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煮詰まるの巻

「俺のマリエを泣かすんじゃねぇーーー」
 ドアが閉まると同時に放たれた若松さんの渾身のラリアートは「こんなバンドなんかやってられっかよ!!!」と叫んだウルティモの頭上を通過し、僕に直撃した。
「てめぇは、そばでも打ってやがれよ」
 渾身の怒りを込めて繰り出したハイキックは、止めに入ったチャボに当たった。
「何すんだよ、この馬鹿野郎」
チャボは即座に右フックを放った。その拳はマスクの色が似ているロメロの顔にめり込んだ。
「ぶったな、俺は親にもぶたれたことねーんだぞ」
 柔道部出身らしく見事な払い越しを決める。だけど、投げ飛ばされたのはアステカだった。ほとんどが覆面姿だけに、怒りで判断がつかずもう誰が誰なのか分からないままの大乱闘。地獄の2週間合宿で無駄に身についた技と体力。総合格闘技によるイルミネーションマッチが始まった。
「てめぇが、ろくな歌詞書かねーから売れなかったんだよ」
「いや、曲がワリーんだよ。人のせいにしてんじゃねーよ」
「そもそもドラマーなのにリズム感が悪いんだよ」
収まらない遺恨はブレイブ・カンパニー時代にも遡り、火を油を注いでいった。
「おっさんは、そばでも打ってやがれ!」
「俺のそば、食ったこともねーくせに馬鹿にすんな」
 もはや関係のない怒りを露にした若松さんが、チャボを抱え上げ、ブレーンバスターの体勢に入った時だった。ウルティモがギターを窓に投げつけた。ガラスは割れ、大きな音が響く。
「俺はこのバンド辞める。てめーらのおふざけなんかに付き合ってられっか。それにポップスなんか作れるか、あんな子供だまし。俺はロックしかやんねーよ、せいぜい魂売って、適当にやってけよ」
 そしてシンバル蹴り上げると、ウルティモは部屋を出て行った。

 明かりの消えた部屋で、僕は昼間に言われた言葉を思い出していた。
 聴く人を下に見てるんなら音楽なんて辞めちまえ…
 ポップスなんか作れるか、あんな子供だまし…
 マリエさんとウルティモの言葉が頭の中をリフレインする。分かる人だけ分かればいいと思いながら、いつしか誰も聴いてくれなくなった、あの挫折の7年。そうだよ、俺達いつから自分を見失ったんだ…
 メジャーデビューする前は、あんなに楽しかった音楽が僕らを皮肉にも追い詰めていった。 
 ブレイブ・ファクトリーの4人が出会ったのは、大学の音楽サークルだった。ロックとジャズが好きで何より楽器に触るのが大好きだった。入学してすぐにバンドを組んで、寝る暇を惜しんで練習した。家よりサークル棟で寝泊りすることの方が多いくらい音楽にのめりこんだ。一つの曲が演奏できるようになるだけで嬉しくて、ただただ純粋に音楽が楽しかった。いつしか学内だけではなく、都内屈指の学生バンドとなり、三百人ほどのキャパのライブハウスを満席にしていった。そして3年生の時に応募したコンテストで優勝し、あれよあれよとメジャーデビューが決まった。
「音楽で飯を食って行くけん」
 父さんに電話越しに震える声で告げた日のことは今でも覚えている。

 最初のシングルの売り上げも悪くはなかった。実力派学生バンドと雑誌でも取り上げられ有頂天にもなった。「あれってブレイブ・ファクトリーの人じゃない」って、学校に行けば振り向かれ、いっぱしのスター気取りだった。後輩達を引き連れ、呑み屋をハシゴした。
 そしてリクルートスーツに着替え出した同級生に向かって、俺達は社会の歯車なんかになりたくねーなんて酔いにまかせて叫んだこともあった。自分達は選ばれた人間だって信じてた。特別な存在なんだとも思ってた。そして何より、俺達の音楽で世界を変えれるって本気で思ってたんだ。
「さっきは、ごめんな」
 暗闇の中からアステカの声がした。
「よかよ、お互い様やし」
 殴られた頬を押さえながら言った。
「俺も、悪かった」
「自分もすまんかったっす」
 ロメロとチャボの声も聞こえた。
「あいつ、戻ってくるかな?」
 ウルティモは、あれからどこかに消えてしまった。誰も何も答えない。暗闇の中に、庭の鈴虫の鳴き声だけが響いていた。

 起床の目覚ましが鳴ると、若松さんが竹刀を持って入ってきた。ロメロに食らったフックで頬っぺたが腫れている。
「おい、いつまで寝てんだ。さっき連絡があって、レコーディングは5日後に決まったからな。もう時間ねーぞ。つべこべ言わず、曲を完成させろ」
 剃り上げたスキンヘッドを撫でる。
「だけど、マリエさんは大丈夫なんですか。俺達のこと怒ってないですか? 再デビューの話、無くなったんじゃないんですか?」
 アステカの言葉に、若松さんは笑った。
「元旦那の俺が保障する。あいつは、そんなヤワな女じゃない。それに途中で何かを投げ出したりはしない。お前ら、あれでマリエが怒ってると思ったら大間違いだぞ。あいつがキレたら、あんなもんじゃない」
 何かを思い出したのか、身をひそめた。「それと、マリエからの伝言だ」と言うと、ジーンズの中から、しわくちゃになった紙を取り出した。
『人に夢見させといて、途中で逃げんじゃねーぞ』
 赤いボールペンで、それだけ書いてあった。

 曲作りは、真夏なのにガンガンに暖房をいれたスタジオの中で行われた。
「マスク被ってライブしたら、こんなもんじゃないからな。今のうちから慣れとくように」
 若松さんは、ミネラルウゥーターのペットボトルを置くと手を振りながらドアを閉めた。汗だくになりながら曲の構成を話し合う。
「てか、もう無茶苦茶だよ。メンバーは一人いなくなるし、あと5日でレコーディングとかって」
「体鍛えさせる暇あんだったら曲作りさせとけば良かったんじゃ」
 アステカたちは愚痴り続けていた。
「でも、もう文句言ってもしょうがないんで、やれることやりましょうよ」
 チャボが二人をなだめる。進んでいく曲作り。これまでと違うのは、その中心にいるのがウルティモじゃないってことだった。
 あと5日しかない…僕らにグダグダ言ってる暇はなかった。チャボがパソコンの画面を見つめながらミシェル・マリアーノとセッションした時の動画を譜面に起こしていく。
「よし、大まかな流れはこれで行きましょう。だからロメロさんはこれに合わせたラテンのビートを考えてください。あとメロディーラインはミシェルのボーカルから作ります」
 そう言うと嬉しそうに煙草をくわえた。
 音楽の専門学校出ているだけあって、ディレクションの腕は確かだった。そう言えば、1年前に会った時は、嬉しそうに俺もメジャーデビュー決まりそうなんすよ、なんて言ってきたけど、あの話はどうなったんだろう。パソコンの画面を熱心に見つめるチャボの顔を見て思った。だけどこの業界、そんな話は幾つも聞く。あいつが自分で話すまでは、そっとして置くことにした。

「だけど凄いっすね、さすが伝説の歌姫だ。1番だけ聞いただけで、完璧にコードを把握してます。そして2番に入ると、勝手に曲をアレンジしてるし」
 確かに彼女がメインボーカルを取った辺りから、ぐいぐいと曲が生まれ変わっていくのが分かる。メキシコでの動画は、あれから何度も見たけれど、チャボのミキシングによりミシェルの声はクリアになって、その凄さに鳥肌が立った。
「というわけで曲の方は、すぐに出来上がりそうですね。しかもミシェルの作ったメロディーです、そのクオリティは間違いないっすね。あとは、これにどんな歌詞を乗せるかですが」
 チャボは僕の方に目をやった。
「メキシカンポップっぽく陽気な感じでお願いします。それまでには仮メロの音源仕上げておきますんで」
 パソコンを睨みながら作業を進めるその姿は僕の知るオドオドとしたチャボではなかった。こいつはこいつで、色々と苦労を重ねてきたんだろう。

「いちお、1番だけやけど2パターン書いてみた」
 パソコンでプリントアウトした紙を渡した。メキシカンポップというキーワードに戸惑いながらも、その日の夜に歌詞は出来上がった。アステカは仮メロに合わせて口ずさみながら「一枚目の方が、いい感じじやね」と微笑んだ。ロメロも頷いている。これがフレイブ・ファクトリー時代からのいつもの風景だった。歌詞に関しては、よほどのことがない限り手直しをしないのが暗黙の了解だった。チャボは歌詞カードを見つめたまま黙り込んでいた。
「どけん感じ?」
 その言葉に、「正直な感想言ってもいいっすか」と答えるとマスクを搔きながら口を開いた。
「一言で言えば、ダサいっす」
 最初、何を言われたのか分からなかった。唖然とする僕を無視するように言葉を続けた。
「なんすか、この『シーサイド・ポートレイト』って曲名。深夜の旅番組っすか。やるのはダンスミュージックですよ。それに譜割りが全然合ってない所あるし、何より歌いにくいっすよ」
 チャボの声は苛立っていた。
「いや、別にカラオケとかで歌われるために作ったわけじゃないんやけどね。それに歌詞の内容とかさ、ちゃんと読んでくれた?」
 チャボは、しばらく何も答えない。スタジオ内の空気も悪くなっていく。
「俺の話、聞いてました? やるのは、みんなが踊り出すような曲でしょ。別に歌詞に深い意味なんて求めてないっすよ。もっとアッパーなのをお願いします。口ずさみたくなるようなフレーズ見つけて書き直してください。僕らに求められてるのはヒットソングなんすよ。こんなんじゃ誰の心にも届かない」
 そう言うと、またパソコン作業に戻ろうとした。さすがに我慢の限界だった。こっちは7年間もプロでやって来たんだ。譲れないプライドだってあった。
「おい、待てって。ちゃんと歌詞読めよ。譜割りの合わないとこだって、メロディー直せばよかやんけ」
 その言葉にチャボがキレた。
「あのミシェルの作ったメロディーを直せって? 頭おかしいんじゃないすか? それに譜割りに完璧に合わせるのがプロでしょ。あと、こんな説教じみた歌詞じゃ、誰も踊りたくならんっすよ」
「説教じみた歌詞?」
「いや、前から言おうと思ってたんすけど、先輩の書く歌詞って、言いたいこと詰め込みすぎて息が詰まるんすよ。なんか校長の話を聞かされてるみたいで。それに今売れてる曲とか聞いてないでしょ? これってリョータさんがデビューした当時の歌詞っすよ。こんなん今の子に受けるわけないじゃないっすか」
チャボは一歩も引かなかった。
「しかも『自分を信じて見ればいい。きっと道が見えてくる』ってフレーズはゲーテの言葉だし、『大事なのは どれだけ愛を込めたかだ』はマザー・テレサの格言っすよね。誰が偉人の名言や格言で踊り出すんすか。これって教会の賛美歌すか。名言パクって歌詞書いてんじゃねーよ。まじ、やってらんないっすよ」
 そう言うと、歌詞を破り捨てた。

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