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14話 死神の正体

 ユリとマリは民家の塀に隠れて様子を窺っていた。
 僕は二人の背中を眺めながら思考を巡らす。
 ユリとマリはここで何をしようとしてるんだ?
 小野さんに何か用があるのか?
 疑問を抱えたまま、長い時間が過ぎていった。
 もう、3時間は経過しているはずだ。
 腰が痛い。足が棒になっている。屈伸を3回してから立ち上がる。
 時刻を確認しようとポケットから携帯を出す。11時22分だ。
 携帯をポケットに戻した時、右の頬に冷たい感触を覚えた。
 見上げた夜空から細かい雨粒が落ちてくる。
 とうとう降ってきたか。天気予報は大当たりだ。
 降り出した雨の中、僕らは傘も差さずに立っていた。
 髪も顔もコートもズボンも靴も体中が濡れている。
 髪は頬に張り付き、コートは肩に重くのし掛かかっている。
 いつまでここにいるのか聞こうと口を開きかけた、その時だった。
 闇の向こうから足音が響いてきた。
 足音は次第に大きくなっていく。近づいてくる。足音が消える。
 息を潜めて身構えていたら、ユリとマリの背中が遠ざかっていった。
 飛び出した二人を追いかけ、僕も水たまりを跳ねて走り出す。
 二人に追いついた時、マンションの前に人影が見えた。
 目を凝らして見ていると、闇の中から黒装束が浮かび上がってきた。
 漆黒の闇の中、背中を向けて佇む黒装束を呆然と見つめる。
「止まりなさい」
 僕の意識を我に返らせたのは停止を命じるユリの声だった。
 焦点を取り戻した目の中に宙に浮かぶベレッタが映り込む。
 慌てて振り返るとガンウーマンと化したユリの険しい横顔があった。
 両手でグリップを握り締めて、真っ直ぐに腕を伸ばして銃口を向けている。
エントランスへ向かっていた黒装束の足が止まる。
 振り返ったその顔はドクロの仮面で覆われていた。
 両手には黒い手袋。その手に握られているのは大きな鎌。
「鎌を捨てなさい」
ユリが銃口を突き付けたまま、勇ましい声で命じる。
 死神が右側に腕を放り出す。鎌が闇夜を舞う。
投げ捨てられた鎌の刃がアスファルトを叩く。
 冷え切った耳に金属的な音が突き刺さる。
水飛沫が跳ねて、再び雨音だけの静寂が辺りを包み込む。
反撃や逃走の意志は無いと判断したのか、ユリはベレッタをホルダーに収めた。
何で死神がここにいるんだ? タカヒロさんはさっき逮捕されたのに。待てよ。じゃあ、あれは……。
僕の疑問に答えるかのように、ユリとマリは交互に喋り出した。
「私達は死神の正体をタカヒロさんだと思い込んでいました」
「でも、違ったのよ」
「死神の正体……」
「それは……」
二つに重なった声が衝撃の事実を告げた。
「キョウさん、あなただったんですね」
「死刑執行に相応しい出で立ちでしょう?」
ドクロの仮面の下から聞き慣れた声が響く。
仮面が黒い手袋で隠れて剥ぎ取られる。
その下から現れたのは冷たく笑うキョウさんの顔だった。
足下に仮面を投げ捨てて胸一杯に両手を広げる。
「だけど、どうして僕が死神だと分かったんですか?」
「第一の事件の犯行時刻は9時頃でした。近隣の住民が悲鳴を聞いているし、死亡推定時刻とも一致するから間違いありません」
「でもタカヒロさんにはアリバイがあるのよ。午後9時頃に間違い電話が掛かってきたのよ。吉野家の電話機に履歴が残ってるから、これも間違いないわ」
「森嶋が殺された頃、タカヒロさんは自宅で間違い電話の相手と会話していたんですよ。相手の女性に会って確認も取りました。ICレコーダーに録音したタカヒロさんの声を聞いてもらったら、確かにこの人だったと証言してくれたんです」
「吉野家から犯行現場までは、どんなに車を飛ばしても一時間半は掛かる。だから、森嶋を殺害した後に帰宅して電話に出たという可能性は無い。つまり、タカヒロさんのアリバイ成立ってわけ」
「次は第二の事件。この時、タカヒロさんは右肩を痛めていたんです。警部さんがタカヒロさんを診察した医師に話を聞いたんです。診断書とレントゲンもあるから仮病ではありません。
 しかも、タカヒロさんが肩を痛めた瞬間を目撃した人がいるんです。昼間に庭でゴルフの素振りをしている時、肩を押さえて踞っている姿を目撃した人が。つまり、タカヒロさんは犯行前に肩を痛めていたんです」
「第二の事件で凶器が鎌だって分かったからね。右肩を痛めている人が鎌で人を殺すことはできない。だから第二の事件もタカヒロさんの犯行ではないってわけ」
「次に第三の事件。現場で目撃された死神は背が高かったんです。死神が塀の前に立っていたという目撃証言があったんです。だからメジャーで塀の高さを測ってみたんです。塀の高さは百七十五センチでした」
「目撃者は言ってたのよ。死神はその塀よりも頭一つ分、高かったってね。タカヒロさんの身長は百七十三センチ。だから、百七十五センチの塀の前に立って頭が突き出ることはないのよ。だって塀の方がタカヒロさんよりも高いんだからね」
「そして第四の事件。ここでは足の速さが教えてくれたんです。第四の事件の時、現場から逃走した死神は足が速かったらしいんです。偶然にも犯行時刻に現場を通りかかった方がいて、その人が証言してくれました。
 貴方は足が速いですよね。それは第二の事件で貴方の家を訪れた時、私達がこの目で見たから知っています。そう、引ったくり犯を捕まえた時に」
「でもタカヒロさんは足が遅い。タカヒロさんの身柄を確保した時、分かったのよ。あたしでも簡単に追いつけたからね。
 足の速い人がわざと遅く走ることはできても、足の遅い人が自分の走力以上で走ることはできないわよね?」
「そして凶器の鎌とドクロの仮面と黒装束。この三つはゴルフバッグに詰めて、山奥に隠しておいたんですね」
「警察に目撃情報が寄せられていたわよ。不審人物が筒状の物を担いで、山の中へ入っていくのを見たってね。ゴルフに興味がないのにゴルフバッグを購入したのは証拠品を隠す為だったのね」
「そして今日。偶然にも張り込みを引き上げたという話を警部さんがしました」
「だから貴方はすぐにでもここへ来ると思ったわ。最後の一人である、小野を殺す為にね」
「第一の事件ではアリバイがあるから、タカヒロさんに犯行は不可能」
「第二の事件では右肩を怪我していたから、これも犯行は不可能」
「第三の事件で目撃された死神の身長は175センチ以上。でも、タカヒロさんの身長は173センチ。だから、タカヒロさんではない」
「第四の事件で現場から逃走した死神は足が速かった。タカヒロさんは足が遅い。だから、これもタカヒロさんではない」
「よって、四つの事件ともタカヒロさんの犯行ではない」
「以上、証明終了ってわけ」
「さすがは名探偵のお二人だ。見事な推理ですね」
皮肉か本心か、黒い手袋を嵌めた両手を鳴らして拍手を送る。
「でも、それらは全て反証ですよね? お義父さんの犯行ではないということを証明しただけで、僕がやったという証拠にはならないですよね? と言いたい所ですけどね。現場を押さえられた以上、そんな言い逃れは通用しませんよね」
自嘲気味に笑いながら肩を竦めて、降参だとばかりに両手を挙げる。
「4人共、貴方が殺したんですね?」
「ええ、そうですよ」
ユリが静かな声で問い掛けると、キョウさんは誇らしげに頷いて自白した。罪悪感など微塵も感じさせずに。
「ユリさんはいつから僕を疑っていたんですか?」
「最初におかしいと思ったのは、第一の事件で貴方の家を訪ねた時です」
「僕、何かミスを犯していました?」
「貴方、警部さんにこう言いましたよね。あんな狭い場所には入らないでしょうけど、って。あの時点では凶器が鎌だということはまだ分かってなかったのに。ナイフや包丁だったら、あの引き出しでも隠せるはずなのに。
 それに警部さんが死神の話をする前だったから、死神という単語から鎌を連想した訳でもないはずですよね。
 にも拘わらず貴方は言いました。あんな狭い場所には入らないですよ、って。まるで凶器が大きい物だと知っているかのように。
 そう。貴方は凶器が鎌だということを知っていたんですね。だって、鎌で殺したのは他ならぬ貴方自身ですから」
「そうか。失言をしていた訳ですね」
 僕は第二の事件を思い出す。
 目撃者の証言によって凶器が鎌だと発覚した時、ユリは妙な反応を示していた。
 あの時、ユリはキョウさんの失言に気づいていたんだ。
「それに指輪の話も引っ掛かったんですよ」
「指輪? 結婚指輪ですか?」
「第二の事件で貴方の家を出た後、吉野家に行ったんです。その時、吉野夫妻に聞いたんですよ。貴方が結婚指輪を肌身離さず身につけているという話を。それなのに貴方は指輪を外していた。それが引っ掛かったんです。
 貴方が指輪を外していたのは永田を殺害した後だったからですね。格闘になった時に壊れたらいけないから、犯行時には外していたんですね。そして帰宅後に付けるのを忘れていた。貴方、咄嗟に嘘をついて誤魔化したんですね」
「その通りですよ」
キョウさんは左手の手袋を外して足下に投げ捨てた。肩の高さに挙げて手の甲を見せる。やっぱり薬指には指輪が嵌められてなかった。
「サクラの指輪があいつらの血で汚されるのは嫌でしたからね」
「タカヒロさんとカズミさんは? 共犯なんですか?」
「いいえ、お義父さんとお義母さんは何も知りません。僕が独りで復讐を決意したんです」
「タカヒロさんに容疑が掛かったのは偶然なんですね?」
「お義父さんに罪を着せるつもりはなかったんですけどね。結果的にはそうなってしまいました。だけど、復讐を成し遂げるまでは正体を見破られる訳にはいきませんでしたからね」
「動機は聞くまでもないでしょうけど、あの5人への復讐ですよね?」
「法が裁いてくれないのなら、僕がこの手で裁いてやる。そう思ったんですよ。自ら死神となってね」
「やっぱり、あの5人が犯人だったんですか?」
「森嶋が喋ってくれましたよ。あの日、サクラを誘拐した後で陵辱して殺したとね。恐怖に怯えた顔で命乞いをしてきましたよ。許してくれ殺さないでくれ、とね。もちろん許せる訳がないから殺してやりましたけどね」
冷酷な薄ら笑いを浮かべて顎を突き上げる。身も心も死神と化したかのように。
「あと一人だったのに。皆殺しにしてやるつもりだったのに……」
今度は唇を噛み締めて足下に視線を落とす。復讐を成し遂げられなかった悔しさを滲ませながら。
「あの言葉は嘘だったんですね? 復讐なんて許されないことだって、あの言葉は嘘だったんですね?」
痛切な声でユリは問い掛ける。あの時の会話を思い出しているのか、キョウさんは足下に視線を落とす。
「ええ、そうですよ」
そして顔を上げてから静かな声で答えた。
「貴方には殺人者になって欲しくなかったです。復讐なんてして欲しくなかったです……」
「どうしてですか? あいつらは僕の大切な人の命を奪ったんですよ? それなのに何の罰も与えられていないんですよ?」
何で理解してくれないのかとばかりに、キョウさんは両手を横に広げる。
「サクラさんは復讐なんか望んでないとか、彼らを殺してもサクラさんが生き返る訳じゃないとか、そんな分かったようなことを言うつもりはないです。
 でも、だからといって殺人を許すことなんてできないんです。例え、そこにどんな理由があったとしても絶対にできないんです」
ユリの言葉をどう受け止めたのか、キョウさんは無言で立ち尽くしている。
「もう嫌なんだ……」
弱々しい声で呟き、彷徨うように横へ歩き出す。
「サクラのいない世界で生きていくのなんて、もう嫌なんだ……」
アスファルトに横たわる鎌を持ち上げる。刃を己へと向けて、高々と頭上に掲げる。
「ユリさん、さよなら……」
 か細い声で別れの言葉を呟いた、次の瞬間。銃声が耳を切り裂いた。
キョウさんが目を瞑り、蹌踉めきながら後退る。
 隣を振り返るとユリの両手にはベレッタが握られていた。
 銃口から吹き出た硝煙が靄の中へ消えていく。
 ユリがキョウさんを撃った。最初はそう思った。
 だけど、キョウさんは痛がる素振りも見せずに立ち尽くしていた。
 その手に握られていたはずの鎌は見当たらない。
 視線を落とした時、ようやく事態を察知できた。
 アスファルトに刃と柄が横たわっている。ユリに狙撃されて刃が根本から折れている。
 4人の男達を殺めた血塗られた刃が雨に打たれていた。
 キョウさんの体が膝から崩れ落ちる。雨に濡れた光る道路に両手を着いて踞る。
 ユリは静かに両腕を降ろすと、ベレッタをホルダーに収めた。
 ゆっくりとした足取りでキョウさんの元へ歩み寄る。目の前で足を止める。
「駄目ですよ……」
 震える声で語りかけて左手で目元を拭う。
 今、拭ったのは雨粒だろうか。それとも涙だろうか。
「生きてください。サクラさんの為にも生きてください……」
 ユリは一言一句違わず、あの時と同じ言葉を繰り返した。
 サクラさんの思い出話を聞いた時に掛けた、あの言葉を。
 背中を向けているけど、僕にはユリの顔が見えるような気がした。
 キョウさんは呆然とした表情でユリを見上げている。
 首が折れて背中を丸めて項垂れる。
「サクラ……」
大切な人の名を呼ぶ。
「サクラ……」
悲しみに満ち溢れた声で呼ぶ。
「サクラ……。サクラ……。サクラ……」
 降りしきる雨の中で大切な人の名を呼び続ける。
 深い闇の中で啜り泣く声と雨音が響く。
「ユウキ、警察に」
「あっ、うん」
 僕はマリに促されてズボンのポケットから携帯を出した。
 急いでボタンを押して海堂警部に電話を掛ける。
「もしもし、ユウキ君かい?」
「警部さん、小野さんのマンションに来てください」
「小野のマンションに? 何かあったのかい?」
「キョウさんが犯人だったんですよ」
「キョウさんが?」
「はい。今、キョウさんがマンションの前にいるんですよ。ユリとマリも一緒です」
「分かった。すぐに行くよ」
 通報からおよそ20分後、パトカーがサイレンを響かせながら駆けつけた。
 運転席のドアが開いて海堂警部が降りてくる。
 真っ先にキョウさんの元へ駆け寄る。
「キョウさん、貴方だったのですか?」
「ええ……」
キョウさんは道路に両手を着いたまま、顔を上げて力無く頷く。
「高崎キョウさん、貴方を殺人未遂の現行犯で逮捕します」
海堂警部が腰を屈めて道路に片膝を着く。キョウさんの両手に手錠が掛けられた。
「では、参りましょう」
キョウさんが二人の警官に両脇を取られて立ち上がる。
 パトカーの後部座席に押し込まれて二人の警官が脇を固める。
キョウさんを乗せたパトカーが走り出す。
 赤いテールランプが暗闇の中に消えていった。
ユリは雨の中に佇んだまま、パトカーの走り去った方向を見送っていた。

しおり