ。
 

   ☆ ☆


 夕方雨は上がる。
 オリリアがドームに戻ると、予告通り、ゲート前にガドが立っている。いつもの守衛服ではなく、濃いブラウンのコートを着ている。トレードマークの遮光グラスは、いつもどおり顔の中央の定位置に。
「これから町に出るぞ」
「え? なに? 外出ってこと?」
 オリリアは意外そうにガドを見返す。
「シム・エレクトロ社則111の8。『ロボット社員の、規定時間外、および規定外の場所への無許可移動は処罰対象となる。幇助者を含め、厳正に処分する』マニュアルにはそういう風に書いてあるけど?」
「知ってる」
「しかも罰則はディグリーⅡ。『不法移動に関わった職員は、停職、または即時退職を含めた厳正な社内処罰の対象となる。悪質な場合には、社秘の不法持ち出しに関する刑事罰も付加される』。それわかってて、今の言葉を言ったわけだよね?」
「当然。だがどうだっていいんだ、社則だのなんだのは」
「だけどナビは? あたしが帰寮しないとドームのセキュリティナビがアラームを――」
「対策済み」
「え?」
「守衛用端末からドームの警備プログラムを少々変更した。いまから数時間おまえが帰らなくても、ナビのレコードには何の不具合も生じない。誰ひとり異常を感知しない」
「あきれたな。不正操作ってわけ?」
 オリリアは胸の前で腕を組む。
「おい、ここにずっと立っててもあれだ。移動するぞ」
「どこに?」
「裏にリモを停めてる」
「ねえ、最初に聞いときたいんだけど、」
「なんだ? まだ何かあるのか?」
「なんであたしと、なの? 他の誰かじゃなく?」
「……いちいちそんなの聞くんじゃねー」
 ガドはやや不明瞭に発声し、視線を外した。
「あーくそっ、これだからロボットは……」
「あー、その発言。ロボット蔑視だね」
「いいから行くぜ。あるんだろ、時間?」
「そういう問題じゃない」
「そういう問題だ。すぐ行ってすぐに戻る。シンプルに考えろ」
「……何かあったら責任とれんの?」
「何もないから責任もとらない。行くぞ」

 ガドの運転する自家用リモで海沿いの断崖道路をまっすぐ下り、ショートカットで工業団地の構内道路を過ぎると、まもなく道は旧市街方面に入っていく。
 リベイラ街の裏手にあるパーキングにリモを置いてから、二人は横に並んで夜の通りを歩いた。ガドはコートのポケットに両手をつっこんで、少し背中をまるめた姿勢で規則的なステップを踏む。夜の町には、まだ雨の匂いが残っている。今の時期にしては気温は低め。低くたれこめた雲に遮られて月も星も見えない。
 まもなくオリリアにも、ガドの意図するルートがわかった。
 何てことのない、標準デートコースだ。どのシティガイドにも載っている、ここショウズ市における散策モデルコースその一。
 若いカップルで溢れるアンファンデガ・ビーチの遊歩道を長々と歩き、多くのプレジャーボートが停泊するアマルゼン・ハーバーを通り過ぎて、ストリートミュージシャンが曲を奏でるヴィスコンテ広場を通過、ショッピングストリートとして有名なセッター街をまっすぐ歩き抜けて。
 やがて二人が着いたのは革命広場。
 運河に面した大きな広場で、中央には建国の英雄ダ・ミガイの像が立っている。ここもまた、町の若者たちのデートスポットとしては鉄板も鉄板、これ以上ないというくらいポピュラーな場所だ。広場を囲むように、小洒落たカフェやナイトパブが立ち並び、夜遅くまで人通りが絶えない。運河のそばのデッキに立つと、向こうにはライトアップされた大きな橋が視界に入る。
 サンフアン・ブリッジ。
 本島と対岸のイフェ島とを結ぶ長い橋で、リモウェイとシティレイルが上下二層構造で走っている。ショウズ市のシンボルブリッジだ。観光客向けのショウズ絵葉書セットを買えば、その中の一、二枚には必ずこの橋が映っている。夜のこの時間、橋は水色にライトアップ。時間ごとに少しずつカラーが変化する演出だ。
 ガドはオリリアを連れて、広場の北側の一角に建つカフェに入る。屋外のオープン席はずいぶんな人で賑わっていた。二人はその隅のテーブルに席をとる。
「『R・ミライ』? 変わった名前の店だね? 何なの、『R・ミライ』? 人の名前?」
「知らん」
「なんだよー。まるで常連って顔して入るからさー」
「おい、何か飲めるものはないか?」
「シルルド・イオン水」
「何だそりゃ?」
「ロボでも飲めるメンテナンス・リキッド」
「あるかどうか店員にきこう。他は?」
「さあ? ほかのリキッドはさすがにカフェには置いてないだろうね。どうせならロボと入れるロボカフェにすればよかったのに」
「近くにないだろ、そんなもの」
「ガドは何たのむ?」
「ビール」
「おい、誰が帰りのリモを運転する?」
「ビールくらい飲ませろ。三連勤明けで疲れてるんだ。その程度の娯楽は許される」
「交通法にそんな特例はなかったと思うけど」
「心配すんな。俺の場合、少々アルコールが入った方がいい。酔ってるときの運転技術はスペシャルA」
「もー、ガドってホントいい加減だなー。それでよくシム・エレクトロに雇ってもらえたよね」
「面接のときは誠実な好青年を演じ切ったからな。むかし演劇やってたんだ。その程度の偽装は余裕。お、店員が来る。聞いてみよう」
 確認したところ、シルルド・イオン水はメニューになかった。仕方なくオリリアは、普通のミネラルウォーターを小さいグラスで頼む。ボディ内部に真水を入れることは推奨されていない。が、ごく少量ならばそれほど問題ない。形だけ、水を飲むふりをしてれば何となくこの場の雰囲気は持つだろうと。そういう想定だ。
「聞いたか? シルヴァンナのこと?」
「シルヴァンナって誰?」
「いいかげん名前くらい憶えてやれ。お前の部屋の、すぐ下の子だ」
「ああ、先月入ってきた人? その人が何?」
「廃棄になる」
「廃棄?」
 オリリアは首をかしげる。
「それは初耳だ。モデル更新に引っかかるような旧式には見えなかったけど。何かしたのかな、彼女?」
「僕もよくは知らん。こっちへの配属自体が何かの救済措置だったみたいな話だぞ。でも結局その措置はキャンセルになって、めでたく廃棄だと。トポリのおっさんが、ちらっと話をしてた。まあ例によって、詳細は言わないんだがな、あのおっさんは」
 ガドはそう言って、ポキ、ポキと首を左右にひねって骨を鳴らす。
「ふわっとしたいい感じの子だったんだが。相変わらず血も涙もないところだ、うちの会社ってところは」
「まあロボットだしね。その程度の扱いじゃん、うちに限らずどこでも。でもそっかー。廃棄かー」
 ふーん、とオリリアは「あまり興味なし」の発声をした。そのままガドから視線を外し、広場の向こうを観察している。
「おいオリリア」
「なに?」
「おまえな、おまえもロボットだろ?」
「今さら何言ってんの?」
「まるで他人事だな、シルヴァンナのこと」
「だって、直接のコンタクトはかぎりなくゼロだったし。定義で言えば他人じゃない? それとも何? 何かもっとコメントすべき?」
「そうは言ってない」
「要するにガドは何が言いたい?」
「別に」
「じゃあなんでそんな話題を? おい、あたしに何を期待してる?」
「別に何も期待してねー」
 そのときカフェの店員がビールとミネラルウォーターを運んでくる。ガドはグラスを取り上げ、それほどうまくもなさそうに三分の一ほど飲んだ。オリリアも形だけ、グラスを取って唇を湿らせる。
「廃棄ってのはどんな気分なんだろうな?」
「えー? なに、まだその話?」
「消えていく自分を考えると、どうなんだ? 怖いと思うのか、ロボットでも?」
「廃棄についての感想を求めてる?」
「一般論としてだ」
「どうなんだろ?」
 オリリアは水のグラスをテーブルの上に戻す。
「一般論として、ロボットは廃棄を恐れない。自分はそう思うけど」
「そうか?」
「たぶん」
「お前は?」
「あたし?」
「お前は明日廃棄だって言われたら、どうだ?」
「どうも思わない」
「おいおい、即答だな。ほんとに何も思わないのか?」
「痛覚の有無が関係あるんじゃない?」
「あ?」
「人間の場合はさ、存在の消滅とは、すなわち死。死の直前に、たいてい激しい苦痛を伴うだろ? 病気にしても事故にしても」
「まあ、そうなんだろうな」
「だから人間は、自分という存在の消失をその苦痛と結びつけて死を捉えるわけ」
「……なんか難しいこと言い始めたな」
「ガドから始めた話だ」
「いいから続きを言ってみろ」
「その点、ロボットは痛覚を持たない。そこがポイントだよ、たぶん。たとえば睡眠を例にとればわかりやすい。毎晩眠る前に、ガドは自分の思考が一時的にせよ断絶することに恐怖を覚える? 怖いと思う?」
「いや、それはない。むしろ、面倒なことを一切考えなくてもすむから嬉しいくらいだ。それよりは、朝になって意識が戻るのが苦痛だな。またしみったれた一日が始まると思うとやりきれん」
「つまり、眠るのは別に怖くない?」
「あたりまえだ」
「そう、あたりまえだね。なぜなら睡眠に入る際には、何らの苦痛も伴わないからだ。ロボットの廃棄もそれと同じだよ。ある瞬間に思考する自我が消失。そのまま世界が暗転。終わり。終了。ほらね、ちっとも怖くない」
「だが、二度とは目覚めない」
「睡眠も似たようなものだよ。翌朝ちゃんと目覚める保証はどこにもない」
「んなこたねーだろ?」
「そんなことある。現代の科学でも、睡眠中の人間意識のステイトに関しては、まだまだ未解明。例外的に目覚めない睡眠だってあるかもしれないんだ。そういう一切のリスクを度外視して、人間は毎晩眠りにつく。つまり人間は眠りを恐れない。だからロボットにとっての廃棄も、それと同じこと。そういう理屈」
「そういうわりきった理屈に、俺はついていけんな」
「ほら、ぜんぜん減ってないぞビール。もうちょっと夜を楽しんだら?」
「お前も減ってないぞ、水」
「あんまり飲むと錆びる」
「はっ。不便な体だな」
 ガドはグラスをとりあげて軽くビールを口に含む。オリリアは視線を広場の中央に向け、行き交う人々を観察している。時刻は9時に近かったが、人通りは減るどころか、むしろ増えてきている。どこかの街角で、ネオ・クラシックのギタリストが飽くことなく単調なメロディをリピートしている。エア・ベースが奏でるけだるい低音パートが雨上がりの町に滲んでいる。
「なあガド」
「何だ?」
「そろそろキスしないの?」
 ブッ! まともにガドはビールを吐いた。
「いきなり何言ってんだお前??」
「だってこれ、デートなんだろ?」
「デートなんだろって、なんだそりゃ?」
「いろいろ検索して見てるとさ。つまり映画とかドラマとか、そういう人間用の映像アーカイブのプロットをさ。だいたい夜のデートシーンでは、どこかの街角で二人はキスする。定番だ。実現頻度は92パーセント。ここ二十年間に公開されたメジャーなラブストーリーの中では」
「おまえなー、んなことでいちいち統計とってんじゃねー」
 ガドはテーブルの上に片肘をつき、どこかぜんぜん別の場所を見ている。明らかに照れが入った動作だ。
「だいたいな、んなことは、口に出して言うもんじゃねーんだよ。ったく、これだからロボットは……」
「ロボット蔑視」
「バカなこと言うからだ。ったく」
「ははっ。照れてる」
「照れてねー」
「ねえガド」
「だからなんだ?」
「しようよ、キス」
「…………」
「あたしはまだ未経験だ。一度きちんと試してみたい。どういう感触で、どういう心理か。それなりに興味がある。なぜ人間が、そんなにも唇の接触にこだわるのか」
「……おまえなー。他人事みたいに言うなよな、んなこと」
「ガドが誘ったんだろ、デート」
「そりゃそうだが」
「じゃ、いいじゃん。やろうよ?」
 オリリアはすばやく腰を上げ、テーブルの逆側、ガドの隣に座り直すと、ためらいなくガドの背中に腕をまわす。一方ガドは、ずり落ちた遮光グラスを指で上に戻し、それからためらいがちに、オリリアの肩に手をかける。
 二人は顔を近くに寄せて、
 ガドの呼吸がわずかに早くなり、
 心拍数が増加し、皮膚の表面温度も上昇、
 ふたりの唇の距離は1・6ヘクスから0・8、
 0・6から0・3、
 0・2、0・1
 ………
 
 ガ・ズン・・・…
 
 唇が触れ合うその瞬間、
 巨大な振動が二人を襲う。
 ズズズズ……、
 続いてやってくる鈍い衝撃音。
――あああああ!!
――おい、見ろ! 
 広場を埋める市民が、いっせいにひとつの場所を見る。
 広場の南東方向、サンフアン・ブリッジの方角だ。
 橋が燃えている。夜空に向けて吹き上がる真紅の炎。
「信じられない……」「まさか……」「町のシンボルが……」
 どよめきが周囲から湧き起る。
「おいおい、ありゃあ一体なんだ?」
「あはっ。すごいね、二人のキスの威力は」
「ったく、ふざけてる場合かよ。おい、ありゃどういうことだ?」
「さあね? 事故か、それともテロか…… うーん、何だろ?」
「おい、まさか落ちるんじゃないか、あれ」
「あ、ほんと。崩れる崩れる」

 ガ、ガガガガ、ガ、ズン……
 
 派手な地響きをたてて、中央のところから橋が左右に崩落を始める。炎を巻き上げながら、何千という瓦礫に分かれてバラバラと運河に落ちていく。
「すげえ。映画みたいだ」
 ガドが呟いたその時、今度は対岸の市街の方で閃光が上がった。
 轟音。人々の叫び声。
 すぐにそちらからも、炎と煙が夜空に上がりはじめる。
「あれはセントラルのあたりだな。連続テロか? ずいぶん派手にやりやがる」
 カフェの客たちも総立ちになって、燃える市街を茫然と見ている。夜空に向けて火の粉が舞う。舞う。
「あ、待って。音が」
「音?」
「空。何か飛んでる」
「何も聞こえないぞ?」
「人間の可聴周波の少し外。無音飛行モードだ、あれは…… でもまさか。何で?」
「おい、何が聞こえるって言うんだ?」
「ビョーネⅤ」
「それって何だ?」
「攻撃機」
「お前がいつも飛ばしてるやつか?」
「少しは似てるね。無振動ブースタ搭載の新型機。でも、うちの社のじゃない。ユニ・ロボテック社製」
「……西岸国?」
「そう、だと思う。だけど、いくらなんでもここは戦線から遠すぎるし……」
 あちこちで消防アラームが鳴り響き、人々は右へ左へとパニックに陥って走っていく。幾筋ものサーチライトが夜空を切るように泳いでいる。スクランブルで町に到達した迎撃戦闘機が上空を乱舞しはじめた。多数のブースタが巻き起こす爆音に混じって、ズン、バラバラバラ、ズン、という重い射撃音が入ってくる。
「へえ。あれを撃ってるんだ」
「あ?」
「Tウィンガー。たぶん近郊の基地から撃ってるんだね」
「だから何なんだそれは?」
「Tウィンガー? アムシュタット社が開発した新式対空弾だよ。高高度までを射程に収める地上発射の防空兵器。打ち出された大型弾頭は上空でいくつもの子弾に分裂して拡散、子弾それぞれが自動追尾機能をもって敵機に肉薄する」
「ったく、今は兵器のウンチクなんてどうだっていい。おい、行くぜ。下手すると、ここもやられるかもしれん」
「え? だけど……」
「いいから来い。引き上げるぞ。騒ぎに巻き込まれるのはごめんだ」
「あ、おい、ちょっと待てよガド!」

 ドームに向かう崖沿いの道路は大渋滞が起こっていた。
 ただでさえリモが密集しすぎて動きがとれないところ、道の途中のあちこち、市街の火事を眺める野次馬で完全に塞がっている。普段なら15分で着く距離を、けっきょく二時間以上もかけて二人はドームの前まで戻ってきた。
「ガド? そこにいるのはオリリアか?」
 ゲート前にトポリ氏の姿がある。
「ごめんトポリさん、すっかり遅くなっちゃった」
「おいガド、これはいったいどういうことだ?」
「いや、まあいろいろあって。何と言うか……」
「無断外出と、その幇助か。まったくお前らは何を考えとるんだか…… しかしありゃ何だ? 何の騒ぎだ? お前たち、何かやらかしたのか?」
「知らねーっつーの、俺らは」
「中央テレビは映らんし、ラジオも雑音がひどくてさっぱりわからん」
「どこかの中継ポイントが死んだんだろうな」
「何度も試しとるんだが、支社との通信もつながらない。外部のどこにかけても回線がビジーだ。道路は塞がっとるし、寮のロボットたちもみんな目を覚まして――」
「空爆だよ、トポリさん」
「ああ?」
「敵のビョーネ。たぶん六機かそれ以上。数十機規模の編隊じゃないから、きっと被害も限定的だと思う。それに、こっちも初動ですごい数の迎撃機を飛ばしてた。恐らくもう終わったんじゃないかな、主要な戦闘は」
「む、それが本当だとすれば……」
 トポリ氏は自分の顎鬚に手をやった。
「……まったく信じられんことだ。長年なかったことだ。だいいち主戦場は、ここよりずっと西の海上だろう?」
「だけど少数の攻撃機なら、海上防空網をくぐってここまで到達することも絶対ムリとは言えない。戦線を深くえぐって奇襲しちゃダメってルール、厳密に言えば、そんなのはないわけで」
「だが戦争協定は?」
「まあ、それに照らせば違反だけど。でもあの協定って、二十五年以上前に結ばれた化石みたいな条文でしょ?」
「そりゃもちろんそうだが。だがそれにしたって、夜間の都市空爆などと、そんな旧時代の戦争みたいな……」
 トポリ氏は言いながら、オリリアの後方に目を馳せる。
 普段なら見える街の明かりは、すべて消えている。臨戦モード下の停電措置だ。二十八年前に戦争が開始されて以来、ショウズ市に臨戦モードが発令されるのはこの夜が初めてだ。暗い悪夢の名残りのように、消防アラームが鳴り続けている。丘の下に広がる町のあちこちで、赤い火の粉がブワッ、ブワッと舞い上がり、上空を吹く風を受けてゆっくりと海の方に流れている。

(Chapter 4 につづく)

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