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9-1「なんでそんなにフリーダムなのバカなの死ぬの?」

 浮上した『つくば』は、高度1万mまでその巨体を上昇させると、その航空巡航速度のマッハ0.9に到達した。

 タイラーの指定した地点にパラサが舵を向け、オートパイロットモードに設定すると、ようやくパラサの手が空いた。

 目標地点までの距離はおおよそ15,900km、現在おおよそマッハ0.9で飛行する『つくば』は時速に換算すると1,102.5km/hであるので、目的地まではおおよそ14時間半ほど時間がある。

 現在時刻は宇宙歴3502年1月13日8時45分、目的地への到着は艦内時計で22時程であった。

 この時『つくば』が目指す目的地は現在地から約13時間の時差があるため、日付変更線を挟んで現地の朝9時頃に『つくば』は到着する予定となる。

 今、『つくば』が目指しているのは地球連邦軍基地本部のある南米アマゾン川流域であった。これは、あらかじめ定められた作戦行動であるため、少なくとも現地に到着するまではブリッジにいるクルーには仕事が無い。

 しばしの休息である。

 また、既定の高度、速度に到達した『つくば』はタイラーによって重力警戒警報が解除されたため、クルーは自由に歩き回る事が出来た。

「艦長!」
 もう我慢できないと言った様子のパラサがタイラーへ向かって席を立ち、進言する。

「ああ、格納庫へ行きたいのだろう? ちょうどいい。そのままシド軍曹とクロウ少尉に休憩を与えてくれ。特にクロウ少尉には現地でやってもらう事がある。艦内時計20時にブリーフィングルームに集合だと通達しろ」

「ありがとうございます!!」
 聞き終わると、敬礼もそぞろにパラサは駆けだした。

「あんの、バカ共!! とっちめてやる!」

 ブリッジの後方自動ドアが閉まり切る前にパラサが叫んだため、その声はブリッジに居るクルー全員の耳に入る事となった。

 パラサは駆ける。曲がり角で靴の底を滑らせ、廊下に設置されている手すりに手をかけ、慣性を利用して体の向きを変え全速力である。

「あ、お姉さま!!」

 不意に食堂の入り口から一般的な私服を着たパラサの実妹、エリサが出てきてぶつかりそうになるが、パラサは身を翻して避けると「ごめん、エリサまた後で!」と、言い残して走り去る。

 その可憐なワンピース姿の妹を一瞥することもなくパラサは駆け抜けて行った。

「あらあら、家ではあんなに活発なあの子見たことも無いわね」
 走り去るその娘の背を見送りながら、その母であるルートは言う。

 彼女もトレーナーにジーンズパンツという出で立ちだった。彼女たちリッツ家のパラサの家族である母ルートと妹エリサは、諜報班に所属する隊員の一人によってパラサの叔父、ローグ・リッツによってリッツ家の別邸に軟禁されていた所を保護され、この艦に乗艦していた。

 実は彼女らは旧日本国の軽井沢に当たる避暑地にあったリッツ家の別邸にいたのである。

 それを諜報班が発見したのはおおよそ半年前、『つくば』がヨコスカベースへと錨を沈めたすぐ後の事であった。そこで、研究所に出向していた諜報班の一人は怪しまれぬようあえて30代の部下を密かにその別邸の使用人として派遣、役半年を使用して二人の救出作戦を実行していたのである。

 その使用人の手引きで二人は昨日の昼頃に別邸を脱出、約8時間をかけて陸路を移動し『つくば』への合流を果たしたのであった。

 二人は着の身着のままであったため、艦に乗艦した時は簡素とは言えドレス姿であった。しかも、元軍属でもあったルートは工作員である使用人と共にローグ側の監視と大立ち回りを演じたため、ドレスの裾を切り裂き、袖は破り捨て、全身泥まみれであった。

 出迎えたルウはその姿を見て、急遽彼女たちのために彼女たちに合う私服を持つクルーたちに声を掛け何着か彼女ら用の服をかき集めていた。

「お母さまもお姉さまも不良になってしまったの?」

 昨日の、ドレスを翻してサブマシンガンを腰だめに乱射し、自らを抱えて別邸の塀をよじ登り、追い縋る追跡者に口で手りゅう弾のピンを外して後ろ手に放り投げた母と、今しがたスカートを翻しながら走る姉を見て、箱入りの令嬢であったエリサがそんな感想を漏らす。

「あらあら、リッツ家の女は逞しいのよ?」

 そう言いながら笑うルートであるが、彼女の脱出を支援した諜報班の面々から言わせれば、彼女一人で脱出可能だったのではないかと疑うほどである。

 英雄ジグルド・リッツの妻、ルートはその実その英雄の元部下である。百戦錬磨の女傑だった。

 あっと言う間に格納庫の入り口に肩で息を切りながらたどり着いたパラサであったが、実は彼女自身も母のそんな姿は知らない。その格納庫の隔壁も兼ねている扉のゆっくりとした開放速度にイライラしながらも、人ひとり通れるだけ間が空いた瞬間にパラサはその身を格納庫へと滑り込ませた。

 格納庫の中央では技術科のクルーが輪になって歓声を上げていた。どうやらシドとクロウはあの中にいるようである。

 シドとクロウはコックピットのやり取りから、取っ組み合いのじゃれ合いに発展していた。今、シドはクロウに馬乗りになりプロレス技のキャメル・クラッチをクロウにかけ、クロウの首を完全に固定していた。クロウは身をよじりながら右手でシドにパンチを放っていた。

「ぐうううう、こんにゃろ」

「うはっはっは、そんな体重も何も乗ってないパンチが効くかよ」

 技術科のクルーたちは彼らの乱闘を目撃すると、そのままはやし立て観戦していたのだった。

「あんたたちぃいいいいいいい……!」

 そんな地の底から響くような声を聴いた技術科のクルーの一人が、パラサを認めると慌てて声を出す。

「やっべ! 『生徒会長』が来た! 逃げろ!!」

 野次馬の技術科のクルーたちは蜘蛛の子を散らすように格納庫から逃げ出した。

「うあ、やべえ!!」

 その様子を一瞬で悟ったシドはクロウから両手を離し、自分も逃げようとする。

「ちょ、おま、何一人で助かろうとしてるんですか!」
 言いながらクロウはシドの片足を掴んで転ばせた。

「て、てめえ。地獄に落ちるなら一人で落ちやがれ!」

 その二人を認めて、パラサはそれぞれの腹に強烈な蹴りを放った。地べたを這ったままの彼らはそれを避ける事すらできなかった。

「二人とも逃がすわけないでしょ!! 正座! もたもたすんな!!」

 悶絶する二人を無理やり正座させると、パラサはその場で仁王立ちとなり、がみがみと二人に向かって説教を始めた。

 いち早く逃げた技術科のクルーたちは、その様子を物陰からがくがくと震えながら目撃していたのだった。

「まったく、何なのあんた達! 作戦行動中だっていう自覚あるの? なんでそんなにフリーダムなのバカなの死ぬの?」

 パラサの説教は昼間まで続いた。食堂に移動した今も続いている。

「先生はーい! コックピットに乗りたいとか言い出したシド先輩が悪いと思いまーす!」

「お前も嬉々として乗せたじゃねえかよ! つーか、その後コックピットから蹴りだしやがって、俺じゃ無かったら落ちて当たり所でも悪かったら死んでたぞ!!」

「黙れ!」
 再び不毛な言い争いを始めようと二人をパラサは一喝する。

「にょほほ! やっとるの!」

「お姉さまがあんな声出すなんて」
 そんな時、食堂にやって来たのはルピナスと手を繋いだエリサである。

「ああ、違うのエリサ! 私はこの人たちの上司としてね!」
 エリサを見るなり、慌てるパラサを認めたシドとクロウは歯を見せてニヤニヤ笑う。思いがけずパラサの弱みを目撃してしまった。

 そんな二人を横目で認めたパラサはジト目で二人を見やる。

「言っておくけど、この艦内でこの子を利用しようなんて考えたら『潰すわ』」

 潰すと言い放った瞬間にパラサは二人の下半身に視線を向けた。シドとクロウは無意識に自身の股間を押さえる。

「「玉ひゅん」」

「にゃはは、凄いんだか凄くないんだかよくわからん兄ちゃん達なのじゃ!」
 言いながらルピナスは万歳をしながらはしゃぐ。

「あれ? そういえばエリサ。お母さまは? 一緒じゃ無いの?」
 今更、エリサが母であるルートと共にいないことに気付いたパラサは問う。

「はい、お母さまは艦長にお礼を言いたいとおっしゃって艦長室に。今の時間、艦長はそちらにいらっしゃると周りの方に伺ったので」

「ああ、じゃあタイラーカフェ営業中ですね。僕らも食後に行きましょうかシド先輩?」

「お、いいな。どうせ暇だし」

 自由過ぎるシドとクロウに、パラサはいつもの額を手で押さえるポーズでため息をついた。

「アンタ等は仮眠取りなさい! 特にクロウ。アンタ多分現地で仕事あるわよ!」

 言われたクロウは、自らの右手の人差し指で自身を指さした。



「この度は、娘共々お助け下さり、ありがとうございます。ミスタ・タイラー」

 タイラーカフェへと訪れたルートは、タイラーに勧められるままソファーに腰掛けると、ルウが目の前のサイドテーブルに置いた紅茶を口に含んで礼を述べた。

「さて、私は礼を言われるような事をした覚えはありませんな。今回の事は私の有能な部下たちが独自に行ってくれた事ですよ」

 微笑みながら、ルートはルウへと「ありがとう。美味しいわお嬢さん」と上品に言う。言われたルウは赤面し、お盆で顔を隠した。

「ええ、私達を救ってくれた『使用人』や諜報班の方々もおっしゃっていましたわ『タイラー艦長のご指示』で、と……」

「はぁ」

 ため息を吐きながらタイラーはルウを覗き見る。ルウはルートには見えないようにタイラーに舌を出して見せていた。

 因みに、このルートとエリサの救出の指示を出したのは確かにタイラーである。だが、パラサと親交が深いルウには察知されないように指示を出していたつもりであったのだが、ルウは事態を全て把握していた。

 どこからだ、とタイラーは思うが、恐らくは半年前にこの母娘の所在を突き止めた段階からルウに自分の考えは露呈していたと考えるべきだろう。

「私の子供たちの悪戯好きにも困ったものだ。私は確かにあなた方の保護を命じはしましたが、『ここに連れて来い』とまでは言わなかったのですがね。あなた方母娘にとっても軍艦に乗艦するなど迷惑でしかないでしょうに」

「お言葉ですが艦長」
 タイラーの言葉を遮りながらルウは言う。

「艦長はルートさんとエリサさんの安全を第一にと『諜報班』にお命じになられました。『今』、この地球上で『彼女たち』が『最も安全な場所』はこの『つくば』では?」

 言われたタイラーは「むう」と、唸る。

 一理はあるのだ。今この地球上ではタイラーを始め激しい情報戦が繰り広げられ、今まさにそのクライマックスの一幕が迫っている。

「そう、そして他ならぬ私が貴方の部下にお願いしたのですよ。ここへと連れてくるように、と」

「……ほう」

 続くルートのセリフにタイラーは興味を示す。リッツ家の実権を持たないとは言え、『元帥』の直接の家族たるルートの言葉である。

「ミスタ・タイラー貴方はこの後、地球連邦軍本部でオーデル・リッツ、私の義父と『面会の予定』があるのではないですか?」

 紅茶を再び口に含み、そう言うルートにタイラーは万歳して見せる。

「降参だ、ミセス・ルート。貴女は私の企みなど全てご存知と見える」

 それを見たルートは口元に手を添えながら笑う。
「まさか。聞きかじった情報と、他ならぬ義父がぼやいた事を繋げ合わせた仮説に過ぎませんわ」

「だが、恐らくは当たらずも遠からずでしょう。直接私に接触を図られたのはどういったご用向きでしょうか?」

 ふふ、と微笑みを漏らしながらルートは言う。
「いえ、あまりに義父が最近楽しそうでしたので、私も及ばずながらその面白そうな企みに参加させて頂こうと思っただけです」

 言われたタイラーは肩をすぼめてルウを見る。なんとルウはウインクして見せた。この母娘の救出劇は、その実彼女ら諜報班によるルートのリクルート劇なのだった。
「いやはや参った。部下が優秀過ぎて困ることもあるのですね」

 タイラーはただ感想を述べる事しかできなかった。

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