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18-2「ちょ、今はダメ。クロウごめん。また今度!」

 翌、宇宙歴3502年1月19日0714時。

 今、クロウは食堂で朝食を取っていた。右隣の席にはアザレアがいる。そして左隣にはミツキ、さらに隣にはエリサである。

 それはいい。朝食は時間が被る者が多いため、知り合いに出くわす可能性も高い。だが、彼女らは起床したクロウが部屋を出た時には3人揃って部屋の前に居た。完全に出待ちである。

 因みにクロウが目覚めた時、昨晩遅くに居室に帰ってきた筈のシドは居なかった。彼の事である、恐らくはもう格納庫で慌ただしく作業をしているのだろう。

「いいものは見せて貰えたが、これから急いで遅れを取り戻さなけりゃならん」

 昨日も彼はそう言って、一同揃ってVR空間から戻ったVR訓練室を飛び出していった。彼の背中をパラサが心配そうに見送っていた。

 その後、オーデルはタイラーに何やら小言を言いながら連れ立って艦長室の方向へ、ユキとミーチャは航空隊を集めていた。パラサはその時にその場を後にしていた。

「あーっと、クロウ君とミツキ『ちゃん』はいいや。エリサは悪いけど手伝って」

 そんな中にあって、クロウとミツキは、ユキに加わらなくていいと言われてしまった。クロウとミツキは顔を見合わすが、瞬間である。彼女は赤面してそっぽを向いてしまった。

「えっと、ミツキさん?」

 クロウはまた彼女の機嫌を損ねたかと思い、声を掛けるが……

「ちょ、今はダメ。クロウごめん。また今度!」

 そう言って、彼女はその場から走り去ってしまった。

「ああ。ありゃ、今は追いかけない方がいいな。クロウ、ちょっとミツキに考える時間をやれ」

 その背中を見守っていたミーチャの言であった。

「えっと、僕もやっぱり手伝っていいですか?」

 その声にそう答えるクロウであるが、VR空間で大人しくしていたために存在感が薄かったケルッコに声を掛けられる。クロウは内心この場にケルッコが居る事を忘れていた程だ。

「クロウ。さっきの様子だと、君は何かしらの『記憶』が戻ったんだろう? 今日は大人しく部屋に戻って休んでくれ」

 彼は言葉を選んで、クロウのその強烈な記憶が痛みを伴わないようにそっと言うと、クロウの肩を軽くVR訓練場の出入り口の方向へ押した。

 クロウは心の中で、この戦友を一時忘れていた自分を責めた。

「ああ、寂しいならトニアかアザレアを連れて行ってもいいぞ。慰めて貰うといい」

 だが、次のケルッコのセリフで台無しである。クロウはいつかケルッコと決着を付けようと心に誓った。

「ユキ、私は、このまま、艦長の所に行こうと、思う」

 そんなやり取りを見ながら、アザレアは唐突に口を開いた。

「ん、わかった。行っておいでアザレア。もし、今日がダメだったら私から陳情してあげる」

 ユキはそれを聞くとアザレアに頷いた。その頷きにアザレアは無言で首を縦に振るとVR訓練室を後にした。

 クロウにはそのユキとアザレアのやり取りの意味が分からなかった。アザレアのその背中をドアが閉まる瞬間まで見送る事しか出来なかった。

「ほら、何をぼーっと突っ立っていやがる。お前も行けクロウ。お前の行先は自分の部屋だ、間違えるなよ?」

 ミーチャの声に促され、クロウは渋々頷く。顔を上げるとトニアの薄茶色の瞳と目が合った。彼女は悪戯っぽく笑うとクロウに声を掛ける。

「えっと、慰め、いる?」

「いや、大丈夫だ!」

 クロウは慌ててVR訓練室を飛び出していった。

 その後、彼らが何をしていたのかをクロウは知らない。

 だが、ケルッコの忠告通りだったことを、クロウは自室のベッドに横になってから自覚した。

 今まで忘れさせられていた記憶を、次々と思い出したのだ。幼いミツキが自分を殺してからの記憶である。

 それは一言で言えば血の記憶だった。その記憶の中でミツキが血を流さなかった事など無い。

 いずれの記憶でも、ミツキはクロウを庇い、時に血を流し、時に腕を噛み切られ、時に絶命までしていた。そして、展望室でミツキがクロウに語った通り、彼女はその都度再生を果たしていた。

 だが、それが何だと言うのだろうか、彼女は苦しそうだった。痛そうだった。クロウの為にその血を流していた。

 その瞬間だけは、クロウが幼い時に共にした『優しい幼馴染』として、である。

 事が終わった後、彼女はいつもクロウの額に人差し指を当てて、寂しそうに微笑むのだ。恐らく、その動作が彼女の言うクロウの記憶を消す動作だったのだろう。

 そして、ミツキは次の日にはクロウが知るいつもの彼女に戻るのだ。彼女が語る『痛い子』としての彼女である。

 このような理不尽があろうかと思う。クロウは知らずに涙を流していた。

 横になったクロウの瞳から溢れる涙は止めどなく溢れ、クロウの頬から耳の真下を通って流れ落ち彼の枕を濡らし続けた。

――――これでは余りにも、彼女に救いが無いではないか。

 彼女は努めて周囲と距離を取りながら、クロウの近くにだけはいようと努めていた。

 ほぼ、四六時中彼について回っていたと言ってもいい。クロウは生前、それを彼女なりの『重たい愛情表現』だと考えていたが、実際はどうだ。

 クロウは常にミツキによって守られていたのだった。

 クロウは思い出して、母からの手紙をベッドサイドから取り出して開いた。その内容を確認して、クロウは思う。

 母はミツキの事情を知っていたのではなかろうか。だからこそミツキの祖父の提案を聞き入れ、クロウと兄に当てた手紙の中に再三にわたりミツキの名を出したのではないだろうか。

 最早それを確かめる手段にはクロウには無い。

 声を殺しながらクロウは泣いた。途中シドが帰って来たが、寝たふりをして彼をやり過ごし、その止まる事の無い涙を流し続けた。

 クロウは今激しく怒っていた。それは秘密を打ち明けてくれなかったミツキに対してではない。彼女は自分の為に、自身を偽ってまで自分を守ろうとしてくれていたのだ。

 だから、クロウが今怒るのは自分自身に対してだった。自分の無力さを心の底から呪っていた。

 気が付けばクロウは意識を失うように眠り、いつもの時間にいつものように目が覚めた。洗面上で歯を磨きながら自身の顔を見たが、自分の顔はいつも通りの顔色だった。

 あれだけ涙を流しても、目が涙焼けするとか、目の周りが腫れるという事は第四世代人類には無いらしい。

 クロウは内心この今の身体に感謝した。

 そして、自室を出た瞬間にミツキとエリサ、そしてアザレアと出くわして今に至るという訳である。クロウは彼女らに対して平静を装って「おはよう」と声を掛けたが、返って来たのはアザレアの「おはよう」という挨拶だけだった。

 それからは無言で食堂まで移動して、こうして食事を取っているという訳である。

 気まずい。先日のミツキとエリサと共に取った朝食とはまた違った気まずさである。少なくとも今のミツキからはクロウは恐怖を感じない。

 だが、彼女から伝わるこの不可思議な感情は何であろうか、説明が難しいのだが、強烈に求められていると同時に、激しい怒りのようなものを彼女から感じていた。

 それを脇に見ながら、いつもは上品に振る舞うエリサがおろおろとした表情を見せていた。

 一方クロウを挟んで反対側のアザレアは何処か余裕の表情である。勝者の貫禄とでも言おうか、彼女からはどこか自信のようなものが漲っているようにクロウには見えた。

 横目で盗み見た常備服姿のアザレアを見て、クロウは違和感を覚え、そしてすぐにそれに思い当たった。

 彼女の常備服の左腕には、見慣れない腕章が巻かれていたのである。

 その腕章にはこう書かれていた。『クロウ少尉付下士官』と。

「うえっ!?」

 クロウはそれを認めたとたん、思わず奇声を発してしまっていた。

「ん? どうしたクロウ。食事が喉に詰まったか?」

 その声を聴いたとたんにアザレアが、流暢に話してクロウに向き。その金色の瞳でクロウを見つめた。

「あ、れ? アザレア、口調が」

 そのアザレアの口調は昨日までの、どこかたどたどしいモノではない。涼やかな彼女の声は今。すらすらとその口から発せられていたのだ。

「ん、昨日の夜にタイラー艦長と、ジェームス先生と、オーデル元帥に訓練してもらった。クロウの護衛になるための訓練と一緒に、言語訓練も受けた!」

 彼女は胸を張りながらそう言うのだ。その表情は誇らしげですらある。その彼女の階級章が軍曹のそれから曹長のそれへと変わっている事にもクロウは気が付いた。彼女はそこまでの努力をしたのだ。

「えっと、僕の護衛というのはよく分からないけど、昇進おめでとう」

 クロウがそう言った瞬間である。クロウが向くアザレアとは反対の方向からバキリと何かが折れる音が響く。

 クロウが振り返ると、クロウの眼球の数ミリ前にその先端が付きつけられていた。

「ねぇクロウ、愛しているわ。アナタの眼球を、今この箸で串刺しにして食べたいくらいに」

 言いながら、ミツキはクロウに自身で折った箸の一本の先端をクロウの目に突き付けていたのだった。

「まて、落ち着けミツキ。話せばわかる、多分」

「へえ、何がわかるのかしらクロウ。私はね、一晩頭の中を整理して、今日からアナタとどんなにイチャイチャな新生活が始まるのだろうと、ワクワクしながらアナタの部屋へと向かったのよ」

 言いながらもミツキはその箸の先端を引っ込める気は無いらしく、クロウは微動だにできない。

「それが何、アナタの部屋についたと思ったら、そこの女はそのふざけた腕章を腕に付けて、ドアの横で休めの姿勢な訳よ。それを先に見つけていたエリサが何とかしようと試みていたみたいだけど、可哀そうにあの子の私の姿を見た時の青い顔と言ったら、今のアナタの比ではなくてよ?」

「止めてもらう。私はクロウの護衛としての任を持っている。これ以上は私の職権として力を行使させてもらう」

 言いながら、クロウの顔の脇から白い手が伸びミツキの腕を掴んでいた。アザレアである。

「へぇ、強気に出るのね、アザレア。貴女とはそう言えばちゃんと話した事も無かったのじゃ無いかしら?」

 クロウは自分から注意の逸れたミツキを、なるべく刺激しないようにゆっくりと椅子を引いてその場を逃れようとするが、今度はアザレアにその腕を掴まれ引き寄せられてしまった。

 ほぼ、彼女の細い体に抱き留められる格好である。

「クロウ、私の近くに。この女には指一本触れさせない」

 それを聞いたミツキの黒く美しい髪が怒りで逆立つ。余りの事態にクロウは付いていけていない。

「こーら!」

 言いながらそんなアザレアの頭を叩いた者がいる。何とミーチャを連れ立って現れたユキである。

「アザレア、護衛はいいけど、それじゃ数日前の私と一緒じゃない。メッ! だよ!」

「まさかあのユキちゃんが、誰かの暴走を止めてくれる日が来るなんて……」

 いつから居たのか、それを認めたトニアが目の端を拭いながら現れていた。

「まあ取りあえず落ち着いて。ほら、みんな朝食も取れていないじゃない。さっさと食べてお仕事しよう」

 ユキはそう言うとクロウとミツキを引き離し、アザレアからクロウを引き離すと、クロウを元の席に座らせた。

「ユキが、正論を吐いている、だ、と」

 そのやり取りを見て、体を震わせながらミーチャは青い顔をしていた。しばらくはそのリアクションを楽しめそうだなと、クロウは遠くどうでもいい事を思っていた。

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