5-1. シーヴとグンナル
暖かい布地に包まれて見上げた、二人の男女。
優しげな瞳をした白銅色の髪の女性が、頬を撫でてくれる。
深く皺の刻まれた初老の男性が、逞しい腕で自分を抱え上げる。
彼女はシーヴと言った。
彼はグンナルと言った。
自分のことを「ユウリ様」と呼んだ。
ユウリが、両親のように慕った、二人の男女。
***
「ユウリ様!」
「痛!」
首筋に伸ばした手をパチンと叩かれて、ユウリは顔を顰めた。
シーヴが怖い顔をして、彼女を見下ろしている。
「何度も申し上げましたよね?」
「はい……」
「復唱してください」
「『この機械時計を取ったら悪いことが起こります』」
「それから?」
「『取るときは、グンナルの許可を貰いましょう』」
「よろしい」
表情を緩めて、シーヴはユウリの頭を撫でる。
「もうすぐグンナルが帰ってきます。昼食の後に、お願いしてみましょうか」
「うん!」
表で待ってる、と元気よく駆け出した後ろ姿に、シーヴは目を細めた。
《最果ての地》に隣接する北東山岳地帯の森の中、三人でひっそりと暮らし始めてもう四年になる。
ある名家に生まれたシーヴは、魔法学園を卒業後、彼女の実家で専属の神官をしていた。
彼女の先祖は教会設立時の初期メンバーであり、彼女の一族は未だ教会と深い関係にある。
通例通りならば、教会関係の職に就くはずの彼女が、実家に舞い戻ったのには訳があった。
祖先の印を受けた者が、密かに受け継がなければならない使命。
その印を、シーヴは持って生まれた。
時が来るまで、代々語り継がれる祖先の願いと、それに伴う様々な文献や魔導具を守ることが、シーヴの一族に伝わる使命だった。
学園で出会ったグンナルも、同様に神官として婿養子に入り、彼女を夫として支えた。
そして、四年前のある日、酷く焦躁した様子のシーヴの父親が、二人を自室に呼び寄せた。
彼が発見したという、教会内部で握りつぶされていた神託。
それは、遂に使命を全うするための時が満ちたことを意味していた。
誰にも予測できなかった、運命の日。
神託に則って、彼女はグンナルとともに《最果ての地》にある神殿の遺跡へと向かう。
祈りの間と呼ばれる中心部に差し掛かったとき、それはいきなり二人の前に現れた。
目映い光に包まれた、人間の赤子の姿。
ただ、それが普通の人でないことは、留まることを知らずに溢れ出る魔力が物語っていた。
グンナルが布で受け止めた赤子の首に、シーヴが伝承どおりに機械時計をかける。
実際に目にするまでは半信半疑だった。
消滅したはずの《始まりの魔女》の復活。
それを隠し育て、護ること。
それがシーヴの祖先の願い。彼女に課せられた使命だった。
そして、《魔女》には、彼女の家に伝えらる呼び名があった。
『ユウリ様、おかえりなさいませ』
そうしてシーヴとグンナルは、ユウリを連れて、この隠れ家に移り住んできた。
どこまで理解しているかは分からないが、ユウリには嘘偽りのない真実を告げている。
彼女には《始まりの魔女》であった頃の記憶はなかった。
先祖の書き残した文献によると、新たな《魔女》として、消滅してしまった肉体と魔力を転生させるに留めたとの記述がある。それは、最早復活というよりも、
いつか生まれるであろう、《魔女》の再来。
子孫にこの事実を受け継ぎ、護ろうとしたのは、記憶を消してしまわなければならなかったことへの罪滅ぼしなのだろうか。
「おかえり、グンナル!」
「ただいま戻りました、ユウリ様」
朗かな二人の声が、外から聞こえる。
シーヴが玄関を開けると、きゃっきゃっと笑うユウリがグンナルに肩車されているところだった。
彼らには、子供がいなかった。
だから余計に、この穏やかな日々が、普通にある家族のものだという錯覚を起こさせる。
今となっては、使命という大義名分がなくても、自分は喜んでこの日常を受け入れるだろうと、緩やかな幸福の中で過ぎていく日々を思いながら、シーヴは昼食の準備を始めるのだった。